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リズムⅠーー或いは太宰治『ダス・ゲマイネ』の音数、頭文字、記号等を完全に再現しながらもうひとつの異なる『ダス・ゲマイネ』を描いていくという日本初のレトリスム小説ーー

 (こい)をしたのだ。そう(さけ)んで、(まぶた)(かた)くとじてみた。その(とき)(あじ)のない、綿(わた)あめのようなざらざらとした(なに)かが、(わたし)(くち)(なか)隅々(すみずみ)まで、荒々(あらあら)しい(いきお)いをもってひろがっていく、(たと)えるならばそんな不思議(ふしぎ)感覚(かんかく)に、しばし(こころ)をあずけていた。(けが)れなき(あか)は、ソバージュの似合(にあ)わない(おんな)毛先(けさき)に、ほのかに(かお)或一輪(あるいちりん)(はな)(するど)想起(そうき)させると同時(どうじ)粉々(こなごな)になり、()だるい午後(ごご)風景(ふうけい)(とげ)のようにぷすぷすと()()さって、いとおしいくらい、世界(せかい)(いろ)(こわ)した。()(とお)ったグラスに(うつ)っているその(あや)ういシーンが、(わたし)()わばうつしみであった。虹色主義(にじいろしゅぎ)私色(わたしいろ)思惑(おもわく)。いかさまし。()い、()る。(わたし)だけではない。()(とお)ったグラスは(わたし)。しかしながら(わたし)は、(はな)()みにいった(とき)(なに)かをなくした。無糖(むとう)珈琲(コフィ)(あい)してしまった刹那(せつな)に、そういう繊細(せんさい)なイメージの崩壊(ほうかい)(とも)に、(わたし)姿(すがた)(なみ)()って、そのまま(いろど)りを(わす)れた。あの女神(めがみ)摺墨(するすみ)()えていった。

 ゆっくり()をひらいたのはいつか(わたし)()(こえ)に、朦朧体(もうろうたい)了解(りょうかい)しかけていたその(とき)であった。

「サノ(くん)。ーーでは、よろしく。(そば)にいるから()()ってしまう、おろかな樹木(じゅもく)運命(うんめい)をいよいよ()るがよい。不幸(ふこう)にも()仮面(マスク)(えら)んで()た、天使(てんし)模様(もよう)(うら)にある喜悲劇(きひげき)裁量(さいりょう)、ーーま、(おそ)いか」

 ババの言葉(ことば)はいつだって執拗(しつよう)である。そのくせ、(わたし)明確(めいかく)(こた)えを(もと)めぬのも、大抵(たいてい)同様(どうよう)だった。(わたし)はババと或美術学校(あるびじゅつがっこう)(ちい)さな(にわ)出逢(であ)った。キンモクセイの木々(きぎ)がまばらに()えられてある落葉(らくよう)()えず()()夕暮(ゆうぐ)れの美術学校(びじゅつがっこう)(にわ)(すみ)出逢(であ)った。

