15 約束
背後で雪を踏む音が止まった。
ファズだった。
息は乱れているのに、声はもう乱れていない。
「……終わったか」
ケイリは答えなかった。
腕の中のシイナは、軽い。
さっきまで“軽すぎる”ことが怖かったのに、今はもう、その軽ささえ手放したくなかった。
赤い花が、雪の中で静かに揺れている。
風に揺れているのか、自分の腕が震えているのか、分からない。
ケイリはそっとシイナを抱き直した。
背負わない。肩にも乗せない。
両腕で包むみたいに、抱え上げる。
もう温度を気にする理由はなかった。
気にして守れる時間は、終わった。
雪が降る。
細かい白が、シイナの髪にも、花にも、ケイリの肩にも積もっていく。
ファズが低く問う。
「……どこへ行く」
ケイリは前を向いたまま答えた。
「街へ行きます」
ファズは一歩だけ近づく。
「何のためにだ」
ケイリは答えない。
その沈黙のまま、ファズは続ける。
「嬢ちゃんは、もう――」
「一緒に行くって言ったんです」
食い気味だった。
ケイリはシイナを抱えたまま、ほんの少しだけ腕に力を入れる。
「街へ連れて行くって、言ったんです。俺」
その言葉だけで、喉の奥が焼けた。
雪の夜。病院。デート。小屋。影。
そこまでの全部が、その一言のために残っていた気がした。
ファズは何も言わない。
言えないのか、言わないのか。
沈黙だけが、背中に落ちる。
ケイリは歩き出した。
夜の林道は白いのに暗い。遠くの空も、村の灯りも、何も見えない。
それでも前へ出る。前へ出るしかない。
腕の中のシイナは動かない。
赤い花だけが、時々、雪を受けて濡れる。
「……もう、十分だ」
後ろでファズの声がした。
ケイリは止まらない。
「それでも行くのか」
止まらない。
雪はしだいに濃くなる。
足跡がすぐに埋まる。埋まっても、また刻む。
ケイリは歩いた。
腕の中の重みを確かめるみたいに、一歩ずつ。
背後でファズはもう呼ばなかった。
雪の夜に、二つの影があった。
一つは立ち止まり、一つは遠ざかる。
やがて、立ち止まった影の前からも、白がすべてを奪っていく。
ファズはその場に立ったまま、長く息を吐いた。




