0011レトロPCガール
遂に認めた。彼女は耐えかねたように笑った。
「あの張り紙があんまり醜いし、X1同好会にとって目の上のたんこぶにしかならないものだから、邪魔してやったの。まあ、マジックで塗り潰そうが何しようが、あそこに入会する人はゼロのままだっただろうと思うけど。今度またあの小娘が新しい張り紙に貼り変えたら、あなたにマジックの刑の執行役を譲るわ。すかっとするわよ」
俺は片手を上げた。それが意味するものが当然分かるはずもなく、慧玖珠は笑い収めて不審の目を向けてくる。そこへ怒りに満ちた声が響いた。
「酷い……!」
物陰に隠れていた文奈が、憤怒の塊となって現れた。
慧玖珠は事の成り行きに呆然と、理解できないといった顔で立ち尽くした。文奈が厳しく詰め寄る。
「聞きましたよ、中川さん。私たちFM-7同好会の張り紙にいたずらしたのはあなただったんですね!」
「そ、それは……」
慧玖珠はようやく事態のまずさに気がついたらしい。助けを求めるように俺を見る。俺は態度を豹変させて言い放った。
「俺はまだFM-7同好会だよ。中川、あんたのX1同好会に入りたいってのは真っ赤な嘘だ。ちょっと探りを入れさせてもらったんだよ。X1同好会の実態とか、誰がこんな卑劣な真似をしたのかとか、そういうことをはっきりさせるためにね」
そう、だから俺はさっき文奈と別れる際、そうした目的で慧玖珠に近づくから、遠くから見守っていてほしいと頼んだのだ。慧玖珠の方から教室の外で話そうと切り出されたときは、運がいいと思ったものだが。
慧玖珠は追い詰められたネズミのように、じりじりと後ずさった。怒れる猫といった風情の文奈は、追い込むように彼女へにじり寄る。
「どうして他人の妨害をして平気で笑ってられるんですか? 恥ずかしくないんですか? 何とか言ったらどうです、中川さん!」
「……!」
慧玖珠は校舎と渡り廊下の接点まで後退した。そこで彼女は、窮鼠猫を噛むように反撃した。
「何なのよ、もう! 私は当然のことをしたまでじゃない。あなたに睨まれるようなことは何もしてないわ」
この恥知らずな言い草に、文奈はますます怒り狂った。
「当然? 他人の張り紙を台無しにして、何が当然だとおっしゃるんですか!」
慧玖珠は唇を舐めて徐々に態勢を整える。
「FM-7なんて格好悪い、売り上げも大したことないハードより、私のX1の方が優れているわ。何の予備知識もない人が誤ってFM-7同好会に入ってしまうのは危険よ。三流の機種について学んだって労力の無駄遣いだわ。それなら私のX1同好会に入ったほうがその人のためよ、そうでしょう?」
文奈は激しく噛み付いた。憤懣やる方なし、といった勢いだ。
「三流の機種? 富士通のFM-7シリーズは8ビット御三家の頂点に立つ機種です。売り上げは、その、大したことなかったかもしれませんが……性能においては6809を搭載した点で王者だったといっても過言ではありません。最後のX1turboZ3まで低速のZ80をCPUに使っていたX1とは速さが違います、速さが」
慧玖珠は狼狽から立ち直り、徐々に余裕を取り戻しつつあった。たいした精神力だ。
「だから何だって言うの? パソコンは所詮商品よ。デザインに目をつむれば売り上げが全てだわ。だいたい性能を言うなら、あなたのFM-7なんて『5』キーを押さなければ自機が止まらないじゃない!」
「うっ……」
何だか知らんが、文奈は今の指摘に大きなダメージを受けたらしい。悲痛な表情で半歩下がった。それを見た慧玖珠がここぞとばかりに追撃する。
「そうよ、FM-7のアクションゲームなんて、『5』キーで停止させない限り、どこまでも直進するじゃないのよ! 私のX1はそんなことないわ。キーを離したらすかさず止まるもの。この違いは大きくてよ」
そうか。さっき慧玖珠が言った「アクションゲームもまともに遊べない」とは、このFM-7の特性のことを差していたのか。
多分当時のパソコンゲームはキーボードのテンキーで操作するものが主流だったのだろう。「4」で左、「6」で右、といった具合に。だがFM-7では、中央の「5」キーを押さない限り、押した方向へキャラがずるずると進んでいってしまう。そういうことなのだろう。
文奈は負けじと大声でやり返した。感心するほど情熱的だ。
「確かにそうかもしれません。でも『BREAK』キーなら押し離しを取得できるんです。それに、FM-77L2のジョイスティックとか、FM77AVのリアルタイムキースキャンとかなら、『5』キー停止は不要なんです。シリーズ初期の欠点をあげつらって批判しないでください!」
そういえば『ドラゴンバスター』の箱には『FM77AV用』と書かれていたっけ。だからあれを遊んでいる際に支障は出なかったのだ。『METAL-X-II』もそうか。
慧玖珠がいかにも侮蔑的にせせら笑った。腹立つなあ。
「じゃあ別の視点からFM-7の駄目さ加減を指摘するわ。『ソーサリアン』は出たのかしら?」
文奈がぐっと言葉に詰まり、唇を噛み締めた。反撃できない彼女へ、慧玖珠はほれ見なさいとばかりに勝ち誇る。
「日本ファルコムの『ソーサリアン』。ああ、何て楽しいゲームかしら。追加シナリオで無限に遊びが広がっていく、あの名作アクションRPG『ソーサリアン』。FM-7シリーズ向けに開発されたかしら?」
見えないパンチに殴打されたように、文奈は弱々しくいらえを返した。
「……出ていません」
慧玖珠が自分の耳に手を当て、半歩乗り出し挑発してきた。
「え? 何かしら? 聞こえなかったわ。もう一度言ってちょうだい。今度は大きな声で、はっきりとね」
文奈は拳を握り締め、全身を震わせた。屈辱ににじんだ答えを発する。
「日本ファルコムの『ソーサリアン』は出ていません。FM-7シリーズには移植されなかったんです」
俺はふうんと思った。どうやらその『ソーサリアン』なるゲームソフト、X1では出て、FM-7では出なかったようだ。
彼女は怒りで青ざめながら、しかし気丈に返した。
「それならこちらからも言わせていただきます。T&Eソフトの全三部作シリーズ『スターアーサー伝説』は、X1で全作発売されましたか?」
今度は慧玖珠の顔が険しく歪む。歯軋りさえした。
「……いいえ、発売されてないわ」
文奈が口の端を吊り上げる。勝った、といわんばかりの微笑みだ。
「ほら見なさい。『惑星メフィウス』『暗黒星雲』『テラ4001』の三部作全てが遊べるなんて、なんて素晴らしい機種でしょう、FM-7は!」
慧玖珠は真っ赤な炎をその瞳の奥で燃やしていた。
俺はあくびした。なんかだんだん、話が低次元になっていってる気がした。
再び慧玖珠が狂おしく吼える。
「じゃあシューティングゲームの『グラディウス』はどう? FM-7のラインナップにあったかしら」
「それは……」
文奈は再度劣勢になった。やけっぱちになったように吐き捨てる。
「どうせファミコンと同じ、オプション2個に短縮レーザーのまがいものでしょう? 論ずるに足りません」