 (わたし)がわざわざ灰色(はいいろ)(くろ)(はし)をふたつ(わた)ってその美術学校(びじゅつがっこう)まで(ある)いていって、その殺風景(さっぷうけい)場所(ばしょ)(たたず)んだわけは、そこにぽつんと()いてある、キンモクセイの(かげ)(したが)えた、()にも精神(せいしん)にも不可解(ふかかい)に、そぐわないという一念(いちねん)唐突(とうとつ)(はこ)んで()るベンチにあった。ワルキューレは八人(はちにん)だという伝承(でんしょう)にほんのりとした(よろこ)びを(かん)じはじめていた時分(じぶん)(わたし)(まわ)りの色彩(しきさい)を、その存在(そんざい)すら(みと)めぬように()()し、いつの()にか(あか)いオーロラという神秘的(しんぴてき)なイメージさえ(いだ)かずにいられなかったその不調和(ふちょうわ)鮮烈(せんれつ)なベンチのRedcolor(あか)当然(とうぜん)(こい)をした。今年(ことし)晩秋(ばんしゅう)に、(わたし)はこのベンチに(すわ)って或音(あるおと)()いた。(そば)(とお)るひとが、(あわ)てて(みな)(はし)()す。(わたし)(みょう)(おも)(かお)をあげ(おと)(さぐ)ると、まっすぐに、(うえ)へと()()ばしたキンモクセイ。たそがれ間近(まぢか)(そら)へその(こずえ)()かしながら時折(ときおり)()(かぜ)にふらりふらり()(あず)け、()(のこ)した()()らすと(とも)についに()()めきれなかった、練乳色(れんにゅういろ)雨粒(あまつぶ)(こぼ)していた。その(とき)ふいに、(ひそ)やかな(こえ)()こえた。ワーカー、オールダー。(せま)夕闇(ゆうやみ)のなか、どこからか(たし)かにその(こえ)()こえ()る。ずいぶんはっきりしない(おとこ)(おんな)かもすぐにわからぬ声色(こわいろ)にくわえ、機械的(きかいてき)単調(たんちょう)なイントネーションでもってひそひそと、その(みょう)言葉(ことば)()(かえ)(つぶや)いているのであった。なぜか(わたし)はその(ちい)さな(こえ)平和(へいわ)(かん)じを(おぼ)え、ひとりきり小雨(こさめ)()るなかに、しばし(まぶた)をとじていた。びっくりしたのはその(こえ)がふいに、いま(わたし)のいるすぐ真横(まよこ)から、(はな)しかけるように()こえたからである。(そば)(だれ)かがいるのか。こういう直感(ちょっかん)(わたし)戦慄(せんりつ)(おぼ)えて、瞬時(しゅんじ)(つよ)()をひらきその(ほう)()た。フシギなくらいにマルいおツキサマ、テツイロのアツいクモのスキマにきらりキンセイと、トケイのように、ぶらブラリ。ひたと、(おお)きな右手(みぎて)(かお)(おお)い、(うた)うみたいにしてそう(ささや)きながら、まっすぐに(わたし)()ている。その人物(じんぶつ)はいつか(のぼ)った(つき)(ひかり)()()一層(いっそう)夕闇(ゆうやみ)()(しず)めながら両眼(りょうめ)だけは(ゆび)隙間(すきま)からはっきり(ひか)らせて、ああ、(かみ)()れる(ほど)すぐ(そば)(たし)かに(すわ)っている。(なに)をどうすればよいのか(わたし)はこの状況(じょうきょう)においてまったくわからなくなり、突然(とつぜん)(くる)ったように、(わら)()してしまいそれを勇気(ゆうき)(かれ)(かお)(のぞ)くと(かれ)可笑(おか)しくなったか、その右手(みぎて)(おく)(かく)した表情(ひょうじょう)をあきらかに(ゆる)ませた。

「けさ、とてもぼんやりした(ゆめ)()たのですが」(わら)いを(ふく)ませてはいるがやはり無機質(むきしつ)(こえ)であった。「みどり(いろ)毛虫(けむし)みたいな(やつ)()んでいる。(はら)(なに)かに()まれて確実(かくじつ)()んでいる。(あた)りには殺害者(さつがいしゃ)のいる、気配(けはい)はまったくない。おや、(あわ)てて足裏(あしうら)(のぞ)いて()てみたら? しつれい。(ぼく)であった」(わたし)(かお)をまじまじと()て、声色(こわいろ)(すこ)しだけ(つよ)めながら、「悲劇(ひげき)では(けっ)してないんだよ。メシア。ーーそれが(ぼく)(ぼく)(たす)けたんだよ。みどりの毛虫(けむし)(ぼく)救済(きゅうさい)したんだよ。(はい)のなかにおちていく、ちょこまかと、いやそれ(ゆえ)にこそ(とうと)いあのみどり(いろ)(かがや)き。自分勝手(じぶんかって)などではないのだよ。ひどい煩悶(はんもん)だ。いいや。病人面(びょうにんづら)(きみ)は、文科生(ぶんかせい)か? この学校(がっこう)生徒(せいと)? 」

