スーパーショートスリーパー :約3000文字 :コメディー
とある午後。マンションの一室。白い壁と天井に囲まれた広々としたリビング。壁際には観葉植物が整然と並び、茶色のフローリングの床は鏡のように磨き上げられている。
複数のスポットライト型の照明は室内を暖色系の温かみのある光で包むと同時に、家主――黒いタンクトップ姿の男の鍛え抜かれた体の陰影をくっきりと浮かび上がらせていた。
――本日はよろしくお願いいたします。
「はい、どうもこんにちは。こちらこそ、よろしくお願いしまっす」
互いに軽く会釈を交わした。背もたれのない低いソファに向かい合って座る二人。この日、男は記者の取材を受ける予定だった。
――自宅にお招きいただき、ありがとうございます。とてもきれいにされてますね。それに、トレーニング器具がたくさん……。
記者は部屋を見渡した。ダンベルやベンチプレス台、腹筋ローラー、バランスボール、チェストプレスマシン、バーベル――トレーニング器具がこれでもかというほど置かれており、まるで小さなジムのようだった。
「ええ、トレーニングが趣味でしてね。たぶん、プロの野球選手なんかよりも、よっぽど鍛えてるんじゃないかなあ」
男は軽く腕を曲げてみせた。隆起した自身の筋肉を、惚れ惚れと見つめた。
――なるほど。確かに、相当鍛えていらっしゃいますね。それでは、さっそく本題に入らせてください。あなたは今、“スーパーショートスリーパー”としてSNSを中心に話題になっていますが、一日の睡眠時間はどれくらいなのでしょうか?
「はいはい。一日だいたい10分ですね」
――10分!? それはすごいですね……。
「ええ。まあ基本的な話なんですけど、睡眠って体に毒なんですよ。ほら、寝すぎて体がだるくなった経験あるでしょ? あれが証拠。人間、必要以上に寝るからおかしくなるんですよ」
――確かに、だるく感じることはありますが……それでも10分というのはかなり短いですよね。
「あ、そう? ははは、どうも。まあ、それ以上寝ちゃうとよくないからね。僕の場合はさ」
――でも、眠くなったりはしないんですか?
「まあ、もう慣れましたよ。そりゃあ僕も最初から10分だったわけじゃなかったですからね。2時間、1時間、30分、と徐々に短くなっていった感じです」
――なるほど。体を少しずつ慣らしていったんですね。
「慣らしたというより、作り変えたと言ったほうが正確かもしれないですね。超人に。ははは」
――確かに常人離れしていますね。でも、どうしてそこまでしてショートスリーパーになろうと思ったんですか?
「んー、なろうとしたというか……自然となったというか……まあ、そのへんはちょっと僕のパーソナルな話になるんでアレですけど、もう一つの大きな理由は“もったいないな”って思ったからですね」
――もったいない、というと?
「人間の寿命って、せいぜい80年くらいじゃないですか。でもそのうちの3分の1は寝て過ごすわけでしょ? その時間、何もしないで捨ててるって、もったいないじゃないですか」
――ああ、確かに中学生くらいの頃に似たようなことを考えた覚えがあります。
「でしょ? その時間で、トレーニングして読……読書……して……資格の勉強……とか……いろ……いろ……」
――ん……? どうされました?
「いやいや、なんでもないですよ。……ふぁあ」
――えっ、今あくびしました?
「いやあ、してないですよ、ふう」
――あの……本当は眠いのに無理しているとか……。
「ははは、そんなわけないでしょ。はははははははは!」
――いや、笑って眠気を吹き飛ばそうとしてません……?
「眠気……? って何? 意味がよくわからないな」
――いや、眠りはするんだからわかるでしょう。
「ふん、ふんふんふんふん!」
――ちょ、急にどうしたんですか!?
「いや、ちょっと筋トレしたくなって」
――筋トレって、眠気覚ましだったんですか!? それ、絶対無理されてますよね。ちゃんと寝たほうがいいですよ……。
「いやあ、全然無理してないよ。それに、定期的に仮眠もとってるしね」
――え、10分以外にもですか? へえ。ちなみにそれは、どれくらいの長さ……?
