第1話 山吹色沙茅は歌を聴く
『……私、貴女みたいな人、少し苦手かも知れない』
何であんな事を言ってしまったのか、私にだって分からない。
◆ ◆ ◆
『神様を信じているか?』と問われたら、私は『どちらでもない』と答えてしまうかも知れない。
毎週の礼拝には顔を出しているし、毎日朝礼では主に祈りを唱えて聖歌やら賛美歌を歌っている。
けれど、それ等はやっぱり形式的なものであるし、校風も規則も割と自由だ。
そもそもうちの家系はプロテスタントではないし、ましてやカトリックでもない。普通の一般的な家庭環境で、祖父母もしっかりお葬式をあげた後に火葬で日本式の墓地に埋葬されてる。お箸で遺骨を拾ったりもした。
新年には初詣だって行く。
恐らく在校生の六割程は純日本家庭で仏教寄りの無宗教なのではないだろうか。
もしかしたらもっと多いかも知れない。
だから、私がこのプロテスタント系列の学園に入学したのは、大層な志があったり、確固たる信念を持っての事でもない。
偏差値と立地と、あとは女子校という事くらいだろう。
だから『神様』は私にとって、都合良く居たり居なかったりする存在なのだ。
聖早美女学校。
中高一貫のこの学校に高等部から入学して早一年が経った。
中等部から進学してきた子達は信心深い子達やしっかりプロテスタント家系の子も居るけれど、それでもプロテスタント自体の規律が比較的緩く、規則で縛られるといった事も無かったので、学校生活にも支障は無かった。
無宗教や仏教を公言する事にも寛容だった。
それでも、校内で神様は肯定するべき存在だし、度が過ぎると牧師様やシスターからお叱りを受ける場合もある。
神様は、居ても居なくても、どちらでも良い。
悪い事が起きそうだったりしたら神頼みをするし、良い事があったら神様に少しだけ感謝した。
「ねぇ沙茅ちゃん、今日うちのクラスに編入生が来るって話知ってる?」
朝一番。クラスの自席へ着くなりそう問われ、「え? 編入生? へぇ、そうなんだ」と、簡単に隣の席の友人である明里ちゃんへと言いを返した。
『サチ』と、名前で呼ばれるのは好きだ。『山吹色』という冗談みたいな名字は私を他の友人へと強烈に焼き付けるけれど、数日も経てば結局は名前呼びに落ち着く。小学校時には名字を揶揄ってくる男の子も多く居たけれど、そんな事も昔の話だ。今では何故だか逆に名字で好感を持たれる事すらある。
高校二年時とはまた珍しい時期だけれど、相手方には時期もなにも無いだろう。しかし、時期はそれとしても、ミッション系の学校に編入とは珍しいと思った。
この『ミッション系』の使い方が正しいかどうかは分からないけれど。
そうやって、なんとなく朝礼の準備をしていると、クラス内の其処彼処では既にその『編入生がくる』という話題は周知の事実な様子で、聞き耳を立てなくとも各所その話題で持ちきりだった。
「どんな子が来るんだろうねぇ」
やはり明里ちゃんもその存在が気になる様子で、机に頬杖を突きながらゆったりと中空に視線を泳がせていた。
「うーん、どうだろうね。でも、うちに来るんだからプロテスタントの系統じゃないのかな?」
「うーん、でも、早美は緩いけどね。姉妹校の白海坂だって普通の中高一貫だし」
「早美って姉妹校があったんだ?」
「あるんだよ。そっか、沙茅ちゃん高等部からだからそういうのあんまり知らないのか」
「うん、聞いた事無かった」
そんな話をしていると、校内に朝礼開始の予鈴が響き渡る。
普段なら担任のシスターが入室してきて、一日の予定をさらい、礼拝と聖歌を歌って一日の修学が始まるのだけれど、朝一番からの噂の通り、予鈴と同時に入室してきたのは二人だった。
担任のシスターと、もう一人。
私達と同じ制服を着た、女の子。
ざわざわと教室内がどよめく中、シスターが二度手の平を打って「はいはい静かに」と場を治める。そうしてから言いを続けた。