 (わたし)(こた)えた。「いいえ。元学生(もとがくせい)です。あの、一年(いちねん)くらい(まえ)()めました」「はあ、現代的(げんだいてき)だね」にやっと(わら)い、(おもむろ)にまた言葉(ことば)(つづ)けはじめた。「(ぼく)(むかし)芸術(げいじゅつ)というものに()()かれていたよ。生意気(なまいき)()(かた)ってね。()(しろ)なキャンバスを(みと)めるわけにいかなかったんだ。(ひかり)(なか)にこそ真実(しんじつ)(いろ)(ひそ)んでる。(きみ)(よる)芸術(げいじゅつ)(ころ)します」

「そうです」

「と賛同(さんどう)すべきではない。つまりは(きみ)裏切(うらぎ)(もの)さ。(ぼく)(きみ)もこのベンチに(さそ)われるようにやって()()(こころ)もゆだねるみたいにして(すわ)っているということは、はっきりいって無責任(むせきにん)さ。この殺伐(さつばつ)とした景色(けしき)のなか、(だれ)もが自己主張(じこしゅちょう)しない、ぼんやり曖昧(あいまい)に、()まっていて、ーーいや、()まるどころか()わる(すべ)さえ(うしな)った。ハイイロのソラのシロいマチのクロいタミ。結局(けっきょく)()()まれてさ、そして(あきら)めきっている。()わらない毎日(まいにち)(まわ)りに()わせてやっているんだと懸命(けんめい)にうそぶく。あああ(あか)(あか)()いかければいいのにさ」ぐるっと周囲(しゅうい)視線(しせん)(くば)り、(だれ)(さが)すような素振(そぶ)りをしだした。「こうしている合間(あいま)だってね、ーー破壊(はかい)(つづ)いている。(よる)間近(まぢか)さ。()らすものはもうない。(きみ)(おわ)りだ。(ぼく)(きみ)最後(さいご)希望(きぼう)(ひかり)とやらを(わび)しく(しん)じて、このベンチに(こし)かけている。とても(はかな)いカンバセーションピース。(ぼく)はまったく(きみ)()らない。ひとであること以外(いがい)。ああそれさえもまた。(ぼく)存在(そんざい)を、(きみ)(たし)かにとらえています。(ぼく)(きみ)いったい(なに)(ちが)うというのか」

