4/10 14:05
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ミステア・カスタネアはこの体になってから走るのが好きになりました。
風の如く走りとびはね、怪我もしない。疲れはするのですが、前よりも何倍も疲れなくなりました。
そんな私でもちょっと息が切れるほどの距離を走って、二人は立ち止まったのです
陽の光が一面に注いでいたミルフィーユマーケットと違い、一歩通路に入れば艇都は人工的な光に溢れています。人工的とはいえ限りなく自然光に近くしてあるようで、高い天井と相まってそれほど圧迫感は無いです。通路といえど、中々広いですので。
壁の片側には原生林の見える窓があります。大窓があるのかと思いきや、それらは魔導技術なのか純粋な科学なのか曖昧な映像が映し出されているのです。スクリーンの何枚か一枚には館内で扱われている商品についての映像がながれていました。
「私知ってますよ。ここ、居住区と居住区を繋ぐ通路の一つです」
一杯あるので確実にそうなのですが、迷路状にあるのでどこの辺りにいるのかは解りません。
人一人いないという事と、映像観賞用の長椅子が無いことから、一般人は使われない場所なのでしょう。よく見れば蛍光灯が一本点滅してました。
「そろそろ話してもらってもいいか?」
少しだけ息の上がった青年に対して、息も乱れてない少女。この地点でもう只者ではありませんな。
「えっと、何を?」
「何をってあんたなぁ」
ため息をつきそうになった彼に対して、少女は猫のように笑います。
「いやいや、わかってるよ。でも何ていうのかな。何から話せばいいかわからないって感じかな」
腕を組もうと手を引いて、青年はそこで掴みっぱなしだった手首を離しました。
少女はつかまれていた場所を軽くもみます。
「んー。これは憶測なんだけどね。キミはたぶん、さっきのおじさんから私を助けてくれたみたいなんだよね」
「それ以外に見えたらなかなか愉快な頭をしているのではないでしょうか?」
例えばイスを片手にジャズダンスを踊りましょうかご覧ください私の鍛えぬいた上腕筋を太って見えますが実は筋肉なんですどうでしょうあぁちなみに顔が赤いのは美しいお嬢さんを前に緊張で―――おぉ、私も中々愉快な頭のようです。
でもこの少女は思わずダンスに誘いたくなるような容姿をしています。淡いクリーム色の髪はふわふわでさわり心地も良さそうですし、まつげ長いし、美少女というのはこういうのです、みたいな。
「わたしも負けてませんけどね」
と、少女に見とれている間に話は少し進んでました。要約すると青年が「まぁそうだな」で、少女が「ふーん」と。
彼女は少し考えてからふっと口元に笑みを浮かべます。
「でもね、それっておかしい事なんだよね」
おかしい事。可笑しい事?
一体何がおかしいのでしょう。今まさに怪我をしようとしていたのに、そのような事を言える方がだいぶおかしいのではないでしょうか。
あの場にいた人たちもそうです。みんなおかしいから普通の人がオカシクなるのでしょうか? だったら私はオカシクて結構です。みんな同じなんて嫌ですし、悪いと思うことは悪いと思います。みんなやってるから、みんなそう思ってるからという考えはもう、あの日に一緒に死んでしまいました。
この人は、周りと違う。
そうですよね? という視線に気付かないと解ってても、期待するような目で見てしまいます。
「あんたはあのまま殴られたかったって事か?」
その言葉には少女は困ったように笑いました。
「そういう趣味がある人みたいな言い方はやめてくれるかな。でも結果から言うとそう。私だって任務がなければあんな役嫌だったわけだし。そういう意味では感謝かな」
任務。
「あれは必要な事だった。必要な事件だった。だけどそれをキミが割って壊した。私があの場で『殴られなければならない』のを、キミが止めた。つまり、そういう事」
なんとなく劇のような印象がありましたが、本当に劇だった、という事ですか。
手首をもみ終えた彼女はスクリーンまで歩いて行くと、その表面を指でなぞります。触れている場所がぼわぼわと景色が歪み―――ってなんですかそれ! 楽しそうです!
