第24話 信ずる物
野営地に戻ったのは、夕暮れ時だった。
焚き火の煙が空に立ち上り、兵士たちの声が聞こえる。いつもと同じ光景。だが、私にとっては何かが違って見えた。
天幕の前で、ヘニングとエーリクが待っていた。
「レイフ!」
ヘニングが立ち上がる。その目が、私を見る。何かを探るような目だ。
「戻ったのか」
私は言った。
「ああ、見れば分かるだろ。」
ヘニングが頷く。だが、その後何も言わない。沈黙が落ちる。
「隊長」
エーリクが口を開く。
「大丈夫、ですか」
「ああ、すまない。ここ数ヶ月心配をかけた。」
私は答えた。
その言葉に、二人が顔を見合わせる。
「いえ」
エーリクが微笑む。
私は天幕に入る。寝台に横になる。天井を見る。布地が風に揺れている。
外から、二人の声が聞こえる。
「なあ、エーリク。あいつ少し変わったな」
「どう変わったんですかね」
「分からねぇ。だが、」
沈黙。
「いい方に、だといいんだが」
その声を聞きながら、私は目を閉じる。
変わった。
その言葉がどういう意味を含有しているのか、まだ私には分からなかった。
だが、私のこれからすべきことは決まっている。
翌朝、使者が来た。
「レイフ将軍、カール・グスタフ・アームフェルト将軍が会いたいとのことです」
その名前を聞いた瞬間、胸が跳ねる。
アームフェルト。
彼と会うのは一年ぶりだ。
「どこに?」
「ワルシャワの司令部です」
私は馬に乗り、ワルシャワへ向かう。街は落ち着きを取り戻しつつあった。焼け跡は片付けられ、人々が道を歩いている。だが、その目には警戒がある。スウェーデンの兵士を見る目に。
司令部は石造りの建物だった。かつては貴族の屋敷だったものを接収したのだろう。衛兵が敬礼し、私を通す。
広間に入ると、窓辺に一人の男が立っていた。
金髪、筋肉質、色白い。
アームフェルトだ。
「レイフ!」
彼が振り返る。その顔に、笑みが浮かぶ。
「久しぶりだな」
「ああ」
私は近づく。
「一年ぶりだなグスタフ」
「一年か」
アームフェルトが頷く。
「長かったような、短かったような」
彼が手を差し出す。握手を交わす。その手は、以前と変わらず温かい。
「座ってくれ」
アームフェルトが椅子を指す。私は座る。彼も向かいに座る。
「聞いたぞ、トルンで倒れたと」
私は頷く。
「すまない、皆に心配させた」
「いや、お前が無事でよかった」
アームフェルトが私を見る。その目に、何かがある。心配と、それから――
「レイフ」
「」
「お前、何かあったのか?」
その問いに、私は答えられない。何かあったのか。ああ、あった。エルサと会った。自分の手が血に塗れていることを知った。それでも、握る手があることを知った。
「憑き物がとれたような顔をしてるぞ」
彼は全てをお見通しのようだった。
それに対し私も軽く相槌をする。
「ああ、色々あってな。前は心配をかけた」
「それならいい」
沈黙が落ちる。
「陛下が、もうすぐ戻られる」
アームフェルトが口を開く。
「フロウシュタットの地で、アウグストと決戦を行うそうだ」
「フロウシュタット」
私は繰り返す。
「ああ。一ヶ月後だ。陛下は、必ず勝つと言っている」
アームフェルトの声に、確信がある。
「陛下を信じているんだな」
「当たり前だ」
彼は頷く。
「あの方は軍神だ。これまでの勝利お前も見てきただろ?あんな姿見せられて疑うことなんてできるか」
その言葉を聞いて、私は何も言えなくなる。
軍神
尊称だったその言葉は、今やカールの姿になってる。
カールはもはや皆から人として見られてはいないのだと、その時気づいた。
だが――
「レイフ」
アームフェルトが私を見る。
「逆に聞くぞ。お前、陛下を信じてないのか?」
その問いが、胸に刺さる。
「分かりません」
私は正直に答える。
「信じたい。でも、分からない」
アームフェルトが眉をひそめる。
「どういうことだ?」
「陛下のやり方が、本当に平和をもたらすのか。それが、分からないのです」
私は窓の外を見る。
「村を焼き、人を殺し、恐怖で支配する。それが、平和なのか」
「レイフ」
アームフェルトの声が低くなる。
そして彼が立ち上が離、窓の方へ歩く。
「俺は正義を何よりも信じてる。だから無闇な殺しは許せない。だから正直な話、疑念もある。」
彼が振り返る。
「だがこれは仕方のないことだ。俺はそう言い聞かせてきた。先に戦を仕掛けたのはポーランド側だ。多少の犠牲は仕方がない、と。」
私は何も言わず、ただ話を聞く。
「この殺生は仲間の死を避けるためのものだ。だから.... 仕方がない」
少しの沈黙が落ちる。
多分、彼も私も「芯」は似ているのだろう。
だが、私は彼ほど自分を貫くことができなかった。
