第42話 嵐前の歪み
スウェーデン軍内部は言葉にできない重苦しさが上から下まで満ちていた。
アームフェルトは、元々あまり冗談を言わない男だった。真面目で、信念に熱く、不器用。だがあの夜以来、彼は人と口を聞こうとしなかった。誰かが話しかけても目を逸らし、返事をすることもなかった。天幕からは、夜な夜な酒瓶が転がる音が聞こえた。
レーヴェンハウプトも違った。いつもは皮肉屋で、茶化すことで場を和ませる男だった。だがここ数日、彼の顔から笑みが消えていた。いつもの皮肉も、冗談も聞かなくなった。代わりに、彼の目には何かに追い詰められているような色が浮かんでいた。
そんな中でもレーネは、ずっと変わらなかった。三代の王に仕えてきた彼は、すべてを見てきたのだろう。ただ、その目には、何かを察しているような色があった。
その日の昼下がり、レーネから伝令が来た。
「茶会を開く。五時に、儂の天幕へ来い」
短い伝言だった。私は、その意味を測りかねた。茶会? こんな時に?
指定された時刻、私はレーネの天幕へ向かった。扉を開けると、既にアームフェルトとレーヴェンハウプトが座っていた。
天幕の中央には、簡素な卓が置かれていた。その上には、陶器の茶器が並んでいる。湯気が立ち上っていた。
「こうして集まるのは久しぶりじゃの。まあ座りな」
レーネが言った。私は、三人の中で最も若い。末席に座った。
沈黙が落ちた。
誰も口を開かない。ただ茶器を見つめているだけだった。レーネが、ゆっくりと茶を注いだ。その動作は丁寧で、無駄がなかった。
「……レーネ」
アームフェルトが、低く言った。
「こんな時に、一体何のつもりだ」
その声には、苛立ちがあった。
「決戦を目前に控えて、茶会だと?」
レーネは答えなかった。ただ、茶を注ぎ続けた。一つ、また一つ。四つの茶碗が、満たされていく。
「兵士たちは飢えている。士気は地に落ちている」
アームフェルトの声が、わずかに上ずった。
「そんな中で、我々将軍が茶を啜っている場合か」
「こんな時だからこそじゃろ」
レーネは、静かに言った。
アームフェルトは、何か言い返そうとした。だが、言葉が出なかった。彼は唇を噛み、視線を逸らした。
レーネは、一つの茶碗をアームフェルトの前に置いた。次に、レーヴェンハウプトへ。そして、私へ。最後に、自分の前に。
「儂のお気に入りじゃ、飲め」
その言葉は、命令ではなかった。だが、拒否できない重みがあった。
私は茶碗を手に取った。その瞬間、手が震えた。わずかに、だが確かに。茶の表面が、揺れる。
私は急いで両手で茶碗を支えた。だが、震えは止まらなかった。
レーヴェンハウプトが、茶碗を口に運んだ。一口飲んで、それを卓に戻す。その動作は、いつもの彼らしくなかった。ぎこちなく、硬い。
「……うまい茶だな」
彼は、無理に笑った。
「こんな戦場で、よくこんなものが手に入ったもんだ」
その声には、いつもの軽さがなかった。
「レーネの趣味だろう? 昔から、お前は——」
言葉が途切れた。
レーヴェンハウプトは、茶碗を見つめた。その目が、わずかに揺れる。
「……昔から、こういうのが好きだったな」
その声は、小さくなった。
沈黙が落ちた。
アームフェルトは、茶碗に手を伸ばさなかった。ただ、それを見つめている。その目は虚ろだった。
「酒はないのか」
彼は、呟くように言った。
「茶ではなく、酒を」
「ない」
レーネは、短く答えた。
「今日は、茶だけだ」
アームフェルトの顎が、わずかに震えた。彼は拳を握りしめた。だが、何も言わなかった。ただ、茶碗を睨みつけている。
私は茶碗を持ったまま、動けなかった。
飲もうとしても、手が震える。口に運べない。
視線が、宙を彷徨う。天幕の布。卓の木目。茶碗の縁。どこにも焦点が合わない。
そんな中、レーネは、自分の茶を一口飲んだ。そして、ゆっくりと卓に戻す。
「お主ら」
彼は、静かに言った。
「このままじゃと、死ぬぞ」
その言葉が、天幕に落ちた。
アームフェルトの肩が、強ばった。
レーヴェンハウプトは、顔を背けた。
私は——何も言えなかった。ただ、茶碗を握りしめていた。
「儂らは、軍の中心じゃ」
レーネは、続けた。
「お主らが揺らげば、部下も揺らぐ。お主らがしっかりしとらねば、兵たちはもっと不安になる」
