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返り花  作者: Nep


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10/17

10 猟師

男は周りを一度だけ見回し、音を探るみたいに首を傾けた。

枝の揺れ。雪の落ちる音。風の筋。――何もいない、と確かめてから、音を殺して近づいてくる。

 

「……大丈夫か」

 

ケイリはシイナを庇うように身を前へ出したまま、喉を鳴らした。

 

「……誰ですか」

 

男は視線を外さずに答えた。

 

「あぁ。俺は猟師をやってる」

それから、少しだけ面倒そうに顎を動かす。

「お前の声が、うるさかったからな……ケガしたのか」

 

言いながら、男の目がケイリの腕の雪汚れを追い、すぐにシイナへ移る。

その移り方が、迷いのない“見分け”だった。

 

「お前じゃねぇな……彼女か」

 

男が一歩、シイナへ寄る。

 

「触るな!」

 

ケイリの声が裂けた。

男は止まった。止まってから、肩をすくめる。

 

「触らねぇよ」

淡々とした声のまま、手のひらを軽く上げる。

「……ちょっと見せろ」

 

男は背負っていた狩猟道具を、雪の上に落とした。

刃も、鉄も、音も――全部、わざと見える場所へ。

安全だ、と言葉じゃなく動きで示してから、ゆっくりしゃがみ込む。

 

近づき方が、怖かった。

慣れている。怪我人に。動けないものに。死にかけの人間に。


男はシイナの肩口を見て、頬の傷を見て、呼吸の浅さを見る。

そして最後に、髪の隙間へ目を滑らせた。

 

うなじ。

 

男の目が、そこで一瞬止まる。

止まって――ほんの一瞬だけ、悲しそうに細くなった。

 

「……やっぱりか」

呟きは小さかったのに、雪の中ではやけに響いた。

 

ケイリも、釣られるように目を向ける。

 

蕾は――もう、隠せなかった。

うなじから盛り上がって、皮膚の下の“形”が外へ外へと寄っている。

月明かりみたいな光が、前より強い。

そして、その光の内側。裂け目の前で――赤が、覗いていた。

 

真っ赤な、花の色。

皮膚の内側から、世界へ出る場所を探しているみたいな色。

 

ケイリの肺が、音を忘れた。

 

男が立ち上がり、ケイリを見た。

 

「……もうあまりないな」

 

「なにがっ」

 

分かっている。分かっているのに、口が勝手に反抗する。

受け止めたら、そこで終わる。

 

「お前になにが分かる……!」

声が荒れる。息が荒れる。

「治る、治せる。俺が――」

 

男は表情を変えない。

怒りにも、泣き声にも、慣れている顔だった。

 

「お前が騒いで、何になる」

 

一言で、空気が落ちた。

怒鳴る力だけ抜け落ちて、ケイリの喉に声が引っかかる。

 

黙るしかない。

黙った途端、周りの音が戻ってくる。風。枝。雪の粒。

 

シイナが、うっすらと目を開けていた。

虚空を見ている。見えているのかも分からない目で。

 

ケイリは唇を噛み、感情を殺した。

殺さないと、崩れる。

 

「……なにか、知ってるんですか」

息を整える。

「この蕾のこと」

 

男は答えなかった。

代わりに、落とした荷物へ手を伸ばし、縄を掴む。

 

「……行くぞ」

 

「教えてください。お願いします。シイナは――」

 

「俺が担ぐ」

 

男は言い切って、ケイリの言葉を切った。

冷たくない。優しくもない。

“手段”の声だった。

 

男は布を抜き、シイナと自分の背の間に挟む。

熱が直接届かないように。

手慣れた動きでシイナを背負い上げ、縄を回し、肩と胸で固定していく。

揺れない。落ちない。逃げない。

 

ケイリはそれを見て、身体の奥が熱くなった。

希望じゃない。

希望に似た、現実だ。

この男は“知っている”。だから手が迷わない。

 

「どこへ」

 

男は背負ったまま、簡潔に返した。

「俺の家だ。日当たり悪くて、ここよりは休める。すぐそこだ」


日当たり。

その言葉だけを、ケイリは握った。

影が濃い場所へ行ける。今はそれでいい。

 

男が背中越しに声を落とす。

 

「嬢ちゃん。少し揺れるぞ」

 

シイナの返事はない。

眠ろうとしているのか、落ちているのか。分からない沈黙。

 

男はそれ以上何も言わず、歩き出した。

 

「急ぐぞ」

 

ケイリは一歩遅れて、影を踏む。

男の歩幅は大きい。雪を割る音が一定で、迷いがない。

慣れた森の歩き方だ。日向を避け、木の影を選ぶ。


「あの……あなたの荷物は」

ケイリが言うと、男は振り返らずに返した。

 

「そんなもの、後で取りに来ればいい」

 

その返答に、何かが混ざっていた。

優しさかもしれない。

あるいは、捨て慣れた諦めかもしれない。

ケイリは黙って背を追う。


 

そのうち、空気が変わった。

風が少し湿って、最初の一粒が頬に触れた。

冷たい、と感じる前に溶ける小ささ。

次の粒が肩に落ち、外套の布に白い点を作る。

 

雪が――また、降り始めた。

 

さっきまでの青空が嘘みたいに、空の色が薄くなる。

木々の間を、白いものが静かに縫って落ちてくる。

音は増えない。むしろ、森が少しずつ黙っていく。


男の背中の縄。揺れない重み。

その上にいるシイナ。

雪が、少しだけ濃くなる。

白い粒が、影の上にも落ちて、影の輪郭をぼかしていく。

 

やがて、木々の隙間に“家”が見えた。

森に押し込まれるように建っている。屋根が低く、壁が広い。

古い。けれど、形がしっかり残っている。

人が暮らしていた“器”の大きさが、そのまま残っていた。

 

男が言った。


「……着いた」

 

ケイリは息を吸った。

雪の降る音も、風も、全部その胸に入れて。

 

――まだ終わらせない、とだけ思った。

 

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