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第22話 心の破綻

「エルサ、なのか....」


私は恐る恐る彼女の名を呼んだ。


声が、震えた。

声が、出た。


だが、それだけだった。


何を言えばいいのだろう。

およそ十年ぶりの再会だった。

だが、こんな形での再会になるとは予想だにしなかった。


私は銃を構え、敵を追い、彼女の目の前に立つ。

緊張がテントを包む。

そんな中、彼女が立ち上がった。


ゆっくりと。


そして、私と男の間に立った。


「銃を下ろして」


エルサが言った。

その声に、迷いはなかった。


「退け」


私は言った。


「こいつは敵だ」


「この人は武器を持っていないわ」


「橋にいた。戦闘があった場所に」


「逃げていただけよ」


エルサが一歩前に出た。


「戦っていたわけじゃない。ただ、生き延びようとしていただけ」


その言葉が、胸に引っかかった。

生き延びようとしていただけ。

だが、私は銃を下ろさなかった。


「退けと言っている」


「退かないわ」


エルサの目が、私を見た。


まっすぐに。


十年前と同じ目だった。

揺るがない強い目。

その目に憧れてたかつての日々が甦る。


「レイフ」


彼女が私の名を呼んだ。


「銃を下ろして」


私は、エルサを見た。

銃を構えたまま。


この女は、誰より私を知っている。

戦災孤児だった私を。

レイフという人間を。


何も持たず、何も守れず、ただ生きることに必死だった私を。

そして、その私は——


「この人を撃つなら」


エルサの声が、静かに響いた。


「私も撃つことになるわ」


その言葉に、私は息を飲んだ。


彼女は本気だった。


目が、それを語っていた。


私は——銃を下ろした。

手が、震えた。

わずかに。

だが、確かに震えた。


エルサが男に何か囁いた。男が頭を下げ、奥の部屋へ逃げていった。

沈黙が落ちた。

部屋には、私とエルサだけが残った。


負傷者たちは息を潜めている。

エルサが私に近づいてきた。

ゆっくりと。


その目が、私の顔を見た。


頬を。


目を。


額を。


そして、何かに気づいたように息を飲んだ。


「レイフ」


彼女の声が、小さくなった。


「あなた——」


言葉が止まった。


私は、黙っていた。


何を言えばいい。


何を言えば、この二十年を説明できる。


「目が」


エルサが言った。


「昔と違う」


私は何も答えなかった。


「何も、映っていない」


その言葉が、胸に刺さった。


だが、私は表情を変えなかった。


変えられなかった。


「ここで何をしているの」


エルサが訊いた。


「任務だ」


その言葉が、口から出た。


機械的に。


「任務」


エルサが繰り返した。


その声に、何かがあった。


悲しみ、それとも——失望。


「そう」


彼女が一歩下がった。


「さっき、外で銃声が聞こえたわ」


私は黙っていた。


「また、誰かが死んだのね」


「敵を殺しただけだ。」


私は答えた。

簡潔に。

できる限り感情を表に出さないように。


「武器を持っていた?」


その問いに、私は——

答えられなかった。


沈黙が、部屋に満ちた。


「持っていなかったのね」


エルサの声が、静かに落ちた。

私は、顔を逸らした。


「逃げていただけの人を、あなたは撃ったのね」


「奴らは敵だ」


私は言った。


「戦闘があった場所にいた」


「だから殺したの?」


「そうだ」


「命令だから?」


その言葉に、何かが引っかかった。


命令。


そうだ。


私は命令に従っただけだ。


だが——


「レイフ」


エルサが私の目を見た。


「あなたは昔、言っていたわ」


私は、彼女を見た。


「人を救いたい、って」


その言葉が、胸を突いた。


人を救う。


そうだ。


私は、そう言った。


二十年前。


この女の前で。


「平和のために戦いたいって」


エルサの声が、続いた。