彼の抱えていることは彼にしか分からない。だが、私はそう悩んでいるかのように思えた。そして間を置いてからアームフェルトが言う。
「陛下が、お前を呼んでいる。」
私は立ち上がる。
「レイフ」
アームフェルトが私の肩に手を置く。
「お前はそこで自分の信念を確かめろ。」
その言葉が、優しかった。だが、何を乗り越えるのか。それは、彼には分からないだろう。
午後、私は王宮へ向かう。
石造りの廊下を歩く。足音が反響する。衛兵が敬礼する。執務室の扉の前に立つ。
ノックをする。
「入れ」
カールの声が聞こえる。
扉を開ける。
室内には、カールが一人で立っていた。窓辺で、ワルシャワの街を見下ろしている。その背中が、以前より細く見える。
「レイフ」
彼が振り返る。
その瞳を見た瞬間、息を飲む。
冷たい。
以前よりも、もっと冷たい。
氷のような、蒼い双眸が。
「体調は戻ったか」
「はい、陛下」
私は頭を下げる。
「そうか」
カールが机の方へ歩く。地図が広げられている。ポーランド全土が描かれた地図。赤い印が、無数についている。
「お前も聞いただろう。翌月フロウシュタットの地で、アウグストと決戦を行う」
カールが地図を指す。
「そこで奴らを打ち破り、ポーランドの完全な覇権を余は握る」
その声に、迷いはない。いつものように絶対的な確信がある。
ただ、微かにそれ以外のものもあるように思えた。
私はそんな彼に対し、口を開く。
「陛下」
私は一瞬躊躇いながらも言葉を発する。
「なんだ」
「この戦いを終えたら――」
言葉を探す。どう言えばいいのか。
「戦争を、終わらせませんか」
その言葉が、部屋に落ちる。
沈黙が落ちる。
長い、重い沈黙。
カールが、ゆっくりと顔を上げる。
「何を言っている」
その声が、低い。
「もう、十分ではないでしょうか」
私は続ける。
「ポーランドの大部分を制圧しました。アウグストも追い詰めました。ここで和平を結べば――」
「和平?」
カールが私を見る。
その目が、冷たい。
「まだ何も終わっていない」
「しかし、陛下」
「まだ、完全な勝利ではない」
カールの声が、一段と低くなる。
「アウグストはまだ生きている。ロシアのピョートルもいる。。余の敵は、まだ存在している」
「ですが――」
「全て打ち倒すまで、終わらない」
カールが地図を叩く。
「完全な勝利を収めるまで、余を進み続けるしかない」
その言葉に、何かが宿っている。執着。異常なまでの、勝利への執着。
「陛下、それでは――」
「レイフ」
カールが私を見る。
その目が、私を射抜く。
「お前は、余に疑問を持っているのか」
その問いに、私は答えられない。
「余の判断を、疑っているのか」
「いえ――」
「なら、従え」
カールの声が、冷たく響く。
「余の剣として」
その言葉が、胸に突き刺さる。
剣。
そうだ。
私は、剣だった。
だが――
「陛下」
私は言う。
「私は、平和のために戦いたいのです」
カールが黙る。
「陛下が、塔で言ってくださいました。平和をもたらすと。圧倒的な強さで、秩序を築くと」
私はカールを見る。
「それを信じて、私はここまで来ました」
カールが何かを言いかける。だが、やめる。
「ですが」
私は続ける。
「今のやり方で、本当に平和が来るのでしょうか」
「来る」
カールが即答する。
「余が全ての敵を打ち倒せば、もう戦う者はいなくなる」
「それは、平和ではなく、圧政に他ならないのではないでしょうか」
その言葉が、口から出る。
カールの顔が、わずかに変わる。
「圧政?」
「はい」
私は頷く。
「人々は、陛下を恐れている。従っている。だが、それは本当の平和でしょうか」
沈黙が落ちる。
カールが窓の方へ歩く。
「レイフ」
彼の声が、遠くから聞こえる。
「お前は、分かっていない」
「何を、でしょうか」
「余がどれほどの重圧を背負っているか」
カールが振り返る。
その目に、何かが浮かぶ。疲労。いや、もっと深い何か。
「これは選択肢ではない。余の責務なのだ」
その言葉が、静かに落ちる。
「勝ち続け、完全な勝利を収めるしかない」
カールが拳を握る。
「それが王として生まれた余の生き様だ。」
彼が私を見る。
「だから、余は勝ち続けなければならない。どんな手を使っても」
その目の奥に、何かが見える。
狂気ではない。
燃えたぎる炎のような執着。
そしてもっと冷たい何か。
「レイフ」
カールが言う。
「これよりお前を、ワルシャワの治安維持に任命する」
その言葉に、私は顔を上げる。
「ワルシャワ、ですか」
「ああ。余はフロウシュタットへ向かう。その間、ワルシャワを任せる」
カールが机の上の書類を取る。
