表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
返り花  作者: Nep


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

9/16

09 手

衝撃は鈍かった。

 

雪が潰れる音がして、次いで腕に痛みが走る。

だがそれより先に、背中の重みを確かめた。

 

「……シイナ!」

 

ケイリは転がる勢いを殺し、身体を横へ捻る。

背中を地面に打ちつけないよう、雪の上に自分の肩を叩きつける。

 

呼吸が乱れる。視界が白く瞬く。

それでも、まずは背中だ。

 

「おい……! 大丈夫か……!」

急いで起き上がり、シイナを降ろす。

 

木の根元に座らせ、幹にもたれさせる。影はまだ濃い。ここは日が届かない。

 

「……私、落ちなかったよ」

 

かすれた声で、シイナが笑う。

笑おうとして、うまく笑えなくて、口元だけが歪む。

その強がりが胸を刺す。

 

「バカ……!」

怒鳴ったつもりでも、声は震えていた。

 

ケイリは焦る手でシイナの肩を、腕を、背を探る。

折れてないか。打ってないか。

 

「痛いとこは!?」

 

「ないよ……ほんと」

その声が浅い。

 

そして、右頬に細い傷を見つけた。

木の枝に擦ったのだろう。

薄く裂けた皮膚から、血が滲んでいる。

 

赤い。

けれど、その赤は鮮やかじゃない。

どこか濁っている。

湿った鉄みたいな、錆びた色。

 

滲むのも遅い。

流れ落ちない。ただ、じわりと広がる。

 

「……なんで……」

 

生きている血の色じゃない。

生きている流れじゃない。

 

「ごめん……俺が……俺が急いだから……!」

言葉が溢れそうになる。

 

俺が昼に動いたから。

俺がシイナを連れ出したから。

俺が――

 

「ケイ」

シイナが、そっと呼ぶ。

 

「転けたけど……大丈夫? ケガ……してない?」

 

その言葉に、声が潰れた。

自分の頬を撫でるより先に、俺を気にする。

 

「俺っ……俺がっ……」

 

それ以上言えない。

言えば、シイナが悲しむ。

謝罪は、自分のための言葉だ。

 

励まさなきゃ。

何か言わなきゃ。

けれど、何を言えば救えるのか分からない。

 

何もできない。

そんな顔を見て、シイナがふっと笑った。

本当に、ふっと。

 

「私、一緒に過ごせて、楽しかったよ」

 

言葉が静かに落ちる。

 

「幸せだったよ」

 

何かが軋む。

それは慰めであり、別れの準備でもあった。

 

ケイリは気づく。

 

――諦めてる。

 

「ケイも疲れたでしょ」

シイナが続ける。

 

「少し、休も?」

 

がんばらなくていいよ、という声だった。

これ以上、無茶しなくていいよ、という目だった。

心が折れる音がした。

 

影は濃い。

ここなら、しばらくは涼しい。

時間が止まるかもしれない。

 

「……そう、だな」

 

ケイリは、隣に腰を落とした。

肩が触れる距離。

 

「手……つないでいい?」

シイナが言う。

 

「あぁ」

ケイリは手を寄せる。

 

「手袋ない方がいい……」

 

一瞬、指が止まる。

 

“温めるな”。

その言葉が、脳裏をかすめる。

 

――でもさ。どうせ終わるなら、手ぐらいつなぎたい。

 

あの夜の声が、蘇る。

 

「……そうだな」

ケイリは手袋を外した。

冷気が素手を刺す。

 

シイナの指に触れる。

冷たい。

けれど、確かにそこにある。

 

指を絡める。

外套も、雪も、もう挟まない。

直接、触れる。

それがどれだけ進めるのか、分かっているのに。

 

お互いの顔が、近づく。

吐息が混じる。

 

触れた唇は、氷みたいに冷たかった。

 

「……しちゃったね」

 

照れたみたいに、シイナが微笑む。

 

「ホントに楽しかったよ。昨日今日だけじゃない。今までずっと」

 

言葉が続く。

 

「出会ってから、ずっと」

 

息が浅い。声が細い。

それでも、止まらない。

 

「ケイ、ふだんそんなに笑わないのに……私がこんなになってから、いっぱい話してくれて……嬉しかった」

 

「おかしいよね。私、死んじゃうのに」

 

「あぁ……」

それしか言えない。

 

涙が落ちる。

時間を巻き戻したい。

そんなことで喜んでくれるなら、毎日笑ってやる。

毎日話しかけてやる。

 

――俺は最低だ。

 

「死ぬな……」

 

声が震える。

シイナの言葉が、ふっと途切れた。

 

「死ぬな! 助ける! 絶対! 死ぬなよ……!」

 

叫びが林にこだまする。

 

「……ケイ」

 

シイナの顔が崩れる。

今まで必死に作っていた笑顔が、壊れる。

 

「ちくしょう! 頼むよ!! お願いだ!! 助けてくれ!!」

 

声が裂ける。

 

そのとき。

 

ガサッ。

 

遠くで枝が鳴った。

叫びの余韻が、林に溶けきる前だった。

 

ケイリは息を呑む。

 

足音。

重くない。けれど、迷いのない踏み方。

獣の気配とは違う。

 

影が、木々の間で揺れる。


何が来ても、守る。

ケイリはシイナを庇うように、わずかに身を前へ出した。

 

風が枝を鳴らす。

もう一歩、足音。

そして、低い声が落ちた。

 

「……大丈夫か」

 

それは問いだった。

責めでも、驚きでもなく。

ただ、確かめる声。

 

木立の奥から、痩せた男が姿を現す。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