03 数日
それから数日が過ぎた。
吹雪は止んだり戻ったりを繰り返し、村の道は踏み固められて黒い筋を作った。
ケイリは通った。
仕事の前に寄って、仕事のあとにも寄った。
会えない時は帰り道に病院の窓を見た。灯りがついているか、それだけ確認して安心しようとした。
最初の二日は、シイナは“元気そう”だった。
毛布にくるまったまま、いつもの笑い方で手を振った。
頬の赤みも残っていて、声もちゃんと弾む。
「ケイ、また変な顔してる」
「してねぇよ。これは真面目な顔だ」
「嘘だ」
「嘘じゃねぇって」
普段のケイリなら、こんなやりとりはしない。
笑わせたいのに笑えない自分がいる。
だから、無理やり明るい口調を作って、会話の形だけを守った。
シイナは笑うたび、右手で頬をふと触った。
ほんの一瞬。
三日目。
シイナは食べなくなった。
差し入れた煮込みを「いい匂い」と言う。
けれど、匙が進まない。
湯気を見つめたまま笑って話を続ける。
「ちゃんと食えよ。栄養」
「うん、あとでね」
右手が頬に触れる。
ケイリはそれを見て、言葉を飲み込んだ。
叱ったらシイナは笑って誤魔化す。それが嫌で別の話で逃げた。
「……なあ。街の医者、行こう」
シイナの目が一瞬だけ開く。驚いたみたいに。
でも驚いたのは言葉じゃない。ケイリの声が少しだけ素に戻っていたからだ。
「街……」
「うん。村の先生が悪いって言ってんじゃない。けどさ、ここだけで――」
言いながらケイリは笑いそうになった。必死なのを隠す癖が出る。
「俺、こういうの分かんねぇし。だからこそ、ちゃんとしてるとこ行こう」
シイナは笑った。
「……ケイ、優しいね」
それだけ言って、話を終わらせるみたいに目を閉じた。
ケイリはうなじの蕾を見ないようにして、笑い返した。明るく。明るく。
四日目。
夜になると、シイナは目を覚ますようになった。
看護師が小声で教えてくれた。
「眠りが浅いみたいでね。……首の後ろ、痛むのかも」
病室に入ると、シイナはすぐ笑った。
「ケイ」
「痛いのか」
「痛くないよ」
そう言って、右手が頬に触れる。
「……ほんとに?」
「ほんとほんと」
頬に触れる指が、もう一度。ほんの少し遅い。
ケイリは息を飲み、笑いで埋めた。
「じゃあ明日、外出てもいいくらいだな」
「出たい」
シイナが即答して、しまったみたいに笑った。
「外……歩きたいな。一緒に」
冗談っぽい言い方だった。軽く投げるみたいに。
でも、目だけが真面目だった。
「この雪だぞ」
「天井ばっかだもん」
シイナは天井を指差して、ため息みたいに笑う。
「一回くらい、ケイと歩きたい」
ケイリは明るく返した。明るくするしかなかった。
「じゃあデートだな。退院したら」
「病院の廊下?」
「最悪のデートだろ」
「最悪」
笑い声が重なって、病室が一瞬だけ温まる。
そのあとシイナは短く息を吸った。肩がすこし上がる。うなじを庇うみたいに。
ケイリはそれを見て、視線を逸らした。
五日目。
シイナは何もない場所で転けた。
「少しだけ歩く」と言って、廊下へ出た。支えようとするとシイナは笑って手を振る。
「だいじょぶ。子どもじゃないし」
平らな床だった。段差も濡れもない。障害物もない。
それなのに、シイナの足がふっと空を踏んだ。小さく前に転ぶ。
「おい!」
ケイリが駆け寄るより早く、シイナは笑った。笑ってしまった、みたいに。
「あは……なにこれ」
「痛いか」
「痛くない」
すぐに言って、立ち上がろうとする。けれど膝に力が入らない。手が床を探して、指先だけが滑る。
笑顔のまま、息を吸って、止まった。
「……ほら、見て。雪、ないのに転んだ」
ケイリは笑えなかった。
笑えない代わりに、明るい声を作った。
「なら俺が手貸してやる」
シイナは一瞬だけ目を細めて、頷いた。
六日目。
うなじの蕾が目に見えて大きくなった。
髪で隠しきれない。結び目をずらしても、毛布の縁を上げても、そこだけ“形”がある。
触れていないのに、触れてはいけないと分かる。目に入るだけで指先が冷える。
ケイリはまた言った。
「街、行こう」
シイナは笑った。肯定もしない。否定もしない。
視線だけが遠くを見た。
七日目。
ケイリは医者を捕まえた。
診察室の前。薬草の匂い。
ケイリは、明るい声を作れなかった。
「先生。……良くなってますか」
医者はケイリを一度だけ見て、すぐ視線を外した。
「……持つかどうかの話になってる」
「……そんな」
「君は見送る準備をしておけ」
ケイリの喉が鳴った。声が出ない。
医者は淡々と続ける。
「家族に伝える相手がいないなら――君が受け止めろ」
言葉が胸に落ちて、底で割れた。
シイナの母は既にいない。父は山で行方が知れない。彼女の世界に、残っているのは――。
「……助ける方法は」
医者は視線を落とす。
「それでも連れて行くなら止めない」
医者は言い切ってから、最後に釘を刺す。
「だが、温めるな」
ケイリは一拍、意味が分からなかった。
「……弱ってるんですよ。温めないでどうするんですか」
医者は視線を外したまま言った。
「あの蕾は、温めると進む」
「……何が」
「開く」
ケイリの背中が冷える。
「開いたら――」
「終わりだ」
医者は言い切って唇を噛んだ。
「……だから守れ。温めるな」
病室へ戻ると、シイナは看護師と笑っていた。
その笑い声が、ケイリには悲鳴に聞こえた。




