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シメア・シルムに搬入された様々な物資は、搬入口で荷分けされてコンテナや馬車に積み込まれ、各地の搬出口こと、輸送センターに送られるようです。
このときに使われる物資用通路は複雑なルートを描いているようでして、人が一緒に乗り込んではいけないもののようでした。
緩やかな加速によって到達した高速の世界は無骨な機械がむき出しの通路を風の如く通過してゆくのですが、その速度でカーブしたりすると体が壁や床に押さえつけられる感覚を味わうのです。その手前でこれもまた穏やかに減速し、直線で加速を再開というのを繰り返しますが、それを頻繁に繰り返すとなんだか体中の感覚がおかしくなって行くのです。
乗り物酔いなるものは地上を渡り歩く際に本物の馬車に乗り込んで経験していますが、これはまた別の酔い方。感覚系が敏感な生き物には辛いところがあります。
証拠にネコ様、ぐでんぐでんになってしまいました。
なんでついてきちゃったのか。
私を乗せた馬車は搬送機に攫われて三十分ほどで目的地にたどり着きました。その間に見えた景色は狭い通路と交差点、広めの通路やコンテナが待機する広い空間。何れもメンテナンス通路以外には人の通れる場所は無いので、異世界を旅している気分ではありました。私は結構満喫しましたが、ネコ様が完全にノックアウトしてからは余裕もありませんでした。理由は詳しくはお話しますまい。
さて、たどり着いたのは流通センター。シメア・シルム各所にある船内施設で、船に搬入された荷物が届き、保管される場所です。
センターの内部システムがどうなっているのかは、元修道女たる私が知る由も無いですが馬車の荷物を点検したところ『生もの』や『食べ物』といった部類が多いです。そこから推測するとコンテナは保存が利く物。馬車は足の速いものという事でしょう。
コンテナの色の違いから個人充ての荷物や企業向けの荷物等がありそうですね。
馬車がナマモノ系だとすれば、馬車は今日中にどこかに運ばれるはずです。上方向の移動でたどりついたのは、薄暗い倉庫です。程なくして事務所らしき部屋から制服姿の男性が出てきて、欠伸交じりに御者台に乗り込みました。
馬車と言うからには馬が引くのですが、馬は馬でもブリキの馬。魔導技術で作られた人形です。
がっぽがっぽと動き出した馬車はすぐに倉庫のシャッターを潜り、石材で舗装された通路を進んで居住区に出ました。
三日間、人どころか生き物ですらない姿で路地裏という名の溝に詰まっていたからでしょう。
高い、高すぎる天井が怖いくらいに気持ちよかったです。
船の中では決して見ることのできない青空がそこにはあり、雲があって、ちょっと不自然な風が生暖かく頬に触れます。風は空調の人工的な風で、雲も空もただの映像で、本物に比べれば味気ない偽者なんですが、不思議と気持ちいいと思えちゃいます。
シメア・シルム六番艦は積層型のスタンダードな船です。しかし百年もしないうちに改装され、ミルフィーユマーケットを筆頭に広さの感じられる改装が随所に施されています。
通路で見た外部映像スクリーンというのはその代表で、窓の代わりや空の代わりにあちこちに利用されています。
大規模改装ではやはり居住区です。柱と柱の間を壁で区切っただけの部屋が与えられていた昔に比べ、現在ではシメア・シルム内で賃貸形式で家を持つ事も可能です。それを可能にしたのは、積層をぶちぬく、というリフォームがあったからです。
六番艦を構成する層は二十四層。層の番号は基本的に上から数えますので、日当たりの良い一層は一部以外は公園になってます。この一枚とその下の二層はそのままで、四層から十層、十一層から十七層の一部をくり抜いて作られたのが、六番艦の特徴になっている居住区です。
前部、中部、後部に分けられるシメア・シルムに、それぞれ八つの居住区を設け、層の枚数と同じ二十四の居住区をくり抜いた空間に『町』を構成する。二十四の町を内包する艇都、それが六番艦です。
「という知識を持っていても、街並みを見ただけで居住区の位置がわかるわけじゃないんですよぉ」
流れ行く街並みは地上の街を連想させます。石造り調の建物がごちゃりと立っていて、歴史ある町の姿を思わせますが、壁を蔦が這い、道端に雑草が生える姿がみすぼらしいです。
「六番艦の居住区は地上から持ってきたっていう噂があるんですよ。ネコ様」
ぐでんぐでんで肉級ぷにぷにされるがままのネコ様がうなーと鳴きます。
見た目こそみすぼらしいですが、そこに溢れる活気はなかなかのものです。ミルフィーユマーケットの活気が『楽しむ』というものなら、こちらはより生活感のある『生きる』活気でしょう。
馬車は建物の隙間を縫って行き、喧騒の溢れる通路の隣の道で荷を下ろしては進む、というのを始めました。お仕事の邪魔をするつもりはないので脇によけていると、三度目の停車でリンゴの箱が下ろされました。
私も一緒に降り、石畳を靴で踏むと、丁度古めかしい扉が開いておば様が出て参ります。
「あら、いつもご苦労さんね」
優しい笑顔で私にいう物ですから「ついに私を見れる人現る」と期待に溢れたのですが、透ける私のお腹を通してサインのやり取りでした。
「痛くなんてないんですけどなんかもにょっとするのでやめてくださいッ」
無造作にお腹に手を差し込まれたら誰だって血の気は引くでしょう?
