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0035レトロPCガール

 俺は銅豆の顔色をうかがった。癖っ毛を指先でもてあそびながら、彼はしばらく沈思した。しかしその柔和な顔から察するに、大して悩んでいるのでもなさそうだった。


「いいよ」


 銅豆がそう告げて手を差し出した。俺はタブレットを渡してやる。銅豆は受け取ったそれを、玩具をもらった赤ん坊のように早速いじり始めた。


「こりゃあいい。最新型じゃないけど、古過ぎるわけでもないね。充電池の品質でいえば、少なくとも僕のよりかは遥かにましだろうよ。僕のタブレットは使い過ぎたせいか、最近はすぐ電池がへたれてしまって困っていたんだ」


「いいんだな、銅豆」


 銅豆は悪魔めいた微笑みを表出した。


「二言はないよ。しかしこれを使っている最中に僕の悪行が警察にばれたら、君に確実にとばっちりがいくね。警察の取調べはきついからね。主犯ではないにしても、共犯扱いになること請け合いだよ」


 俺は不安になった。逮捕、という言葉が頭の中にちらついたからだ。


「おい、使う以上は極力ばれないように気をつけてくれよ」


「大丈夫、大丈夫。これでもハッカー歴は長いほうだから。へまはしないさ」


 やれやれ。財布の中身的には痛かったが、これで銅豆を確保できた。その気になればエミュレータで8ビットパソコンを使うことができる彼の存在は、同好会にとって決してマイナスとはならないはずだ。




 昼休み早々、文奈は俺に声をかけてきた。強弱に苦労するようだった。


「あの、この前二人で遊んだ日の、最後のこと……お返事させてください。ここじゃ人目につきますから、別の場所で」


 まるでカタコトの英語のような喋り方だ。強い緊張を感じる。


「分かった」


 それだけ返すのがやっとだった。とうとう告白の答えが聞けるのだ。俺は心臓が躍りだすのを感じた。文奈の後につきながら教室を出る。無言のまま歩いていくと、渡り廊下に到着した。慧玖珠が俺の入会希望の話をする際使った場所と同じだった。今日は快晴で、俺たち以外誰もいない。


 晴天か。ろくなことがないと思っている天気の一形態が、俺を不安の渦に陥れて窒息させようとしている。この前は文奈に味方してくれなかったし。


 彼女がこちらを向いた。俺は狼狽と興奮で呼吸しづらくなった。文奈は制服の裾をいじりながら、もじもじと話し始める。


「まず、色々とありがとうございました。結局『FM-7同好会』は作れませんでしたが、一緒に頑張ってくださって、本当に嬉しかったです」


 俺は耳だけでなく全身で彼女の言葉を傾聴した。文奈は続ける。


「それで、答えの方ですが……。私にはFM-7しかありません。他のことは考えられないくらいに、私はFM-7が本当に大好きで大好きで……。私の彼はFM-7です。それは今までもこれからも、決して変わることがないでしょう」


 春の日だというのに、俺が体感する世界は潤いをなくしたように乾燥していた。やっぱり駄目か――


「と……」


 文奈は沈みがちに語る。


「私はそう思っていました――河野さんに告白されるまでは。あの日、河野さんから好きだと言われた土曜の夜から、私の頭の中はそのことで一杯になりました。恥ずかしいことに……」


 その目尻に涙が溜まる。声が湿り気を帯びた。


「恥ずかしいことに、私はFM-7のことも、勝負のことも、一時忘れてしまったんです。デモンストレーション・プログラムを完成させなきゃいけないのに、頭に浮かぶのは河野さんの顔ばかり……。作業は進捗しんちょくせず、私は浮ついた心を抑えつけるのに苦労しました」


 文奈が腕で涙腺の産物を拭う。心臓の辺りに手を当てて大きく息をした。


「それでも私はどうにかプログラムを完成させました。やっぱり私の想い人はFM-7なんだ、その時はそう考えました。でも……」


 うつむき、肩をわななかせる。


「勝負に負けて部屋を飛び出し、情けなくも大泣きした私を慰めてくれたのは、やっぱり河野さんでした。その時です。私が、本当に心から河野さんを好きになったのは」


 俺は胸底から温かいものが湧きあがるのを感じた。文奈はそっと手を伸ばし、俺の制服を掴んだ。面を上げると、その勢いを借りて、彼女の涙が地面に落ちた。


「好きです、河野さん。大好きです」


 両の目尻と鼻の頭を赤くして、頬に澄明な線を描くに任せる。


「私からお願いします。私と付き合ってください。そしてもし良ければ、また私を抱きしめてください!」


 文奈はしゃくりあげ、とめどなく涙を流し続けた。


 俺は無言のまま、ゆっくりと文奈を抱き寄せた。抗うことなくその体がすっぽり両腕に収まる。


「好きだ、根津。根津と出会えて良かった」


 文奈は泣き笑いのような声音で答えた。


「私も……。河野さんと出会えて嬉しいです。……また、一緒に遊びに行きましょう」


 しばらく俺たちは抱擁した。晴天の日に最高のハッピーエンドがもたらされた。天候と気分を強引に結びつける俺の癖は、この時終わりを告げた。




 世界はきらきら輝くようだった。ホームルームが終了すると、俺と文奈と銅豆はB組の八覇を訪ねた。


「何や、あんただったんか。六人目の同好会員は」


 八覇は銅豆の肩を派手に叩いた。銅豆は痛がってみせたが、文句は言わなかった。面倒くさかったのだろう。


「ほな『Fマイコン同好会』の顧問のところに行こうか」


 文奈が目をしばたたいた。


「『Fマイコン同好会』? FM?」


 八覇は俺にウインクしてみせた。


「そや。勝負を制した者に同好会の決定権が与えられるんや。だからあたしが独断でこの名前に決めたんや。どや、ええ名前やろ?」


 文奈は顔を上気させた。


「最高です。FM、FM! FM同好会! 最高の名前ですね!」


 心の底から嬉しそうだ。やっぱり単純な側面もある。俺は彼女の笑顔を見て、自分の苦労が報われた気持ちだった。


 俺たちは慧玖珠・慧夢是姉妹と合流し、職員室へ向かった。八覇は中に入るとすぐ、顧問のところまで歩を進めた。椅子に座っていた1年A組担任森田絵夢士先生が、こちらに正面を向けた。八覇が他の教師の邪魔にならない程度の声を張り上げる。


「『Fマイコン同好会』、全会員六名や。森田先生、よろしくお願いします」


「よし。じゃ、まずこの紙に全員の名前を書け」


 森田先生は銅豆の存在に気付いて鼻白んだ。問題児とその担任の軽い衝突は、しかしこの場面では表面化しなかった。


「先生、終わったで」


「なら部室へ行こう」


 森田先生に続き、みんなで職員室を出た。階段を下り、廊下を闊歩し、たどり着いたのは2年の教室群の外れにある小さな部屋。中は戸棚と長いテーブルがある他は何もない。森田先生が解説する。


「ここは昨年度までパソコン部が使用していたところだ。だがパソコン部の部員数増加に伴い、彼らはより大きな、使用の廃止された教室へ移っていった。つまりここは空いたわけだ。古いパソコンを使うなら持って来いの場所だろう?」


 八覇は大げさにお辞儀した。


「えらいすんまへん。ありがたく使わせてもらうわ」


「鍵はこれだから。うっかりなくさないように。帰る時は職員室に戻しとけよ。じゃ、しっかりやれ」


 森田先生が出て行くと、八覇はテーブルの上を人差し指で撫でた。そして指の腹を見て嫌そうに顔を歪める。

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