幕間 灯りひとつ、歳を重ねる
あの波乱に満ちた戴冠式から、五年が過ぎようとしていた。
戦の只中で王は歳を重ね、徐々に少年王と呼ばれなくなっていった。
ポーランドの統治に乗り出してからおよそ1年、彼は今日20歳の誕生日を迎えた。
彼は今日この日を持って初めて大人と認められたのだ。
勝利を重ね、王はまた――誰の声も届かぬ高みへと歩みを進めていた。
私はその変化を近くで見てきた。
元々孤独だった少年は、長年にわたる戦により孤独さを増していた。勝利への執念は、彼の瞳を鋭く染め、その奥にかろうじてあった人間らしい熱を少しずつ覆い隠していった。
私はそれでも彼の側近として常に側にいるようにした。
二十歳の誕生日の夜、私は天幕を訪ねた。
手にしていたのは、小さな黒い包みに包んだ詩集だった。
それは、ラ・フォンテーヌの童話詩集――幼い頃から王が好んでいた本だ。
軍の誰も知らない。ただ私だけが知っている秘密だった。
扉を開くと、蝋燭の光に照らされ、地図に向かう王の横顔があった。
戦地の泥をまとった軍靴。すり減った上衣。そして顔立ちは少年の面影を残しつつも、冷たく険しく、触れがたいものになっていた。
「陛下」
声をかけると、王は目を上げた。
それは戦況か、死者の報告を予期した緊張の瞳だった。
「……お祝いをと思いまして」
私は机の端に黒い包みを置いた。
王は一瞥をくれただけで、すぐに視線を戻した。
「祝い事など不要だ。戦の中では……意味を成さぬ」
「それでも、陛下には必要だと思いました」
私は静かに言葉を継いだ。
「今日陛下は20歳になられました。つまり、もはや少年ではなく、立派な大人です。ーー陛下もまた、人としての時間を歩んでいるはずです。だからこそ、今日ぐらいは祝わせてください」
一瞬、王の瞳が揺れた。
だがすぐに硬さを取り戻し、低く呟いた。
「人、か……」
その声には、誰にも見せぬ弱さと疲労が潜んでいた。
私は知っていた。ゲリラの掃討、政治的粛清、そういった暗い命令を下すたびに、兵士たちが村を焼き、罪なき者をも傷つける。その度に、王は心を削っていたはずだと。
「陛下、あなたは幼い頃からラ・フォンテーヌの物語を愛されていました。あの物語に惹かれたのは、弱き者の勇気や、小さき者の善意を信じておられたからではありませんか?」
王はわずかに眉を動かし、黙った。
包みを開こうとはしない。ただ指先が机の上で震えているのを、私は見逃さなかった。
「陛下……どうか、自分を失わないでください」
それは命令でも進言でもない。ただ一人の人間として、長年寄り添ってきた想いの告白だった。
「……王とは何だ、レイフ」
王が問うた。その声は硬く低いが、ほんの僅かに迷いが滲んでいた。
「私には、まだわかりません....」
それが、私がそばで見続けてきたあなたの姿です――そう言葉にせずに告げた。
王は目を伏せ、沈黙した。そしてゆっくりと包みを開き、詩集を取り出した。彼の目の色が少し変わったように思えた。
「ーー詩など、戦場には不要だ」
そう呟きながらも、最初の頁をそっとめくった。
私は、その一瞬だけ、昔の少年王の影を見た気がした。
だがすぐに瞳は深い冷たさを取り戻し、地図の上の線――モスクワへの進軍路を指でなぞる。
震える声。それは誰にも見せぬ、彼自身への告白だった。
「陛下……どうか、自分を失わないでください」
それは命令でも進言でもない。長い年月を共にした一人の人間としての、ささやかな願いだった。
王は少し視線を逸らし、やがてかすかに笑った。
「感謝する」
しかし、彼の目はそれでも濁っていた。




