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0017レトロPCガール

 その5分後、老人に土下座する俺の姿があった。


「本当にすいませんでしたっ!」


「まあまあ、気持ちはいただきましたから。もう顔を上げてください」


 文奈が険のある声で俺をなじる。もちろん本気ではない。


「私と都築(つづき)さんが援助交際だなんて、よくそんな馬鹿なこと考えましたね。マイナス30点です」


 減点? 100点満点ならこれはかなり痛い。つか、今何点だ?


 俺は老人――都築孝雄(つづき・たかお)さん――にうながされ、情けなく立ち上がった。


「だって、根津さん今日学校休んでるし……。それが祖父でもない老人と街を仲良く歩いてれば、誰だってそう思うはずだよ」


「言い訳ですか? 見苦しいですよ」


 都築さんは「まあまあ」と()ぎのような顔で俺をいたわった。角刈りのむくれ顔で、でっぷり肥えている。常に額の汗をハンカチで拭っていて、手足が短く巨大な卵のような人だ。


「確かに誤解されるかもしれませんがね」


 二人の説明ではこうだ。都築さんは文奈の祖父・根津英斗さんの富士通社員時代の同僚であり、かつてはFM8ビットマイコンを売るために切磋琢磨(せっさたくま)した仲だという。11歳差の二人だったが、よく馬が合い、会社が早く終わったときには行きつけの酒場でビールを酌み交わしたらしい。そこでの話はもちろんマイコン業界のネタが中心で、話を聞きつけた同業他社営業マンと合流することもしばしばだったという。いわば同好の士のサロンのようなものが形成されていたそうだ。二人はそこで業界を横断する人脈を築いたらしい。


「いやあ、面白い時代でした。もうあんな楽しい世界は訪れないんでしょうな。WINパソコンは便利ですが、全てを駆逐して競争がない。それは寂しいことです」


 やがて富士通がFM8ビットシリーズに見切りをつけ、32ビットの新製品に移行した際、抗議するような形で英斗さんは退社した。一方残った都築さんは会社のために尽力しつつ、独自の伝手(つて)を形成。1993年に後を追うように退社して、仲間たちと共に株式会社『アートステージ』を立ち上げた。ゲームソフト開発の下請けだという。最近ではニンテンドースイッチの、女児向けアニメのゲームに(たずさ)わったそうだ。


「富士通を退社したとき英斗さんにも声をかけたんだけど、『自分はもう消耗しきったから』と断られましたよ。ただ親交は復活して、また長い付き合いに入ったんです。孫娘の文奈ちゃんが生まれたときは、随喜の涙を流して電話をかけてきてくれましてね。それ以来、僕も文奈ちゃんの成長を見るのが楽しみになりました」


 にこにこと人好きのする笑顔を浮かべる。まるで饅頭のような頭部だった。


「今ではこんなに立派な高校生になって……。歩くことさえできなかった昔からすると、思わずその育ちぶりに涙が出てきます」


 都築さんは本当に嬉しそうに、目尻を拭った。泣くのを恥ずかしいと考えるたちなのか、すぐ常態を装う。


 文奈はさすがに怒っているらしく、俺を毒舌で串刺しにした。


「私にとって都築さんは祖父と同様に大切な人です。それを援助交際だとか……。言いがかりにも程がありますよ、河野さん」


 俺は決まり悪くも、彼女の火を噴くような目に怯えながら反論した。


「でも、それじゃ何で学校をズル休みしてまで都築さんと会ったんだ? それにビジネスホテルに一緒に入ろうとしたのは?」


 文奈は少しばつが悪そうに、自分の肘を抱えた。


「それは、都築さんが海外に住む息子夫妻の家に引っ越すことになって、会えるのが今日の午前と少ししかなかったからです。学校に嘘ついて休んだのは謝ります。でもどうしても都築さんに会いたかったんです。祖父の話、FM-7の話、当時のマイコン業界の話……。私の興味にどストライクな会話が出来る、都築さんは数少ない人なんですよ」


「ホテルに入ろうとしたのは?」


「私が都築さんに無理言って時間を作ってもらったんですよ。荷物運びぐらい手伝わないとばちが当たりそうで……。いかがわしい目的なんて、これっぽっちもありません」


 都築さんが腕時計を気にしている。俺の勘違いで余計な時間を浪費させてしまったようだった。


「いよいよ飛行機の時刻が近づいてきました。二人とも、荷物運びを手伝っていただけますか?」


 俺と文奈は同時に叫んだ。


「はい!」


 このホテルは連泊する客の荷物を、チェックアウト中でも預かってくれるらしい。1階受け付けで申し出ると、どでかい車輪つきスーツケース二つが登場した。中に何が入っているんだろうと疑念を抱くほど重い。駅まで転がしていくだけでも骨が折れそうだ。


「ありがとうございます、二人とも。じゃあついて来てください」


 俺と文奈はぜいぜい言いながら荷物を運び、今日ほどエスカレーターの威力に助けられたことはない、と痛感した。




 快速電車の開口部に巨体を滑り込ませ、ケースを引きずり込んだ都築さんは、ホームで並んで立つ俺たちに微笑んだ。この列車の終点は空港だ。都築さんが旅客機でエコノミー症候群にかからないことを祈るしかなかった。


「FM-7を再興しようという文奈ちゃんの気持ちは清々しくて、きっと祖父の英斗さんも天国で喜んでらっしゃることでしょう。僕もあの頃の清新な気持ちを忘れず、海外でも頑張ってやっていきます。二人とも、仲良くお元気で」


 文奈が目尻をハンカチで押さえた。鼻が赤く光って、体は震えている。


「都築さん、また会えますよね?」


 都築さんは「もちろんですよ」とは言わなかった。


「いえ、生身ではこれで今生(こんじょう)の別れとなるでしょう。でも今はインターネットがありますからね。いつでもTV電話でお話しできますから。FM-7だけでなく、当時のマイコン業界の空気感についても、議論をぶつけ合いたいものです」


 俺と文奈の顔を、まるで脳内に焼き付けるかのように交互に見る。曇りのない眼差しだった。


「ではおさらばです。2人とも、いい学生生活を送ってください」


 ドアが閉まり、電車が動き出す。都築さんは手を振ってゆっくり視界から消えていった。


 文奈は追いかけはしなかった。ただただ泣きじゃくり、それどころではなかったようだ。ひとしきり親交を確かめ合った後だけに、むごい別れが辛いのだろう。


 俺は何とも言えず、彼女の肩を抱いてやりたい衝動と戦い、あえなく敗れ去るのみだった。




 その翌日の昼休みのことだった。心地よい喧騒の中、俺と文奈が食事兼会議をしていると、クラスメイトの女子が文奈に近づいてきた。確か上坂(うえさか)さんだったっけ。


「根津さん、別のクラスの子が話があるって言ってるんだけど……」


 文奈はスイッチを入れた懐中電灯のように、ぱっと明るくなった。宝くじの一等が当たってもこんな顔はしないだろう。


「入会希望者かもしれません。行きましょう、河野さん」


 こらえ切れないとばかり笑顔を漏らしつつ、立ち上がって教室の戸口へ向かった。俺もやや遅れてついていく。FM-7同好会に遂に第3の会員か? 本当に?

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