0031レトロPCガール
青空の下、俺は藤之石高校最寄り――ということは森羅邸最寄りということだ――の駅で待ち合わせしていた。日は中天高く昇り、気候は快適だ。道行く人もどこか楽しげで、はつらつとしている。それにしても晴天のやつは、最近俺の味方をしたりする。なら今日だけは、今日だけでいいから、根津文奈の後押しをしてやってくれよな……
時間前にあの男は現れた。
「やあ、河野。相変わらずオーラがないね。捜すのに苦労したよ」
宇院銅豆。タブレット片手に、ボーダーニットと黒スキニーという格好だ。鳥の巣のような茶髪、眠そうな半目は相変わらずだった。俺は悪態をついた。
「悪かったな」
「まあいいよ。それにしても高校の真ん前の家が勝負の場所だなんて、定期券だけで行けて便利だな」
「ちゃんと公平な判断をしてくれよ」
「任せてくれ」
藤之石高校に通う道を辿った俺たちは、その正面の森羅邸――八覇の家に大きなベンツが横付けされているのを見た。降りてきたのは黒服の使用人二名と、中川慧玖珠だった。スカジャンにデニムを着ている。慧夢是先輩もいた。こちらはクリーム色のワンピースだ。
慧玖珠が不敵に笑う。いい作品が出来たのか、その表情にはゆとりがあった。
「あら、河野君。今日は天気も良くていい気分ね。どう、FM-7の方は。今日という日に間に合ったのかしら」
「いや、俺は知らないんだ」
慧玖珠は当てが外れたように肩をすくめた。
「まあいいわ。どうせ大した真似はできないんだから。……あれ? こちらは?」
慧玖珠が銅豆を眺める。俺は紹介した。
「俺のクラスメイトの宇院銅豆だ。今日の審査員を務めてもらうことになってる。断っておくが、懐柔しようとするなよ」
慧玖珠は眉をしかめて抗議した。
「そんなことするわけないでしょ。じゃ、宇院さん、今日はよろしく」
「こちらこそ」
「お初にお目にかかります……、宇院さん……」
慧夢是先輩がぺこりと頭を下げ、銅豆は持て余したように軽く会釈した。
ベンツのトランクからダンボールが続々と担ぎ出され、豪邸の内部に運び込まれていく。俺たちは黒服連中の後に続いた。スリッパに履き替え、長い廊下を闊歩する。
「X1本体とか液晶モニターとか、運んでもらったのか」
「そうよ。ついでに私と慧夢是姉さんもね。それにしても森羅さんの家、いつ来てもよだれが出るぐらい羨ましいわ。こんなに立派で……」
慧夢是先輩は控え目に同調した。
「そうですね……。でも一人っ子の森羅さんも、私たちが羨ましいかもしれませんわ……私たちは姉妹ですもの……」
黒服たちは黙々と、例の「88部屋」ではなく、2階の部屋に俺たちを通した。そこは日当たりのよい開放的な空間で、ガラス戸から藤之石高校の全景が見渡せた。複雑でえもいわれぬ紋様の絨毯、写実的な女性を描いた品のいい絵画が洒落ている。薄い木目調のやや足の短いテーブルが中央に長くなっていた。その上に見慣れたパソコンが2台鎮座している。
「よっ、来たな」
八覇が長椅子から立ち上がって俺たちを出迎えた。黒いロゴの入ったロンT風の白色ワンピースを着ている。PC-8801MCの準備をしていたようだ。その隣には――
「こんにちは、皆さん」
頭を下げたのは、ダスティーパステル系の色のニットに花柄のスカートを着込んだ、根津文奈その人であった。面を上げると、ちょうど俺と真っ直ぐ見つめあう形になった。彼女の頬がたちまち赤くなる。俺も耳朶があっけなく熱くなった。
先に視線を外したのは文奈だった。よくよく見れば目の下に隈がある。徹夜してきたのだろうか、俺は心配になった。彼女は既にFM-77AV40EXをセットし終えているらしく、ゆっくり椅子に座った。八覇が能天気にソファを叩く。
