0033レトロPCガール
以後、見出しのない写真が矢継ぎ早に表示される。そこに写る八覇に、さっきまでの心からの笑顔はなかった。2017年の小学校の卒業式、中学の入学式、体育祭、文化祭……。八覇はにこやかにしているが、どこか切なく、頼りない姿だった。両親の顔も強張っており、お爺さんの死がもたらした寂寥が、一家に暗い影を落としていることがうかがい知れた。
しかし、ここで写真に色が着く。鮮やかに描かれたのは『PC-8801MC』を囲む八覇親子の姿。音楽はオーケストラに切り替わり、部屋中に荘厳な、圧倒的な響きをもたらした。
『2018 パソコン部 文化祭』との見出しで、PC88の周りに生徒たちが集まっている。どの顔もみな開けっ広げな笑いを閃かせていた。その中で中学生の八覇は、吹っ切れたかのような素晴らしい微笑みを浮かべている。PC88が彼女を励まし、支え、立ち直らせたのだと明瞭に理解された。
そして『2020 新居』との上に、今の八覇が藤之石の制服を着て、両親ともども和やかに写っている写真が、曲のクライマックスとともに明示された。その様は感動的ですらあった。
BGMが収束して画面が暗くなり、水色の文章がつづられる。『ありがとう お爺ちゃん』『ありがとう 88』。そして最後に『THE END』の白い文字が、くっきりと描かれた。
デモが終了した後、俺は余韻に浸ったまま、身じろぎ一つできなかった。それは他の人間もそうだった。溜め息と静寂の中、場違いとも取れる乾いた拍手が空気を震わせる。
「いや、これは素晴らしいね。CDの曲とかどうしたの?」
銅豆の問いに八覇が答える。デモの内容とそぐわぬ明快な声だった。
「おかんがオーケストラでバイオリンを弾いててな。そのつてを頼ったんや。ま、あたしは画才とかないから、写真で勝負したんやけどな。そこは2HDの大容量ディスクに助けられたんやけど」
「なるほどね。感服したよ」
八覇がカーテンを開けると眩しい光が差し込んで、俺の目は焼けるようだった。
文奈と慧玖珠は先ほどの喜びはどこへやら、すっかり意気消沈していた。感想を聞くまでもなく、八覇の勝利は固いだろう。それでも一縷の望みを捨てず、審査発表を待つ。
銅豆が顎をつまみ、面白そうに口の端を緩めた。
「三人ともよくやったよ。8ビットパソコンで今の時代のデモンストレーションをやってみせたのは痛快だったね。このディスクを持って80年代の人に見せに行きたい気分だよ。きっと大喝采を受けるだろうからね。まあそれはそれ。じゃ、僭越ながら優勝を発表したいと思う」
遂にこのときが来た。銅豆の目がすがめられる。
「優勝は……」
文奈と慧玖珠がそれぞれ目を閉じ、祈るように両手を組み合わせた。八覇は何度もうなずいて結果を欲しがる。俺は銅豆が「FM-7」と言ってくれないかと淡い期待をかけたが――
「PC88、だね。文句なく、森羅八覇とPC-8801MCの優勝だ」
文奈はがっくりうなだれ、慧玖珠は弱々しく天を仰ぐ。八覇は指を鳴らし、「やった!」と叫んで両手を突き上げた。ここに、勝負は決着を見たのだ。
銅豆が再び拍手する。慧夢是先輩も同じように手を叩いた。俺もつられて真似をする。慧玖珠も結果に納得したのか、拍手の輪に加わった。
だが、一人同調しない人物がいた。文奈だ。彼女は面を伏せたまま、全身を震わせていた。俺は乾いた音の中で、彼女の声を聞いた。
嗚咽だ。文奈は泣いていた。慧夢是先輩がそれと気付いて声をかける。
「根津さん……、気を落とさないで……」
文奈は流れる涙を拭おうともせず、静かに立ち上がった。糸の切れた操り人形のようにふらふらしている。
「……しばらく一人にさせてください……」
そうしてその場を離れ、扉を開けると外に出て行った。室内は彼女の行動によって急速に静まり返った。
「ショックやったんやな、文奈……」
八覇がいたわるようにつぶやいた。慧玖珠は心底口惜しげに腕組みする。
「まあショックよ、そりゃあね。私だってきついんだから。でも、八覇のマイコンの性能と技術力・演出力は頭一つ抜け出てたし。納得してもらわなくちゃ困るわ」
俺は文奈を一人にしちゃいけないと感じ、自然と腰を浮かした。
「ちょっと見てくるよ」
そうして、さぞや傷心であろう彼女を追いかける。
遠くから聞こえてくる彼女の足音に振り切られないように、広い廊下を疾走した。ほどもなく追いつく。文奈は廊下の袋小路で両膝をつき、壁にすがりついて号泣していた。
「うわあ……ああ……」
身も世もなく泣き崩れている。そんなに負けたことが悲しいのか。好きな人のこんな姿を見るのは忍びなかった。俺は彼女の傍らにひざまずき、何と言っていいか分からぬまま、ともかく口を開く。
「泣くな、根津。落ち着け」
しかし文奈は慟哭するばかりだ。
「だって……だって……」
きつくつむった目から絶え間なく涙が溢れ出てくる。床についた両手を硬く握り込んでいた。
「だって、また負けたんですよ!」
俺に向かって悲痛に叫んだ。
「またFM-7は、PC88に負けたんですよ! また……、また……!」
歯軋りし、両方の手首で目元をぬぐう。
「『FM-7を日本一にする』という壮大な夢が……、お爺様の夢が……、また破れた……。私のせいで……私が至らなかったせいで……!」
ほとんど消え入りそうな声で、文奈は無念を吐き出した。
「辛くて……、辛くて……。死んでしまいそう……」
再び泣きじゃくる。文奈にとって、慧玖珠にとって、八覇にとって。この勝負は俺が思っていた以上に大事なものだったようだ。俺は何も言えず、しばらく彼女が滂沱と落涙する様を眺めていた。
そして、その姿が悲しくて、見ていられなくて。俺は衝動的に文奈を抱き寄せていた。
「……っ!」
文奈は突然抱きすくめられ、瞬間、声を失った。俺は彼女に大声で語りかける。
「何度負けたっていいだろ」
その声が泣き声だったことに、俺は頭の隅で驚いていた。そう、俺もまた、文奈につられるようにもらい泣きしていたのだ。鼻の奥がツンと痛む。目尻から熱いものが吹き出ていた。
「何度負けたっていいじゃないか……」
俺は弱々しく、だが確実に繰り返す。
裕兄貴に言われた言葉――大事なのは腐らず立ち向かうことだ――が脳裏に浮かぶ。そう、俺は文奈に話しかけながら、一方で自分自身にもその言葉を言い聞かせていたのだ。両親に認められず、もがき苦しんでいる自分自身に。
俺はむせび泣きながら繰り返した。
「根津……根津。俺が応援するよ。またやり直そう、一から。FM-7を一番にするための努力を、またたった今から始めるんだ」
「河野さん……」
「また明日だ。また、明日。一緒に全力で頑張っていこう」
文奈は俺の胸に額を預ける。
「はい、河野さん……。うう……うえええぇん……!」
そうして、大音じょうで子供のように泣いた。俺もすすり泣く。高校生にもなって恥ずかしい、とは思わなかった。幾つになっても、泣きたい時は泣けばいいんだ。
俺と文奈は、しばらくそうしてむせび泣いていた。『FM-7同好会』の夢は、こうして砕け散った。