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作者: Nico
掲載日:2017/06/26


空調の効いた白い部屋に男はいた。彼は囚人であった。男はしかし何故自分が今ここにいるのかを憶えていない。そこにあるのは過去の記憶ではなく、彼を取り囲む四方の白い壁だけである。

周囲が白いのは真新しい壁の白さと、部屋の広さには不必要なほど明るい照明のせいだ。

彼がこの部屋で目を覚ましたのがちょうど一週間前。三度の食事は昔の映画などで見る刑務所の食事のイメージとは違って、「外」の世界の人たちが日常口にしているようなものと変わらないものを食べている。ラジオも音楽番組だけは聴くことができた。彼は試しにレコードを聴けないかと訊ねてみたが、それも叶えられた。ポータブルのレコードプレーヤが貸し与えられ、彼のリクエストするレコードはほとんど聴くことができた。本も大抵の本は読むことができた。

しかし彼は次第に落ち着かない気分になり、夜も安眠できないようになってきた。


この部屋には窓がないのだ。


実際には窓は部屋の扉に取り付けられていて、刑務所内の様子を垣間見ることはできる。しかしこの部屋からは娑婆の草木一本眺めることができない。

運動もやはり屋内のジムのような場所で行われた。囚人たちは体育館のような建物の中で自由に運動することができた。器具も一通りそろっていた。そしてこの建物の天井にも、大きな白い照明が要所要所に取り付けられていた。刑務所の至る所から「影」を一掃しようとするかのような配慮がなされているようだった。

彼は次第に精神のバランスを崩していった。彼は看守に向かって訊ねた。何故この部屋には窓がないのか、と。しかし看守は首をすくめて、さあね。窓を付け忘れたんじゃないか、と、まともに取り合ってはくれない。

彼は刑務所長に宛てて嘆願書を提出した。外を見ることができる窓を取り付けて欲しい。その代り、食事をもっと質素なものに代えてもらって構わない。なんなら三度の食事を二度にしてもいい、と。所長は「考えておく」とだけ答えた。


彼は読書も音楽も愉しむことができなくなった。砂漠で一滴の水に渇える者のように外の世界に焦がれた。今や彼の求めるものは、目に沁みて、そこから血管を巡り、全身を潤してくれる木々の緑と青い空の色だけであった。彼は直に所長に会って話をしようと考えた。

彼は両手を後ろに縛られて、所長室に通された。

所長は正面の椅子に座っていた。彼の小さな期待はたちまち失望に変わった。この部屋には窓があるだろうと思っていたのだ。しかし所長の背後の窓は閉じられ、ブラインドが窓全体を隠し、外の光の代わりに、ここでも白い照明が部屋の隅々までを隈なく・・・まるで部屋の隅のほんの小さな影でさえ、駆除すべき不衛生なゴキブリででもあるかのように・・・隈なく照らしていた。


所長はあれこれと理由を述べていたようだったが、結局窓の件は認められなかった。

男は刑期が多少延びても構わないから窓のある刑務所に移してくれないかと頼んでみたが、それも受け入れられなかった。


看守は彼の肩をつかみ、部屋に戻るようにと促した。彼はその腕を振り切り、所長室の窓に突っ込んでいった。

ガラスの砕ける音が響く。男は建物の外へ落下していった。それが何階の高さからだったかわからない。しかし男はドサリと地面に積もった雪の上に落ちた。

どうやらここはどこかの山奥の刑務所で、今は真冬だったのだと男は悟った。

男は雪の中を歩いた。雲は灰色に重く垂れ込め、古びたシャッターのように、空の光のほとんどを遮っている。木々も全て雪に覆われている。

深い雪の中を何度も転びながら男は歩いてゆく。

ふと目を上げると山小屋らしきものが目に入った。

男はそこにたどり着くと、中に入りドアを閉めた。軽装の彼にとってはまるで氷の湖に浸っているようだった。彼は丸太小屋の粗末な窓も閉めた。そこから寒風が流れ込んでくるのを避けるために。

男は震える手でなんとか火をおこし、戸棚の奥にあったウィスキーを飲み、毛布にくるまっていると、次第に体が暖かくなってくるのを感じた。


やがて追っ手は彼に迫った。小屋の外で声がしている。出てきなさいと。

冗談ではない。おれは死ぬつもりで窓から飛び降りたんだ。雪の上に落ちて助かったのは全くの偶然だ。

男は小屋の窓から彼を包囲している者たちに喚いた。

「おれは二度とあの刑務所に戻る気はない!おれは丸腰だ。これから出て行くからさっさと撃ち殺すがいい!」

「馬鹿なことを言うな、武器を持たない者を撃つことはしない。わかった。お前を別の刑務所に移送しよう。さあ、早く車に乗りなさい」

「は!そんな手に引っかかると思っているのか?捕まれば、おれはまたあの部屋に逆戻りだ。一旦とらえてしまえばお前たちの意のままだからな」

「そんなことはない。約束は守る!」

「そんな言葉を信じると思っているのか」

男はこれ以上の話し合いは無用とでもいうように窓を閉じ、火の前に戻った。

武器を持たない彼が捕まるのは時間の問題だ。窓のある場所へ移してやるなどと言ったところで所詮は空証文だ。あそこに戻されればおれは二度と外の世界に出ることはできない。少なくとも正気のままでは・・・

仮に丸腰のおれを撃つことはないにしても、向こうには犬がいるし車もあり、人数もいる。どうやったって逃げおおせるものではない・・・


男はしばらく暖炉の火に見入っていた。

今はひょっとしてクリスマス・シーズンなのだろうか?

子供の頃、姉や妹と一緒に暖炉の周りに靴下をぶら下げたことを思いだす。

みなの笑い声、クリスマス・キャロル・・・クリスマスの朝、どうしても眠れずに、まだ夜が明けないうちに靴下をのぞいてしまった。暖炉の火は小さくなりながらもパチパチと暖かい寝息を立てていた。カーテンの隙間から、クリスマスの朝の光が刺しこんでいた。

「みんな元気にしているだろうか・・・」


再び外からの声が聞こえた。

「いいか、これからそちらへ行く。おとなしく出てきて、一緒に行くんだ・・・」

男は立ち上がると両の掌の汗をぬぐい、薪割り用の斧を摑み、ひとつ大きく祈るように息をつくと、それを自分の頭上に降り下ろした。

その瞬間、強い寒風が小屋の窓を押し開けた。最後の瞬間に彼の目に映ったものは、窓の外に広がるどこまでも白い世界だった。


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