0015レトロPCガール
俺はその物言いにかちんときた。慧玖珠を軽く睨みつける。
「何だよ、人をまるで物取りみたいに」
「だってあなたFM-7同好会でしょ? 私たちX1同好会を潰したくてしょうがないくせに。慧夢是姉さんの誘いに応じたのだって、敵情視察のためなんじゃないの?」
「見損なわないでください。私たちは卑怯者じゃありません」
文奈が立ち上がって痛烈に反撃した。今にも掴み掛からんばかりだ。
「今、MZ-700ユーザーの熱さについて感動していたところです。どうせX1には、そんな熱いユーザーなんか一人もいないくせに」
慧玖珠は嘲笑して両手を腰に当てた。
「あら知らないの? X1turboで作られた勝手グラディウスのこと。結局誌面にプログラムは載らなかったけど、凄かったんだから。後に家庭用ゲーム機で『グランツーリスモ』を開発する偉大なお方の作品よ」
文奈は地団駄を踏まんばかりだった。
「FM-7にだって、『STONEofDEITY』や『METAL-X-II』のような凄い個人制作のソフトがあるんですから!」
「まあまあ……」
慧夢是先輩が対立を激化させる二人の間に割り込む。
「ここはMZ-700版『ゼビウス』でも遊んで気分を落ち着けましょう……」
慧玖珠は姉の仲裁を鼻笑いであしらった。
「そんな無理移植、慧夢是姉さん一人で遊びなさいよ。私にはX1用ゼビウスがあるんだから。完璧な出来栄えのゼビウスがね」
文奈に顔を近づけ、憎らしげに語を繋げる。
「『BREAK』キーでザッパーとブラスターが同時に出るFM-7版ゼビウスなんか目じゃないわ」
文奈は愕然とたじろいだ。
「な、なんでそのことを……!」
「あら、『マイコンBASICマガジン』誌のホンキ・ホンネコーナーに出てるわよ。知らないの? 家に帰ったら、1989年1月号を御覧なさいな」
よくそんなもん覚えてるな。どうやら電波新聞社の雑誌を読むのはその界隈では常識らしい。
文奈は頬を朱に染めて歯軋りした。どうにか相手をやり込め、鼻を折ってやろうとするのは、2人とも共通している。
「勝手移植を言うなら、FM77AVで完璧なゼビウスを制作されている方もいます! ちょっと情報収集が足りないんじゃないですか?」
「何ですって?」
慧夢是先輩との和やかなひと時は、あっという間に険悪な空気に侵食された。文奈は鞄を左手で掴む。
「帰りましょう、河野さん。もうここに1秒たりとも居続けられません」
慧玖珠が追い払うような手のしぐさをした。流れるような黒い長髪が蛍光灯の光を反射する。
「帰れ帰れ、FMなんちゃら」
文奈は舌打ちせんばかりの表情で俺の手首を引っ張った。これは逆らえない。
「ちょ、ちょっと待ってよ、根津さん」
俺はつられて身を起こしながら、慧夢是先輩に目配せした。
「ありがとうございました、中川先輩。コーヒーおいしかったです」
「またいらしてくださいね……」
そして慌ただしく靴を履くと、文奈に先導されるまま玄関を出る。文奈は押し黙ったまま階段を下り、棟の外に出ると、ようやく歩みを止めて大きく息を吐いた。辺りはすっかり闇に包まれていて、いくつかの街灯が道を白く照らし出している。
「中川先輩、いい人でしたね」
文奈が口にしたのはそんな正直な感想だった。
「パソコンはソフトがなければただの箱です。まあ今のパソコンはBD再生もできたりしますが……。ともかく、ソフトのないパソコンには『なければ作る』という態度や姿勢で向き合わなければなりません。MZ-700はグラフィック機能が貧弱です。しかしそれゆえに、ユーザーは自分たちの力でその欠点をカバーするソフトを生み出してきました」
文奈と俺は、どちらからともなく駅へ向かって歩き出した。
「その成果が『マッピー』であったり『スペースハリアー』であったり。たとえ他機種に比べてみすぼらしくても、その素晴らしさを理解しているから、中川先輩は恥ずかしがることなく、胸を張ってあれらを紹介してくださったんです。もし私のお爺様がFM-7ではなくMZ-700の開発者であったなら、私も誇りを胸にMZユーザーとしての務めを全うしていたことでしょう」
急に不快感を募らせたのか、声が苦々しくなる。
「それにしても、せっかくいい気分だったのに、中川さんの登場で全部台無しです。やっぱりX1同好会は天敵ですね。何としても、彼女らより早く、同好会に必要な会員5名を達成しましょう。頑張りましょうね、河野さん!」
「もちろんだ」
俺は自分でも驚くほど威勢よく答えた。確かに今日見たソフト群は、最新の3D技術を駆使した現在のゲームに比べてあまりに古かった。原始的といっていい。だがそれがかえって衝撃的で、深く心に刻まれた気がする。
古いパソコンに触れることは、古い知識に触れるということだ。言い方は変だが、見目麗しい美女も、縄がよじれたような筋肉の塊のような男も、血肉を剥ぎ取れば単なる骸骨としての骨格をさらけ出す。俺は今日、その骨格の味わいを堪能させてもらったわけだ。
ある曇った休日のことだった。俺は電車の上りの終着駅まで足を運び、隣接するデパートに入った。店内の文房具屋で大型のホッチキスとその芯を買うためだ。お袋のお遣いである。建物は築30年ということで老朽化が進んでいるが、照明は明るく人で賑わっており、活気に満ち溢れていた。
目的を果たした後、今度は自分のために一人色々な店を冷やかす。するとそこで見知った顔に出くわした。向こうも俺に気づいたらしく、片手を挙げて小走りに駆け寄ってくる。
「よっ、久しぶりだな、河野」
気さくに話しかけてきたのは早坂浩次。四角い黒縁眼鏡に茶色い短髪で、俺と似たような格好の私服に身を包んでいる。俺と早坂は幼馴染で、中学まで一緒の学校だった。お互い似通った趣味の持ち主で、好きなものなどの波長がピタリと合った。彼の大人しげな印象は昔のままである。
二人は大の仲良しだったため、高校が別になったことは寂しかった。それに早坂は、俺が落ちたあの学校――熱句高校に合格したのだ。俺は羨望の眼差しと共に再会を誓い合って、別々の道を歩み始めた……
「ちょっと話そうか。いいだろ?」
「もちろん」
俺たちはデパート1階のフードコーナーに赴くと、やっぱり同じ趣味のとんこつラーメンを注文し、テーブルに向かい合って近況を語り合った。
「そうか早坂、サッカー部か」
俺は冷たい水で喉を潤すと、旧友の現在に軽い衝撃を覚えた。彼はどちらかと言えば俺同様、どんくさい方だったはずだ。
「そんなに運動神経抜群だったか、お前」
早坂は後頭部を撫でながら屈託なく笑う。そうそう、中学時代はこの笑顔に結構救われた。
「いやあ、それが基本的なパスの練習でもミスばっかりでさ。なかなかついていくのもやっとなんだよ」
いかにも照れくさそうだ。そこで「とんこつラーメンの方」と店の奥から声がして、カウンターにどんぶり2つが出された。俺と早坂は受け取りに行く。
席に戻ると、美味そうな香りに食欲を刺激された。割り箸をそれぞれつまむ。早坂が小気味いい音と共に二つに割った。それで中身をかき回す。