 その()(さかい)にし、(わたし)たちはそのベンチに(すわ)ってよく会話(かいわ)()わした。ババはいつでもそのベンチに(あらわ)れる。しかも()らぬまに、すぐ(よこ)にいる。あまりひとけのない午後(ごご)はふたりしてしばしば(たたず)んだ。(かれ)相変(あいか)わらず(おお)きい()のひらで、コバルトに(ちか)顔色(かおいろ)に、一層(いっそう)(かげ)をつくり、(とお)くのほうを()ている。(わたし)(かれ)不自然(ふしぜん)さを()けいれた。なぜかいつか、このような(かれ)所作言動(しょさげんどう)(かれ)Existence(イグジステンス)容認(ようにん)した。ババも(こころ)(ゆる)しているようであった。(さむ)(かぜ)()午後(ごご)予定(よてい)していたことが或事情(あるじじょう)(ため)突然(とつぜん)中止(ちゅうし)になってしまったこともあり、ひとり(れい)のベンチに(すわ)ってぼんやりとしていたのであるが、(ささや)くようにやはりババが(わたし)(こえ)かけた。鼓動(こどう)(みだ)れなどいっさい(かん)じさせぬような、()わばいきものとして、当然(とうぜん)(そな)わっているであろう精神(せいしん)肉体(にくたい)(おもむき)とでもいった、生々(なまなま)しい人間(にんげん)としての、(にお)いみたいなものはいっさい(かん)じさせずに、かぼそく、「(たの)しいことは(なに)かないのですか」と一言(ひとこと)いってあとは相変(あいか)わらずどこか(とお)くの景色(けしき)()ている。イスカが、(ひく)(そら)横切(よこぎ)って(はる)かかなたに(ひろ)がる無個性(むこせい)町並(まちな)みの色彩(しきさい)のなかに同化(どうか)するように、そっと、()けていった。ババは突然(とつぜん)()()がり(しず)かに(ある)()した。ひとけのないこの裏庭(うらにわ)(かこ)んでいるウグイス(いろ)をしたフェンスの裂目(さけめ)から、ババはからだを(ちぢ)めることもなしに器用(きよう)()()したかと(おも)うと、しんとしている街路(がいろ)をさっさと(ある)いていく。ババをすぐに()い、その美術学校(びじゅつがっこう)裏庭(うらにわ)(さび)れた商店街(しょうてんがい)(あいだ)細々(ほそぼそ)(とお)っている(くら)いアスファルトの(みち)(わたし)(あし)()みいれた(とき)には、(つじ)(はし)でババが右手(みぎて)をあげていた。そのまま、ババのとめたタクシーに()りふたりは、ギンザドオリというどこにでもありそうな()(とお)りにはいったところで、タクシーを(いそ)いでおりた。閑散(かんさん)とした夕暮(ゆうぐ)れの繁華街(はんかがい)(しず)かに、(さき)へとさっさと(ある)()すババ。(くろ)いコートの(うし)姿(すがた)(わたし)はやはり()って、常用灯(じょうようとう)のともりだした(まち)(いそ)いだ。理由(りゆう)もなく(わたし)たちはこの(まち)(ある)いていくのではなかった。ぶらりぶらりと何気(なにげ)なしに(ある)いていくようなババにしても、当然(とうぜん)()(さき)については()まっているに(ちが)いなかった。(じつ)(わたし)には()きなひとがいた。四年前(よねんまえ)のまだ学生(がくせい)(ころ)、ふらりと、手招(てまね)きされた或店(あるみせ)(きゃく)のつまみに(うた)をうたっていたハタチそこらの(わら)うとえくぼの()るそうして()()(りょう)八重歯(やえば)が、そのひとの快活(かいかつ)なキャラクターや心持(こころも)生活環境(せいかつかんきょう)といったものの色鮮(いろあざ)やかな印象(いんしょう)を、即座(そくざ)にして、とめどもなく()かびあがらせたその(おんな)()(わたし)一瞬(いっしゅん)のうちに当然(とうぜん)(こい)をした。けれども(わたし)は、彼女(かのじょ)出逢(であ)ったその(よる)から今日(こんにち)まで言葉(ことば)()わすどころか、そもそも、お(たが)()をあわすこともないまま彼女(かのじょ)がプロの演者(えんじゃ)として(みせ)()つようになってからも、相変(あいか)わらずただの(きゃく)()ぎなかった。