「はい、みんなもう知ってるかもしれないけれど、今日からうちのクラスに一人編入生が加わります。自己紹介をしてくれるかしら?」
そうやって促され、隣に立つ女の子は一度の首肯から黒板にチョークで自身の名前を書いて記した。
その後に、きっと彼女はこちらに向き直り、自己紹介をして、ニッコリと微笑むだろう。
そうしたら私達が拍手をして彼女を迎え入れる。
そうする事で彼女は新しい日々を送る事になるこの場所へと溶け込む事ができ、私達も彼女を直ぐに受け入れてあげる事ができる。
それが、編入生としての不安を抱える彼女にしてあげられる私達の唯一の手助けだ。
『編入生がくる』
と、そう聞いた時、私は本当にそう思っていた。
私自身、転校の経験も編入の経験もなかったけれど、新しい生活というものには慣れるまでの間絶対に緊張が付いて回る。
今でこそ私も寮生活には慣れたけれど、始めは何をするにも緊張していた。ルールを覚え、習慣を身に刻み、共に生活する友人達と協調し協調してもらい、そうする事で緊張を徐々にほぐしていく。
だから、私達は編入生の彼女を手助けしてあげる義務があるし、手助けしてあげたい。
それは、ここがプロテスタントの学校であるとか、神様が常に見ているとか、そういうのとは関係の無い事だ。
私はそう思っていたし、きっとこのクラスの誰も彼もがそう思っていた筈だ。
その筈なのだ……。
だからーーーー。
「椿翠子です。神様が嫌いです。神様なんて信じていません。よろしくお願いします」
…………みんな呆気にとられていた。
シスターですら、言いを吐く事が出来ていなかった。
だって、それは口に出すべき事ではないから……。
この学校はプロテスタントの系統で、基本的には神様を讃えて敬うのがその常だから。
例えソレを信じていなくても、少なくとも学内ではそういう言葉を吐くべきではないから。
だから、みんなびっくりしてしまったのだ。
私だって、神様が居るか居ないかなんて半信半疑だし、信じるかどうかなんて突き詰めて仕舞えば個々人の自由だ。
それでも、この場所で、この学内では…………。
編入初日。
椿さんは三日間の停学になった。
◆ ◆ ◆
校内全土とはいかないまでも、椿さんが編入初日で停学になった話は二年クラスの端から端、その隅々まで行き渡っていた。
だってそうだろう?
こんな事、女子校でもプロテスタントでも普通学校でもそうそう無い。漫画とかドラマとかそういう場所での出来事みたいだ。
だけど、それは事実として学校の私のクラスで起こったわけで……。
「思ってても言わないよねぇ……」
「流石に場所が場所だからーー」
「シスターかなり不機嫌だったね」
「ショック受けた子も居るってーー」
プロテスタントの規律も学校の校則も、そのどちらもが緩いとは言っても、シスターの殆どはしっかりと聖職者だし、生徒の中にはカトリック寄りの子だっている。
この日一日の二年階層は椿さんの事でほぼ持ちきりだった。
ある子は『まぁそういう子もいるよね』と言い、またある子は『本当にあり得ない……』と言い、シスターの中でも『神はお許しくださる』と言う方もいる一方で、『あんな子に教える事は何も無い』と言う方もいた。
「実際さ、明里ちゃんは神様って信じてる?」
一日の修学が終わった放課後、部活へ赴く支度をしている隣席の友人にそう問うてみた。
別に明確な答えが欲しかった訳ではないし、本当に『今日の夕飯何食べるの?』程度の世間話として問いを投げたのだけれど、明里ちゃんは自身の顎に手を当てて少しだけ考える風に中空に視線を泳がせてから、「うーん、半々くらいかな」と薄く笑んで見せた。
「良い事があったら感謝するよ。辛い事がありそうだったら神頼みするし、それくらい。うちの家系もプロテスタントじゃないもん。そんな感じだよ」
沙知ちゃんもそうじゃないの?