「一回につき、15秒くらいかな」
――15秒!? それ、眠るまでの時間のほうが長そうじゃないですか。
「いやあ、そんなことないよ。眠ろうと思えば、いつでも1秒でストンっていけるからね」
――じゃあ、常に眠い状態ってことじゃないですか。やっぱり無理しないほうがいいですよ。脳の老廃物を排出するために睡眠は必要不可欠だという研究もありますし。
「それって動物実験でしょ? 人間には当てはまらないよ。ウアアアアアアアオオオオ!」
――きゅ、急にどうしたんですか!? また眠気覚ましですか!?
「いや、ちょっと発声練習をね……それよりさ、もう少し声を大きくしてくれないかな」
――え、聞き取りづらいですか?
「いや、ちょうどいいよ。落ち着いてて、柔らかくて……眠くなっちゃうから……」
――いや、普通の声ですけど。相当眠いんじゃないですか?
「ちょっとシャワー浴びてきていい?」
――また急ですね。眠気覚ましですか?
「いやいや、僕ね、シャワー浴びるのが好きなの」
――へえ、きれい好きなんですね。お部屋もそうですし。一日に何回くらい浴びるんですか?
「十七回くらいかな」
――おおー……まあ、もう驚きはしませんけど……。
「お風呂も好きなんだけどさ。前に、つい寝ちゃって溺れかけたんだよね」
――やっぱり無理してるじゃないですか。素直に寝たほうがいいですよ……。健康を害したら意味ないじゃないですか。早死にしちゃいますよ。
「いやー、むしろ寝たら死んじゃうよ。ははははは!」
――そんな雪山で遭難している人みたいな……。
「時間がもったいないしね! 一分一秒が大事! 人生だからね!」
――でも、シャワーを浴びる時間は余計に使ってるわけですもんね……。
「いやあ、シャワー好きだから! ははははは、はあああっ!」
――急に叫ばれると怖いですよ。ほぼ動物じゃないですか……。
「う、うう……」
――えっ、泣いてるんですか……? あの、すみません。ちょっと言いすぎました……。
「うう……ははははは、ははははははは!」
――情緒が……。
「君もあいつらの仲間か?」
――急に真顔。あの、あいつらって……?
「ショートスリーパーを広められると困る組織の連中だよ。黒ずくめで、いつも急に現れて脅してくるんだ」
――そんな組織ないですよ……。ただの幻覚じゃないですか。脳が“寝たほうがいい”って警告しているんですよ。
「じゃあ、僕にとっては実在するのと同じじゃないか」
――それは……まあ、そうなんですかね……。
「だろう? 問題なし……待てよ、君も幻覚か?」
――こわ……。区別がつかない時点で問題大ありですよ。
「冗談さ! あははははははははは!」
――ははは……あの、そろそろ取材も終わりに……。
「あ、そう。よかった。そろそろ仮眠を取りたいんでね」
――眠いんじゃないですか……。あ、でもせっかくなので時間を測ってもいいですか?
「いいよ。きっかり15秒で起きるから。まあ……今日は普段と状況が違うし……シャワーも浴びてないし……最悪、10分以内なら……まだ……大丈夫……でも……もし……10分過ぎたら……起こし…………」
言葉は尻すぼみに消え、そのまま男の体ががくりと前へ傾いた。記者はソファからそっと身を乗り出し、男の顔を覗き込んだ。
――眠りましたか……? ……10秒……30秒……2分…………5分………………10分……あのー、帰りますね……。取材を受けていただき、ありがとうございましたー。
記者は足音を忍ばせて部屋を出ていった。ドアが閉まり、足音が廊下の向こうへと遠ざかっていく。
静まり返った室内には、男の小さな寝息だけが規則的に響いていた。
そして――記者が部屋を出てから、およそ10分後。
男はばちりと目を見開いた。
ゆっくりと上体を起こし、天井を見上げて首を鳴らす。骨が乾いた音を立てた。
「……ふう、ようやく眠ってくれたか。まったく、ずいぶん抵抗してくれやがって。だが、これで主人格が目覚めることはもうない。この肉体は、おれのものだ」




