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0030レトロPCガール

 一瞬間が空く。少し恥ずかしそうな声が無風の煙のように立ち上った。


「そうなんだ。部活動に行く前、彼女の教室へ赴いて呼び出して、二人きりの状況で切り出した。そうしたら彼女、急に泣き出しちまってな。あれにはびっくりしたよ」


「嬉し泣きだろ?」


「もちろんそうさ。どうも真理奈先輩、ずっと俺に嫌われてるって思い込んでたらしい。まあ俺の態度もはっきりしてなかったしな。その反動が一気に来たって感じか。まあそんなこんなで、『はい、よろしくお願いします』って返事が来て、恋人同士になったってわけだ」


 うらやましい。俺は心からの賛辞を送った。


「おめでとう。大事にしてやれよ。先輩、3年生だろ。これから受験シーズンに突入していくわけだからな」


「もちろんさ。まあ、以上が俺からの報告。ダブルデートに付き合ってくれたお前への感謝だ。ありがとな」


 俺はどういたしまして、と言った。今度は早坂の追及が始まる。


「それでお前の方はどうなんだ? 根津文奈さんだっけ、彼女とは親密になれたか?」


 俺は急に心に(きざ)した不安の陰りを眺めやった。


「いいや、まだ全然さ。告白はしたんだけどな」


 早坂がのってきた。鼓膜にダメージを与えるような大声を出す。


「おい、ホントか? それでどうだったんだ?」


 俺は自宅の玄関へ逃げるように隠れた文奈の背中を思い出した。


「答えはお預け食らっちまった。勝負が終わるまで、な」


 早坂が電話の向こうで座り直した気がした。


「勝負って何だ? 彼女、誰かと喧嘩でもしてるのか? それとも学校の成績のことか?」


 俺は親友に、文奈と出会ってから今までのことを掻いつまんで話した。返ってきたのは喉に小骨が刺さったようなうめき声だった。


「FM-7、X1、PC88……。俺の人生には全く縁のない世界だな」


「だろ? 俺も最初はそうだった。お前みたくうめいたよ」


 早坂の声が明瞭な輪郭を伴う。乗り気になったときの彼の癖だ。


「お前、それは応援しなきゃ駄目だ。放置しちゃいけない」


「そうか?」


「そうさ。告白して断られなかったんだ。根津さんはお前に気があると思う。まあ1ミクロンぐらいは……」


「おいおい」


 声の調子を整えるためか、空咳が聞こえてきた。


「この電話を切ったらすぐに根津さんに連絡しろ。LINEじゃ駄目だ、生の声で励ましてやるんだ。それとも何か。一人孤独に戦う根津さんを無援護で、お前の良心は満足するのか?」


 俺はうなった。頭皮をがりがり掻く。これ以上文奈に余計な真似をしたくはないんだよなあ。


「見守るだけじゃ駄目か?」


 親友の声は俺の煮えきらぬ態度を一刀両断した。


「駄目だ。電話しろ。彼女もそれを待ってる」


「でもなあ……」


「でももへちまもない。分かったな。じゃあ切るぞ」


「おい、ちょっと待っ……」


 通話は途切れた。俺は暗くなるスマホの画面を凝視し、そのまましばらく動けなかった。早坂は俺の静観に怒っているようにさえ思えた。


 明日戦いに赴く文奈に対し、俺は一体何と伝えればいいのだろう? 頑張って。負けるな。勝てるぞ。どれも不適合な気がした。しかし早坂はかけろと言う。無茶苦茶な話だ。


「根津……」


 俺は携帯をいじくり、『根津文奈』の項を開いた。通話ボタンが画面に表示される。これを押せば彼女に電話が繋がるのだ。俺はたっぷり2分ほど、内心の葛藤に悩まされた。


 だが、最後は自分の欲求が競り勝った。文奈の声が聞きたい。好きな人の声を、俺は土曜日のダブルデートからこっち、一切聞いていないのだ。それは耐えがたい苦痛だった。


 ええい、ままよ。俺はボタンを押した。『発信中……』の表示がくっきり画面に浮かび上がる。1コール。2コール。3コール……


 風呂にでも入っているのか。もう寝ちまったのか。それとも俺の名前が表示されたスマホを前に、途方にくれているのか。文奈はなかなか出なかった。


 10コール。11コール。12コール。普段の俺なら諦めて通話を切るところだ。だが俺は待ちに待った。電話をかける前の逡巡(しゅんじゅん)は嘘のように消え、ただ祈るように彼女が出てくれることを願った。


 そして、遂に――


「もしもし……」


 文奈の声がスマホのスピーカーから流れ出てきた。俺は自分でかけたにもかかわらず仰天し、しばらく口が利けなかった。


 それでもどうにか死力を尽くし、声を出す。思わず裏返ってしまった。


「ああ、根津。俺、河野敏之」


 しばしの沈黙。


「はい、河野さん」


 気まずい空気が黒雲のように垂れ込め、傘の用意のない俺は立ち往生した。それでも何とか、文奈と話したいという感情をさらけ出して言葉を紡ぐ。


「忙しいところだった?」


「はい、少し……」


 当然の答えにたじろぐ俺。15年間生きてきて何の進歩もない。


「あのさ……」


 俺は目まぐるしく脳を回転させ、この場に適切な言葉を探した。一向思い浮かばない。静寂に耐え切れず、俺はでたらめな台詞で場を繋いだ。


「この前の映画、楽しかったよね」


「……はい」


 ああ、違う、そうじゃない。俺はただ、俺はただ……


「根津さんが疲れてないか、心配で……」


 しまった。口に出して言ってしまった。案の定、戸惑いの静けさが二人の間に横たわる。俺は失敗を後悔した。


 だが……


「ふふっ」


 スマホの向こうから聞こえてきたのは、鈴が鳴るような笑い声だった。俺はそれにどれだけ救われただろう。思わずこっちも笑ってしまう。


「河野さん、大丈夫ですよ。私は元気です」


 そこにあったのは、いつもの明るい文奈の声だった。聴覚を和ませ、取り乱した心を落ち着かせてくれる、そんな優しい声。俺の好きな声。


「そうか。それならいいんだ」


 俺は自ら作った陥穽(かんせい)にはまり込む手前で、彼女に助け出された気がした。


「根津さん、ごめん。俺、ただ声が聞きたかったんだ」


 返ってきたのは意外な言葉だった。


「私もです。でも、きっかけがなくて……。河野さん、ありがとうございます」


 ここで告白の返事を聞くのは野暮というものだ。彼女はまだ戦いの真っ只中、最前線にいるのだから。


「明日の決戦、俺も応援してるよ。絶対勝とうぜ。出てくれてありがとう」


「はい。勝ちます、絶対に」


「こんな時間にごめん。じゃ、切るよ」


「おやすみなさい」


「おやすみなさい」


 俺は名残り惜しくも切断のボタンを押した。ああ、俺、やっぱり彼女が好きだ。そんなことを再確認して、俺はスマホを机上に置き、枕を抱き締めた。


 FM-7同好会。文奈は明日の勝負に勝利して、絶対に結成してみせるだろう。俺はその瞬間の喜びを分かち合えばいい。彼女のどマイナーな趣味の、現在たった一人の仲間として。


 そして、いよいよ金曜日がやってきた――

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