問いを返され、私は友人が自身と同じ感覚で神様と接しているのを知ってなんとなく安心した。
「うん、私も同じだよ」
◆ ◆ ◆
寮生には門限があるけれど、それだって春先の今なら夜の20時で、冬場の太陽の短い日でも夜の19時だ。
この辺りも他校の寮の規則と比べればかなり緩い。
寮母のシスターに挨拶をして自身の帰寮を示し、自室へと帰宅する。
寮室は基本二名で一室を使用する事になっているが、如何せん今は大体の寮生が一人一室で賄えている。申請すれば二人で一室を使用する事も出来るけれど、今の時代なかなか他人と生活を共にしたいと思う子も少ないだろう。自身のプライベートを侵害されたくないし、他人のプライベートも侵害したくない。
部屋に鍵を掛け、机傍にカバンを置き、制服を脱ぐ前に一度ベッドへと身を投げる。
時計を見ると時刻は17時半を少し過ぎたところ。夕食はまだ食べなくて良いだろう。先にお風呂に行くか、それとも宿題を片付けるか。
そうやって思考を巡らせていると、不意に頭へと彼女の言葉が蘇ってきた。
『椿翠子です。神様が嫌いです。神様なんて信じていません。よろしくお願いします』
「……何であんな事言ったんだろ」
溢れた言葉は自身のもので、続く言葉も自分のものだった。
「……椿さん、どういう人なんだろ」
恐らく、だけれどーー、多分椿さんは停学明けの三日後に教室へ来ても周囲に馴染む事が出来ないだろう。
というか、周囲が彼女を馴染ませようとしないと思う。
腫れ物を扱う様に、きっと彼女は迫害されるだろう。
シスターは彼女を守ってくれるだろうか?
学校は彼女を守ってくれるだろうか?
考えるけれど、それは詮無い事。
はじめにあぁやって発言、自己の紹介をしたという事は、もしかしたら彼女もそれを望んでいるのかも知れないし、周囲との同調を望んでいないのかも知れない。
彼女について知っている事。
分かる事。
背は少し高めだろうか。
髪は長めで一つ縛りだった。
肌は綺麗だった様に思う。
猫目だった。
そういえば、自己紹介の時の声、綺麗だったなぁ。
性格は分からない。
どういう人かも分からない。
あとはそう、彼女は『神様が嫌い』だ。
私も、そして他のみんなも、彼女について知っているのはそれくらいだ。
彼女は私達の事を知りたいと思うだろうか?
私は、彼女に自身を知って欲しいと思うだろうか?
