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返り花  作者: Nep


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3/17

03 数日

それから数日が過ぎた。

 

吹雪は止んだり戻ったりを繰り返し、村の道は踏み固められて黒い筋を作った。


ケイリは通った。

仕事の前に寄って、仕事のあとにも寄った。

会えない時は帰り道に病院の窓を見た。灯りがついているか、それだけ確認して安心しようとした。

 

最初の二日は、シイナは“元気そう”だった。

 

毛布にくるまったまま、いつもの笑い方で手を振った。

頬の赤みも残っていて、声もちゃんと弾む。

 

「ケイ、また変な顔してる」

 

「してねぇよ。これは真面目な顔だ」

 

「嘘だ」

 

「嘘じゃねぇって」

 

普段のケイリなら、こんなやりとりはしない。

笑わせたいのに笑えない自分がいる。

だから、無理やり明るい口調を作って、会話の形だけを守った。

 

シイナは笑うたび、右手で頬をふと触った。

ほんの一瞬。

 

三日目。

シイナは食べなくなった。

 

差し入れた煮込みを「いい匂い」と言う。

けれど、匙が進まない。

湯気を見つめたまま笑って話を続ける。

 

「ちゃんと食えよ。栄養」

 

「うん、あとでね」

 

右手が頬に触れる。

ケイリはそれを見て、言葉を飲み込んだ。

叱ったらシイナは笑って誤魔化す。それが嫌で別の話で逃げた。

 

「……なあ。街の医者、行こう」

 

シイナの目が一瞬だけ開く。驚いたみたいに。

でも驚いたのは言葉じゃない。ケイリの声が少しだけ素に戻っていたからだ。

 

「街……」

 

「うん。村の先生が悪いって言ってんじゃない。けどさ、ここだけで――」

 

言いながらケイリは笑いそうになった。必死なのを隠す癖が出る。

 

「俺、こういうの分かんねぇし。だからこそ、ちゃんとしてるとこ行こう」

 

シイナは笑った。

「……ケイ、優しいね」

 

それだけ言って、話を終わらせるみたいに目を閉じた。

ケイリはうなじの蕾を見ないようにして、笑い返した。明るく。明るく。

 

四日目。

夜になると、シイナは目を覚ますようになった。

 

看護師が小声で教えてくれた。

「眠りが浅いみたいでね。……首の後ろ、痛むのかも」

 

病室に入ると、シイナはすぐ笑った。

 

「ケイ」

 

「痛いのか」

 

「痛くないよ」


そう言って、右手が頬に触れる。

 

「……ほんとに?」

 

「ほんとほんと」

 

頬に触れる指が、もう一度。ほんの少し遅い。

ケイリは息を飲み、笑いで埋めた。

 

「じゃあ明日、外出てもいいくらいだな」

 

「出たい」

シイナが即答して、しまったみたいに笑った。

 

「外……歩きたいな。一緒に」

冗談っぽい言い方だった。軽く投げるみたいに。

でも、目だけが真面目だった。

 

「この雪だぞ」

 

「天井ばっかだもん」

シイナは天井を指差して、ため息みたいに笑う。

「一回くらい、ケイと歩きたい」

 

ケイリは明るく返した。明るくするしかなかった。

 

「じゃあデートだな。退院したら」

 

「病院の廊下?」

 

「最悪のデートだろ」

 

「最悪」

笑い声が重なって、病室が一瞬だけ温まる。

 

そのあとシイナは短く息を吸った。肩がすこし上がる。うなじを庇うみたいに。

ケイリはそれを見て、視線を逸らした。

 

五日目。

シイナは何もない場所で転けた。

 

「少しだけ歩く」と言って、廊下へ出た。支えようとするとシイナは笑って手を振る。

 

「だいじょぶ。子どもじゃないし」

 

平らな床だった。段差も濡れもない。障害物もない。

それなのに、シイナの足がふっと空を踏んだ。小さく前に転ぶ。

 

「おい!」

 

ケイリが駆け寄るより早く、シイナは笑った。笑ってしまった、みたいに。

 

「あは……なにこれ」

 

「痛いか」

 

「痛くない」

 

すぐに言って、立ち上がろうとする。けれど膝に力が入らない。手が床を探して、指先だけが滑る。

笑顔のまま、息を吸って、止まった。

 

「……ほら、見て。雪、ないのに転んだ」

 

ケイリは笑えなかった。

笑えない代わりに、明るい声を作った。

 

「なら俺が手貸してやる」

 

シイナは一瞬だけ目を細めて、頷いた。

 

六日目。

うなじの蕾が目に見えて大きくなった。

 

髪で隠しきれない。結び目をずらしても、毛布の縁を上げても、そこだけ“形”がある。

触れていないのに、触れてはいけないと分かる。目に入るだけで指先が冷える。

 

ケイリはまた言った。

「街、行こう」

シイナは笑った。肯定もしない。否定もしない。

視線だけが遠くを見た。

 

七日目。

ケイリは医者を捕まえた。

 

診察室の前。薬草の匂い。

ケイリは、明るい声を作れなかった。

 

「先生。……良くなってますか」

 

医者はケイリを一度だけ見て、すぐ視線を外した。

 

「……持つかどうかの話になってる」

 

「……そんな」

 

「君は見送る準備をしておけ」

 

ケイリの喉が鳴った。声が出ない。

医者は淡々と続ける。

 

「家族に伝える相手がいないなら――君が受け止めろ」

 

言葉が胸に落ちて、底で割れた。

シイナの母は既にいない。父は山で行方が知れない。彼女の世界に、残っているのは――。

 

「……助ける方法は」

 

医者は視線を落とす。 

「それでも連れて行くなら止めない」

医者は言い切ってから、最後に釘を刺す。

「だが、温めるな」

 

ケイリは一拍、意味が分からなかった。

「……弱ってるんですよ。温めないでどうするんですか」

 

医者は視線を外したまま言った。

「あの蕾は、温めると進む」

 

「……何が」

 

「開く」

 

ケイリの背中が冷える。

「開いたら――」

 

「終わりだ」

医者は言い切って唇を噛んだ。

「……だから守れ。温めるな」


病室へ戻ると、シイナは看護師と笑っていた。

その笑い声が、ケイリには悲鳴に聞こえた。

 

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