0006レトロPCガール
静かにまぶたを閉じる。その台詞に何か神聖な響きがにじんだ。
「だから私はお爺様の無念の意志を継ぎたいんです。お爺様が果たせなかった、『FM-7を日本一にする』という壮大な夢。きっと、きっと私が叶えてみせます」
目を開き、俺の右手をすくい取った。力を込めて握り締め、振り切るような笑顔を花咲かせる。
「私たちの『FM-7同好会』結成はその偉大なる第一歩です。一緒に頑張っていきましょう!」
そうか。それでこんな――言っちゃ悪いが、こんなガラクタ同然のFM-7なるパソコンに、全身全霊で執着しているわけか。『絆』とは英斗さんとのことを指していたわけだ。
しかし俺は、そんな彼女の夢とやらに共感している自分に気がついた。お爺ちゃんの果たせなかった野望を果たす? FM-7を日本一にする? 面白いじゃないか。実現の可能性はほぼ0といって良いが、文奈が語ると実現可能な気がしてくるから不思議だ。それは一目惚れうんぬんを抜きにして、客観的に見つめ直しても、手伝ってやりたくなる一大事業だった。
無様な人間である俺の青春を、それにぶち込んでみるのも悪くはないな。どうせ『彼ら』には、何をしたところで見直されることもないし。
「ああ、頑張ろう、根津さん」
俺は真心込めて、彼女の手を力強く握り返した。文奈は「はい!」と威勢よく返事する。
「ところで河野さん、お時間は大丈夫ですか?」
「まだまだ問題ないけど」
「ではFM-7をもっとレクチャーしましょう。紅茶も淹れますね。ちょっと待っててください」
文奈は部屋を出て行った。俺は暇を持て余し、開けっ放しのベッドの引き出しを覗き込んだ。色々なソフトが隙間なく並んでいる。エニックスの『地球戦士ライーザ』、電波新聞社の『ドルアーガの塔』、テクノソフトの『九玉伝』、マイクロネットの『チャンピオンプロレススペシャル』……。電波新聞社のソフトはどれも箱が小さい。逆にT&Eソフトの『サイオブレード』、リバーヒルソフトの『琥珀色の遺言~西洋骨牌連続殺人事件』などは大きい。それが「当時」のパソコン業界のおおらかさを物語っているようだった。
しかしこれ全部数十年前のゲームソフトか……。ドラバスみたいに、今でも動作するのだとしたらなかなか凄いな。
俺はランダムハウスの『リグラス-魂の回帰-』なるソフトに注目した。「テープ版」とある。フロッピーじゃないのか? 俺は箱を取り出して中身を開いた。妙なプラスチックの四角い、フロッピーとはまた違った物体が収められている。それは中央付近に左右対称に穴が開いていた。これが「テープ」というやつか?
「河野さん、何してるんですか?」
いつの間にかドアを開けて戻ってきていた文奈が、俺の挙動に興味を示した。俺はいたずらを見つけられた子供のように少し頬が熱くなった。
「これもFM-7で動くのか?」
「ああ、カセットテープですね。はい、動きますよ。最上位機種のFM77AV40SXはカセットインターフェースが除去されていますが、私のEXはそんなことありませんから」
透明なガラステーブルの上に盆を置く。芳しい香気を漂わせるカップが二つ載っていた。
「カセットテープはもともとは歌やラジオドラマなどの音声記録媒体として普及していました。ほんの少し前まではどこの100円ショップでも販売されていたんですよ。初期パソコンはこれをプログラムデータの保存に活用したんです。しかし実際の使用では読み込みが遅かったり、読み込みエラーが起きたり、すぐダビングコピーされたりで、速くて正確かつプロテクトをかけられる後発のフロッピーディスクに取って代わられました。遊んでみますか?」
「いや、いいよ。時間かかりそうだし。……いただきます」
俺は紅茶を飲んだ。適度な甘さと温かさが、淹れた人間の気遣いを感じさせる。
「オススメのソフトは何があるんだ? ドラバス以外で」
「そうですね……。『METAL-X-II』とかどうですか? 柳本英之さんが作って、『Oh! FM』誌の『FMサークルプログラムサービス41号』で完全版が配布された、縦スクロールシューティングゲームですよ」
俺はすっかりくつろぎながら「じゃあそれやってみたいな」と返した。文奈は浮き浮きと準備する……
俺はゲームに熱中し、彼女の送ってくれる声援に微笑ましい気分に浸っていた。と、何度目かのゲームオーバーの際に、文奈が「ちょっと失礼しますね」と再び席を外した。戻ってきたとき、彼女は分厚く巨大なキーボードを抱えていた。
「ああ、重たかった」
テーブルの脇に静かに置いたそれには、『FUJITSU MICRO 7』と書かれている。
「これがFM-7です。私の40EXの元祖がこれです」
俺は興味深くFM-7を眺めた。FM77AV40EXと異なり、これは本体とキーボードが一体となっている。色は白いが、奥の出っ張った部分はクリーム色だ。ボタンは灰色と白に塗り分けられている。手入れがしっかりしているのか、黄ばみや汚れは見当たらなかった。
「早速電源を入れましょう」
文奈は電源ケーブルをコンセントに差し込むと、液晶モニターとFM-7とをケーブルで繋げた。スイッチを入れる。
真っ暗な画面に白い英文字が表示され、キー入力待ちとなるのは、FM-77AV40EXと瓜二つだ。彼女は本棚から本を数冊抜き取ってきた。
「はい、河野さん」
俺に向かって差し出す。なんだ、この赤い本。どれもそれなりに厚い。
「これはFM-7の取り扱い説明書、メモリマップ、BASIC文法、ハードウェア図解、マシン語技法などが載った教材です。これを覚えてください。そうですね、できれば一週間で」
俺は一冊手に取りぺらぺらとめくってみた。各ページにぎっしり呪文のように文字が並んでいる。下手な高校教科書よりボリュームがあった。
「これを一週間で?」
文奈が可愛い笑顔になった。
「もっと早く覚えられるんですか?」
「いや、あの……」
彼女はこともなげにまばたきする。俺は決して這い上がれない泥沼に沈み込んでいく気分だった。文奈は鬼だ。どうやら俺は一目惚れする相手を間違えたかもしれない……
俺は結局その後数時間、FM-7について勉強させられた。そこに甘美な恋愛要素は一房もなかった。まあ高校初日で初対面なのに、そんなものを期待するほうが間違っているといえたのだが。
彼女は8ビットパソコンの基礎の基礎として、俺に『F-BASIC』なるプログラム言語を学習させた。「PRINT」だの「GOTO」だの「RETURN」だのといった命令を組み合わせ、一つのアプリを作り上げる。これはなかなか手強い試練だった。それでも文奈には他人にものを教える技術があるらしく、俺はたった数時間でめきめき上達した。
文奈は心底満足そうで、話す言葉に終始活気が満ちていた。
「今日はここまでにしましょう。河野さんは教えがいがありますね」
2度目のお茶を喫しながら窓の外を見る。枠の向こうに黄昏の星空が、四角く切り取られていた。腕時計は5時45分を指している。