その声には、叱責はなかった。ただ、事実があった。
「分かっておる」
レーヴェンハウプトが、低く言った。
「分かっておるさ」
彼は茶碗を持ち上げた。だが、口には運ばない。ただ、それを見つめている。
「だが、まあ」
彼は、無理に笑った。
「今更俺たちがどうしようと、もう遅いかもしれんがな」
その声には、いつもの皮肉があった。だが、その奥に何かがあった。
「ハウプト」
レーネが、彼の名を呼んだ。
「お主、まだ責任感じとるじゃろ」
その言葉に、レーヴェンハウプトの手が止まった。
茶碗を持ったまま、動かない。
沈黙が落ちた。
「……何のことだ」
彼は、低く言った。
「補給のことじゃ」
レーネは、静かに言った。
「お主、あれを自分のせいだと思うとる」
レーヴェンハウプトは、何も言わなかった。
ただ、茶碗を見つめている。
「違うか?」
レーネの声が、問いかける。
「……」
レーヴェンハウプトは、茶碗を卓に置いた。
その音が、やけに大きく響いた。
「——感じねぇわけねぇだろ」
その声は、低かった。
だが、その中には何かが込められていた。
「俺が、あの時もっとうまくやっていれば」
彼は拳を握った。
「もっと警戒していれば。もっと早く動いていれば」
「部下も失わなかったし、今兵士たちにきつい思いさせてねぇ。」
その声は、震えていなかった。
だが、その言葉の一つ一つに、重みがあった。
「それに」
彼は、卓を見つめた。
「陛下も、あんな決断をしなくて済んだかもしれん」
その言葉が、天幕に響いた。
沈黙が落ちた。
アームフェルトが、わずかに顔を上げた。その目には、何かがあった。
「……陛下は」
彼の声は、掠れていた。
「もう、正気ではない」
その告白に、誰も何も言えなかった。
「俺は——」
アームフェルトの手が、震えた。
「俺は、見ていた」
彼は顔を覆った。
「フロウシュタットで。あの虐殺を。そして何もできなかった」
「最近は忘れていたんだがな、最近反動が来てな」
その声は、途切れ途切れだった。
「酒を飲まなければ、眠れない。だが、酒を飲んでも——」
彼は言葉を失った。
レーネは、何も言わなかった。ただ、アームフェルトを見つめていた。
「グスタフ」
その名を、静かに呼んだ。
アームフェルトは、顔を上げなかった。
「お主は、正しくあろうとした」
レーネの声は、低かった。
「それだけで、十分じゃ」
その言葉に、アームフェルトの肩が、わずかに震えた。
「お主が今すべきなのは過去の償いじゃないじゃろ、前を向くことだ。お主もわかっているんじゃろ?」
沈黙が続いた。
私は——ただ、茶碗を握りしめていた。
あの夜のことが、脳裏に蘇る。カールの天幕で。あの言葉。あの目。あの沈黙。
私は、何を言えばいい。
私も、壊れている。
カールに、あんなことを言ってしまった。取り返しのつかないことを。
そして今——私は、ここにいる。
将軍として。
だが、私は本当に、将軍なのだろうか。
「レイフ」
レーネの声が、聞こえた。
私は、顔を上げた。
彼は、私を見つめていた。その目には、何かがあった。
「お主も、遠慮せず飲め」
私は茶碗を見た。まだ、口をつけていなかった。
震える手で、それを持ち上げた。口に運ぶ。
茶は、もう冷めていた。
だが、飲んだ。
喉を通る感触だけが、やけにはっきりしていた。
「……儂らは」
レーネが、言った。
「まだ、終わっとらん」
その言葉が、天幕に響いた。
「まだ、戦える」
アームフェルトは、何も言わなかった。
レーヴェンハウプトは、拳を握りしめていた。
私は——ただ、茶碗を見つめていた。
「数日後、ポルタヴァじゃ」
レーネは、続けた。
「そこで、すべてが決まる」
その声には、覚悟があった。
「お主らは、それまで持ちこたえろ」
沈黙が落ちた。
やがて、レーヴェンハウプトが立ち上がった。
「……老いぼれが柄でもねぇ事言ってんな」
彼は、そう言った。
「うるさいの、誰のためだと思ってる」
「余計なお世話だっての。俺たちはあんたの孫じゃねぇよ。
でも、ありがとなレーネ。」
「俺は、やるさ」
彼は皮肉混じりに、いつものように強い語気で言う。だが、その顔は心なしか落ち着いて見えた。
アームフェルトも、ゆっくりと立ち上がった。
