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貴女色の神様の声  作者: 景梅宗
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第2話 山吹色沙茅は後悔する



 チョコレートケーキとレモンティー



 ◆ ◆ ◆



『ごきげんよう』と、朝の教室や廊下でのすれ違いざまにそうやって挨拶をされれば、私も彼女に『ごきげんよう』と返す。

 彼女の停学が明けて一週間も経過をすれば、椿さんにも当然の様に友達が出来ていた。学内での素行も良く、お昼時になれば仲の良い子達と集まってご飯を食べ、授業態度も真面目でシスターからのウケもすこぶる良い。まるで彼女の吐いた言葉をみんながみんな、すっかり忘れてしまっている様に。

 もしかしたら、そうしていれば私も同じ様に彼女の言いを忘れる事が出来るのかも知れないと、なんとなくそう思えてしまいそうになる。

 別に椿さんの事を許せないとかではない。

 けれど、なんとなくモヤリとした内側の陰りは残っている。

 みんなは如何なのだろうか?

 クラスメイトのあの子は家系がずっとプロテスタントで『椿さんの事は許せない』と言っていたのに、今では楽しそうに休み時間なんかは椿さんとお喋りをしている。英語を担当されているシスターは『その言動は有り得ない』と表情を苦く歪めていたのに、授業で当てられた椿さんの解答や見識の深さに関心を示したりもしていた。

 椿翠子さん。

 彼女は何処か、人に認められたり受け入れられたり、そういう人当たりの良さや所作、特別な才能やカリスマ性があるのかも知れないと、そんな気がした。

 彼女と仲の良い子達は、椿さんの事を如何受け止めているのだろうか?

 椿さんとどういう話をしているのだろうか?

 椿さんがこの聖早美に編入してきた理由や意図を知っているのだろうか? 聞かされているのだろうか?


「沙茅ちゃん、なんだか難し顔してるね?」


「……あ、明里ちゃん」


 明里ちゃんと一緒に中庭のベンチでお弁当を食べるお昼の時間。良く晴れた四月の後半は陽気も穏やかで、こうやって外でのんびり過ごすのにも丁度良い。晴れた日の中庭はお昼休みの時間だと取り分け人気の場所で、見える範囲でも沢山の生徒がそれぞれにお弁当を広げたりお話をしたり、可愛らしいシートを敷いてお菓子を摘まんだりと賑やかだった。そんな中で私の箸の進みが遅い事に気が付いたのだろう明里ちゃんは、レタスのはみ出た控え目なサイズのサンドイッチを大事そうに両手で持ち、どこか心配そうに私の顔を覗き込んできた。


「どうしたの? なにか心配事?」


「うーん、……心配事っていうか、何て言うか……」


『腑に落ちない』と、そう言い切ってしまうには何かが違うし、椿さんに対しても申し訳が立たない様に感じる。それに、もし明里ちゃんが椿さんに対してちゃんと良い印象を持っていたとしたら、私がそれに言葉を加える事となってしまう。それは何だか嫌だった。自分の俯瞰した様な意見で大切な友人の持つ世間的に負とされる様なものでない価値観を操作してしまうのは頂けないと思ったからだ。


「心配事なんだね?」


 問いの形式こそ取っているが、今度の明里ちゃんの言いは断言する様なそれだった。ギクリと肩が跳ねたけれど、見透かされた事で得られる安心も確かにある。


「あー、うん……そうかも」


 曖昧にでも認めた私。

 歪な苦笑いが自覚出来て、その心配事をどう説明すればよいのか見当も付かないでいると、明里ちゃんは手にしていたサンドイッチをぎゅうぎゅうに口の中へ詰め込み始めた。もぐもぐと食べ進め、大急ぎで控え目なサイズのそのサンドイッチを飲み込むと、私の手を取って真剣な視線を投げて寄越した。


「沙茅ちゃん! 今日はケーキを食べに行こう!」


「……へ?」


 ケーキを食べて紅茶を飲みに行こう!

