佑梨の想い
「お兄ちゃん」
佑梨は、兄、諒一の部屋のドアをノックした。
「ん?なんだ?」
「入っていい?」
「いいけど…」
佑梨はドアを開けて、部屋に入った。
「もう寝るの?」
「いや…」
諒一はベッドに寝転んで、携帯電話を操作している。
「どうした?佑梨?」
「歌、歌って。」
諒一は苦笑した。
「中1にもなって、まだ子守唄か?」
そういう諒一は26歳だ。まだ独身でいる。
「だって…寝られないんだもん。」
佑梨はためらうことなく、諒一の胸に自分の上半身を乗せて寝ころんだ。
佑梨の体がだんだん大人びてきていることに、諒一は気付いていた。佑梨の胸のふくらみが大きくなっているのを感じる。
「…何の唄がいい?」
「アメイジンググレイス」
「また難しい歌を…」
諒一が苦笑した。寝ながら歌うものでもないが、佑梨は赤ん坊の時から、オペラ歌手である諒一の子守唄を聞いて育った。
14歳の年の差も、佑梨は全く感じないようだ。そして諒一と、血がつながっていないことも佑梨は知っていた。
諒一は両親を幼いころに失くし、中学校の音楽教師であった「若山直樹」の養子となった。直樹は結婚して10年経っても妻の友美との間に子どもができないことを悩んでいたが、オペラ歌手としての才能を持っていた諒一が孤児と知り、友美と相談して諒一を養子にしたのだった。
…それが、諒一が養子になって1年経ってすぐに友美が妊娠したのである。それを知った諒一は、黙って家を出た。だが直樹がすぐに捜索願を警察に届け、諒一は連れ戻された。
直樹は「血のつながりは関係ない。生まれる子どもの兄になってほしい。」と懇願した。諒一は困惑しながらも了承した。だが佑梨が産まれた姿を見たとたん、兄としての責任を感じ、妹となった佑梨を可愛がった。
…諒一は佑梨のリクエスト通り「アメイジンググレイス」を歌いだした。オペラじゃない、普通に歌っている。 歌い終わっても佑梨は目を開いていた。
「まだ眠くならないのか?」
諒一が尋ねた。佑梨は諒一に体を預けたまま尋ねた。
「お兄ちゃん…前に、女の人連れてきてたでしょ?」
「ん?何だ急に?」
「…あれ、お兄ちゃんの彼女?」
「いや…歌手仲間だよ。…オペラのね。」
「どうして、パパとママに会わせたりしたの?」
「…今度一緒にコンサートするから、紹介したんだ。」
「じゃぁ、何も関係はないの?」
「ないよ。」
「…良かった。」
佑梨はそう言って、諒一の体から離れ起き上がった。
「寝るのか?」
「うん。おやすみ、お兄ちゃん。」
佑梨は諒一の唇にちゅっと口づけした。
若山家では、普通の挨拶だ。
「おやすみ。佑梨。」
佑梨は手を振って、諒一の部屋を出た。
そして、ドアの前で振り返った。
「つまんない。」
そう呟くと、自分の部屋へ戻って行った。
……
諒一は、佑梨が出て行った後、天井を見ながら考えていた。
『…あれ、お兄ちゃんの彼女?』
今の佑梨の言葉。とても意味深に捉えてしまう。
佑梨も思春期だ。普通なら「おっさん」と言っていいような諒一に、今のような意味深な態度を見せるようになった。
(ここを出た方がいいかもしれないな。)
諒一はそう思った。
……
「家を出る?」
直樹が驚いて言った。隣で友美も「どうして!?」と声を上げている。
「どうして急に?好きな人でもできたのか?」
直樹が言った。友美が目を見開いている。
「いや…違うんだ…。」
諒一はとまどったように言った。どう説明すればいいかわからない。
「もう…俺、26にもなるし…。独身ではいるけれど…もう世話になる年じゃないと思って…」
「何を言っているんだ。…ずっといてくれていいんだよ」
「……」
諒一は頭を抱えた。
「諒一君…佑梨の気持ちに気付いちゃったのね…」
友美が言った。直樹と諒一は驚いて友美を見た。
「…佑梨…諒一君のことが好きなのよ。」
友美は直樹を見て言った。
「!?…本当か?」
直樹が驚いて言った。男親はそう言うことに疎いものである。
諒一は、友美にはっきりと言われて、動揺を隠せなくなった。
「…いくらなんでも…14は離れ過ぎているし…。…俺が結婚しないから悪いんだけど…」
「年の差なんて関係ないわよ。」
友美の言葉に、諒一は驚いて顔を上げた。直樹は微笑んで友美を見ている。
「諒一君の気持ちはどうなの?佑梨のこと…」
「…!…俺にとっては…ただの妹で…それ以上の気持ちは…」
諒一がそう言うと、ドアの外から「お兄ちゃんのばか!」という声がした。
「!…佑梨!」
友美が驚いて椅子から立ち上がり、ドアを開いた。階段を上がって行く佑梨の足音がする。友美は佑梨を追って行った。
諒一は、再び頭を抱えた。
「諒一…」
直樹が優しい声で言った。
「本当に妹以上の気持ちはないのか?」
「!…父さん…」
「私は、佑梨が他の男にうつつを抜かすよりは、お前と一緒にいてくれることの方が嬉しい。…友美さんも今の様子からすると、お前と佑梨が一緒になってくれることを望んでいるようだし。…もし…佑梨に少しでも妹以上の愛情を感じるのだったら…ここを出ずにいて欲しいんだ。」
「……」
諒一は首を振った。
「…自分でも…わからないんだ…佑梨への気持ち…。」
「お前は…自分で無意識に佑梨への想いを抑え込んでるんじゃないか?」
「!…」
諒一は顔を上げた。
「…佑梨が産まれた時…お前は佑梨を守ってくれると言った。…その想いは、どんな形でもいいんじゃないか?いずれお前達が所帯を持つ形でも私は気にしないよ。」
「年が…」
「年は関係ない。友美さんも言っていただろう…。私も気にしないよ。」
諒一は頭を振った。
「…だめだ…頭が混乱して…」
「まだはっきり決めることはない。…佑梨はまだ中学生だ。ただ、家を勝手に出ていくとか、そんなことはしてくれるなよ。佑梨を泣かせる奴は、たとえお前でも許さないからな。」
「!…」
諒一は「わかった」と答えた。
……
翌日-
諒一は、コンサートの打ち合わせのために家を出た。
「お兄ちゃん!」
佑梨が慌てるようにして出てくる。日曜日なので、学校は休みだ。
「…何だ?佑梨。」
昨夜のことがあって、諒一は冷たい口調になっている。
「…何でもない…いってらっしゃい。」
佑梨が少し下向き加減に言った。
「…いってきます。」
諒一は、キーのボタンを押して車のロックをはずした。そして運転席に乗り込んだ。
佑梨がじっと諒一を見ている。
諒一はため息をついて、窓を開けた。
「佑梨」
佑梨は少し驚いたような表情をして、近寄ってきた。
「いってらっしゃいのキスは?」
諒一がそう言うと、佑梨は満面の笑みを見せた。そして、車から少し体を乗り出している諒一の唇に、ちゅっとキスをした。
「いってきます。」
「いってらっしゃい!」
佑梨は走り去る諒一の車に手を振っている。
バックミラーでその姿を見ながら、諒一は苦笑した。
(…いつか…本当に好きな人が出来るだろう…)
諒一はそう思っていた。
(その時まで、俺が守るしかないか。)
そう思い直して、諒一はアクセルを踏んだ。