「母親を失って、村が焼かれて、だから二度と同じことを起こさせたくない、って」


私は——


何も言えなかった。


母の顔が浮かんだ。


村が燃える光景が浮かんだ。


あの日。


全てが始まった日。


「それなのに」


エルサが一歩近づいた。


「今のあなたは、人を救っているの?」


その問いが、胸に突き刺さった。


人を救う。


私は——


救っているのか。


違う。


私は——


「私は」


声が出た。


「秩序を守っている」


「秩序?」


エルサが首を傾げた。


「それは、人を殺すこと?」


「違う」


私は言った。


「秩序があれば、人は死なない」


「でも、あなたは殺しているわ」


「それは——」


言葉が詰まった。


それは、秩序のためだ。


一時的な犠牲だ。


長期的には、人を救うことになる。


だが——


その言葉が、出てこなかった。


「レイフ」


エルサの声が、低くなった。


「今のあなたは」


彼女が私を真っ直ぐに見た。


「あの日、あなたの村を焼いた兵士と、何が違うの?」


その言葉が、全てを止めた。


心臓が。


呼吸が。


思考が。


村を焼いた兵士。


あの日。


母が死んだ日。


私は——


あの兵士たちを憎んだ。


なぜ母を殺したのか。


なぜ村を焼いたのか。


そして、私は誓った。


二度と同じことを起こさせないと。


だが——


今、私は——


「違う」


私は声を出した。


「私は——」


だが、言葉が続かなかった。


何が違う。


私も、村を焼いた。


私も、人を殺した。


私も——


「何が違うの?」


エルサの声が、静かに響いた。


その声に、責めるような調子はなかった。


ただ、問うているだけだった。


私は——


答えられなかった。


何が違う。


私には、大義があった。


秩序のため。


平和のため。


だが——


あの兵士たちにも、大義があったのではないか。


命令があったのではないか。


私と、同じように。


「あなたが今日撃った人も」


エルサが言った。


「誰かの息子だったわ」


私は、黙っていた。


「誰かの夫だったかもしれない」


エルサの声が、続いた。


「誰かの、大切な人だったのよ」


その言葉が、胸を貫いた。


大切な人。


母のように。


私にとっての母のように。


誰かにとって、大切な人。


それを——


私は奪った。


「レイフ」


エルサが私の肩に手を置いた。


その手が、温かかった。


「あなた、分かっているでしょう?」


分かっている。


ずっと、分かっていた。


だが——


認めたくなかった。


認めれば——


全てが崩れてしまうから。


「私は」


声が震えた。


「私は、任務を——」


「任務なんて、言い訳よ」


エルサが首を振った。


「あなたは選んだの。引き金を引くことを。命令に従うことを」


「違う」


私は言った。


「私には、選択肢がなかった」


「あったわ」


エルサの声が、強くなった。


「いつでも、あったわ」


その言葉に、私は息を飲んだ。


選択肢。


あったのか。


本当に。


私は——


ただ、命令に従っただけだ。


カールの命令に。


王の命令に。


だが——


それは、選択ではなかったのか。


従うと、選んだのではないのか。


「レイフ」


エルサが私の目を見た。


その目に、優しさがあった。


だが同時に、厳しさもあった。

彼女が言った。

エルサが首を振った。


「あなたは選んだの。人を殺すことを。村を焼くことを」


「違う、私は——」


「違わないわ。自分から逃げないで」


エルサが私の肩に手を置いた。彼女はまっすぐと私の目を覗き込む。


「あなたは、自分で選んだの。そして今——」


彼女が私の目を見た。


「その重さに、耐えられなくなっているのよ」


私はもう言葉を発することもできなくなってしまった。


「レイフ.... 今の自分を昔の自分に誇れる?」


その言葉が決定的だった。