 そうやって明里ちゃんは大きく破顔して見せ、私の返事を待つように薄く目を細めてくれる。

 ケーキと紅茶には幸せの魔法が掛かっているとは誰の言葉だっただろうか。それは昔読んだ絵本の中の言葉だったかも知れないし、漫画やアニメの登場キャラクターのセリフだったかも知れない。

 心配事。

 それは誰に対しての如何いうものか。

 きっと、確固とした何かがある訳ではないのだけれど、明里ちゃんは私を気遣ってくれているし、ケーキも紅茶も特別に美味しいという事を私はこれまでの経験から当たり前の様に知っている。

 だから私は明里ちゃんのお誘いを快く受ける事が出来るのだ。


「……うん、そうだね。私もケーキ食べたいな」


「じゃあ決まりだね。放課後楽しみだね!」


 昼休み。明里ちゃんとお昼ご飯を食みながら放課後の約束を交わす。

 それは美味しいケーキと紅茶を出してくれる喫茶店で幸せな一時を過ごそうというもの。理由は如何あれ、それを思うだけで放課後の授業は苦でなくなるし、今の時期は何のタルトがおススメなのかを考えるだけで心が満たされるような感じがした。




「山吹色さんと深美さん、放課後どこかに行くの?」




 心配事。

 それは『だから』という訳でもないのだけれど、腰掛けるベンチの後ろから聞こえたその綺麗な声に、私の肩は再びギクリと跳ねる事となった。


「あ、椿さん。そうなの。放課後にね、沙茅ちゃんとケーキを食べに行こうってお話してたの!」


 明里ちゃんと二人してぐるりと背後に首を回すと、そこにはニコニコとした表情を浮かべて、何処か楽しそうに立ち居を正す椿さんが立っていた。


「ケーキ?」


 椿さんが首を傾げてそう言うと、やはり明里ちゃんは「そう、ケーキ!」と元気よく首肯し、先を続ける。


「早美と駅の間辺りにね、ケーキが美味しい喫茶店があるの。そこに一緒に行こうって。そうだ! よかったら椿さんも一緒にどうかな? 私まだ椿さんとあまりちゃんとお話しした事なかったし!」


「私は良いけど、山吹色さんは」


 その言いと同時に二人の視線が私の方へと向けられ注がれる。

 …………。

 ……別に、何がある訳ではない。

 ただ私が勝手に自身に対して引け目を感じているだけだ。



『……私、貴女みたいな人、少し苦手かも知れない』



 自分の吐き出してしまったその言葉がどれだけ椿さんの芯に杭を穿ったか分からず、なんとなく話し掛けづらかったのも事実で、謝るべきか如何かも定かじゃあなく、そうやってずるずると気持ちの悪い何かを内側に抱えたままなのが現状だ。

 心配事っていうのは、きっとそういう事なんだ。


「うん、私も嬉しいよ。一緒にケーキ食べに行こ」


 言うと、椿さんはその綺麗な顔を嬉しそうに綻ばせて首を縦へと振った。



 ◆ ◆ ◆



「深美さんと山吹色さんはいつから仲良しなの?」


「私の事は明里で良いよ。沙茅ちゃんとは高等部の最初の時に席が隣同士だったの。そこから仲良くなったんだよ」


 椿さんとお話しをしながら、明里ちゃんは合間合間にモクモクとイチゴのタルトを頬張る。その仕草がまるで小動物みたいな可愛らしさなので、私は表情に自然と笑みが浮かんでしまった。

 放課後。

 私達三人が赴いたのは、聖早美女学校とその最寄り駅の丁度中間地点にあるだろうこの場所。

 喫茶店『ライトオレンジ』

 裏路地の、そのまた一本裏路地に入る、そんな入り組んだ場所にあるこのお店は、風変わりな女性の店主が切り盛りする、ケーキとコーヒーの美味しいお店。立地の所為か知る人は聖早美の中でもあまり多くは無いけれど、その味とお店の雰囲気は何処か異国を思わせる様相。アンティーク調の椅子やテーブル。店主の趣味であろうカップやソーサー、照明や内装。そして、店名のとおり、看板に描かれているランタンの様に吊るされたオレンジの果実がトレードマークとなっている。

