表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/38

第7話 獅子の飛翔

――ストックホルム王宮、翌日

戒厳令が敷かれ、港には大砲が積み上げられ、馬車が雪を蹴る音が途切れなかった。

新たなる戦争の勃発が誰もを焦らせていた。

宮廷は混乱していた。

誰もが責任を避け、少年王に判断を押し付け、あるいは拒んだ。


「一体、誰がいる? 将軍たちは許可を待ち……」


「ホルシュタインが陥落すれば、次はリガだ!」


怒号が飛び交う。

机が叩かれる。

書類が散乱する。

私は、その光景を見つめていた。


(ああ、まただ)


長らく続いた平和が、音を立てて崩れていく。

そのとき、扉が静かに開いた。

そこにいたのは、少年王――カール十二世だった。

軽鎧の上から剣を帯び、濡れた髪に結露が光っていた。

だがその瞳は、一点の曇りもなかった。


「臣たちよ」


その一言で、全員が立ち上がった。

空気が――変わった。


「敵はホルシュタインを包囲し、すでにいくつもの街が焼かれた。民が泣いている」


地図に手を置く。

大広間に、一瞬、冷たい沈黙が落ちた。


「……まさか、十五歳の王が、自ら出陣を?」


誰かが小さく呟いた。

声には驚きというより、恐怖が混じっていた。


「余はこの国の王である。民のため剣を取らずして、何が王たる器だ」


少年王カール十二世は壇上に立ち、冷たい青い瞳で全員を見渡した。

そしてゆっくりと言葉を放つ。


「余はホルシュタインへ親征する。敵を撃破し、我が民を守る」


言葉は簡潔で短かった。

だが、その声には剣よりも鋭い力があった。

その瞬間、広間の空気が張り詰めた。

アクセルが一歩、王の前へと進み出る。


「陛下、それはあまりにも……あまりにも危険に過ぎます!」


声は震えていた。

だが、それは恐怖からではなく、王を案じる真摯な心からだった。


「まだ十五にして、親征など……」


「臣下に命じるべきでございます! 陛下自ら行かずとも……!」


別の文官も叫ぶように言った。

声には必死さが滲んでいた。


「万一、陛下に何かあれば、王国は瓦解いたします!」


「国内には即位を快く思わぬ者もおります。お姿を空けるなど……!」


しかしカールは一歩も退かない。

目には怒りも苛立ちもなかった。

ただ、冷たい決意だけがあった。


「余は、玉座に座っているだけの王ではない。戦場が余を呼んでいる」


オクセンシェルナが声を荒げた。


「それは"狂気"です! 陛下は王にしてまだ十五歳、剣はお強くとも……!」


少年王はオクセンシェルナの言葉を静かに制した。


「狂気か――そうかもしれん」


声は低く、しかし広間の隅々まで響いた。


「父王は剣を抜き、血で国を治めた。余はそれ以上をせねばならぬ。恐れられるだけでは足りぬ。信じさせねばならぬ」


臣下たちは声を失った。

カールはさらに言葉を続けた。


「ロシアもポーランドもデンマークも、余を"子供"と思っている。ーーだからその油断を突く」


その瞳には、十五歳の少年の儚さや幼さはなかった。

ただ、鋼のように冷たい炎だけが燃えていた。

私は――

その目を見て、胸が冷えた。

あの湖畔で見せた目とは、違う。

あの夜、寓話を求めた目とは、違う。

これは――

王の目だった。

いや。

戦場を求める、獣の目だった。


「命令する」


声が落ちた。


「兵を集め、船舶を用意せよ。五日後、余が出陣する」


重苦しい沈黙が流れた。

誰も反論できなかった。

老臣が、小さく頭を垂れた。

アクセルも言葉を探したが、ただ一歩、膝を折った。


「……御意」


その瞬間、広間の空気が変わった。

臣下たちは次々と頭を垂れた。

カールは一瞥をくれただけで、踵を返す。

背中は小さかった。

だが、そこには王国の全てを背負う重さがあった。

私は――

その背を見つめていた。

胸の奥で、何かが軋んだ。


(陛下は――)


