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0016レトロPCガール

「1年でレギュラーメンバーに抜擢されそうな奴もいるってのにさ、才能の差なのかね。最近は疲れてきて、やめようかなんてことがふっと頭をよぎるんだよ」


 俺はふうふう息を吹きかけながら、麺をすすった。つるりとしながらコシのある、値段の割には美味い舌触りだ。


「まだ1学期も終わってないだろ。気が早すぎなんじゃねえの?」


「ま、そうなんだけどさ」


「にしても意外だな」


「何が?」


 首を傾げる早坂に、俺は言った。


「熱句高校に合格するんだって、あの頃のお前は必死で勉強していたじゃないか。やめようだなんて考えもせずに、毎日毎日。一緒に勉強会を開いていた俺は知ってる。それがたかだかサッカーでちょっと揉まれたぐらいで降りようだなんて、ずいぶん弱気じゃないか」


 早坂は湯気で曇った黒縁眼鏡を外し、脇に置いた。隠されていた両目は生気に乏しい。


「生まれもっての才能の差って奴だよ」


「は?」


 早坂は肉を頬張った。熱かったのか口腔内で転がして冷まそうとする。


「人間誰しも親は選べないだろう? それと同じように、天性の能力は覆せないんだよ。俺は努力して熱句に入った。けど、それで得た自信は、この前の新入生テストで完膚なきまでに覆されたんだ。俺は、全生徒147人中、120人目だったんだ」


 俺のもろい心はその告白で動揺した。というより、にわかに信じられなかった。


「早坂が? 俺より全然頭の良かったお前が? 120人目?」


 少々無神経な物言いだったかもしれない。親友はありがたいことに無視してくれた。


「ああ。がっくりきたね。それもあって、サッカー部でも達観してしまったというか、さ。ああ、俺よりレベルの高い奴はいっぱいいる。嫌になるぐらいにな。俺は志望校にうかって何を浮かれていたんだろう。身の程をわきまえるべきじゃないか。自分は特別なんかじゃない、ただの凡人なんだって、そう俯瞰(ふかん)で見下ろすような気分になったんだ。正気に戻ったんだよ、俺はね」


 俺の箸の手は先ほどから止まっていた。隣の客が立ち上がる物音で我に返る。


 俺はあの入学式の日、文奈に会う直前まで、こう考えていた。「何をやっても駄目だろうな」と。今の早坂は、まさにあのときの俺だ。


 友達として何か言わなくては。何か、こいつを励ます言葉を。だが俺にはそれが見出せない。自分自身が言うべき資格がないと分かっているから、何を言っても薄っぺらで根拠が薄弱だから、俺は何も言わない。言えないのだ。


 早坂は黙り込んで麺をすすっている。俺も何も口に出せず、ただ彼にならった。とんこつラーメンは、その油成分がだんだんしつこく感じられてくる。


「ごちそうさま」


 旧友はスープまで飲み干して、満足そうに唇を舐めた。俺が何も言い返さなかったことに、彼は安心しているかのようだった。俺はまるで見透かされたかのようで――そんなことはなかったとしても――耳朶の熱さを自覚するしかない。


「ごちそうさん」


 俺は完食したが、スープは残した。表面の流れを視界に映しつつ、俺は早坂に尋ねる。


「これからどうする?」


 早坂は眼鏡を布で拭って、再びかけた。もう元の親友に戻っている。


「俺は帰らなきゃ。河野にはちょうど帰り道で遭遇したんだよ。今日は欲しいものを手に入れたし、お前にも会えたしでいい1日だった」


「悪かったな、アドバイスできなくて」


 俺は友達の反応を待った。彼はにっこり笑った。


「何、愚痴を聞いてくれただけでもありがたいよ。おかげですっきりした」


 俺たちはまたの再会を約して二手に分かれた。




 週明けの月曜日。その日は文奈が休みだった。どうやら風邪を引いたらしい、というのは担任の証言だ。この日の授業は午前で終わり、俺は長い午後をいかに過ごそうかと考えながら下校した。よく晴れた蒼穹(そうきゅう)は、俺の不機嫌さを増大させる。何か良くないことが起こりそうな予感……。でも、この前はそんなときに文奈に出会ったんだよなあ。そろそろ天候に関する見方も変えねばならないのだろうか。