 来店し、私達より幾つか年上だろうお店の女の子に席へ案内され、私と明里ちゃんは隣同士で、椿さんがその正面へとテーブルに着いた。

 頼むのはケーキセットが三つ。

 イチゴのタルト、チョコレートケーキ、クリームチーズの乗ったシフォンケーキ。それに、ミルクティーが一つとレモンティーが二つ。

 話す事は自己紹介みたいなものが中心になった。

 私と明里ちゃんはそれぞれ互いの事は色々知っているけれど、如何せん椿さんの事はまだあまり知らない。椿さんもクラス内で仲の良い子達が沢山出来たようだし、今日までなかなか沢山の事を話す機会も無かったから。


「私の事も翠子で良いよ。そうじゃなくても、好きなように呼んでもらって構わないし。クラスのみんなの事、もっと沢山知りたいな。勿論貴女達の事も」


 三人でそれぞれに自分達の事を話して相手の事を聞いた。

 言ってしまえば、それは女子高生としてのあるべき姿なのだろう。

 放課後にこうして寄り道をして、ケーキを食みながら興味のある事柄を話し合い、例えば雑誌に載っていたワンピースが可愛いとか、テストの範囲がどこまでだとか、近所で飼われている子犬だとか、今朝方見た野良のネコちゃんだとか。まるでそれはテレビのドラマとかバラエティ番組なんかでみる女子高生の様で、通っている学校の特色なんかはきっと関係が無かった。

 だから、私も椿さんも、ほんの少しの違和に気が付いたのかも知れない。

 ケーキの甘さ。

 紅茶の香り。

 店内に掛かるBGM。

 雰囲気。

 私達は甘美なケーキに罪深さなど感じなかったし、それにフォークを突き立てる際に神に祈りも捧げなかった。糧に感謝もしなかった。



 ◆ ◆ ◆



「沙茅ちゃんも翠子ちゃんもまた明日ね!」


 そう言って、明里ちゃんは大きく手を振りながら改札を通り、名残惜しそうに背中を見せて駅のホームへと歩みを進めていく。

 私と椿さんは寮生。

 明里ちゃんは実家。

 ライトオレンジからの帰路、私達は三人で駅まで向かい、明里ちゃんを見送ってから椿さんと二人、早美の寮まで帰る事にした。

 門限まではまだまだ時間に余裕がある。それでも空の向こう側はもう夕日のオレンジが色濃くなっていて、反対の空からは夜が始まろうとしていた。一番目の星が自分を見付けて欲しいという風に輝き、二番目の星は『ちゃんと私が見付けたよ』という様に続けて輝き始める。


「明里さん」


「ん?」


 隣を歩く椿さんが零したその名前には何処か嬉しさが滲んでいる様に聞こえた。喉だけで問いを投げて視線を横に飛ばすと、椿さんはそれを丁寧に受け取ってくれる。彼女は言いを続けた。