◆ ◆ ◆
結局、宿題を先に済ませてから夕食へと向かったのだけれど、思いの外数学に時間を取られ過ぎて食堂終了の時間ギリギリになってしまった。
急いで夕食を済ませ、自室で簡単に祈りを捧げる。誰が見ている訳でもないのだけれど、一日の終わりにはそうやって祈りを捧げる決まりとなっているから。在学生の何人が、在寮生の何人がその決まりを守っているかは定かではないのだけれど、それが決まりである以上、私は可能な限り遵守していきたい。例えそれが在学三年間ばかしの決まりであってもだ。
宿題、夕食、お祈り。と、いつもより少しバタバタと急かされてしまった感覚。
それというのも、帰宅後にベットの上で時間を潰し過ぎてしまったのが原因だろう。
別に惹かれているとかでは無い。
ただ、気になってはいる。
程度でいえばそれくらいだ。
椿さんは、何で神様が嫌いなんだろう……。
「あら、山吹色さん今からお風呂?」
「えぇ、ちょっと遅くなっちゃいましたけど」
門限こそあれど就寝時間は決まっていない。浴場についても同じで、明け方の4時辺りまでは大体空いてる。
時刻はもう23時を回るところで、ようやっと重い腰に踏ん切りを付けて浴場へ赴こうとしたその道中で、寮長の潮さんとすれ違い、会釈と一言二言の会話を交わした。
学内の上下関係や位置付けについては他校と同様に在籍する部活動でほぼ決定づけられると言って良い。
それ以外ならば特に厳しいものではなく、学内でも寮内でも、敬う心と慕う心があれば自然と言葉遣いに現れるものだ。
「それじゃあ」
そう言って潮さんに頭を下げて再び浴場へと足を向けるのだけれど、「あぁ、そういえばねーー」と、背中に声を投げられ、私は足を止めて向き直った。
「先日から手続きしてた子が今日から正規で入寮になったから。二年生の子。見掛けたら仲良くしてあげてね」
「……はぃ」
それだけ言って、潮さんはその場を後にして行った。
お家の都合とか、自身の都合とか、そういう事で中期から入寮してくる子も珍しく無いし、そういう理由で退寮する子もいる。
だから、入退寮は頻繁でこそ無いものの、節目以外でも年に一回二回はあるようだ。
……たけど、こういったタイミングだと、やはり何かを勘ぐってしまっても仕様のない事ではある。
今日はもう遅いから、明日帰って来たらその入寮してきた子に挨拶に行こう。二年生だと言っていたので、もしかしたら他クラスの知ってる子かも知れない。
そんな事を思案しながら浴場脱衣所まで来ると、時間も時間なのでそこには誰も居なかった。
寮のお風呂は好きだ。
部屋に備え付けのバスルームもあるけれど、浴場のお風呂は大きいから十分に足が伸ばせるし、みんなでお湯に浸かるという、そういうコミュニケーションも嫌いじゃない。
ーーと、部屋着を脱ぎ、籠に収め、お風呂セットを持ってスライド式の扉に手を掛けたところで、だ……。
水の揺れる音を聞いた。
お湯の溢れる音を聞いた。
そして、誰かの奏でる鼻歌を聞いた。
脱衣所内に視線を流すと、誰も居ないと思っていたこの浴場だけれど、一番端の、一番上の脱衣籠が衣服で埋まっているのに気が付いた。
こんな時間に誰だろう?
そう思うけれど、自分だってこんな時間に浴場だ。誰にだって事情があるし、こんな時間にお風呂に入るのだって人の事情だ。もしかしたら、私と同じ様に夜方忙しかったのかも知れない。
鼻歌は前奏だった様で、浴室の彼女は声を出して歌い出す。
……待ってろよ?
…………生きてろよ?
なんの歌かは分からない。
それに、歌い出してしまったところに急に踏み入るのは気が引ける。
けれど、ここでこうしていても何にもならないし、時間をズラす程に今日の余裕も無いし、時期的にこのまま裸でいるのは流石に寒い。
意を決して扉を開けると、浮き立つ湯気の中、湯船に浸かる彼女と目が合った。
「……あぁ」
「…………」
少しだけ、空気が重くなる。
気まずい雰囲気と、何処に視線を定めて良いのか分からない感覚。
どうする事が正解かは定かじゃあないけれど、取り急ぎ、私は彼女に一度会釈をして洗い場で身体を流す事にした。
だってそうだろう?