「ん?」


 人通りの多い駅前まで来たところで、俺は目をこすった。今目の前を通り過ぎたのは、私服姿の文奈ではなかったか。俺は再度睨みつけて、今度こそ楽しそうにお喋りする彼女を特定した。春らしい軽快な装いがまぶしい。風邪で休んだんじゃなかったのか?


 いや、問題はそこだけではない。彼女の隣を歩き、いかにも愉快そうに肩を揺らすのは、齢60になろうかという太った老人だった。ぴっちりした灰色のスーツを身に着けている。文奈の祖父か? いや、彼は既に他界しているという話だった。


 では、彼女と親しげに話すあの巨漢は、一体何者だ?


 俺は見てはならないものを見てしまったような心持ちだった。気がつけば十分な距離を取って尾行を開始していた。文奈が学校をズル休みしてまで一緒に街を歩こうという、あの力士のような男は何者だろう?


 そのとき、俺の脳裏に極めて不快感をもたらすある推測が浮かび上がった。


 まさか、援助交際? あの文奈が?


 俺は心臓が早鐘を打つのを感じた。引き離されない範囲で二人の背中を視界に捉えながら、俺は夢中で後を追った。嫌だ。嫌過ぎる。俺の好きになった人が、援交をしているなんて。そんな汚らわしいこと……!


 やがて文奈と老人は喫茶店に入った。学ランの俺じゃ追いかけて入店してもすぐ気付かれるだろう。ここは我慢して、入り口を遠くから見張るべきだ。いずれ二人は出てくるのだから。


 俺は探偵にでもなった気分で、近くの街路樹に寄りかかって腕組みした。誰かと待ち合わせしてますよ感を(かも)し出すよう全力を振り絞る。その努力が実ったか、通り過ぎる人は不審な俺に特に注意を払わなかった。


 30分ぐらい過ぎただろうか。あのデブ老人と文奈が仲良くドアを開けて外へと姿を現した。俺は痺れを切らす寸前で、やっと張り込みから解放されて安堵する。二人の視界に入らぬよう樹の陰に隠れた。


 文奈と老人は和気藹々(わきあいあい)と話し合いながら、奥の方へ足を運んでいく。俺は尾行を再開した。駅周辺は十数年前より重点的に再開発され、宿泊施設も増加傾向にある。宿泊施設……


 もし二人がホテルに入ろうとしたらどうしよう? もちろん俺は全力で止めねばなるまい。そんな不純な行為、高校生には絶対に許されない。しかもあの文奈があんな老境の男とだなんて、考えただけで吐き気がする。命に代えても二人の仲を断ち切る覚悟だった。


 被追跡者たちは駅ビルの裏道をのんびり歩いていく。その会話は聞いてみたくなるほど弾んでおり、彼女らの親密な仲をうかがわせた。くそ、うらやましい。


 とか考えていると……


 何と文奈たちは、そびえ立つ近代的なビジネスホテルに仲良く入って行こうとするではないか。ラブホテルではないにせよ、これはまずい。まず過ぎる。


 ここを先途と、俺は疾走を開始した。自分でもアホみたいに思われる全速力で、かつてないタイムで距離を縮めていく。


「根津さん、駄目だ! いけない!」


 俺が叫ぶのと、俺の声と靴音に気づいて二人がこちらを振り向いたのは、ほぼ同時だった。


「河野さん?」


 俺は二人の間に割って入り、背中で文奈をかばった。息を整えつつ太っちょに正対する。


「援助交際なんて許されないですよ! 分かってるんですか!」


 男は「は?」と目をしばたたいた。

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