表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/10

証言

 翌日、私はビジネスホテルから出社した。


 前夜の判断が正しかったのかどうかは分からない。ただ、あの部屋に戻らなかったという事実だけが、頭の中に残っていた。


 午前中のうちに、取材という名目でいくつかのアポイントを取った。

 昨年、社内表彰を受けたこともあり、編集長からはある程度の裁量を認められている。その日の午後は、ほぼ自由に動けた。


 最初に向かったのは、伊藤という男性の親族だった。


 郊外のニュータウンにある団地の一室で、初老の男性が私を迎えてくれた。中村と名乗った。

 事情を説明すると、中村は少し間を置き、思い出すように話し始めた。


 伊藤は、切れ者だったという。

 仕事ができる一方で、細かいことによく気がつき、周囲に口を出すことも多かったらしい。

 煙たがられることもあったが、結果を出す人間だった。


 マンションを購入したのは四十代の半ばだった。

 独身で、金の使い道も特になく、新築の部屋をほとんどローンを組まずに買ったと聞いている。


 私は、本題に入った。

 伊藤の死因について尋ねると、中村は驚いた様子も見せずにうなずいた。


 伊藤の死因は自殺だった。


 理由は分からない。

 少なくとも、周囲から見て思い詰めているようには見えなかったという。


 そこまで話すと、沈黙が落ちた。

 帰り支度を始めたとき、中村がふと思い出したように言った。


「そういえば、管理組合の仕事に、やけに熱心だったな」


 私は、その言葉を胸の内で反芻しながら、中村の家を後にした。


 次に向かったのは埼玉だった。

 林という実業家の、かつての知人に会うためだ。


 指定された店に着いたのは、すでに夜だった。

 個室に通され、ほどなく宇山という男性が現れた。六十代だと聞いていたが、背筋が伸び、若々しい印象だった。


 挨拶を済ませると、宇山は静かに言った。


「どうしても、説明がつかないんです」


 林は、仕事が順調だった。

 少なくとも、宇山の知る限りでは、事業に行き詰まっている様子はなかった。


 夫婦仲も悪くなかった。

 仮に追い込まれていたとしても、二人揃って死ぬという選択は、林らしくない。


 宇山の話には、断定はなかった。

 ただ、「納得できない」という感情だけが、一貫していた。


 それ以上の具体的な話は出なかった。

 時計が二十二時を回ったところで、その日は切り上げた。


 その夜は、埼玉のビジネスホテルに泊まった。


 部屋で資料を整理しているうちに、ふと、あのマンションの売買記録が気になった。

 改めて調べ直すと、過去の取引の多くが、林が亡くなる直前に集中していた。


 一部屋ではない。

 複数の部屋が、ほぼ同じ価格帯で、短い期間に動いている。


 ネット上の情報からは、購入者の名前までは分からなかった。

 ただ、時期と金額を考えると、林以外の人物を想定するのは難しかった。


 何のために、あれほどの部屋を買ったのか。

 管理のためか、投資か、それとも別の理由か。


 答えは出なかった。


 ただ、伊藤も、林も、マンションの運営や管理に深く関わるようになってから、急に状況が変わっている。


 私は、ノートを閉じた。


 調べれば調べるほど、個人の感情や善悪とは別の場所で、

 物事が処理されていく仕組みのようなものが、少しずつ輪郭を帯びてくる。


 それが、誰の判断で、どこまで意図されたものなのかは、まだ分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