第2話「怒」
「まずは、『喜怒哀楽』の『喜』で、笑顔を引き出そうと思うんだけど!」
翌朝。
ひまりはさっそく舞ちゃんに相談した。舞ちゃんは自分の席に座り、ひとつため息をついた後、じっとひまりを見つめてくる。
「ひまりちゃん。本気で亀井くんの笑顔を見るつもりなの?」
「うん! だって、気になるんだもん!」
「……亀井くんが迷惑だって言ったら、すぐに諦めるんだよ? 人を困らせるのは駄目なんだからね?」
「うん、分かってるよ! ……でも、喜んでもらうには、何をしたら良いのかなあ?」
こてりと首を傾げると、舞ちゃんはくすくすと笑った。
「ひまりちゃんはどんな時に嬉しいって感じる?」
「えっと……あ、プレゼントをもらった時とか嬉しい! よーし、仮面くんにプレゼントをあげてみよう! なんかこう……すっごいやつ!」
ひまりが拳を握り締めて鼻をふんふん鳴らすと、舞ちゃんが待ったをかけてきた。
「すごいやつじゃなくても良いと思うの。ほら、プレゼントって気持ちが大事っていうか……」
「分かってるよ! すっごいやつに、すっごい気持ちを込めれば良いんでしょ!」
舞ちゃんがなぜか遠い目になったけれど、ひまりは気にせず何をプレゼントしようかと頭を捻る。思わず笑顔になるような、そんなプレゼントは何だろうか。
でも、よく考えてみれば、ひまりは仮面くんのことをよく知らない。何が好きで、何が嫌いか。昨日一日観察していただけなので、まだ何も分からない。
情報不足のままでは、不利な気がする。
仕方がないので、その日の放課後、ひまりは仮面くんを突撃することにした。
「仮面くん! 一緒に帰ろう!」
「うわっ」
相変わらず驚いているのは声だけで、表情は変わらない。さすがである。
「……嫌だよ。なんで俺がきみと帰らないといけないんだ……」
「情報収集のためだよ! まだ私、仮面くんのことよく知らないからね。えっと……ご趣味は?」
まるでお見合いの質問である。仮面くんが深くため息をついた。
「これといった趣味なんてないよ。もう良い? 俺帰る」
「あ、待って! 休日は何をして過ごしてるの?」
「え? ゲームとかしてるけど。……もう良いよな?」
仮面くんは面倒臭そうに答えると、そのまますたすたと歩きだす。ひまりは急いでその隣に並ぶと、歩調を合わせた。
「……なんで隣を歩くんだよ」
「一緒に帰りたいから! 大丈夫、ちゃんとお家まで送ってあげる」
「女子のセリフじゃないよな、それ」
校門のところまで来ると、仮面くんがひまりの方を向いて聞いてくる。
「家、どっち?」
「え? あっちだけど……どうしたの?」
「俺の家と正反対じゃないか。……はあ」
大きなため息をついて、仮面くんは歩きだす。ひまりの家がある方向へ。
「仮面くん?」
「……一緒に帰るんだろ。送る」
ひまりは目を瞬かせた。仮面くんの猫背の後ろ姿をじっと見つめてしまう。
夕日が道路に長い影を落としていた。
「仮面くん、優しいね」
「女子に家まで送らせたとか、姉貴に知られたら怒られる」
少し冷たい風が吹いた。ひまりは小走りで仮面くんに追いつき、隣に並ぶ。
夕日に照らされた仮面くんの横顔は、やっぱり無表情だったけれど。
なんだかひまりは、妙に胸の奥が温かくなったのだった。
次の日の放課後。
ひまりは仮面くんの背後から忍び寄り、ぽんと彼の肩を叩いてみた。席に座ったままぼんやりとしていた仮面くんが、びくりと跳ねる。
「ひっ」
「あ、やっぱり表情は変わらないんだね。こんにちは、ひまりだよ」
「……何か用?」
昨日は結構優しい感じだったのに、今日はなんか少し冷たい気がする。無表情だから、よく分からないけど。
ひまりはまあ良いやと気を取り直して、手に持っていた小さな縫いぐるみを仮面くんに渡した。
「これね、プレゼント。妖精ゴンザレス」
「……いらない」
「え……嘘……! こんなに可愛いのに……!」
「いや、意味が分からないし。誕生日でもないのにプレゼントとか」
仮面くんは奇妙な動物のように見える縫いぐるみを、ぽいっと放り投げた。慌ててひまりはそれを受け止める。
「喜んでもらえると思ったのに……。もういっそのこと、今日を誕生日にしちゃいなよ……」
「きみは一体どういう思考回路をしているんだ……」
無表情のままで突っ込まれるのは不思議な気分だ。どうせなら、そこは嫌な顔とかしてほしかった。
「まあまあ。とにかくゴンザレスはあげるから。大事にしてね」
「いらないって言ってるのに」
「あ、仮面くん! それ、英語のテストじゃん!」
仮面くんの机の上に、英語のテスト答案が乗っていた。点数は平均点を大きく下回っている。丸の数がとても少ない。
「英語は苦手なんだよ……。放っといてくれよ……」
「私で良ければ教えるよ? 私、こう見えても成績は良いの」
「嘘だろ」
全く信用していない仮面くんに、ひまりは膨れっ面になった。急いで自分のクラスに戻り、英語のテストを取ってくる。そして、自慢げに仮面くんの机の上にそのテストを広げて、胸を張った。
そこにはほぼ満点に近い、たくさんの丸がついたひまりの答案があった。
「……嘘だろ」
「ね! 私が教えてあげるから!」
「……俺より成績が良いなんて。なんか、腹が立つな……」
ひまりははっとして、仮面くんの顔を見上げる。ほんの少し、眉間に皺が寄っていた。ものすごく小さな変化なので分かりにくい。でも、確かにそれは「怒」が現れた表情だった。
「わ、怒った! 仮面くんが怒ったよ!」
ひまりはぴょんと飛び跳ねて喜んだ。初めて見た、仮面くんの表情の変化。一瞬にして元の無表情に戻ってしまったけれど、これは大きな一歩のような気がする。
「この調子で笑顔も見せてね、仮面くん!」
「なんというか、きみは本当にマイペースだな……」
呆れた声で仮面くんが呟いた。ひまりはぴょんぴょん跳ねながら喜びを体現する。ところが、くるくると仮面くんのまわりを回った後、不意にぴたりと止まった。
「ね、仮面くん」
「なに」
「私、喜んでもらおうと思ってたはずなのに、なんで怒られてるんだろう?」
「……俺に聞くなよ」