16 街
朝の空は薄かった。
夜を越えたはずなのに、光にはまだ熱がない。
雪はやみかけていて、白んだ雲の下を、細かい粒だけが名残みたいに落ちている。
ファズは丘を登った。
足場は悪くない。雪は浅い。
この高さまで来れば、もう森も切れて、街が見える。
……見えるはずだった。
一歩、尾根を越えたところで、ファズは足を止めた。
そこに、二人がいた。
街を見下ろす斜面の途中、ケイリが岩にもたれて座っている。
眠っているようにも見えた。
けれど、猟師の目はそういう見間違いをしない。
膝の上には、シイナ。
抱いたまま、ここまで来たのだと分かる姿勢だった。
落とさないための腕。
庇うための肩。
最後まで“連れて行く”形のまま、二人は止まっていた。
ファズはしばらく何も言わなかった。
街は、もう見える。
空気が澄んでいれば、屋根の形も分かる距離だ。
「……ここまで来たか」
声は小さかった。
褒めるようでもあり、呆れるようでもある。
だが、そのどちらでも足りなかった。
ケイリの顔は静かだった。
苦しんだ跡はある。唇も、指先も、夜の冷たさに持っていかれている。
それでも腕だけが固い。最後まで離さなかったのだと、それだけで分かる。
シイナのうなじには、赤い花が咲いていた。
雪の中で、そこだけが夜明けみたいに色を持っている。
ファズは長く息を吐いた。
「……悔いが残るなら」
独り言みたいに、言葉が落ちる。
「お前も返るかもな」
返事はない。
あってたまるか、と思いながら、少しだけ待ってしまう自分がいた。
「……俺もか」
乾いた笑いが、短く漏れた。
それからファズはしゃがみ込み、まずシイナを見た。
次にケイリの腕を見る。
固くなった指を一本ずつ外していく。
無理に剥がさない。
怒らせないように、眠りを解くみたいに。
「少しだけ、借りるぞ」
誰に向けた言葉か、自分でも分からなかった。
二人をそのままにはしなかった。
街から見えるこの場所は、約束の終わりにはふさわしくても、眠る場所としては少し明るすぎる。
ファズは二人を抱え直し、丘の裏手へ運んだ。
風の当たりにくい窪地。低い木立が雪を受けて、外からは見えにくい場所。
春が来ても、しばらくは静かでいられる場所。
そこへ、並べて寝かせる。
ケイリの腕を、今度はシイナの肩へ置いた。
起きれば、また抱く形になるように。
「これでいいだろ」
雪が落ちる。
白い粒が、二人に同じように積もっていく。
赤い花だけが、その白の中で色を失わない。
ファズはしばらく立ったまま見ていた。
何か言うべきかと思ったが、思いついた言葉はどれも軽かった。
だから何も言わない。
雪は静かだった。
風も弱い。
眠るには、悪くない朝だった。
ファズは踵を返す。
街へ向かう道は、もう目の前にある。
人のいる場所。灯りのある場所。
それでも今のファズには、そっちの方が遠く見えた。
背後には、二人分の静けさが残る。
雪がそれを少しずつ覆っていく。
ファズは振り返らなかった。
振り返れば、自分まで足を止めそうだったから。
そのまま、白い朝の中へ降りていく。
返り花は、咲いていた。




