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0027レトロPCガール

 文奈は聞き取りにくい声で尋ねてきた。


「河野さんはデートだと思ってたんですね?」


 俺ははっきり答えた。


「ああ」


 慧夢是先輩は爆弾を落としたことについて、自覚があるんだかないんだか分からぬ様子だった。


「お二人は付き合ってないのでしょうか……?」


 俺は渋々うなずいた。


「付き合ってないです」


「そう、そうですよ」


 文奈が助力を得たとばかりに面を上げた。


「私と河野さんはデートしたかもしれませんが、付き合ってはいません」


 慧夢是先輩が俺たちを等分に眺めて、のんびりと返事を寄越した。


「あらまあ……。でもお二人は……、前から思ってましたが……、お似合いのカップルだと思いますよ……」


 文奈の耳が朱に染まっている。背後から打ちのめされたような表情だった。


「だって、私は……。だって……。私は……」


 同じ言葉を呪文のように繰り返す。やがて電車はスピードを落とし、慧夢是先輩の降りる駅に到着した。


「頑張ってください根津さん……。応援していますよ……」


 彼女は勝負のことかデートのことか、文奈をそう励まして、ホームの人混みに紛れていった。電車が動き出し、彼女の姿が遠ざかる。


 再び二人きりになった。しかし気まずい沈黙が横たわり、どちらからも話そうとはしない。慧夢是先輩の指摘のおかげでお互い――特に文奈が――妙に意識してしまったようだ。俺の降車駅を通り過ぎ、学校の最寄り駅も通過してなお、俺と文奈は口を開かなかった。


 車内アナウンスが流れ、文奈の駅に停車する。俺と文奈は並んで電車から外へと歩き出した。構外に出てみると、夕暮れの太陽はこの日最後の熱気を放ち、1日の仕事を終えた人々を優しくいたわっている。そんな中、目の前を進む文奈は一回り小さくなったような気がした。


 彼女は無言のままとぼとぼと歩く。俺に送られる形で自宅に辿り着いた。


 楽しかった1日もこれで終わりか。最後はこんなのになってしまったが、俺の生涯初デート――ダブルデートだったが――はひとまず成功に終わった。きっとこの日を忘れないだろう。


 文奈がこちらを向き、ぺこりと頭を下げた。


「送ってくださってありがとうございました」


 機械じみた、消え入りそうな声だった。俺はできる限り余裕ありげに答えた。


「楽しかったよ。こちらこそありがとう」


 文奈が弱々しく微笑む。その頬を陽光が低角度で撫でていた。


「それじゃ、また」


「うん、またな」


 文奈が背を向ける。門を開け、庭に入っていこうとする。その背中に、その姿に、俺の胸底にわだかまっていたものが急に目覚めたようだった。


 文奈が帰ってしまう。これでいいのか? もっと伝えたいことがあるんじゃないのか? 俺は心臓が破裂しそうに脈打つのを感じた。いいはずがない。俺は言うべきだ。叫ぶべきだ。


 俺が、文奈を好きだというこの気持ちを。


「待って、根津さん」


 気がつくと俺は文奈を呼び止めていた。彼女の体がびくっと震える。恐る恐るこちらに半身を向けた。


「……はい」


 俺は一歩前に進み出た。反対に文奈が一歩後退する。俺は自分の胸を手で押さえた。そこに、つかえて飛び出すのをためらう言葉があるように。俺は最大限の力を振り絞って、やや自暴自棄の気配をはらみながら、とうとうそいつを吐き出した。洒落た言い回しは考え付かなかった。


「好きだ、根津さん」


 文奈は唇を震わせ、俺の両目を凝視した。俺は真っ直ぐ見つめ返す。再び告白した。


「初めて会った時から根津さんのことが好きだった。これは本気だ」


 文奈は恐怖を抱いたかのように視線を外し、意味もなさげに庭の隅に目をやった。そしてかすれた声で言った。


「じょ、冗談でしょう……?」


 俺はかすかに首を振って言葉を重ねた。


「本気だよ、根津さん」


 文奈は俺と視線を交錯させた。逃れられない、と観念したかのように言葉を紡ぎ出す。


「私は……」


 ごくりと唾を飲み、喉を上下させた。


「私の……どこがいいんですか? FM-7を愛するだけの、この私の、どこが……?」


 俺は突如決壊してしまった自分のダムの水に流されるまま、破れかぶれに答えた。


「実は一目惚れだったんだ。だからきっかけは、顔だった」


「顔ですか」


 文奈は少し笑った。緊張しきった場を無理に和ませようとする意図が垣間見えた。俺は誤解を生まぬよう、また脱線しないよう慎重に畳み掛ける。


「きっかけは、ね。でもそれ以後、好きなものに没頭する根津さんに強く惹かれていったんだ。俺にはそういう、青春をかけるような趣味、何にもないからさ。自分にないものを持っている、一途な根津さんは、いつしか俺の憧れになっていったんだ」


 文奈は黙って聞いている。俺はいつ「ごめんなさい」と言われるか気が気でなかった。対岸へと続く石橋が、途中で崩落してしまわないか、緊張でまともに歩けたものじゃない。


「今日は楽しかった。でももう友達としての間柄じゃ満足できない。次は恋人として、一緒に遊んだり笑ったりしたい」


 俺は手を差し出した。心の嵐を投影したかのようにわなないている。


「大事にするから。根津さん……いや根津。俺と付き合ってください」


 文奈は俺の手と顔を交互に見た。俺は極度の緊張に見舞われながら、きっと文奈もそうなのだろうと推測する。


 彼女はしばしの間身じろぎもしなかった。沈みゆく夕日が最後の瞬きを放ち、その困惑した顔を照らし出す。数秒か、数十秒か、数分か。待っている時間は刹那(せつな)のようにも無限のようにも感じられた。


 心臓が痛いぐらいにバクバクする。果たして答えは「はい」か、それとも「いいえ」か――


 彼女の唇がようやく開いた。いらえはそのどちらでもない。


「待ってください」


 芯のない声音に文奈自身が驚いたらしく、彼女は二度咳払いして態勢を整えた。


「返事は勝負の後まで待ってください。……私のパートナーはFM-7です。今は勝負に勝つために全力を尽くしたいんです。それ以外のことは考えたくないんです」


 俺はゆっくりと手を下ろした。それが彼女の真意であると、俺の心が確認している。


「そうか……」


 文奈が大きく頭を下げた。


「今日はありがとうございました!」


 それだけ叫ぶと、彼女はツバメのように身をひるがえし、駆け足で玄関のドアの向こうに飛び込んでいった。


 一人残された俺は、告白が成功したんだか失敗したんだか悩みながら、文奈の家を後にした。まあ、断られなかったということは、期待していいんだよな。そうだよな、文奈……


 それにしても告白までしてしまうとは、勢いとは恐ろしいものだ。俺はしっかりしていないと宙に浮き上がってしまいそうな体を懸命に御し、ふわふわした気持ちで帰宅の途についた。


 しかし、今日はそれだけでは終わらなかった。

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