「明里さん、優しい子だね。私に何も聞かないでくれた」


「……そうだよ。明里ちゃんは優しい子なの。だから、椿さんの事ももっと知りたいと思っているよ。多分」


「えぇ」


 椿さんの言いたい事はなんとなく分かったし、私の言いたい事もなんとなく椿さんに伝わっていると思う。

 明里ちゃんは優しい。そして聡明だ。

 ライトオレンジでケーキを食みながら明里ちゃんは沢山の事を椿さんに質問していたけど、編入してきた経緯や神様については何も聞かなかった。

 きっと明里ちゃんの考えた末の気の掛け方だったのだろう。


「椿さん、私の言った事気にしてる……?」


「山吹色さんが言った事って?」


 駅からなら、寮まで歩いて十分程度。

 それなら、まだ空がギリギリ明るい内に帰る事が出来るだろう。


「私が椿さんの事を『苦手かも知れない』って」


「あぁ、あれね」


 言って、椿さんは足を止める。

 つられて私も歩みを止めると、彼女はその綺麗な顔の中で片眉だけを器用にクッと上げて見せた。

 後方に伸びる私達二人分の二つの影は、私より数センチほど背の高い椿さんの方が幾らか長い。


「気にしてるって言えば気にしてるし、気にしてないって言えば気にしてないね」


「……なあにそれ」


 ぼやける言葉の輪郭。

 チカチカとした点滅の後に街灯はそこに光を点し始め、遠くに見えるお店だかの看板もライトで鮮やかに彩り始める。

 息苦しさこそなかったけれど、椿さんの浮かべる柔和な笑顔や、緩く弧を描いた口元がなんだか不安だった。

 ややあって、椿さんはゆっくりと口を開く。

 私に聞こえる様に。

 私に示す様に。


「ショックではなかったけど、それを受け入れられるほど私もまだまだ大人になりきれないなって、そういう事」


 私も、山吹色さんの事、少し苦手かも知れない。


「…………ぁ」


「でも、『神様の事が好きか嫌いか分からない』って言ってた山吹色さんよりは、私の事を『苦手かも知れない』って言ってくれた山吹色さんの方が、私は好きかな」


 …………。

 ……言われる事で、それはきっと酷い事だったのだと理解する。

 椿さんはショックじゃないと言うけれど、なるほどどうして、言われてみれば、なかなか苦しいものがある……。


「……椿さんは、何で早美に来たの?」


「それはこの前言ったよ。神様をちゃんと嫌いになる為」


 笑顔は絶やさない。

 私は自分が不安そうな表情を隠していないのを自覚しているけれど、それでも椿さんの表情は柔らかかった。


「そうじゃなくて」


「ん?」


 息を呑む。

 喉を通る唾液の感覚が不快だった。



「椿さんは、何で編入してきたの……? おうちの都合とか……?」



「……それ、山吹色さんは聞くんだね」



 ライトオレンジで明里ちゃんが切り出さなかった箇所。

 心臓の速さは自分の所為だ。

 良い事と悪い事。

 風が吹くと、椿さんの一本に結ばれた黒髪が揺れ、自身の二つ縛りの髪が耳をくすぐった。


「事情は校長先生と担任のシスターしか知らないの。クラスで出来た友達はみんな優しい人達だけど、聞かれても私は答えなかったわ。それでも山吹色さんはそれが知りたいって言うのね」





 絶対に、誰にも秘密にしてね。





 そう前置きして、椿さんは私の返事を待たずに意を決する。

 良い事。

 そして悪い事。





「レスキュー隊員だった兄が職務中に殉職して、家に居づらくなった私は寮のある学校に編入を決めた。人の命を守る人が命を落とすなんて馬鹿げてると思わない?」


 神様なんて居ないし、居たとしても私は嫌いよ。


「帰りましょ、山吹色さん。今日の献立はなにかしらね」





 なんでもない風にそう言って、なんでもない風に私の手を引き、なんでもない風にまた歩を進め始める椿さん。

 握った彼女の手は、少しだけ震えていた……。



 帰寮すると、今日の献立はクリームコロッケだった。

 タイミングよく夕食の時間が重なった私達は、夕方のライトオレンジと同じ様にテーブルを囲んだ。

「決まりだから」と、そう言った椿さんは、誰に言われるでもなくその糧に感謝し、神に祈りを捧げていた。




『……私、貴女みたいな人、少し苦手かも知れない』




 椿さんはショックではなかったと言う。



 そして私は、完全に椿さんに謝る機会を失っていた……。








先日まで続けていた『私達が流れ星に願い事をするなら』が無事に完結したので第1話から一年の間を置いてこちらを続けていきます。

前作と同様に最長で二か月ほど間が空く場合もあるかと思いますがなんとなく肩の力を抜いてどうぞよろしくお願いします。

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