彼女(かのじょ)一人前(いちにんまえ)になってもまた年月(としつき)(かさ)ねても(わたし)がはじめて()(とき)のまま、その空間(くうかん)空気(くうき)(いろ)をいつでもたちまち変えてしまう。(うた)素晴(すば)らしいのは当然(とうぜん)として、いったん、彼女(かのじょ)がステージへ(かお)をちらと()すだけでも、ヴァイオリニストの高貴(こうき)音色(ねいろ)さえ(かす)みだすほどに、五月雨(さみだれ)()けの太陽(たいよう)のような、(そら)支配者(しはいしゃ)(おも)わせるその笑顔(えがお)はすべてを()えた。ババと(わたし)は、()(かえ)しのほぼなくなった繁華街(はんかがい)(みち)(みぎ)(ひと)(ひだり)(よっ)()れた足取(あしど)りで()がって、ケーキ()という軒看板(のきかんばん)をさげた廃屋(はいおく)(まえ)をいく。彼女(かのじょ)のそのお(みせ)は、看板(かんばん)とはいってもすでに赤錆(あかさび)にまみれて、名前(なまえ)すら(うかが)()ることが容易(ようい)ではない、そんなすさみきっている、このケーキ()()(さら)四五軒(しごけん)ほどの()ちかけた()のない(みせ)軒下(のきした)くぐりようやくこの(まち)最果(さいは)てに()える。そんな繁華街(はんかがい)としては、()()くしてしまっているのにちがいない、寒気(かんき)一層(いっそう)(つよ)めるような(さびれた)れた(まち)へ、(わたし)がババをはじめて(さそ)ってから、ほぼ二月(ふたつき)()っていた。(わたし)同様(どうよう)にババも(みせ)をそして彼女(かのじょ)をも()にいったらしく、ババは(けっ)して(くち)にせぬが、彼女(かのじょ)()つめる(かれ)(ひとみ)にはほのかな(うるお)いが()られた。(かれ)はそれ以降(いこう)洒落(しゃれ)になっていって、(わたし)戸惑(とまど)わせたのだ。作業着(さぎょうぎ)らしい(こん)のつなぎや、(がら)(わる)いパーカー、なす(いろ)革靴(かわぐつ)或意味(あるいみ)チンピラ趣味(しゅみ)(おも)われた(かれ)のそんな服装(ふくそう)はその()(さかい)にいっしんした。(かれ)言葉(ことば)をそのままに(しん)じるならば、(かれ)唐突(とうとつ)服装(ふくそう)趣味(しゅみ)()えた理由(りゆう)は、人生(じんせい)ではじめてのお()げを夢枕(ゆめまくら)()ったマティスから(あた)えられたからである。いったん()りだすと、ババは一気(いっき)歯止(はど)めのきかなくなってしまう性分(しょうぶん)のようで、(かれ)(みずか)らパリだかミラノだかの()のある(みせ)特注(とくちゅう)をしたという、オセロット(がわ)のド派手(はで)なジャケットの(つぎ)()には、その数倍(すうばい)()()るという(つや)やかなリンクスキャットのコートを颯爽(さっそう)羽織(はお)って(あらわ)れ、この(おとこ)()(かく)しの所作(しょさ)である()のひらで眼元(めもと)(おお)いながら、ーーそうして隙間(すきま)()を、弁解(べんかい)でもしているみたいに(あか)(にご)らせながら(わず)かに()みを()かべるのだ。奇抜(きばつ)さなら今日(きょう)(すご)い。スワロフスキーか(なに)かをきらきら、枯山水(かれさんすい)(おも)わせる図柄(ずがら)帽子(ぼうし)(すき)なく(ひか)らせている。(わたし)心持(こころも)ちは複雑(ふくざつ)でもあった。友人(ゆうじん)のあからさまな変貌(へんぼう)に、子供(こども)っぽい如何(いか)にも人間(にんげん)らしい微笑(ほほえ)ましさを(かん)じる反面(はんめん)(かれ)のこういうモチベーションのうまれ()源泉(げんせん)(おも)えばため(いき)もついこぼれるのである。これは、表面(ひょうめん)では、ババと(わたし)との家柄(いえがら)に、(はなし)にも(なに)もならないくらいの格差(かくさ)があり、てんでどうして、(わたし)にはこの方面(ほうめん)では太刀打(たちう)ちできぬのだという自己確認(じこかくにん)のため(いき)である。

