第4話 成功例
湖畔から戻った翌朝、私はカールの執務室に呼ばれた。
扉を叩くと、短く「入れ」という声が返ってきた。
室内に入ると、カールは窓を背にして立っていた。
朝日が逆光となり、彼の表情は影に沈んでいる。
「どうされたのですか陛下。こんな朝早くに」
私はまだ眠い目をなんとか開きながら彼の前に立つ。
カールの顔はどこか沈んでいるようだった。
「――昨日お前は私にこの国を見せてくれた」
そして彼は私を見る。
「だが――お前は何かを隠しているな。それが気になっただけだ」
私は息を呑んだ。
「隠し事ですか……?」
「ああ、何を隠しているか教えろ」
その青い瞳は私を見る。
だが私は――言葉を返せなかった。
遠慮なのだろうか。
いや多分違う。
だが、私はそれでもカールに私の過去を明かしたくはなかった。
もしそれを明かせば、彼は哀れむだろう。
プライドなんてものは当にない。
だがそれだけは……嫌だった。
「……私は……ただの兵士ですよ。ただ先王陛下に見出された運が良かった――」
「レイフ」
カールが遮った。
「なぜ隠す」
私は目を逸らした。
沈黙。
やがてカールは、小さく息を吐いた。
「……お前が言いたくないのなら強要はしない」
彼はそう呟き、私を帰そうとした。
だが、私の中に疑念が浮かび上がった。
そしてそれを抑えられなかった。
「まず聞かせてくれませんか……」
私の言葉にカールが眉を細める。
「陛下は強さのため独りでいようとする……それなのに、なぜ陛下は私を選ばれたのですか」
その疑念は気付けば口から漏れ出していた。
「なぜ、私をあの日救ったのですか」
あの塔の夜から、ずっと疑問だった。
なぜ私を側に置くのか。
なぜ私に時折笑みを見せてくれるのか。
カールは長い沈黙の後、小さく呟いた。
「……ただの気まぐれだ」
だがカールは何かを答えることはなかった。
「それは……」
「いつかわかる日が来る」
カールは私を遮るように言った。
「だからおまえもいつか余に全て話せ」
それは命令だった。
いつもよりも強い口調での。
そうして私は頭を下げ、部屋を出た。
扉を閉める直前、振り返った。
カールは窓辺に立ったまま、動かなかった。
廊下を歩きながら、私は胸の奥に重いものを感じていた。
しかし考えても変わらない。
私は考えるのを辞め、陛下の帝王学の教師への用事を思い出し向かおうとした。
その時だった。
「レイフ・エークマン殿」
背後から声がかかり、振り返った。
そこにいたのはアクセルだった。
三代にわたり国政を支え、宮廷の奥深くを知る重臣。
白髪と深い皺に刻まれた顔には、長年の経験が宿っている。
政治の表舞台に立つその人と、私のような戦場育ちの兵士が言葉を交わすなど、今までなかった。
「アクセル殿……私めに何か御用でしょうか」
私の声は少し硬かった。
カール陛下の周囲に侍るようになってから、私への視線は変わった。
一部は取り入るようなそぶりを見せ始め、一部は疎ましさを隠しもしなかった。
この男はどちらなのか――探るように目を見た。
だがそのどちらでもなかった。
「カール太子が王になられてからもうすぐ半年が経つ」
アクセルは淡々と語り始めた。
「……その中でもあの方は妻を探すことも、社交会に出ることをしない。政務以上の関係を誰とも築こうとしない。」
それは私も知っている。だが、そんな事をなぜ私に――
アクセルはゆっくりと指を上げ、私に向かって指した。
「お前以外とは」
その瞬間、廊下の空気が張り詰めるのを感じた。
他に誰もいないのに、緊張が走る。
「一体何を――」
「お前は分かっているはずだ。お前は陛下にとって特別だと。」
アクセルは窓辺に歩み寄った。
外は登り始めた朝日が雲に隠されている。
「そんなお前にある話をしに来た」
「ある話……ですか?」
アクセルのこれまでの素振りから、私は身構えた。
だが、不思議なことに敵意がある様子でもなかった。
「この宮廷では有名な話だ。もう何年も前になる陛下の過去のことを」
アクセルは私の顔をゆっくりと見上げた。
(陛下の過去?)