「お主も、もう行くのかの」
「ああ、邪魔をしたなレーネ。すまなかった」
「気にするな。また飲みに来いグスタフ、今度は酒をの」
彼は愚直にレーネに一礼して、天幕を出て行った。
そして天幕には私とレーネだけが残された。
「レイフ」
レーネが、私を呼び止めた。
「お主は陛下にとって特別じゃ。お主は決して変えの効かない存在じゃ。」
その言葉の意味が、分からなかった。
特別なのは陛下じゃないのか、と。
「だから、死ぬでないぞ。何も諦めるな」
彼は、私を見た。
「ありがとう、レーネ。少しは気が楽になった。」
私は残った茶をぐいっと飲み、その場を立ち上がった。
「それならいいわい」
レーネはただ笑っていた。
彼に一瞥を交え、礼をし天幕を出た。
外に出ると、雪が降っていた。
いつの間にか、積もっていた。膝まで達する深さ。
私は、その中を歩いた。どこへ行くでもなく。
気づけば、野営地の端にいた。
そこで、声が聞こえた。
副官たちの声だった。
私は、そちらへ向かった。
焚き火の周りに、兵士たちが集まっていた。
ヘニングとエーリクが、彼らを説得しようとしていた。
「お前ら、いい加減にしてくれ」
ヘニングの声は、疲弊していた。
「副官殿、だが」
兵士の一人が、口を開いた。
「ここ数日、陛下からの指示がない。幕舎に籠もったままだ」
「陛下は、戦況を考えておられるのだろう」
ヘニングは言った。だが、その声には力がなかった。
「でもよ、不安になるのは、仕方ないだろ」
別の兵士が立ち上がった。
「こんな状況だ、敵地の真ん中で、俺たちは残されてる」
「それは……」
エーリクが、必死に言葉を探る中、ヘニングがその兵士の肩に手を乗せた。
「俺たちは一体誰だ? 忘れたか? スウェーデンの勇敢なカロリアンだ。王のために戦い、王に、祖国に命を捧げる勇敢な戦士だ」
彼の目は誰よりもまっすぐだった。
「あの方は特別な王だ。必ず俺たちのことを導いてくれる」
その言葉には、まだカールへの信仰があった。だが、その中には、疑念も混ざっていた。わずかだが、確かに存在していた。
「……そうだな」
その兵士が頷いた時、焚き火は静かに揺れていた。
だが、兵士たちの目を見れば分かる。説得ではなく、抑圧されただけなのだ。不安は、消えたのではなく、ただ表に出ないようにされたに過ぎない。
その時、別の方向から足音が聞こえた。レーヴェンハウプトの副官であるクラウスだった。
「おい、一体何やってんだ、ヘニング」
クラウスは、親しげに話しかけた。
「おおクラウス。ご無沙汰じゃねぇか」
「お前もそろそろ疲れてるだろ」
「疲れてる? そりゃあな」クラウスは、焚き火に手をかざした。
「こんな寒いのに、こんな陰鬱な雰囲気じゃあ、誰だって疲れるさ」
彼は兵士たちを一瞥した。
「だがな、皆。今が、一番大変な時だ。だからこそ、ここで耐えるぞ」
「しかし、クラウス殿」
兵士の一人が、声をかけた。
「このままで本当に大丈夫なんですか」
「正直、分からん」
クラウスは、正直に答えた。
「だが、分かるのは、今お前たちが団結していなければ、明日は確実に死ぬってことだ」
クラウスは気まずそうに口を閉ざした。
ちょうどその時、私が天幕から出ていくのに気づいた。
「レイフさん」
クラウスが、敬語で私に呼びかけた。
「お疲れ様っす」
「クラウス。よく来てくれた」
「いえ」
クラウスは苦笑し、お手上げとジェスチャーした。
「どこも似たような状況です。全く陰鬱でやってられないっすよ」
「ところでレーヴェンハウプトの様子は、どうだ」
私は、低く問いかけた。
茶会で、彼の苦悩を見た。だが——副官の目には、どう映っているのか。
クラウスの顔が、一瞬曇った。
「あの通り気さくに振る舞おうとする方なので、見た目では分かりにくいんすけど」
クラウスは焚き火を見つめた。
「最近のような様子は初めてなんすよ」
「……そうか」
私は頷いた。
やはり、レーヴェンハウプトは無理をしている。茶会での告白は、彼にとって限界だったのだろう。
「あの人は、歴戦の将だ。負け戦も経験してきてるし、部下も何人も失ってきてる。俺もあの人の側で何年も前線で戦ってきたが、最近のような様子は初めてで」
「……補給のことか」
私は、低く言った。
クラウスの目が、わずかに見開かれた。