 ああ、どういうものか(わたし)には駄目(だめ)である。つい自然(しぜん)にうまれて()る、(さけ)()したくなるような(はげ)しい(おも)いをいつか機械的(きかいてき)におさめてしまう(くせ)がついていて、気持(きも)ちが()()けそうになるほどの苦悩(くのう)煩悶(はんもん)にしても、即座(そくざ)宿命(しゅくめい)環境(かんきょう)という言葉(ことば)()きかえてため(いき)()せて()がすのだ。ところが、はじめてである。ーー妙薬(みょうやく)ほどに、バラバラな自律神経(じりつしんけい)経路(けいろ)を、狂喜(きょうき)感嘆(かんたん)()無粋(ぶすい)感慨(かんがい)がおきぬまに(むす)びつけるように、郷愁(きょうしゅう)めいた、やみくもな、(なん)だか生々(なまなま)しい感情(かんじょう)がいつのまにやら(わたし)細胞(さいぼう)隅々(すみずみ)にまで()っていて、そういう、(わたし)壊死(えし)しかけていた素直(すなお)心持(こころも)ち、反芻(はんすう)や、反発(はんぱつ)発情(はつじょう)や、嫌疑(けんぎ)、そんな()わば人間(にんげん)らしさの(いろ)刺激(しげき)感化(かんか)させ(かれ)彼女(かのじょ)複雑(ふくざつ)(から)()うような、一筋縄(ひとすじなわ)といかぬ愛憎(あいぞう)彼方(かなた)へ、不安定(ふあんてい)飛来(ひらい)し、漠然(ばくぜん)としたこの生臭(なまぐさ)焦燥(しょうそう)(かく)しきることのできぬ状況(じょうきょう)をいつかうみだしかけていた。(れい)(ひく)(こえ)で、「今日(きょう)だって記念日(きねんび)さ」そうババは(つぶや)いてからふと()()まり、()のひらで相変(あいか)わらず表情(ひょうじょう)(かく)しながら(わたし)()(おく)(のぞ)きこむようにしてくるのだ。()ずかしくなるくらいに凝視(ぎょうし)されて、(なん)だか(わたし)(こころ)のなかを見透(みす)かされている、ふいに、()()ないそんな疑念(ぎねん)もわきあがって()てしまい、そそくさ、わざとらしさも()にせずに()かべた不自然(ふしぜん)微笑(びしょう)(かれ)視線(しせん)にあらがった。Urban(アーバン)Night(ナイト)The()Cruising(クルージング)Cafe(カフェ)。ババとふたりルビーとエメラルドが()えず拍動(はくどう)しているみたいなその電飾看板(でんしょくかんばん)のしたに()った、ぷかぷかと紫煙(しえん)()かべる、(なん)だか、(とき)()らぬうちにすっかり顔見知(かおみし)りになってしまった客引(きゃくひ)きに、(わたし)たちは(かる)黙礼(もくれい)だけして、色褪(いろあ)せた(みせ)(とびら)をあけた。(わたし)(むね)高鳴(たかな)る。原因不明(げんいんふめい)でない心地(ここち)よい動悸(どうき)。ババも高揚(こうよう)しているらしい。よし、よし。虚勢(きょせい)気味(ぎみ)()(ごえ)()らす。はずむ精神(せいしん)誤魔化(ごまか)しあうようにお二人(ふたり)(わたし)たちのいつか指定席(していせき)みたいになっている、ぷかぷか、ぷかぷか、とぐろ()(けむり)(むこ)うの(せき)へと他客(たきゃく)()し、やり、自由(じゆう)()へいきつく。いまが!ああ、いつもながら(わたし)(むね)高鳴(たかな)らすこの空間(くうかん)現下(げんか)のエデン。そうして(いま)(よる)(のぼ)(わたし)唯一(ゆいいつ)かつ絶対(ぜったい)太陽(たいよう)が、路地影(ろじかげ)のネズミたちまでを、一瞬(いっしゅん)にして寓話(ぐうわ)女神(めがみ)(はな)慈悲(じひ)のようなそのあたたかい(ひかり)(つつ)()むかの(ごと)く、この(みせ)薄汚(うすよご)れて湿(しめ)りきった不快(ふかい)空気(くうき)を、雲雀(ひばり)のような歌声(うたごえ)(たずさ)()かばせる、人間(にんげん)のあらゆる苦悩(くのう)()()るみたいなオーラで容易(たやす)()えちゃった。ババも彼女(かのじょ)(あらわ)れるやいなや全身(ぜんしん)を、ベテランダンサーのようにくねらせはじめて出逢(であ)った(ころ)のババを想像(そうぞう)できない、良識(りょうしき)繊細(せんさい)さなどを(かん)じさせぬ雰囲気(ふんいき)でリズムを()っている。ロンサムパレードという彼女(かのじょ)のオリジナルのナンバーがはじまると店内(てんない)照明(しょうめい)()()()()わって、ボウフラのような(わたし)たちをも()める。ええ、()っぱらいなんです(わたし)たち。(わたし)たちのこんな姿(すがた)(きみ)はたちまち嘲笑(ちょうしょう)()かべるのだろうがそんな(きみ)こそバカなんだ。ババのこの(あせ)を、了承(りょうしょう)できず(くさ)(くさ)いとさっそくお(はな)つまんで、(わたし)には(しん)じられない体臭(たいしゅう)ですなんて()ってる。やがて、()(かえ)ってね、さも大袈裟(おおげさ)一声(いっせい)