気まずくたって何だって、お風呂に入りに来たのだから、私はそうすれば良いだけだ。
そうしている内に、彼女が先にお風呂から上がるかも知れないし。
頭を洗って、顔を洗って、身体を洗って、私はそうしてルーチンワークと化したそれ等をそうするけれども、しかしながら、一向に湯船の彼女がお風呂から上がる様子は無かった……。
寮の浴場。
勿論の事ながら、湯船は一つ。
私は、彼女と同じ湯船に浸かるしかない。
……大丈夫。
みんなでお湯に浸かるのも、そういうコミュニケーションも嫌いじゃないのだから。
肩までお湯に浸かり、一つ息を吐く。
温まる身体を他所に、気になるのは彼女の存在と、その意図……。
天井から落ちる雫。
湯船のお湯が揺れる。
充満する湯気。
火照った顔が、彼女の顔色と同じになる感覚。
一瞥すると、彼女もこちらに視線を向けてきていた。
「……あの、」
口を開いたのは彼女の方だった。
私は身体ごと彼女の方を向き、「……はい?」とその声に自身を示す。
「あの、私今日からこの寮にお世話になりますーー」
「うん、知ってる」
「……え?」
彼女の背は少し高めだった。
朝方、長めの髪は一つ縛りだった。
やっぱり肌は綺麗だ。
それに、この距離で見ても分かる猫目。
さっき歌っていた時の声はとても綺麗だった。
彼女の性格は分からない。
どういう人かも、まだ分からない。
だけど、確かな事が一つある。
彼女は、『神様』が嫌いだ。
「貴女、椿翠子さんでしょ?」
◆ ◆ ◆
はじめこそ椿さんは目を丸く大きくしていたけれど、少しだけ考える風にした後、彼女は合点がいった様に、「あぁ、2-cの方ですか?」とこちらに問いを投げつつ、見て分かるくらいに肩の力を抜いた
「えぇ、山吹色沙知です」
「へぇ、山吹色って名前かっこいいね」
「それよく言われます」
「お風呂、いつもこんなに遅いの?」
「いえ、今日はちょっと、色々あって」
話してみると、椿さんは最初の印象とは違い、話し易く、よく笑う子だった。
細部の気遣いはとても丁寧だけれどこちらには気を遣わせない様にという配慮が伺える。
それに、この所謂プロテスタントのミッション系女子高で丁寧語の言葉遣いではない椿さんが逆に新鮮だった。
そう思えるくらいには、私はこの学校と寮での生活に慣れ親しんでしまっていたとも言える。
寮での説明されていないだろう細かい規則の話をしたり、朝礼が終わった後のみんなの受けた椿さんの印象の話をしたり、お湯に浸かりながら椿さんとそういう話をした。
一つずつ確かめる様に探る様にと椿さんと話をしたけれど、そのどれもに彼女は「うんうん」と頷き笑んでくれていた。
「いきなり停学になるから、少しビックリしたよ」
「うん、退学にならなくて良かった。だけど、これくらいで退学にはならないと思ってたから」
「何で?」
問うと、充満する湯気で辺りは白んでいたけれど、椿さんが少しだけ目を細めたのが分かった。
「だって、どうせ神様は許してくれるでしょ」
「…………」
断言する様にそう言われてしまう。
椿さんが少しだけ視線を逸らすと、意図してか、若しくは意図せずか、短く溜息を吐いたのが、見て、そして聞いて取れた……。
「椿さんは、何で神様が嫌いなの?」
「山吹色さんは神様が好きなの?」
「……え?」
問いを返され、私は返答に詰まる。
お友達としてきた世間話の延長線で、これまで神様について問い問われてきたのは、『信じている』か『信じていないか』の二択だった……。
確かに、『好き』か『嫌い』かという話にはあまりなった事がない気がする……。
「どう?」
……答えを促されるけれど、やはりその二択では曖昧な答えしか返す事が出来ない。
「……分からない」
「好きか嫌いか?」
「……うん」
「自分の事なのに?」
「…………うん」
……沈黙が痛い。
先にお風呂から上がって仕舞えば良いのだけれど、それをどう切り出せば良いのかが、何となく分からなかった……。
「……椿さんは、神様が嫌いなのに、何でうちの学校に編入決めたの?」
だから、今度は私の方から問いを投げてみた。
今彼女に対して思う所のある疑問。
神様が嫌いなら、わざわざプロテスタントの系統に編入してくる必要なんてなかったと思う。
けれど、彼女にはちゃんとその理由があったようだ。
視線だけで私を確認して、椿さんはゆったりと口を開く。
「嫌いだから、神様を知らなきゃいけないんだ」
「……どういう事?」
「今は漠然とした嫌いだけど、何かを嫌うにはちゃんとソレを知らなきゃならないじゃない。ちゃんと知って、理解した上で、私は神様を嫌いになりたいの」
…………。
「神様を知る過程で、好きになる事は出来ないの?」
「無理でしょ。山吹色さんは四年間この聖早美に通って神様を好きになれた?」
「……私高等部からだから、まだ一年なんだ」
「あぁ、そうなんだ。まぁいいや、一年間で神様の事好きになれた? ーーって、好きか嫌いかは分からないんだっけ」
……別に、何かを否定されている訳では無いのだろう。だけど、なんだか腑に落ちなかった。
それは私が確固とした理由がある訳でも無いのにこの学校に通っているからなのか?