輝いている。

まるで、自分の居場所を見つけたかのように。

戦場を前に、生き生きとしている。

それは――

美しくも、恐ろしかった。

その声に、誰も言葉を返せなかった。

そこには命令ではなく、"覚悟"があった。

私は確信した。

この者は、戦場に生まれた王であると。

そして――

戦場が、この者を変えるのだと。


――ストックホルム

出征を二日後に控えた冬の朝。

王宮の小さな中庭には、雪が静かに降っていた。

私は、遠巻きに二人を見ていた。

白い凍りついた柘榴ざくろの木の下、十五歳の王と、まだ十一にも満たぬ王女が向き合っていた。


「……兄上、本当に行くのですか?」


ウルリカ・エレオノーラ。

少女は凍える指で王の袖をつかんだ。

カールはその小さな手を見下ろし、言葉なくそれを振り払った。

眼差しには一片のためらいもなかった。


「ーーお前には理解できぬかもしれんな。だが王として生まれた余の使命だ....」


カールがそう呟くと、まだ十にも満たぬ幼い妹は目に涙を浮かべた。

それをカールは呆れたかのような顔で見る。


「まったく、みっともない、泣くな、王の妹であろう」


その言葉に、少女は震えた。

だが泣かなかった。

唇を噛み、言葉を返した。

「……私は王の妹だから、泣きません....」


「でも、兄上の妹でもあります....だから怖いのです」


ウルリカもまた、幼いながらに王妹としての風格を持っていた。

その瞬間、カールの目が、僅かに揺れた。

長い沈黙。

やがて、小さく息を吐いた。


「……怖いか」


その声は、いつもより低かった。


「ああ、怖いだろうな」


カールは、妹の頭に手を置いた。

ほんの一瞬だけ。

だがそれは――

私がこれまで見たことのない、兄としての仕草だった。

「だが、余は戻る」


「必ず、か?」


「……ああ」


そして、手を離した。

けれど彼はそのまま背を向けた。


「レイフ」


呼ばれた私は、一歩前に出た。

王の背を追い、歩き出す。

カールは、もう振り返らなかった。

後ろには、妹が立っている。

だが彼は――

もう、王だった。

少女は、じっと兄の背中を見送っていた。

その目は、雪よりも澄んでいた。

王は剣を持って旅立った。

妹は言葉を胸に残した。

その差が、やがて国家を揺るがす運命の始まりとなるなど、このときの私は、まだ知らなかった。


王都の空は灰色に沈んでいた。

静かに、だが止むことのない雪が降り続けていた。

吹きすさぶ風の中、港には数千の兵が並び立ち、寒気に凍る板石の上で馬たちが吠えるようにいなないた。

大砲が縄で引かれ、船の甲板に積み込まれていく。

重い金属の音が、雪の静寂を打ち砕くように響いていた。

私は、その光景を見つめていた。

胸の奥に、重いものが沈んでいる。


(ああ、これが戦争か)


