11 屍咲
家の中は、外より静かだった。
雪の音が遠のく。風が壁で止まる。代わりに、木の家鳴りだけが時々、小さく息をする。
男は迷わず奥へ進んだ。
扉をいくつも抜けて、最後に一つ、少しだけ躊躇うみたいに手を止める。
「……ここだ」
開けた部屋は狭い。
けれど、きちんと“部屋”の形をしていた。
窓は小さく、光が入りにくい。壁際にベッド。薄い布。枕。
誰かがいた名残が、まだ温度を持って残っている。
男はシイナを下ろし、手慣れた動きで縄を解いた。
布を抜いて、そっと寝かせる。
頭の向きを整え、肩の位置を直す。
ケイリは息を殺して見ていた。
乱暴な手つきじゃない。早いだけだ。早く終わらせるための手だ。
「……シイナ」
呼ぶと、まつ毛が微かに震えた。
返事はない。けれど、落ち切ってはいない目だった。
ケイリは枕元に近づいて、止まる。
触れたいのに、触れたくない。温度が怖い。
「俺、ここにいます」
置いていかれたくない声だった。
男が、ケイリの肩を軽く叩いた。
「いいから、こっち来い」
強くはない。拒めない程度。
ケイリは一度だけベッドを見て、それから部屋を出た。
扉が閉まる音は、思ったより軽かった。
薄い板一枚で、世界が分かれた気がした。
中にはシイナ。外には息と雪と、まだ知らない答え。
広間は暗い。
火は入っていない。梁の影が床に落ちて、家具の輪郭だけが残っている。
男は長椅子を顎で示した。
「座れ。……お前も休め」
ケイリは素直に腰を落とした。立っていられるほど脚が残っていない。
沈黙が落ちる。
外で雪が屋根を撫でる音が、少しずつ強くなっていた。
「……あの」
ケイリが口を開くと、男は目も向けずに返した。
「なんだ」
「ありがとうございました。俺たちを助けてくれて」
男は鼻で息を吐いた。
「助けてねぇ」
短く言って、間を置く。
「……一時だけだ。誰も助かってない」
言葉が、冷たい床に落ちて転がった。
ケイリは反射で反論しそうになって、飲み込む。
男が、ようやくケイリを見る。
「……お前ら、名前は」
唐突に聞かれて、ケイリは一拍だけ目を瞬いた。
でも、必要な確認だと分かった。ここから先、言葉にするための。
「ケイリです」
続けて、喉が詰まりそうになるのを押し込める。
「……あの子は、シイナ」
男は少しだけ目を伏せた。
それが祈りなのか、別の何かなのか分からない。
「ケイリと、シイナか」
呟きは静かだった。
それから、ほんの少しだけ声が柔らかくなる。
「……頑張ったな」
ケイリの胸がぎゅっと縮む。褒められる筋合いなんてないのに。
「あの……あなたは――」
食い気味に、男が切った。
「ファズだ」
名乗り方は、ぶっきらぼうだった。
“これ以上は聞くな”と言う代わりに、名だけを置いていく。
ファズは視線を戻す。
「お前は、あれについてどこまで知ってる」
あれ。
蕾、と言わなくても分かる。口にした瞬間、現実が固まるから、ファズも避けた。
「……温めると、進む。開いたら終わり」
指先が勝手に握られる。
「ほっといても進む。……シイナの身体、冷たくて」
言葉が溢れる。
「転けた時、頬を擦って……血が、錆みたいで……でもあいつ、元気なフリして……」
止めたいのに止まらない。吐き出さないと崩れる。
ファズは黙って聞いていた。
「分かってるじゃないか」と言う代わりに、まぶたを一度だけ落として、すぐ戻した。
「……屍咲草ってんだ」
初めて出た名前が、やけに静かだった。
この家の空気に馴染みすぎていて、昔からそこにあったみたいに聞こえる。
「寄生して、動かす」
ファズは淡々と言う。
「花が咲いたら……終わりだ。動かなくなる」
死、とは言わなかった。
避けたことが、逆に重い。
「助ける方法は……ないんですか」
声が、頼みになってしまう。
ファズは首を横に振った。
「助けられねぇ」
一拍。
「……というより、嬢ちゃんはもう、先に逝ってる」
ケイリの胸が跳ねた。
「何言って……生きてる」
声が荒くなる。
「シイナは、今も……!」
「屍咲草は、咲いて死ぬんじゃねぇ」
ファズの声は低いまま変わらない。
「屍に咲く。死が先だ」
ケイリの喉の奥が、ひゅっと鳴った。
「……嬢ちゃん、なにかあったろ。死ぬようなこと」
脳裏に雪山が浮かぶ。吹雪。遭難。戻ったのはシイナだけ。
「でも……」
「屍を、植物が動かしてる」
ファズは言い切る。
「もう人ってより、植物に近い状態だ」
植物。
その言葉がシイナの顔を塗り替えようとする。ケイリは、それを殴って壊したくなった。
「……あんたに、なにが分かる」
怒りのふりをした震え。怒りにしないと崩れる震え。
ファズは立ち上がり、窓へ歩いた。
外は白い。雪がさっきよりはっきり降っている。薄い昼が少しずつ削られていく。
「……寒いな」
独り言みたいに言ってから、ファズは窓の外を見たまま続けた。
「俺にも、娘がいてな」




