0019レトロPCガール
俺は長ったらしい解説を受け、疑問をぶつけた。
「よくそんなこと知ってるな。FM-7だけじゃないのか、根津さんの知識って」
「当時のパソコン雑誌を読んでいればすぐ覚えられますよ。今度貸してあげますね。すぐあの頃の『熱』にうならされると思いますよ」
「よっ! お二人さん」
八覇がいつの間にか教室に入ってきていた。軽やかな挙措は羽のようだ。
「何か仲良う話しとったな。ひょっとして二人はできとるんか?」
おお、いいことを言う。しかし文奈は静かに切り捨てた。
「河野さんはFM-7を愛する同志です。変な色眼鏡で見ないでください」
あ、そう。俺は道路の側溝に落ちた気分だった。八覇が親指を立ててうながす。
「さ、行こや。あたしんち、すぐそばやから」
「すぐそば?」
俺と文奈は首を傾げながら八覇に続いて下校した。新入部員でぱんぱんに膨れ上がった野球部やサッカー部が、女子の熱っぽい視線を浴びながら練習にいそしんでいる。ずいぶん差のある青春だった。
校門を出る。前から気になっていたが、正面に大きく構えるあの豪邸は誰のものだろう? 生垣をめぐらし、大きな門構えで、伸びた松の木がかろうじて首を出している。2階建ての屋敷は和風建築で、日の光が瓦に反射していた。文奈の家も立派だったが、これと比べるのは酷というものだ。
「さ、着いたで」
八覇がその家の扉を開ける。まさか……
「ちょ、ちょっと森羅さん。これ、あんたの家なのか?」
「そやで。何や、びっくりしたんか?」
八覇が意地悪く微笑む。文奈は俺同様、度肝を抜かれたようだった。
「学校の真正面って……。立地条件良すぎでしょう」
生けすや橋のある豪奢な庭を進む。その間も文奈はきょろきょろと辺りを見回して、その贅沢な造りに感嘆していた。
屋敷の玄関に辿り着く。防犯カメラがあちこちに取り付けられていた。八覇がインタホンを押し、「あたしや。帰ったで」と大声を出した。
「あたしがあの藤之石高校に通学することが決まったもんやから、親父が大急ぎでこの家を買い取って、住みやすいように突貫工事したんや。通学の時間ほど無駄なものはないから、って理由でな」
どうも、八覇の父は凄まじい金持ちらしい。
「いったい何やってる人なんだ、森羅さんの親父は」
「親戚が他国で油田持っててな。それで200年は裕福に暮らせるだけの金を貰ったらしいんや。まあ当人はそれに寄りかからず、コラムニストでそれなりの収入を得てるんやけどな」
玄関のドアが左右に開いた。黒服に黒いサングラスの大男が三人、「お帰りなさいませ」と口々に挨拶しながら八覇の荷物を受け取った。まるで暴力団一家の令嬢に対し、うやうやしく仕える組員然としている。
「こちらはお嬢様のお友達でございますね?」
「せや。これから88で遊ぶから、あんじょう準備しな」
「はっ」
黒服のうち二人が駆け足で屋敷の奥へ引っ込んでいった。どうも彼らはこの家の使用人らしい。八覇の家の靴脱ぎ場は慧玖珠・慧夢是姉妹の部屋ぐらいの大きさだ。スリッパが置かれていて、履き替えるとふかふかと気持ちがいい。俺史上ナンバーワンの履き心地である。
「こっちや」
八覇は俺と文奈を導き、やたら天井の高い廊下を歩いた。黒服がT字路で右に曲がろうとした八覇に耳打ちする。
「こちらは食堂です。お嬢様の第二個室は反対側です」
「あれ、そうやったっけ。どうしてもまだこの家の地理には手こずるな」
八覇は黒服と俺と文奈を引き連れたまま、しばらく先導して歩いた。名匠の創出したものか、美しく奇抜な額縁入り絵画と、人や動物の彫像が左右に居並んでいる。それも埃一つない。日頃の手入れが隅々まで行き渡っているのだ。
ある程度進んで、黒服が奥のドアを指し示した。
「こちらがそうです。後で茶菓子を持参いたします。ごゆっくりどうぞ」
八覇はドアを開き、招くようにこちらを見た。手で室内を指し示す。
「ようこそお二人さん! これがあたしの88部屋や!」
俺と文奈は、広がった光景に目を見張った。8メートル四方はあろうかという正方形の大部屋には、窓と出入り口以外の全ての壁に、本棚が隙間なく並んでいた。そしてその本棚を埋め尽くすのは、当時のパソコン雑誌とゲームソフトの数々。まるで文奈の部屋を二周り、いや五周りは拡大したようなコレクションの山々だった。
その中央には黒い革造りの長椅子と漆黒のテーブルがあぐらをかいている。その上に置かれているのは、大き目の液晶モニターと縦長のパソコンらしき物体。
八覇が勝ち誇ったように笑った。
「見なはれ! これが史上最強の88、『PC-8801MC』や!」
俺と文奈はクリーム色の筐体を眺めた。FM77AV40EXやX1turbo、MZ-731は横置きだったが、これは縦置きとなっている。ディスクを挿入するスロットがやけに大きい。天辺にはCD-ROMドライブが違和感なく設置されている。キーボードは本体とは別に用意されていた。
「これがPC88MC……!」
文奈が感じ入ったようにつぶやいた。FM-7にとってPC88は宿敵だったらしいが、文奈がその最高ランクの実物を見るのは初めてだったようだ。そう、段々忘れかけていたが、俺たちはれっきとした21世紀の人間なのだ。これらは約30数年前の骨董品なのだ。
八覇が鼻歌を歌いながら、本棚から『ドラゴンスレイヤー英雄伝説』と書かれたゲームの箱と、同名の音楽CDを取り出してきた。
「ほれ、このゲームやってみなはれ。すぐ準備できるし」
箱から黒い大きな紙を取り出す。すると八覇は、それを無造作に本体スロットに差し込んだ。俺は慌てて突っ込んだ。
「おい、何やってんだ?」
「何って……ディスクを入れただけやん」
「ディスク? 今の黒い紙が?」
「そうや。5.25インチ2Dのディスクや」
俺は文奈を見たが、彼女は俺のように驚いてはいなかった。そこに引っ掛かりますか? といわんばかりだ。
「FM-7の外付けドライブも5.25インチなんですよ。3.5インチのそれに比べてディスク保護の機構がなく、耐久性に疑問がありますが……。でも、まだ動くんですね?」
八覇は胸を張って大威張りした。
「せや。メンテナンスはしとるからな。今のご時世で8ビットパソコンを堪能するなら、整備ぐらいきちっとしとかんとな。特に天敵のカビがつかないよう、空調にも気を配っとるしの」
CD-ROMドライブを開け、先ほどの音楽CDをセットする。そこだけ今の時代に通じていて、俺は何だかほっとした。
「よっしゃ、準備オーケーや。ほな立ち上げるで」
電源を入れる。ディスクを読み込む駆動音が部屋に響き渡った。やがて厳かなBGMが奏でられる。文奈が息を呑み、かすれたような声を出した。
「CD音源ですね」
「当たりや。88の英雄伝説はサントラをBGMにできるんや」
俺が見てきたFM77AV40EXやMZ-731に比べて、その音使いは段違いに優れていた。内臓音源のチープなメロディより、CDの生音の方が迫力があるということだ。なるほど、確かに豪語するだけのことはある。