脇によけてサインと代金の支払いを見届けます。すると本物によく似た偽物の空から女性の声が響き渡りました。
『シメア・シルムにお住まいの皆様、おはようございます』
毎朝定時に聞こえる艦内放送です。
『本艦は現在、極寒地帯を通過中につき、本日は非常に寒い一日になるでしょう。船外にお出かけの際は、冬物のコートをおわすれずに』
「極寒地帯かい。どうりで寒いわけだ」
おば様の呟きは、確かに空気が冷え切っている事を証明して白く凍りつきます。
私の体は寒さとかあまり感じないので、気付きませんでした。ごめんなさい。常時適温になる魔法があるんです。使ってるんです。だから何もしなくてもお腹減るんです。
すん、と鼻を鳴らすといい匂い。定時の艦内放送は午前九時です。九時は私的に朝ごはんの時間です!
「おやおや。このいい匂いはおば様の後ろからですね。そのリンゴとか小麦粉が一体何に変身しちゃうんでしょう? ちょっと後学のためにお邪魔しますねぇ」
リンゴの箱を運び入れるおば様の隙を付いて建物の中に入ると、粉っぽい倉庫と厨房が迎えてくれます。その中をそそくさと抜けてみると、表はパン屋になってました。
スバラシイ。
ふかふかで甘い小麦のパンは昔から大好きです。修道院にいた頃はご馳走に数えられる品でした。普段は雑草のスープにヌタヌタ草のサラダ、干し芋の欠片や苦い木の実の殻だったり。子供の頃は修行と言って豆だけで生活させられた事もありましたね。
当時の私は忍耐強く信仰心厚い修道女でしたが、あの頃の私が目の前に同じ光景を出されて我慢できるか不安です。
昔の私が不安なら。
「今の私は我慢なんてできませんよおぅ」
パン屋さん。焼きたてのパンを軒先のショーケースに飾り、お客様の注文を受けてそこから渡すタイプのパン屋さん。クルミやレーズンを使ったもの、パリッとした食感のソーセージを挟んでケチャップとマスタードをかけたもの。乗せたチーズが焦げるくらいに焼いたもの。クッキー生地が乗っかってるもの。そして圧倒的存在のアップルパイ。
私の存在は誰にも見えません。ケースから望みのパンを抜き取るなど造作も無いです。良心の咎はありますが、お金の無い私は今までこっそりお皿を洗ったり、部屋の掃除をしたりして恩返しをしていました。先日のように家のワカラナイ人とかの場合は、お祈りくらいなんですが。
「こ、ここは是非ゲットしておきたいところです。厨房は粉っぽかったですし、拾い集めた小麦を綺麗にするのも私にはできます。でもご馳走を前にお仕事なんてできません! 先払い! 先払いを要求します!」
魔法は意識の集中が必要ですので。
私は膝を付き、握りこぶしをもう片方の手で覆うようにしてお祈りをささげます。
「いただきます」
略式です。
私はお客の対応をしている店員さんの脇から、堂々と鎮座しているアップルパイに手を伸ばします―――が、掴もうとした手は愛しき物の身をすり抜け、掴む事が出来ません。
ショーケース越しに、お客様の列が見えます。人の意識が集中しているのです。
「………魔法で抜き取らざるを得ない」
魔法を行使すればこんな状況でも触れられるのですが。いきなりアップルパイが宙に浮び、消えたともなれば新たな怪談を生むこととなります。それは不本意極まりない。ネコ様もやめろと爪を立てておいでです。
片腕で抱いていたのが不満なのか、ネコ様ちょっと暴れてます。丁寧に頭に乗っけてあげると、ぴょいん、と離れてしまいました。
「あ」
私から離れるという事は認識されるという事です。食べ物を扱う店に獣ってどうなんでしょう?
シュタ、と着地したネコ様は厨房のほうへダッシュ。短い悲鳴があがって、なにやら物が崩れる音がしました。
なかなかの大音量で、店員さんもお客様もそちらのほうへ向きました。
このチャンスを逃すまい。
私の手は自分でびっくりするほどの早さでアップルパイの一切れを手に入れました。
こうして私はネコ様に助けられ、見事にアップルパイをゲットしたのです。
さらにさらに。
こっそりお掃除をしていると焼きたてが現れまして、歪で商品にならないやつをもらっちゃいました! 焼きたておいしすぎです。肉球マークがなんとも。幸せすぎたので釜の煤掃除をやっておきました。
魔法で、ですけど。
ちなみにネコ様ですが、裏口向かいの食堂で魚をくすねたらしく、満足顔で私のところに戻ってきましたよ。
ネコ様の定位置は私のパーカーのフードの中になりました。不安定な場所ですが、小柄なのでぴったりサイズです。
鏡の前を通りがかった時、三日月のお風呂に入ってるみたいな感じだったので、思わず笑っちゃいました。