信仰に厚い訳では無い私。
神様を理解した上で嫌いになりたい椿さん。
信念があってプロテスタントの学校に通っているのは、きっと私ではなく椿さんの方だ……。
「……ここでは大丈夫だけど、学校では、やっぱりそういうのは言わない方が良いと思う。今度は、本当に退学になっちゃうよ……?」
「くだらない。どうせ神様はお許しになられるよ」
「……くだらないってーーーー」
……くだらない?
…………くだらないかな?
……別に、私と椿さんとは今会って始めて話をしている、まだたったそれだけの知り合い程度だけど、これから同じクラスメイトになるし、これから友達になれるのに、彼女の事を気遣うのはダメなのかな……?
迷惑なのかな……?
くだらない、事なのかな……?
「……私、貴女みたいな人、少し苦手かも知れない」
吐き出してしまった言葉を取り消す事はもう出来なかった。
瞬間的に後悔するけれど、椿さんはそれが特にどうとでも無いという風に、「……そう」とだけ一言発し、口元だけで薄く笑みを作る。
「……私、先に上がるね」
「そう。私はもう少しいるよ」
お湯から上がり、髪から少し水気を取る。
滴る水分は床のタイルに落ちて冷たくなるのに、白んだ湯気は私に纏わり付いて離れようとしない。
「……さっきのーー」
「ん?」
椿さんの方は振り向かない。
今日の最後にひとつだけ、私には彼女に聞きたい事があった。
「さっきの、貴女が歌ってた歌、何の歌なの?」
背中側から問いを投げると、彼女は少し間を空けてから答えを返してくれた。
「特撮の歌だよ。お兄ちゃんが好きだったんだ」
「……そっか」
それだけ聞いて、私は浴場を後にした。
椿さんの事はまだよく分からない。
だけど、今話をした事の全てが彼女の本心だった様には思う。
お話をして少し笑んでくれていた彼女も、神様が嫌いだという彼女も、口元だけで薄く笑みを作った彼女も……。
自室に戻り、ベッドに入ってそんな事を考える。
……椿さんの歌う声、綺麗だったなぁ。
その日の夜は、『待ってろよ。生きてろよ』という彼女の歌声が頭から離れなかった。
三日後。
停学から明け、晴れて同じ教室で授業を受ける事となった椿さんは、あの日浴場で一緒にお話をした彼女とは違い、大人しく、綺麗な言葉遣いのクラスメイトになっていた。
初めこそ編入初日のイメージから敬遠される事もあったけれど、一日が終わる頃には楽しそうに他の子達とお喋りもしていた。
私は彼女と言葉を交わす事はなかったけれど、目が合う事は何度かあったと、その日一日はその程度だった。
ただ、今もひとつだけーー。
『待ってろよ。生きてろよ』
彼女の歌声を、もう一度聴きたいと思う。
椿翠子。
彼女は、神様が嫌いだ。
他に同時進行の百合作品があるので更新は都度出来たり出来なかったりする筈ですが必ず二ヶ月に一度は更新していく所存です。
よろしくお願いします。