そんなことを聞いていいのかという迷いがあった。
だが、同時に聞かなければならないという使命感にも駆られた。
「聞かせてください」
私はそう答え、アクセルは語り出した。
「まだ彼が"王子"と呼ばれていた頃の話だ」
その声はただの昔語りではなかった。
長年、王を見つめてきた者の、祈りにも似た重さがあった。
――――
十歳を迎えた歳の春、幼いカールは初めて戦場に連れて行かれた。
先王――カール十一世陛下は、勇敢で聡明な君主であられたが、とても良い父親とは言えなかった。
自身の戦を、まだ幼い王子は父に見させられた。
丘の上から溢れ出る血、絶え間ない叫び、地面を覆うかつて人間だった肉塊を。
当時彼らの護衛をしていたものの話によれば、幼いカールは何度も目を閉じ、耳を塞ごうとしたらしい。
だが、先王はそれを許さなかった。
目を背ければ、頬を叩かれ、耳を塞げば無防備になった腹を殴った。
そうして丘から見る戦場の記憶は、まざまざと若い王子の目に染み付いていった。
先王陛下の暴力は戦場だけでは収まらなかった。
幼い頃から甘やかされることなく、決まって毎日六時に起床させられた。
父と夫人二人、そして腹違いの妹と迎える朝食に談話はなかったとのことだ。
悲しいことにそんなことは序の口だった。
先王は若いカールに自由を与えなかった。
教科書ではなく絵本をよめば、その絵本は捨てられ、
フルートを隠れて吹けば、娼婦の真似かと文官たちの前で怒鳴られた。
若い王子の髪を引っ張り宮廷を引きづり回す先王を、彼に使えた人は皆知っている。
そして、12歳の誕生日を迎えた日、カールは深く怯えていたとのことだった。
誕生日は彼にとって、とっくにめでたいものでは無くなっていたのだ。
カールはいつも通り戦場に連れられてきた。
いつもと変わらない風景の中で、護衛たちは騒然としていたとのことだ。
そして彼の前に、捕虜となった若い敵兵が陣へと引き出されてきた。
『殺せ』
彼は自身の息子にそうとだけ告げた。
私はそこでアクセルの話を中断した。
中断せざるを得なかった。
「ちょっと待ってください……」
その話を聞いている間、私は息ができなかった。
そして今息を呑み、問いを投げかける。
「十歳の子供に……!?」
脳が事実の理解を拒んでいた。
どうやら私の声は大きかったらしく、アクセルが顔に皺を寄せた。
「立ってする話ではないな。ついてきてくれ」
そうして彼は私を小さな部屋に案内し、そこに私たちは座り話した。
「想像してみよ、レイフ殿。十歳の少年が、父王の命を背にして剣を握る姿を」
私は目を伏せた。
想像したくなかった。
だが――脳裏に浮かんでしまう。
幼いカールが、震える手で剣を握る姿。
「王子の手は震えていたという。捕虜は外国語で何かを叫んでいた。何を言っていたのかは分からぬが、その声色は怯えており、戦意を喪失していた」
「……陛下は」
「選択肢があったと思うか」
アクセルは目を閉じながら言った。
「……先王陛下は……慰めなかったのですか」
「いいや」
アクセルは首を振った。
「父王は息子を抱きしめることも、慰めることもなかった。そして告げた」
「……何と」
「『次だ』」
私は息を呑んだ。
「そうして捕虜を再び呼び寄せた、当時を知るものは確かにそう言った。」
私は言葉を失った。
なぜ――
なぜ、そこまで。
「なぜ先王陛下はそこまで……私には、そんなこと……」
私は声を絞り出した。
アクセルは悲しげに首を振った。
「本当にそうだろうか?」
アクセルは私の顔を見た。
「先王陛下は孤児の多くを拾われた。お前を含めた多くの者を。」
「だが、多くは戦場へ連れて行けば崩れ落ち、立てなかった。その中でお前はどうだった?」
アクセルの言わんとすることが、うっすらと頭に浮かんできた。
だが、私はそれを理解したくはなかった。
「それは……」
「お前は先王陛下にとって成功例だった」
アクセルはその事実を私に突きつけた。
「そんなこと……あの方は私にとって……」
私は少しの間放心状態になった。
本当にこの男の言っていることを信じていいのだろうか。
今あったばかりのこの男のことを。
だが、信じれば全ての辻褄が合った。
アクセルは続けた。
「だからあのお方はお前に自身の息子を託した」
「ひとつ聞かせてください――」
