表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/37

0023レトロPCガール

 決戦の日取りが決まってから、文奈は目に見えて興奮していた。FM-7を愛する心が沸き立ち、抑えきれないといわんばかりだ。授業中、休み時間問わず、神経質にノートへ計算式を書き込んだり、遠くを見るような目で小声で何やらつぶやいていた。


 昼休みも上の空だった。持参した弁当に箸をつけず、物思いにふけり、俺の問いかけにも返事ははかばかしくなかった。


「根津さん、聞いてる?」


 俺が定期的にそう質問すると、返って来る言葉は決まって、


「すみません、聞いてませんでした!」


だった。


 文奈は明らかに浮き足立っていた。あと10日余りで、FM-7シリーズ最高のデモンストレーションプログラムを作らねばならないのだ――X1やPC88に勝つために。文奈はそのことばかり念じていて、他人の声は耳に入らないようだった。


 放課後、文奈の家でFM-7シリーズの勉強をすることも、最近は絶えて久しかった。文奈が「デモ制作があるので、すみませんが……」と、俺の訪問を断わっていたからだ。


 慧玖珠の様子はどうか。俺は慧夢是先輩に尋ねた。彼女は人差し指をほっぺたに当てて記憶を辿った。


「そうですね……学校から帰ったら部屋着に着替えて……、後はX1turboZ3に向かってデモのプログラミングに没頭しています……。1分1秒でも惜しい……、そんな感じです……」


 状況は文奈と変わらないらしい。啖呵たんかを切った手前、後には引けないのだろう。


 では八覇はどうか。


「あたしは8ビット最強のPC-8801MCやし。他の二人と比べて大きなアドバンテージがあるしな。余裕たっぷりやで」


 こちらは自信に満ちている。御三家の筆頭とはかくも悠然としていられるものなのか。


 俺は当然ながら、三つ巴の戦いにも変わらず文奈を応援した。何とか『FM-7同好会』を立ち上げさせてやりたい。でも俺には相変わらずマイコンはちんぷんかんぷんで、手助け出来ることは何もなかった。


 残り1週間となった金曜日の帰り道。桜がすっかり散って、木々は緑に茂り始めた。俺と文奈は言葉少なく、駅までの共通の通学路を並んで歩いていた。同じ電車通学の生徒たちが三々五々下校している。


 俺は文奈に尋ねてみた。


「どこまで出来上がったんだ、デモの方は」


 彼女は作業の方が一段落したのか、やや元気を取り戻していた。


「私のFM77AV40EXだと26万色の画像を表示できるんです。ただ読み込みの長さと使用容量の関係で、今はそれより少ない色数で絵を描いているところですね」


 何しろ時間がありません、と彼女は乾いた声で漏らした。


「8ビットパソコンの処理速度では、リアルタイムに描ける絵にも限界があります。多少手の込んだCGというだけで、マシン語を使っても1枚描くのに何分もかかったりします。ですから、そのような絵を使う場合は、あらかじめ計算して出力した絵をディスクに保存し、それをタイミングよく読み込んで表示したほうが得策です。エミュは禁止ですから、今は複数のFM77AVを起動させて事前計算を実行しているところです。ブレーカーが落ちなければ良いのですが」


 よく分からないが、FM-7を何台も、今現在も自宅で起動し続けているということか。大掛かりになってきたな。


「そんなに何時間もかかるものなのか、CGって」


「何時間じゃありません。何日、です」


 時単位じゃなくて日単位? 気の遠くなるような遅さだ。


「それでCGは何枚出来上がるんだ?」


「え? 1枚ですよ」


 今の優れたテレビゲームのCGが秒間60枚なのに、何日単位でたった1枚か……。それでふと思い当たった。


「ひょっとして、メインで使ってるFM77AV40EXも計算中なのか?」


 文奈はさも自然にうなずいた。


「はい。今はどの77AVもCG計算を実行中です」


「じゃあ、しばらく暇なんだな」


「はい。明日の晩からCGが順に出来上がってきます」


 それを聞いて俺は立ち止まった。つられて文奈も足を揃え、首を傾げる。


「河野さん?」


 彼女は可愛かった。一目惚れした初対面の時も、FM-7のことを語る今も、変わらず可愛い。あまりのFM-7愛に引きかけた時もあったが、俺が彼女を好きである気持ちはぶれたことがない。その気持ちは、今度の勝負に全力を傾けている彼女のひたむきな姿勢を見て、なお強くなっていた。


 文奈は俺の真面目な顔に首を傾げる。俺は心臓をばくばくさせながら口を開いた。


「なあ根津さん」


「はい」


「明日、二人でどこか遊びにいかないか?」


「えっ」


 通り過ぎる春風が彼女の髪をなぶっていく。文奈は無造作に答えた。


「いいですよ。行きましょう。気晴らしも必要ですしね」


 にっこり微笑む。俺は落胆を隠せなかった。明らかに文奈はデートという意識が希薄だった。友達と街へ繰り出す、ただその友達が男であっただけ。そんなノリであることが露骨に示されていたからだ。


 でもいいさ。文奈と遊びに行けるなら。俺は内心がっかりしながら、それでも一応の進展ではあるとして自分を慰めた。


 文奈はスマホを指で叩いている。メモ機能を使っているようだ。


「明日の何時にどこへ集合ですか? というか、どちらへ行きます?」


 俺は考え、無難に「映画を観よう」と答えた。




「ただいま」


 帰宅するとまた現実に打ちのめされる。お袋は俺の挨拶に返事せず、まるで汚いものでも飛び込んできたとばかり、これ見よがしに耳をかっぽじった。彼女が作っている夕食はカレーライスのようだが、きっと俺の分は今日も少ないのだろう。


 俺は自室に入ると、後ろ手にドアを閉めた。毒ガスの侵入を防いだような気がして、害された気分が少し和らぐ。スマホを取り出して、明日観る映画を早速調査し始めた。ふうん、近くの劇場ではアクション映画にディズニーのCGアニメ、恋愛ものにパニックものがかかるのか。CGものは文奈がデモ対決を思い出すかもしれないから外すとして、やっぱりアクション映画かな。恋愛ものは退屈そうだし。


 開演時刻と料金をチェックする。俺はなけなしの小遣い――実家の祖父が定期的にくれるものだ――を確認し、十分間に合うことにほっと一息ついた。一応貯金箱も割っておこう。持って行くお金は多くて困ることもないだろうし。


 と、そこでスマホが鳴り響いた。親友の早坂浩次からだ。俺は名前を確認すると通話ボタンを押し、スマホを耳に当てた。


「よう、どうした早坂」


 電話に出ると、早坂が困り果てた声で喋りかけてくる。


「河野……聞いてくれ。困ったことが起きた」


 嬉しそうな、辛そうな、そんなよく分からない口調だ。俺は相槌を打って続きを待った。


「実は今日、高校の女子から告白されちまったんだ」


 ほう。それはそれは喜ばしいことだ。


「良かったじゃないか。早坂の顔と性格なら、そんなこともありうるだろうよ。親友として祝福したいね、心から」


 だが早坂の返事は意表をついた。


「祝福されてる場合じゃない。相手は3年の先輩なんだ。3年だぞ、3年」


 俺はびっくり仰天した。2歳年上か。


「まだ入学したてのお前に、3年の女子が? 一体全体どういう風の吹き回しだ?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