「ご存知なんすか」
「少しだけ、な」
私は視線を逸らした。
あの茶会でのこと。レーヴェンハウプトの震える声。握りしめた拳。
「あの人はああ見えて、誰よりも責任感が強いんです」
クラウスは続けた。
「だからこそ、今の状況に責任を感じてるんです。兵士が不平を漏らし、王が塞ぎ込み、軍全体が崩壊しかけてる。そしてそれの一因が、自分の敗北にあると思い込んでるんすよ」
その言葉が、胸に突き刺さった。
茶会では、レーヴェンハウプトは最後まで笑っていた。いつものように皮肉を言って、強がって。
だが——その裏で、こんなにも追い詰められていた。
「そうか……ありがとうなクラウス」
私はそう言い残し、その場を離れようとした。しかし途中でクラウスが遮った。
「レイフさん」
クラウスが、私を呼び止めた。
私は立ち止まった。
「俺は——あの人の副官です」
クラウスは、焚き火を見つめた。
「だから、何を言っても『部下の励まし』にしかならない」
その声には、諦めではない。ただ、事実があった。
「でも、レイフさんは違う」
クラウスは、私を見た。
「あなたは対等だ。同じ将軍として、理解してあげてほしいっす」
対等。
その言葉が、胸に引っかかった。
「……クラウス、お前あいつのこと大好きなんだな」
「当たり前っすよ。一番尊敬してる人っすから」
クラウスはこんな状況でも無邪気に笑みを浮かべた。
そんな彼を見て私は手を挙げてその場を去った。
だが、歩きながら、胸の奥で何かが軋んだ。
対等じゃないと、分かり合えないのか。
カールの顔が、浮かんだ。
あの天幕での、あの夜。
王と臣。
その壁を、私たちは越えられなかった。
対等ではなかったから?——
それに私は、本当は人と繋がりを求めていた。
だが、それを維持することすら自身の矜持に阻まれる。
そんな自分が、他人を支えられるのか?
「……ああくそっ」
小さく呟いた。
気づけば私の視界のどこもかしこも雪に塗れていた。
スウェーデンという北国で暮らしてきたため、雪など毎年見ている。
日常の一部であり、意識することすらなかった。
だが、ここまで白く感じるのは今年が初めてだった。
その夜だった。
明日のポルタヴァ攻略の最終作戦を練るための軍議の最中だった。天幕の外で、突如、異変が起こった。
普段なら虫の鳴き声が聞こえるぐらい静かな外が、騒がしかった。
「全く一体なんなんだ、この大変な時期に兵達は気が緩んでるのか!」
一人の老将が立ち上がり、天幕の外へ出ようとした。衛兵達の声が天幕に少しずつ近づいてくる。そしてそれに際して彼らが何を叫んでいるかが聞こえた。
「止まれ!!それ以上進むな——」
喚声が響き渡るが、足音はとまらない。
天幕の中も徐々に将兵達が騒がしくなり、私も流石に気を引かれた。
そんな中突如カールが立ち上がり、同時に天幕の入り口がゆっくりと開かれた。
そして——
私は、息を呑んだ。
天幕の中の空気が、凍りついた。
入ってきたのは、一人の男だった。
長い茶髪に黒いコート。顔を覆う丁寧に手入れされたひげ、そして、熊のように巨大な身体。
誰も直接見たことはない。だが、その瞬間、全員が分かった。
この男が、何者であるかを。
ピョートル一世。
ロシアの皇帝。敵国の最高指導者。
天幕の中にいた全将官が、本能的に動いた。
剣が鞘から抜かれた。
金属音が、次々と響き渡った。
「止まれッ!!」
だが、ピョートルは一歩も後ろに下がらなかった。
その威圧感は、天幕を満たした。
カールと比べても、その男は圧倒的に大きかった。
身体も、体格も。だが、それだけではない。
その眼光、その佇まい、その存在感そのものが、別格だった。
そうしてその栗色の瞳が、天幕の全員を見回った。
ピョートルは、非常に丁寧で気持ちよい声で言った。そこには余裕があった。
「誠に申し訳ございません。こんな夜中に、突然お邪魔いたしまして」
彼は両手を上げた。武装していないことを示すように。
その態度は、礼儀正しく、非常に丁寧だった。
「カール殿。この度の私との対談の要請を寛大にも飲んでくださり感謝します」
彼はカールに向かって、穏やかな笑顔を浮かべた。その言葉を聞き将校は皆困惑した表情を浮かべた。
(陛下が...!?一体なぜ.....)