私は言葉を探した。
「あの方は、なんでこんなことを……」
「強さのためだ」
アクセルは簡潔に言い切った。
「自分を越える王を、帝国をさらに広げられる王を求めた」
だが、私にはそれが受け入れられなかった。
「だからって自分の息子をそんな風になんて」
アクセルは私を見て、一つの言葉を言った。
「『お前はもはや人間ではない。王だ』」
その言葉は短かった。だが、重く、部屋に沈んだ。
「先王陛下が口癖のように言われていた言葉だ」
私は歯を食いしばり、拳を握った。
「そんなの……王ではなく、兵器ではないですか」
アクセルは私を見た。
その瞳には、深い後悔があった。
「私達にはあの方を止めることができなかった。そして多分、今の陛下を止めることも――」
「だが、今なら、お前にならそれができる」
アクセルは私の目を覗き込んだ。その顔は至って真剣だった。
だが、私は脳内で処理が追いついていない。
「あなたは一体私に何を望んでいるんですか」
私はアクセルに疑念をぶつけた。
「レイフ殿……あの方に寄り添ってあげてくれ」
その声は今までで一番切実で、小さかった。
「あの御方は孤独の中で、王に成らざるを得なかった。どんな道を歩むのか、それは分からない。だから……」
アクセルは私の手を握った。
「共に歩んであげてくれ」
彼の顔と声が私の胸に響いた。
共に歩む?
私なんかに、そんなことが。
そんな資格が――
「はい」
それは私というちっぽけで何もない人間にとっては、あまりに大きな重荷だった。
「一つだけ確認させてください」
私は声を絞り出した。
「陛下は……このことを」
「知らない」
アクセルは即座に答えた。
「陛下はご自身がそのような意図の中に置かれていたことを知らない」
それだけのことだ。
その言葉が、静かに胸に刺さった。
カールに悪意はない。
それは分かった。
だが、では私はどうなのだ。
私がこの宮廷にいるのは、自分の意志だったのか。
あの塔の夜、カールに止められたことも。
仕えると決めたことも。
陛下のために生きようと思ったことも。
全て――先王が設計した盤上の出来事だったのか。
「分かりました」
私は言葉を搾り出した。
アクセルは私の手を一度握り、部屋を後にした。
そうして老臣が去った後、私は一人ソファに座り込んだままだった。
先王陛下。
あなたは私を拾ってくれた。
絶望の淵から、引き上げてくれた。
それは本当のことだ。
あの温かさは、嘘ではなかったと信じたい。
だが同時に、あなたは私を形作った。
剣を与え、戦場に立たせ、強くさせた。
私が自分の意志で剣を振っていると思っていたその全てが、あなたの手のひらの上にあったとしたら。
感謝と怒りが、同時に胸の中で渦を巻く。
どちらも本物で、どちらも収まらない。
私は立ち上がり、部屋を出た。
今日も仕事がある。それだけは変わらない。
廊下を歩いていると、カールと鉢合わせた。
「レイフ、こんなところで何を」
カールは素朴な疑問をぶつける。
だが、その顔を見た瞬間、アクセルの話が頭にフラッシュバックした。
この人は知らない。
自分が意図の中に置かれていたことを。
私が道具として選ばれていたことも。
だとすれば——
私がここにいるのは、一体誰の意志なのだ。
「レイフ!」
その声に私はハッとした。
「顔色が悪い。今日はもう休め。お前に壊れられたら困る」
それは彼なりの気遣いだったのだろう。
だが今の私には、その言葉でさえ遠くに聞こえた。
「すみません。少しだけ休みます」
そうとだけ言い、その場を後にした。
廊下を歩きながら、私は自分の手を見た。
剣だこ。古い傷跡。節くれだった指。
この手で剣を振ってきた。
先王に与えられた剣を。
先王が設計した道を歩きながら。
私がカールについていくと決めたのは、私の意志だったはずだ。
あの塔の夜、彼の背中を追うと決めたのは。
だが——本当にそうだったのか。
それさえも、先王の筋書きの中にあったとしたら。
私は窓の外を見た。
朝日がまだ低く、石畳に長い影を落としている。
自分の意志で、ここにいるのか。
それとも——ただそう思わされているだけなのか。
答えは出なかった。
出るはずもなかった。
ただ、朝日だけが静かに昇り続けていた。
私の問いなど知らないように。