溜め込んできた私の心の内側を崩壊させた。


様々な情景が走馬灯のように脳裏を駆け巡る。


時間が。


世界が。


全てが。


あの日の自分。


村が焼かれた日の自分。


母の手を握っていた自分。


「人を救いたい」


そう誓った自分。


今の私を——


あの私は——


認めるのか。


誇りに思うのか。


私は——


顔を逸らした。


答えられなかった。


いや、答えは出ていた。


だが——


言葉にできなかった。


「隊長!」


外で副官の声がした。


「隊長、大丈夫ですか!」


私は、はっとした。


現実に、引き戻された。


「すぐ行く」


私は叫んだ。


エルサから目を逸らしたまま。


「行かなければ」


私は言った。


「そう....」


「私は、ここにいるわ」


エルサが言った。


「トルンに」


私は、彼女を見た。

その目に、何かがあった。


「もし」


彼女が言葉を探すように間を置いた。


「もし、話したくなったら」


私は——


何も答えられなかった。

ただ、頷いた。

そして、扉へ向かった。


「レイフ」


背後でエルサの声がした。

私は、振り返らなかった。

振り返れば——


崩れてしまいそうだった。


「あなたはまだ選べる」


その言葉が、背中に刺さった。


「それを、忘れないで」


私は建物を出ると外は朝日で明るかった。

東から昇る太陽が、照りつけていた。


だが——

私の中は、暗かった。

エルサの声が、響いていた。

そんな中、副官が馬で駆けてきた。


「隊長、敵は」


「逃げた....」


「それなら追いますか?」


「いやいい、お前は戻れ。少し一人になりたい」


「はっ....」


彼はそう言い、反対方向に馬を走らせていった。

私は身一つで、朝トルンの街を後にし、野営地へ向かうことにした。


朝日が昇っていた。東の空が白み、光が街路を照らし始めていた。普段なら希望の象徴に見えたはずの朝の光が、今は何か別のものに見えた。容赦なく全てを照らし出す、審判の光のように。

背後に見える救護施設の白いテントが、小さくなっていった。


馬の蹄が石畳を叩く。規則的な音。一歩、また一歩。その音を聞きながら、私は前を向いていた。だが、見えているのは街道ではなかった。


エルサの顔が浮かんだ。あの目。まっすぐに私を見つめた目。二十年前と変わらない、揺るがない目。その目に映った私は——何だったのだろうか。



『今の自分を、あの日の自分に、誇れる?』



その問いが、頭の中で反響した。まるで教会の鐘のように、何度も、何度も。


誇れるのか。


私は馬を進めながら、その問いに向き合おうとした。だが答えを探そうとするたびに、数々の光景が浮かんでくる。


私の殺してきた人々の亡霊が、母が、あの日の自分が、私の背中を睨みつけているかのような、重苦しさが、言い表せない恐怖心が私を襲う。


この2年間でもう何も感じなくなったのだと思っていた。


だが本当にそうだったのか。

感じないようにしていただけではなかったのか。

見ないようにしていただけではなかったのか。


街道の両側に、家々が見えた。石造りの、古い家々。窓がある。扉がある。その中に、人々が住んでいる。子供がいて、老人がいて、母親がいて、父親がいる。


私が焼いた家々も、同じだった。

誰かが住んでいた。

誰かの人生があった。


それを——


私は奪った。


『あなたは選んだの。人を殺すことを。村を焼くことを』


エルサの声が、また響いた。

選んだ。

その言葉が、胸に食い込んでくる。

私は選んだのか。


本当に。


カールの命令だった。王の命令だった。従うしかなかった。


だが——


引き金を引いたのは、私の指だ。

命令を下したのは、私の口だ。

馬を進めたのは、私の意志だ。

誰かに強制されたわけではない。


私が、選んだ。


その認識が、何かを崩し始めた。胸の奥で、何かが軋む音がした。

今朝、撃った男の顔が浮かんだ。若い顔。逃げていた背中。振り返った瞬間の、恐怖に満ちた目。


私は引き金を引いた。


なぜ。


命令だから?