「余の不在を機に反乱を企てる者もいるだろう。武器を隠し持つ者、余に逆らう者、全て排除しろ」
その言葉が、重い。
「排除、とは」
「殺せ」
カールが即答する。
「容赦するな。見つけ次第、射殺しろ」
私の手が、震える。
「しかし、陛下。それでは――」
「余の命令だ」
カールが私を見る。
「お前はいつから余に逆らうようになった?剣が持ち主に逆らうのか?」
その双眸が私の顔をじっと覗き込む。かつては私を見上げていた彼の目が、今は私を正面から威圧する。
「承知、しました」
私は頭を下げる。
だが、心の中で、何かが叫んでいる。
違う。
何かが違う、と。
ワルシャワの街は、冬の寒さに包まれていた。
私は司令部に詰め、街の治安維持にあたる。部下たちが報告に来る。
「将軍、東地区で武器を隠し持つ者を発見しました」
「連行しました」
「どうされますか」
私は、その男を見る。
若い。二十代半ばか。怯えた目で、私を見ている。
「武器は?」
「古い剣です」
副官が剣を見せる。錆びついた、刃こぼれした剣。
「これで、何をするつもりだったのか」
私は男に訊く。
男は何も答えない。ただ、震えている。
「答えろ」
副官が怒鳴る。
「家族を、守るためです」
男がやっと口を開く。
「ただ、それだけです」
私は、その目を見る。
恐怖。
絶望。
そして、わずかな希望。
まだ、生きたいという希望。
「将軍」
副官が私を見る。
「陛下の命令では、射殺、ですが」
その言葉が、部屋に落ちる。
射殺。
カールの命令。
容赦するな、と。
私は、男を見る。
若い男。
誰かの息子。
誰かの、大切な人。
「釈放しろ」
私は言う。
「しかし、将軍」
「釈放しろ、と言っている」
副官が戸惑う。
「ですが、陛下の命令は――」
「いいんだ」
私は副官をゆっくりと見る。
「必要ない。」
副官が黙る。
「剣は没収する。だが、命は取らない」
私は男を見る。
「二度と、武器を持つな」
私は寂れた剣を片手に持ち、その場を後にした。その後ろで男が頭を下げる。
「ありがとうございます、ありがとうございます!」
夜道を一人歩く中、その瞬間に初めて自覚した。
今、私は何をしたのか。
カールの命令に、背いた。
初めて。
無意識のうちに。
それを考えたら恐怖が、込み上げてきた。
カールに知られたら、どうなる。
だが――
それでも。
私は、あの男を殺せなかった。
それから一週間が過ぎ、その間、同じようなことが何度かあった。
だが、私は誰も殺さなかった。
連行し、武器を没収し、釈放した。
罪過があるものは投獄し、命は奪わなかった。
そんな私の様に部下たちは、戸惑っていた。
だが、彼らは私の命令に従った。
夜、司令部の窓から街を見る。
静かな街。
人々が、まだ生きている。
私が、殺さなかった人々が。
罪悪感と、解放感が、混じり合う。
カールへの小さな背信。
だが、初めて自分で選んだ。
「あなたは、まだ選べる」
私は、選んだ。
カールの命令ではなく、自分の意志で。
扉が開く。
「将軍」
副官が入ってくる。
「陛下の軍が、明日出発するそうです」
「フロウシュタットへ、か」
「はい」
副官が頷く。
「見送りに行かれますか」
「ああ」
私は答える。
「行く」
翌朝、私は城壁の上に立っていた。
下で、軍が集結している。
何千もの兵士。
馬。
大砲。
旗が風になびいている。
そして、先頭に、カールがいる。
金髪が朝日に輝いている。
馬に乗り、剣を掲げている。
その姿が、遠くからでも見える。
「前進せよ!」
カールの声が響く。
軍が動き始める。
規則的な足音。
馬の嘶き。
車輪の音。
アームフェルトが、カールの後ろを行く。
その顔は、真っ直ぐ前を向いている。
レーネも、レーヴェンハウプトも、続く。
軍旗が、風になびく。
私は、それを見送る。
彼らの背中が、だんだん小さくなっていく。
やがて、街道の向こうに消える。
私は、その場に立ち尽くす。
風が吹いている。
冷たい風だ。
その風が、何かを運んでくる気がした。
血の匂いを。
不吉な予感が、胸を満たす。
何かが、起きる。
フロウシュタットで。
何か、取り返しのつかないことが。
だが、私にはそれを止めることができない。
私は、ここにいる。
カールから離れて。
初めて、彼の背中を追わずに。
太陽が、昇っていく。
冬の、冷たい太陽。
その光が、街を照らす。
だが、私の心は、暗かった。
予感が、消えない。
何かが、終わろうとしている。
何かが、始まろうとしている。
そして――
私は、もうそれを止められない。
風が、唸る。
遠くで、鴉が鳴く。
不吉な、鳴き声。
私は、空を見上げる。
灰色の空。
雪が、降り始める。
冷たい雪が、頬に触れる。
その冷たさだけが、現実だった。




