デート
「阿木君のところに、行ってくるー!」
佑梨は階段を降りながら、キッチンにいる友美に言った。
「はーい!お菓子持った?」
「持った!」
佑梨は玄関で靴を履きながら「行ってきまーす!」と言って出て行った。
最近、佑梨は「阿木」という男子生徒と一緒に宿題をしているようである。
若山家にも来たことがあった。友美から見ると、とても真面目そうな男の子だった。
(…諒一君のこと…もしかしてあきらめたのかしら…?)
友美はふと思った。何しろ佑梨は思春期だ。諒一の事が好きなことがわかった時は、諒一と結婚してくれればと、つい喜んでしまったが…。
玄関が開いた。
「あ、諒一君。」
「ただいま。」
諒一がオペラのレッスンから帰ってきた。
「お帰りなさい。何か飲む?」
「いえ…。」
諒一は靴を脱いで上がりながら言った。
「今、佑梨と会ったけど…今日も阿木君のところ?」
「そうなの。…まぁ宿題を忘れずにするようになったから、いいけれど。」
諒一が微笑んでうなずいた。佑梨が阿木のところへ行くようになってから、諒一は笑顔を見せるようになった。何かほっとしたような風にも見える。
諒一は1週間前に、佑梨に言われたのだ。
「お兄ちゃんが笑わなくなるんだったら…私、お兄ちゃんの事あきらめる。」
言われた時は驚いたが、その時は「そうか…」とだけ答えた。
「今までごめんね。ずっと佑梨のお兄ちゃんでいてね。」
「ん…わかったよ。」
佑梨がほっとした表情をした。
「阿木」という少年の名前が出るようになったのは、それから間もなくしてからだった。
…一抹の寂しさを感じたのも確かだが、同級生の子を好きになる方が自然だと、諒一は思っていた。
阿木という少年は、諒一から見ても真面目そうだった。
……
その夜-
「あのね…パパ…」
佑梨が箸を置いて、恥ずかしそうに直樹に言った。横に座っていた諒一も思わず佑梨を見る。
「どうした?佑梨。」
「阿木君に…一緒に遊園地に行こうって言われたの。」
「へえ…」
直樹はつい諒一の顔を見た。諒一はふと微笑んだ。直樹はその諒一の表情を見て、ほっとしたように言った。
「行けばいいじゃないか。今度の日曜日か?」
「うん。」
「車で送ってあげようか?」
「いい…駅で待ち合わせてるから…」
「そうか。楽しみだな。」
「…うん…。」
佑梨はそう答えたが、少し不安そうな表情をしている。友美がその表情を見て「どうしたの?」と尋ねた。
「ううん。男の子と遊びに行くの初めてだから…どうすればいいのかわからなくて…」
「そうねぇ…。」
友美が微笑んで言った。
「普通でいいのよ。普通で。いつもの佑梨で行けばいいの。」
「…うん。」
佑梨はうなずいて、再び箸を取った。
……
「…お兄ちゃん…」
佑梨の声がドアの外でした。
「何?」
「入っていい?」
「いいよ。」
佑梨がドアを開けて入って来た。
諒一はベッドに寝転んで、オペラを聞いていた。今日のレッスンの復習をしているところだった。
佑梨は諒一のベッドの端に座った。
「どうした?」
諒一が佑梨を見上げた。
「…行きたくないの。」
「?どこへ?」
「…遊園地…」
「どうして?」
諒一は体を起こした。
「不安なの…」
「…何が不安なんだい?」
「わからない…」
諒一は微笑んだ。
「俺も女の子と初めてデートした時は不安だったよ。」
佑梨は、驚いた表情で諒一を見た。
「そう…なの?」
「きっと阿木君も今すごい不安だと思うよ。」
「……」
諒一は佑梨の肩に手を乗せた。
「大丈夫だよ。阿木君がちゃんとエスコートしてくれるから。」
「…うん…」
佑梨は下を向いた。
「…お兄ちゃん…また歌…歌って。」
「何がいい?」
「…アベマリアがいい…」
「わかった…」
諒一は鳴らしていたオペラを消して寝ころんだ。すると、また佑梨が上半身を諒一に預けてきた。
(これも、いつかはやめさせないとな。)
諒一はそう思いながら、歌い始めた。
……
日曜日の正午-
直樹が庭に向かう洋風の縁側に座って、またため息をついた。
「もう…直樹さん!」
友美が笑っている。
「佑梨は大丈夫だから心配しないの!」
友美にそう言われて、直樹は苦笑した。
「…なんだか不安で…」
リビングのソファーで、オペラのビデオを見ている諒一も苦笑している。
「諒一…お前は気にならないのか?」
「ならないよ。」
「…そうか…」
直樹は頭を抱えている。
「今頃、何してるんだろうなぁ…ジェットコースターとか無理やり乗せられてないだろうな…」
「あら、佑梨はジェットコースター好きよ。自分から乗っちゃうんじゃない?」
「えっ!?…そうなのか?」
直樹はそう驚いてから、ふと考え込むようにして呟いた。
「じゃぁ、観覧車とかに乗せられて…」
「もう、直樹さんっ!!」
友美が笑いながら怒った。
「いい加減にしてよ。」
直樹がぶつぶつと言い訳をしている。諒一がまた苦笑した。
……
夕方になって、直樹の携帯が鳴った。
「!佑梨!」
直樹は慌てて電話を取った。友美も思わず駆け寄っている。確か佑梨は電車で帰ると言っていたはずだが…。
諒一は自分の部屋へ戻っていて、リビングにはいない。
「……わかった…阿木君の家の前まで迎えに行けばいいんだな。すぐ出るから。」
直樹はそう言って電話を切ると、友美に「ジャケット」と言った。友美が慌ててクローゼット部屋に向かう。
直樹はそのまま玄関に行った。そして友美にジャケットを着せてもらいながら「行ってくる」と言った。
「どうしたの?阿木君の家の前って…」
「わからないが…とにかく行ってくるよ。」
「ええ…」
直樹は玄関を出て行った。