違う。


あの瞬間、命令などなかった。


私が判断したのだ。敵だと、危険だと。


だが——


男は武器を持っていなかった。

ただ逃げていただけだった。

ただ生きようとしていただけだった。


それを——


誰かが奪った。


兵士たちが。


命令に従った兵士たちが。


私が憎んだ、あの兵士たちが。


そして今——


私も、同じことをしている。


街道を進むうちに、太陽が高くなっていった。光が強くなり、影が短くなる。その光が、全てを照らし出していく。隠していたものを、見ないようにしていたものを、容赦なく。


道の脇に、小さな花が咲いていた。白い花。名前は知らない。だが、その花を見た瞬間、涙が滲んだ。


なぜ。

花を見て、なぜ涙が。

分からなかった。


だが、止められなかった。

母が好きだった花を、思い出したのかもしれない。それとも——

ただ、何かが溢れてきたのかもしれない。


長い間、押し込めていた何かが。

私は足どりがおぼつかなくなった。


強くなったはずだった。


感じないようになったはずだった。


完璧な剣になったはずだった。


だが——


人間としても剣としても。

私はどこまでも不完全な存在だった。


野営地が見えてきた。天幕が並び、兵士たちが動いている。焚き火の煙が上がっている。普段なら安堵するはずの光景が、今は何か違って見えた。


あの兵士たちも、私の命令で人を殺している。

私の命令で、村を焼いている。


彼らもまた、誰かの息子だ。


誰かの夫だ。


誰かの、大切な人だ。


そして、私は——


彼らに、人を殺させている。


野営地に入ると、兵士たちが敬礼した。「お帰りなさいませ、隊長」という声が聞こえた。だが、その声が遠かった。まるで水の中から聞こえてくるように。


私は馬を降りた。


足が地面につく。


だが——


その瞬間、何かが崩れた。


膝が、折れそうになった。


全てが、崩れていった。


積み上げてきたもの。


信じてきたもの。


正当化してきたもの。


全てが、音を立てて崩れていった。


「今の自分を、あの日の自分に、誇れる?」


誇れない。


誇れるはずがない。


あの日の私は——


母を失った、あの日の私は——


今の私を見たら、何と言うだろうか。


きっと、こう言うだろう。


「お前は、あの兵士たちと同じだ」


その認識が、最後の何かを破壊した。


私は——


あの兵士たちと、同じだ。


母を殺した、あの兵士たちと。

村を焼いた、あの兵士たちと。

私が憎んだ、あの兵士たちと。


足に力が入らなかった。


いや、違う。


立ちたくなかった。


立てば、また前に進まなければならない。


また命令を下さなければならない。


また人を殺さなければならない。


もう、嫌だった。


そんな時だった。


「隊長」


後ろから突然、ヘニングの声が聞こえた。


「大丈夫か」


彼は珍しく心配そうに声をかける。


大丈夫ではなかった。

何も、大丈夫ではなかった。

私は——


もう駄目だった。


完全に終わっていた。


取り返しのつかないほどに。

もう取り繕えないほどに。


そして私の意識が遠のき、地面へ倒れる。


「だれか担架をもってこい!」


ヘニングが焦りながらそう叫び、そうして兵士たちが集まってくる。

兵士たちが私を抱え上げた。天幕まで運ばれる。その間、私は何も見ていなかった。ただ、空を見ていた。


青い空。


白い雲。


平和そうな空。


だが、この空の下で——


何人の人が死んだのだろうか。


私の命令で。


私の手で。


天幕に入れられた。寝袋に横たえられる。


「水を持ってこい!」


「医者を呼べ!」


兵士たちの声が聞こえる。


だが、私には関係なかった。


もう、何も関係なかった。


一人になった。


天幕の中で。


暗かった。


外の光が、わずかに差し込んでいる。


だが、私の中は——


もっと暗かった。


私の中に抱えている全てが溢れ出した。


罪悪感。


恐怖。


孤独。


憎しみ。


そして——


自己嫌悪。


私は許されない。


私がしてきたことは。

取り返しがつかない。


「母さん」


その言葉が、漏れた。

それだけだった。

涙が、止まらなかった。


何年分もの涙がただひたすら目から溢れる。涙が止まらなかった。


私は——


もう、立ち上がれなかった。


前に進めなかった。

何もできなかった。


ただ——


横たわっているだけだった。


壊れた人形のように。


魂の抜けた、空っぽの器のように。


そして自然と溢れた涙が、頬を伝った。

その涙だけが、今の私が縋れる現実だった。




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