「まあ座りぃや。慧玖珠、X1を準備しなはれ。時間はたっぷりあるからゆっくりでも構わんで」
「じゃ、遠慮なく」
慧玖珠は室内に届けられたダンボールを開封し、X1turboZ3を取り出した。テーブルの上に置いていく。八覇もPC88の調整を再開した。しばらくはセッティング作業の音のみが空気を占領する。
「しかし異様な空間だよね」
やがて銅豆が微苦笑して辛辣に評した。
「ここにあるパソコンがあと100台あったって、僕の持っているこの小さなタブレットにさえ敵わないというのに。よくやるよ」
慧夢是先輩が微笑を絶やさず応じる。
「でも……、1980年代の情熱は……実機でなければ再現できませんから……」
この後、FM-7、X1、PC88の三大8ビットパソコンが数十年ぶりに激突し、覇を競い合うというわけか。この前の八覇の言葉が脳裏に蘇り、俺は緊張が全身を伝うのを感じた。皆、本気も本気で勝ちにきているわけだ。
「準備できたわ」
「こっちもオーケーやで!」
全員がモニターの見える場所に移動する。八覇がもったいぶって言った。
「さあ、勝負の始まりや! まずはくじ引きで順番を決めよか」
黒服がうやうやしく持ってきたのは、不透明の底深いカップに、木でできた三本の棒が差し込まれたものだった。それを受け取り、八覇は良く通る声を出した。
「誰から取る? あたしからでいいか?」
文奈も慧玖珠も異存はないとばかりに首肯する。八覇は「ほな」とだけ口走ると、中の1本を抜いた。
「赤い線が三つ。あたしが最後や」
慧玖珠が同じ真似をする。
「私は二つだわ。2番目ね」
最後の棒を引く前に、文奈の順番は最初と決まってしまった。審査員にとっては古いものより新しいものの方が印象的であることを考慮すると、これはかなり不利だ。
いや、彼女のことだ。きっと挽回してくれるに違いない。
「ほな閉めるで」
八覇がカーテンを引き、窓を覆い隠した。室内が薄暗くなる。
文奈は堂々と、愛機のキーボードに手を伸ばした。目を閉じ深呼吸してから、気合を入れたように目を見開く。
「それじゃ、私のデモンストレーションを始めます」
液晶モニターを銅豆の見やすい位置に微調整する。全員の目がそちらに注がれた。俺は長椅子の後ろに立ったまま、前傾姿勢になって覗き込む。文奈が電源を入れた。
『F-BASIC Ver.3.4 L20』との表示の後、BASICの画面に移行する。文奈が何やら打ち込み、RETURNキーを押した。画面が暗転する。
いよいよ勝負の開始だ。彼女のデモンストレーション・プログラムが幕を開けたのだ。
最初に現れたのは黒いベストを着て二本足で立っている白ウサギだ。くりくりした瞳が愛らしい。帽子を取ってこちらに深々とお辞儀をする。童話の世界に入り込んだような錯覚を起こさせる、いい映像だった。
そこでFM音源のBGMが静かに起き上がってくる。単に俺が知らないだけなのか、曲名はさっぱり分からなかった。だが何か聴く者の胸を打ついじらしさがある。耳障りのいい、優しい音。
ウサギが消えると、画面は暗転の後星空へと変化し、下へとスクロールしていく。やがて姿を見せたのは青い地球。そこで荒いドットながら、『FM-7』の文字が上から降ってきて、モニターの中央で静止した。知ってるぞ、SYMBOL文という奴だ。それは連続する雷のように激しく明滅する。それが一段落すると、画面上方から銀色の円盤型UFOが登場し、縮小しながら地球に吸い込まれていった。場面が1枚絵のCGへと移り変わる。
飛来したUFOにはタコのような頭に宇宙服の、謎の生物が乗っていた。正確な輪郭で素晴らしい陰影だ。何日もかけて計算したCGがこれだったのだ。彼らはカメラのようなものを窓外に向けて写真を撮っている。次の瞬間、その写真が画面全体に映し出された。