「やあ、(にお)うね。(にお)うね」

 ハイエナすぐに(あらわ)る。

「イエス、気分(きぶん)(わる)(にお)いです」(わたし)たちいつだって、偏見(へんけん)(しず)められる。ひとがひとを(ころ)して笑う。ババがいつか(わたし)(のぞ)きこみ、

(くる)しそうだが大丈夫(だいじょうぶ)か」と()って(りょう)()を、素早(すばや)くまばたきさせてから、

「いや、もう(きみ)気持(きも)ちは(だれ)よりもわかっています。被害者(ひがいしゃ)ヅラの功罪(こうざい)」と(つづ)けたかと(おも)うと唐突(とうとつ)にステージへ()かって、ブラボーと(こえ)かけた。あまりにも、(わる)ふざけとしか()()られないような、ダチョウ(ごえ)。ひやりとする、猛禽類(もうきんるい)()がいっせいにババを()らえた。実際(じっさい)()(ごと)がいつ()きてもおかしくない(なか)(わたし)女神(めがみ)(うた)うのをやめマイク(たた)いて注目(ちゅうもく)(あつ)め、ババに()かってこう()った。

勇気(ゆうき)のいるご声援(せいえん)に、ぼんやりとおもわずしちゃいました。あんまりみなさん、はっきり言葉(ことば)にしてくれないから」

 (わたし)は、(つめ)たい衝撃(しょうげき)全身(ぜんしん)(ふる)えた。ババへ()けられた言葉(ことば)はなお(つづ)き、(わたし)()きな笑顔(えがお)でババに、

人間(にんげん)らしくて()きですよ。みなさんもどんどん(こえ)かけてね。()じては駄目(だめ)(おも)(つた)えて。いいかわるいか(わたし)(つた)えて(くだ)さい」

 それ以後(いご)(わたし)はババと()うのがどうしても(いや)になって、裏庭(うらにわ)(あか)いベンチに(こし)かけることもなくなった。当然(とうぜん)(わたし)(れい)のカフェへもまったく()かけていかなくなった。それは、(くち)には(けっ)して()したくない、(われ)ながら(おろ)かでみっともない嫉妬(しっと)だと内心(ないしん)()づいてみたところで、(わたし)はその(にが)感情(かんじょう)を、()かして、さっぱり()みほすことができず(くる)しみ(あえ)いだ。いっそすべてを、粉々(こなごな)にぶっ(こわ)してなかったことにしてしまおうと、とうとう、(わたし)消滅(しょうめつ)(かん)して、(わたし)真面目(まじめ)(ねが)いだした。原色(げんしょく)だけを真白(ましろ)いキャンバスに、いい加減(かげん)()っていき(すこ)しでも理解(りかい)できる、ヒトだとか動物(どうぶつ)だとか(いえ)とか(くるま)、そんな(かたち)()えた(とき)()をつけた。ほどなく(わたし)はある種類(しゅるい)の、都会(とかい)(はし)(もり)のなかのとても清潔(せいけつ)(しず)かでそうして()(しろ)病室(びょうしつ)にいれられて、一日(いちにち)一回(いっかい)(にわ)()小綺麗(こぎれい)なベンチに(こし)をおろし、ただぼんやり(ちい)さな(いけ)(つら)はしる(むし)をみていた。ババが手紙(てがみ)()こした。

 拝啓(はいけい)