「この三人の護衛だけで参りましたのは、我が意思が善意によるものであることを示すためです」
その言葉は敵国の最高指導者としては異様なほどにへり下っていた。
だが——
しかし私含む将校たちの剣は、まだ抜かれたままだった。
「おや、私の心に悪意はないことが証明できなかったみたいだ。」
レーネはその古い目で、じっとピョートルを見つめたまま我々の代表として言葉を発した。
「戦時中の一国の最高指導者が、一体どうして敵国の心臓部へ?」
ピョートルは、穏やかに言った。
その声には、ほんの少しの皮肉があったが、決して嘲笑ではなかった。
「どうしてだろうな」
彼は肩をすくめた。
「俺も、分からないみたいだ」
緊迫した空気の中、意味のわからない言葉が返ってきたことに対し、将校達が次々と言葉を漏らし始める。
「ピョートル、一体何を考えやがる.....敵陣のど真ん中に大将自ら乗り込んできやがって」
「お前、死ぬ覚悟はできてるんだろうな!?」
将校達が口を開き、それぞれが叫び出す。
その時だった。
「ピョートルッ!!」
レーヴェンハウプトが、剣を抜いた。
天幕に、金属音が響いた。
だが、それは他の誰のものでもない。それまで沈黙を守っていたレーヴェンハウプトだけが、刃を握りしめていた。
「お前が、俺たちの苦労の元凶だ」
彼は歩み出す。剣を握ったまま。
「貴様がわざわざこちらの陣地に出向いてくるのは好都合だ、ここでお前を殺してこのクソ長い戦争にケリを付けてやる」
ピョートルは、レーヴェンハウプトを静かに見つめていた。
その目には、何の動揺もなかった。
まるで、怒り狂う獣を檻の外から眺めるような、冷ややかな観察眼だった。
だが——
「止まれ」
カールの声が、天幕に響き渡った。
一言。
たった一言だったが、その声には、絶対的な力が込められていた。
レーヴェンハウプトは、一瞬その場で止まった。
だが、彼の剣は、まだ握られたままだった。
「……陛下」
彼の声は、震えていた。
「この男は……」
「分かっている」
カールは冷たく言った。
「だが、手を出すな」
その命令は、絶対的だった。
レーヴェンハウプトは、ゆっくりと剣を下ろした。
だが、その目から、怒りの炎は消えていなかった。
「全員、退席を願う」
カールは冷たく言った。
「何か言うことがあるか」
誰も口を開かなかった。しかし一人、あの男だけは違った。
「陛下ッ!私も反対です、この男こそが我々を苦しめる張本人!ここで——」
「アームフェルト」
カールの声が、天幕に響き渡った。
一言。
たった一言だったが、その声には、絶対的な力が込められていた。
全将官が、一瞬で身動きできなくなった。
「退席を願う」
誰も口を開かなかった。
「陛下、しかし——」
アームフェルトが、わずかに声を上げた。
しかし絶対的な王にはその声は届かなかった。
「二度は言わぬぞ」
カールの声は、さらに低くなった。
「……はっ」
アームフェルトは、苦虫を噛み殺した様な顔をし、天幕を出ていった。
レーヴェンハウプトも、レーネも、その他の将校たちも、次々と従った。
そして、当然のように、私も席を外そうとした。
あの夜以来、カールと私は口を聞いていなかった。主君と臣下としての言葉だけを交わしていた。そして、こうした重要な会談に、私が立ち会う必要はない。
だが——
「レイフ」
カールが、突然私を呼び止めた。
「お前は残れ」
その言葉に、天幕の空気が、再び凍りついた。
ピョートルの目が、私に向けられた。
その目には、好奇心があった。
「へぇ、興味深い」
ロシアの王は、穏やかに笑った。
天幕の入り口は、ゆっくりと閉じられた。
残ったのは、三人。
カールとピョートル。
そして、私。
蝋燭の火が揺れていた。
天幕の外では、雪が、降り続けていた。