「さっき、助けるのがおかしいって言ったよな。どういう事だ?」
「どういう事も何も、そのままの意味だよ」
振り返った少女は背をスクリーンにつけます。当然そのまわりがぼわぼわし、変なオーラまとってる人みたいになりました。
私もやりたい。
「まず一つ。私は見た目も素振りも平民の女の子だった。そんな子が、突然男の人に安くも無いイチゴミルクをかけました。原因は彼が我々庶民の味方でああの場所でコーヒーをまずいまずい言いながら飲んでいたからです。それはさておき、平民や貧民を含め、多くの人はこの船での暮らしのため、日々様々な職場で働いています。食品、服飾、清掃や整備、中には開発やお医者様なんてのもいます。しかしそれらの仕事はあくまでも船での「生活を豊かにするため」の仕事であるので、最悪なくなっても問題ありません」
彼女の言い方はなんだか棘がありますが、実際その通りではあります。
私のいた集落には無い仕事。それって実はいらない仕事です。生きるための最低限の仕事以外、暮らしをよくするための仕事というのは例えばほつれた毛布を縫ったり、暖炉用に多めに薪を切ったりとかは、本当に余力がある時だけにやるのです。
この船にはいらない仕事が多すぎます。でもそれは、暮らしを良くして、楽しくするための仕事だから、いらないっていうのは言いすぎなのですが。
「二つ。男の人はそれなりに身なりのいい男の人でした。真実はどうあれ、彼は貴族です。貴族は平民には持っていないあるものを持っています。それはこの船を動かすには必要なものであったり、必要な技術であったり、あるいは地上に大規模な農場や水源を確保している者たちの事です。無くなったら困るものだから、値段も上がるし上層部が高額で買い占めて、我々に安く提供してくれていたりするんですね。おかげで貧富の差は広がるばかりです」
シメア・シルムは広大といえど、内部で野菜を作っていたり水が湧き出たりする訳ではないようです。野菜は育てている部屋があるのは迷子になった時に見つけたのですが、土ではなく綿で育てていて、味もお世辞にもいいとは言えません。やはり食べ物は太陽をいっぱい浴びて育たないとだめなようです。
土も水もある地上は魔物でいっぱいですので、安全な土地を管理する人は地上貴族と呼ばれているようです。
「さてさて、この二つの人種。実は暗黙のルールがあったりします。それはもう嫌なルールではありますが、こんな生活を強いられている以上守らなければならないルールです。船で育った人間は結構母親なんかにこっそりと言われる事なんですが、あなたは知らないみたい。もしかして最近まで船にいなかったのかな? まぁどうでもいいことですので、特別に私が教えてあげます。それは『貴族や上層区に住む人間に逆らってはいけない』です」
本当に嫌なルールです。
「っ、そんなふざけた話が―――」
「無いと思う?」
少女は浮かべていた笑みを消して言いました。それだけで人が変わったように見えます。
「彼らが本気を出せばこんな船、いつでも落とせるんだよ。船の燃料である『魔導液』をはじめとして多くの物資の入手先は富裕層の人間が関わってる。土地とかそういうのじゃなくて、そういうところに行く『兵士』を多く飼っている人達が『兵をださない』って言えば、それだけで船は落ちるんだよ。魔導艇なんて大層な名前がついてるけど、燃料が無ければ飛べないし、食べ物が無ければみんな死んで、それでおしまい」
「………………」
「だから普通の人は貴族とかそう見えるやつには逆らわない。怒りを買えばどんなところで影響するか知れたもんじゃないしね。実際、水の値上がりなんてどっかの貴族が腹いせにやってるって話だし。私がぼこぼこに殴られて、少しでも他の人を焚き付けられたらなんて思ったけど、失敗したし、おまけに周りの反応はあんなんだったし。もうなんていうか本当」
嫌な感じ。そう言って、少女は口を閉じてしまいました。
先ほどまでの陽気な感じも、騒動の最中の挑発的な態度もすっかり消えうせ、今はただ、押し込めた感情が溢れないように目を逸らすだけ。いじけた子猫みたいです。
長い沈黙が訪れ、私はそれに耐え切れずスクリーンに寄りました。今私がこれに触ったらどうなるのかなーなんてお気楽に考えつつ。
「二つだけ、いいか?」
背後で静寂を破る声。
「任務って事は、誰かに命令されてあんな事をしたんだよな? それであの騒動であわよくば平民以下の奴等に立ち上がってほしかった。だけどそれを俺がそれをぶち壊したってことか?」
くーでたーとか言うやつでしょうか。政府と貴族の関係を市民の不満を爆発させて、どうにかする。でもそれってどうなるんでしょう? シメア・シルムはその関係でなんとかなっているというのなら、そこに住む市民がどう騒いだって変えられないはずです。嫌だからって船を出れば、船の外はもう魔物で一杯で、かろうじて存在している町だって明日潰れるかも解らないのです。