長らく続いた平和が、完全に終わった。

今、私たちは――

戦場へ向かう。

兵士たちの顔を見た。

若い者、老いた者、不安そうな者、意気込む者。

彼らの中には再試行D続ける彼らの中には、死ぬ者もいるだろう。

家族の元へ、戻れない者もいるだろう。

私は、それを知っている。

戦場が何をもたらすのかを。

だから――

胸が重かった。


その中で、カール十二世は先頭にいた。

黒い軍装に銀の胸甲、王冠の代わりに白銀の兜を戴き、彼は馬上にまっすぐに座っていた。

その姿はまるで、彫像のようだった。

言葉ひとつ発さず、ただ王の威厳だけが周囲を支配していた。


だが――

その目には、炎があった。

生き生きとした、戦場を求める炎が。

私は――

その姿を見て、何かを感じた。

美しい、と。

恐ろしい、と。

そして――

哀しい、と。

やがて市民が集まり始めた。

彼らは家族を見送る者、王を見つめる者、そして祈る者たちだった。

その中に、一人の母親がいた。

まだ四、五歳ほどの少年を抱き、雪をかぶりながらも、列の隙間を縫って前へと駆けた。

頬は凍りつき、目は涙で赤くなっていた。


「陛下……どうか……どうか無事にお戻りください……」

母の声は、風に消えずに届いた。


周囲の群衆がざわつき、次第に波紋のように声が重なっていく。


「陛下、どうか……死なないで……」


声が押し寄せ、兵の列が乱れかけた。

衛兵たちが盾を構え、王の周囲に身を寄せる。

その瞬間、群衆の中から一人の子が飛び出てきた。

私を含む王の衛兵は、子供とはいえ王への接近を止めるために抜刀をした。

母親の叫び声が聞こえる。

その時、カールが静かに馬を降りた。

白銀の兜が雪明かりを受けて淡く輝く。

彼は無言で、母と子の前へ歩み寄った。

息が白く空へ立ちのぼる。

カールは、ゆっくりとその子に膝を折った。


「名は?」


母が戸惑いながらも答える。


「……ヨアキム」


カールは頷き、小さな少年の目をじっと見つめた。

氷のような蒼い双眸。

だがその奥には、一瞬だけ、まるで誰かを懐かしむような温もりが宿った。

私は――

息を呑んだ。

あの目を、私は知っている。

あの湖畔で見せた目。

あの夜、寓話を求めた目。

それが――

今、そこにあった。


「ヨアキム。余は戦へ行く。だが、お前が大きくなる頃には――この戦は終わっている。そうなるよう、余が責を負う」


少年は雪に濡れた睫毛の下から、恐る恐る王を見上げた。

彼は幼い手で、カールの手袋の指先に触れた。


「……じゃあ、戦いが終わったら……帰ってくる?」


その問いに、カールはわずかに目を細めた。

ほんの一瞬だけ、その口元が揺れた。

それは、私でさえほとんど見たことのない――純粋な笑みだった。


「ーーああ、約束しよう」


私は、馬上のカールを見つめていた。

ヨアキムに膝をつき、約束を交わしたあの瞬間。

あの目には――

普段は決して見せない、何かがあった。

優しさ、というには儚すぎる。

だが確かに、そこにあった。


(陛下は――)


人間なのだ、と。

改めて思った。

王であろうとしながら、まだ人間であることを、完全には捨てきれていない。

それが――

私には、救いだった。

だが同時に――

恐怖でもあった。

戦場が、その人間性を奪うのではないか、と。


「――ヨアキムだけではない、ここにいるすべてのスウェーデンの民に次ぐ! 余は敵の侵攻を跳ね返し、勝利を掴み取る!」


「――だから、皆余を信じろ....」


その目は力強く、言葉には自信がこもっていた。

カールは立ち上がり、再び馬に乗ると、馬上からその親子を一瞥し、全ての観衆に向けて声を張った。


そして、軍旗が掲げられた。

風に翻る青と黄の旗の下、号令が響く。

兵たちは整列し、雪の中を前進を始めた。

王の姿は、その先頭にあった。

吹雪のなか、まるで伝説に描かれる英雄のように――背筋を伸ばし、民と国と誇りを背に、戦へと向かっていく。

その背を、私は黙って見つめていた。

胸の奥で、何かが混ざり合っている。

誇り。

不安。

憂鬱。

そして――

祈り。


(どうか――)


私は心の中で呟いた。


(陛下が、陛下のままでありますように)


(あの優しさを、失いませんように)


だが――

その祈りが届くのかどうか、私にはわからなかった。

やがて門がゆっくりと開く。

鋼の音が冬の空気を裂いた。

そして、カール十二世の初陣が始まった。

歴史が、大きく動き出した瞬間だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