0014レトロPCガール
「FM77AV用ドラゴンバスターといい、このMZ-700用マッピーといい、8ビットパソコン界では結構有名な会社なのかな、この電波新聞社って」
文奈と慧夢是先輩が、白鳥の群れに混じった黒いカラスを見つけたような目で俺を見た。
「河野さん、電波マイコンソフトといったら、ナムコの名作アーケードゲームを多数マイコンに移植した超有名な会社なんですよ。基本です、基本」
「それに雑誌『マイコンBASICマガジン』で……多くの少年少女にマイコンの活用方法を伝授してくださった……神様のような出版社なんです……」
ううむ、知らなかった。というか、知らないことだらけなんだが。
慧夢是先輩が箱を開けて摘み出したのは、前に文奈の家で見た『リグラス』と同じ、「カセットテープ」という代物だった。
慧夢是先輩はそれをMZ-731のカセットレコーダーに押し込むと、電源を入れ、液晶モニターの無愛想な画面に何やら入力した。途端にカセットレコーダーが動き出す。
「ロード完了まで時間がありますので……お茶でも淹れてきますね……」
立ち上がり、部屋を出て行った。俺と文奈はぼんやり座って待っている。モーターの駆動音がお経のように流れるだけだった。画面は暗いまま、仏頂面で固まっている。
「これ、いつになったら始まるんだ?」
「プログラムを全部読み込んだらです。ディスクと違い、カセットは読み込みに時間がかかるんですよ――前にも言いましたが。物によっては20分以上かかるものもあります」
俺は口を開けっ放し、顎が外れそうになった。
「ゲーム一つ遊ぶのにそんなに時間がかかるのか。昔の人は気が長かったんだな。信じられない」
文奈は人差し指を立てて左右に振る。いたずらっぽく片目をつぶった。
「それが楽しいんですよ。どんなソフトなんだろうって、わくわくしながら待ち続けるのが」
「俺には理解できないな……」
今の時代には今の、昔の時代には昔の、奇妙な娯楽というわけか。高機能なスマホを常用する現代人が、こうしたわびさびを今楽しむことは困難だろう。
そこへお盆を持った慧夢是先輩が戻ってきた。すり足なので蹴つまずかないか心配になる。
「お待たせしました……。熱いコーヒーです。冷めないうちにどうぞ」
「ありがとうございます」
俺と文奈は、一向に何の変化も起きない画面を前に、さっそくコーヒーに手をつけた。何とも和やかな時間が過ぎていく。
文奈が慧夢是先輩へにこやかに語りかけた。実に嬉しそうだ。
「MZ-700は、私たちFM-7ユーザーから見ても親近感が湧きますね。何せ、FM-7とMZ-700の発売日は1週間しか違いませんから」
「FM-7さんが1982年11月8日、MZ-700さんが同年同月15日でしたね……」
何でこの二人はこんなことを知っているのだろう。初めて聞いた俺はまるで部外者だ。慧夢是先輩がすくい上げるように両手でカップをおしいただく。
「FM-7さんはその高性能と低価格で一気にスターダムにのし上がったんですよね……、羨ましい限りです……」
てことは、このMZ-700は顧客に恵まれなかったんだろうか。文奈が照れくさそうに謙遜する。
「えへへ、それほどでも……」
そこでテープが停止し、画面が変化した。慧夢是先輩がMZ-731に両手を乗せる。
「これがMZ-700版『マッピー』です……!」
気の抜けたような単音の音楽が流れ、「▲」が横に2つの下に、「○」が横に2つの付いた物体が画面に表示された。俺はこの異次元めいた映像に釘付けになる。
「何ですか、これ」
慧夢是先輩は誇らしげに、「ネズミの警官、マッピーです」と答えた。主人公ということか。え、これが? 箱に描かれていたのは確かにネズミの警官だったが、画面に現れたそれはとても元絵とは似ても似つかない。グラフィックという感じではなく、まるで記号だ。
画面が切り替わる。やはり気の抜けた、いわく言いがたい単音のBGMと共に、先ほどの物体がトランポリンで弾んでいる映像になった。物体は他にもマッピーと若干異なる――「○」が「●」になっていたり――ものが、複数動いている。
これはAA、アスキーアートだ。アスキーアートの屋敷の中で、やはりアスキーアートの物体が飛び跳ねている。よく見れば、「キンコ」「モナリサ」「テレビ」との文字が、それぞれ塊となって舞台の上にばらばらに置かれていた。
「あのカタカナの羅列は何なんですか?」
「マッピーが取るべきターゲットです……。ターゲットを全て拾うと1面クリアとなります……。追いかけてくるのは敵キャラで……、捕まるとミスになります……」
それにしても、全て文字で表現された世界には恐れ入った。3次元映像の普及した今のゲームソフトとも、この前遊んだ2次元映像のドラゴンバスターとも違う、更に前時代的な異質空間。
文奈は両目を好奇心で満たしている。熱に浮かされたように喋った。
「河野さん、どうですか? 今私たちは、伝説のソフトを目の当たりにしているんですよ!」
まあ確かに、今のテレビゲーム界隈じゃまずこのクオリティの低さはありえない。これも30数年前のパソコン業界ならではのゲームと言えよう。しかしそれにしたって凄い見た目だ。
青色のマッピーがピンクの敵に捕まる。自機の数が一つ減った。再スタートしたかと思えば、またミスをする。
慧夢是先輩はあっという間にゲームオーバーになった。彼女は舌を出してはにかんだ。
「私……ゲームは好きですけど……、上手くはないんですよね……」
それからMZ-700用のゲームをいくつか試した。カセットテープのロード時間が長く、数本遊んだだけで、気が付けば日没間近となっていた。
「古籏一浩さんの『スペースハリアー』……、いいでしょう……?」
最後にプレイしたのは、個人制作のアーケード移植作だった。主人公のハリアーを操り、奥から手前に近づいてくる柱・敵・弾丸を避けつつ、こちらからも攻撃して撃ち落していく内容だ。ドットが異常に荒く、敵味方や柱、敵弾の判別がしにくいが、なかなか面白かった。
文奈が満足したようにしみじみ言う。窓の外では夕日が星々の群れに駆逐されつつあった。
「ユーザーからここまで愛されたハードもなかなかないですよね。『MZ-700に不可能はない』をキャッチフレーズに、色んな人が愛機の限界に挑戦して成果をあげる。羨ましい限りです。FM-7同好会も見習わないと」
その時、玄関で物音がした。誰かが帰ってきたらしく、ドアの開閉する重い金属音が響く。
「ただいま」
慧玖珠の気軽な声だった。それまで緩んでいた文奈の表情が険しく引き締まる。ふすまが開き、制服姿の慧玖珠が現れてこちらに顔を向ける。彼女もまた即座に渋面を作った。
「根津さんに河野さん? 何であなたたちがここに?」
慧夢是先輩がのほほんと解説する。
「私が誘ったんです……。MZ-700の素晴らしさに触れていただきたくて……、ぜひ家に来てくださいと……お願いしたんです……」
「慧夢是姉さん、部屋の物いじらせてないわよね? 私のX1は大丈夫?」