この船の生活に不満を抱いているなら、地上での生活なんて不安で一杯になってしまうのではないでしょうか。
なので。
「…………そんな単純な事でもないんだよ」
ぼそりと言った彼女の言葉には驚きませんでした。
「確かに今の船の情勢に多くの人は不満を持ってるよ。でもそんなちっぽけな事件で何かが変わるほどこの世界は甘くないんだ。心の奥底では不満を持ってても、結局は安定した生活や平和を求めてる人ばかりだからね。例えあの場でキミが乱入しなくても、きっと人々は何も変わらないよ」
「だったらなんで―――」
「だから、言ったじゃん!」
声に驚いて触れたスクリーンが、ジッと音を立てて映像ごと乱れました。一瞬、ほんの一瞬だけ激昂した少女を横目で見ると、大きく深呼吸を繰り返しています。一瞬、私がスクリーン壊したのかと思いました。
「過程なんてどうでもいい。あの場で『私が貴族の手で大怪我をすること』が大事だったんだよ。周りの群集なんてただの『目撃者』でよかったの。だけどそこにキミが乱入して、台無しになったから中止した。お前、元傭兵かなにかだろ」
きつく睨まれた青年は少しだけ気おされたように後ろに下がります。
「セリウスの腕を止めた時におかしいと思ったんだよ。普通のやつなら振り払ってでも怪我させろって言ったのにあいつ動かないんだから。守備隊だったらもっと単純に権力で止めるだろうし、そうじゃないなら傭兵か、元傭兵になる」
そこまでして怪我をしたいなんてそういうご趣味が、と本気で思ってしまいます。
でもでも、その目はなんだか視線だけで人を殺せそうなほどの殺意に満ちてますぅ。お兄さん可哀想。
「キミが割り込んだ地点で周りはかなり不安になっていた。キミがどんな風に振舞おうと、止めなければ周りは自分達の平穏についてかなり不安になってただろうね。まぁ、強引にとめた事でちょっと強い魔法薬の煙を吸っちゃっただろうけど、死ぬような事はないだろうね。結果的に『無差別テロ』みたいな感じで紙面を飾って終わり」
実際にシメア・シルムでの生活に不満を持っている過激派というのはいるらしく、何かと事件を起こしては騒がれています。艇都守備隊の装備が充実してからは武装による事件は起こっていないそうですが、今回の事件は精々『いたずら』ですまされてしまいそうです。
艇都の置かれている状況やなんやかんやはともかくとして、青年は必然ともいえる事を口にします。
「お前たちは、結局お前は何がしたかんたんだよ」
言葉には色々な感情が滲んでいました。混乱とか怒りとか、そんな色が強いようです。
彼女の組織、素性、目的。そんなの明かしてくれるわけ無いじゃないですか。
肝心な事なんて何一つ話してません。今、この世界に、この国の水面下にある誰もが知ってる事を述べただけです。だから絶対に喋らないでしょう。
「私の目的は唯一つ」
彼女のいう事は夢のような話です。かつて誰かが実現しようとしたはずの、夢です。
「本当の自由を手に入れること」
少女は歩き出します。迷いなんてない足取りで。来た道を振り返りもしない。
今、この場において彼に彼女を追う理由なんて、持っていません。
この先もあるのかどうか、知りませんが。
「ちょっと、私は面白そうなので」
追うことにしました。
青年の脇を通り抜けて、なんだか暗い雰囲気のある通路を抜けて少女の後を追います。
似たような通路が淡々と続き、こんな迷路みたいなところよくそんな自身のある足で進めるな、と素直に関心。
してましたら。
「……そこに何かいるだろ」
「ぴっ」
そんな声が上がってしまいました。
振り返った彼女は私の事を見てません。通路の右から左をゆっくりと見て、私に焦点が合う事もないです。
「みえて、無いですよね?」
目の前でひらひら手を振ってみますが、見えてません。触れると、流石に問題ありそうです。
「人間、じゃないな。魔力に頼った何かか………」
「い、いえ。一応人間、でしたよ?」
今はちょっと精霊よりですが。
少女は小さな板のような機械を取り出すと、なにやら操作して耳元に当てます。
「私。七百六番通路付近に何かがいる。たぶん、魔物の類だから見つけ次第駆逐」
「なっ!」
駆逐とはなんと嫌な表現でしょう。私は虫か何かですか?
「害は、たぶん無いけど機械で隠れているようでもない。各施設に警戒するように言って置いて」
おやおや、これは。
私の気ままななんちゃって透明人間ライフに支障が出るのでは。
とりあえず、ここに居たら専門的な道具か何かで見つけられちゃうんですかね? 見つかるのは嬉しいですけど駆逐はゴメンです!
「ほら、さっさと逃げろよ。覗き魔が」
「覗いてるわけじゃないですけど、お言葉に甘えさせて頂きますよ!」
生まれ変わって四年が経ちましたが、この日私は始めて怖い人に会いました。
その場から逃げ出すようにして走り出して、とにかくがむしゃらに走って、変な機械を担いだ人たちとすれ違って、それがヤバイと思ってさらに走って。
息が切れるくらいにはしって、私は、迷子になりました。
泣き面に蜂。