 (しん)じることを、またはじめないか。(ぼく)とふたり。(きみ)はおかしいくらいに、(ぼく)を、ああ(ぼく)(おも)いちがいして、()じこもってしまった。そんな(きみ)ならば、()んでよい。(ぼく)はもう、かまわん、いや、いちどだけ、いちどだけ(ぼく)(なぐ)りたまえ。けじめをつけてから()にたまえ。誰彼(だれかれ)言葉(ことば)をいっさい、意味(いみ)もなく、病的美意識(びょうてきびいしき)(じゅん)じて()す。結論(けつろん)()ってみれば、(ぼく)はもちろん(だん)じて支持(しじ)する。しかしあのひと。最果(さいは)てにのぼる太陽(たいよう)(ぼく)へのつまらぬ誤解(ごかい)からあのひとまで(しん)じられなくなっていて、悲劇(ひげき)主人公(しゅじんこう)みたいにして(ふさ)ぎこんでいるのなら、またそんな自分(じぶん)()っているなら、(かま)うことは(なに)もない、その(まど)から()()げたまえ。((きみ)(わら)う、ああ部屋(へや)(まど)がない!)(きみ)、いっさい(ぼく)(しん)じてね。(ぼく)は、本当(ほんとう)(きみ)だけを()きで(あい)しているのだから、そういう(ぼく)()うことは(きみ)義務(ぎむ)として(しん)じなければいけない。シャレコウベになるまでなどとは()わないけれど。(ぼく)昨日(きのう)あの(みせ)にいってあの()(はなし)をして()たよ。本当(ほんとう)はひとりでなんて(なに)があってもいきたくない場所(ばしょ)にはちがいないのだがね、そんなことも()ってられない。とにかく(ぼく)は、僕自身(ぼくじしん)への疑惑(ぎわく)をはらさねばならない。ほんとうに、かなわん。群青色(ぐんじょういろ)(そら)(あらわ)れて、綺麗(きれい)(まち)あかりがまばらに(とも)るのを()ち、(ぼく)(れい)(とびら)を、ゆっくりあけ(みせ)へはいった。あの()(わら)っていなかった。(きみ)のことを(だれ)かから()()って心配(しんぱい)していたし、(ぼく)へのあの言葉(ことば)はあの()しのぎの()わば機転(きてん)だった。あの()以来(いらい)(かお)()さぬ(きみ)をずいぶん()にしていた。ああ、ヴァナディースの真実(しんじつ)(ひかり)(きみ)へ。あの()真顔(まがお)をはじめて()てそして僕自身(ぼくじしん)立場(たちば)()じたよ。((きみ)苦笑(くしょう)残念(ざんねん)、プライドがそれを(みと)めない。)孤高(ここう)(ひじり)でもあるまい。(きみ)LOVE(ラブ)(はじ)ではないんだよ。でもつまらん(ほこ)りとやらでそれを(みと)めぬというならば、可哀(かわい)そうに。

 ここからは或企(あるたくら)みを(しる)す。(しかばね)のような僕等(ぼくら)再生法(さいせいほう)。(()いていて、もどかしいよ。手紙(てがみ)という方法(ほうほう)限界値(げんかいち)常用(じょうよう)でない、会話(かいわ)であれば、病的(びょうてき)である、どうもなんだか、そらぞらしい言葉(ことば)(もち)いなお真理(しんり)(つた)わらず。いや、バカの証明(しょうめい)かな。)ゆうべ(かんが)えついたその妙法(みょうほう)とはねえ、(さけ)びに()せて、すべてのカラーをまぜる。そうしていつか、墨痕(ぼっこん)(がら)の、ドミニク・アングルを()く。(きみ)(ぼく)であたらしい女神(めがみ)をつくりあげよう。(ぼく)はいっさいがっさいの(さい)財産(ざいさん)(つい)やしてでもあの()応援(おうえん)をしたい。でき()るかぎり、巧妙(こうみょう)革新的(かくしんてき)独創的(どくそうてき)芸術家(げいじゅつか)(あつ)めて機関誌(きかんし)発行(はっこう)する。くだらない一種(いっしゅ)の、事務的(じむてき)会誌(かいし)ではない。華族(かぞく)規範(きはん)、である。(じつ)華族(かぞく)とはこの機関誌名(きかんしめい)名付(なづ)けは(ぼく)(きみ)(いや)だというならばもちろんかえても(かま)わないが(ぼく)はこれを()す。どうだ。(手紙(てがみ)にもいよいよ、馴染(なじ)んできたというのに残念(ざんねん)ながらお(わか)れちかし。(あせ)かきながら、文章(ぶんしょう)(つづ)った、(われ)(おも)いが永久(とわ)に、手紙(てがみ)という手法(しゅほう)にて(きみ)(きざ)まれるのならまあ(わる)くない。)ところで(きみ)の、手紙(てがみ)へとそえる(はな)、それを(おく)らぬ(ぼく)(わら)え。さよなら。

 これは蛇足(だそく)であるが、一応(いちおう)(きみ)快復(かいふく)(いわ)()いておく。不滅(ふめつ)言葉(ことば)、「しきのない太陽(たいよう)(あい)せ」

 サノまたはランボー殿(どの)、 ババカズマ。

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