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第17話 暖かさ

ワルシャワに入城してから、三ヶ月が過ぎた。


石畳は相変わらず灰色で、建物の壁には苔が生え、窓ガラスには埃が積もっていた。だが街は動いていた。市場に人が集まり、商人が声を上げ、子供が路地を走った。


ただ、私たちを見る目は、冷たかった。

朝、宮殿の中庭を横切る時、召使が水を運んでいた。私とすれ違う瞬間、彼女は桶を地面に置き、横を向いた。水が跳ね、石畳を濡らした。彼女は何も言わず、ただ私が通り過ぎるのを待っていた。


私は立ち止まらなかった。


廊下では、ポーランドの侍従が壁に背を押し付けるようにして道を空けた。目を合わせない。挨拶もしない。ただ、息を殺して立っていた。


宮殿の外では、もっと露骨だった。

ある日、市場を通りかかった時、果物を売る老人が私の制服を見て、店を閉めた。まだ昼前だった。籠の中には林檎が残っていた。だが老人は布をかぶせ、背を向けて去っていった。


別の日、井戸で水を汲む女たちが、私たちが近づくと黙った。笑い声が止み、手を止め、桶を抱えて散っていった。井戸だけが残された。

これが、三ヶ月の統治だった。


「税の徴収が滞っております」


会議室で、スウェーデン派の貴族が報告書を広げた。絹の服、金の指輪、整えられた髭。名はヤン・サピェハ。アウグストに反旗を翻し、我々を迎え入れた男だった。


「民は、納めようとしません」


「何故だ」とカールが聞いた。


彼は窓の外を見ていた。朝の光が金髪を照らしている。


「恐れているのです、陛下」


サピェハは慎重に言葉を選んだ。


「アウグストが戻ってくると。そして、我々に協力した者を罰すると」


「戻ってこない」


カールは振り返った。


「余が、ここにいる限り」


「それは、我らも理解しております。ですが、民は——」


「ならば、理解させろ」


カールの声は静かだった。だが、部屋の空気が変わった。

サピェハは頭を下げた。


「仰る通りです、陛下。ですが、民を説得するには時が必要です。強硬手段は、かえって反発を——」


「時は、ない」


カールは地図に目を落とした。


「ロシアが動いている。ピョートルは軍を再編している。余は、ここで足止めされるわけにはいかない」


サピェハは何も言わなかった。

私は部屋の隅に立ち、その光景を見ていた。

カールは地図を見つめ、サピェハは床を見つめていた。二人の間に、会話はなかった。ただ、沈黙だけがあった。

やがてカールが口を開いた。


「防衛の将を置く。ステンボックを本土から呼べ」


「はい」


サピェハは頭を下げ、部屋を出た。

カールと私だけが残された。


「レイフ」


「はい」


「お前は、どう思う」


その問いに、私は答えに窮した。


「……民は、まだ我々を受け入れていません」


「知っている」


カールは窓に戻った。


「だが、いずれ分かる。余がもたらすものを。

余の描く未来を。」


カールは会話の中で一度も私を見なかった。そして私も何も言わなかった。

窓の外で、市場の声が聞こえた。商人の呼び声、子供の笑い声、馬車の音。

だがその声は、どこか遠かった。


マグヌス・ステンボックが到着したのは、三日後の午後だった。

中庭に馬が入ってきた。黒い馬に、黒い外套の男。四十代前半、顎髭を蓄え、目は鋭かった。馬から降りる動作が滑らかだった。剣士ではなく、指揮官の動きだった。


「ステンボック殿がお見えです」


侍従が告げた。

カールは執務室で彼を迎えた。私も同席していた。


「陛下」


ステンボックは膝をついた。


「お呼びとあらば、参上いたしました」


「立て」


カールは手を挙げた。


「お前に、この地の防衛を任せる」


「光栄に存じます」


ステンボックは立ち上がった。その動作も、滑らかだった。


「ですが、陛下。失礼ながら、お尋ねしてもよろしいでしょうか」


「何だ」


「防衛とは、何から守るのでしょうか」


その質問に、カールは微笑んだ。


「全てだ。外からの侵攻、内からの反乱、民の不満。全てから、この地を守れ」


「承知いたしました」


ステンボックは頭を下げた。だがその目は、カールを見ていた。何かを測るように。


「レイフ」


カールが私を呼んだ。


「ステンボックに、街を案内しろ。兵の配置、補給路、全てを見せろ」


「はっ」


中庭を歩きながら、ステンボックは周囲を観察していた。壁の高さ、門の位置、見張り台の配置。その目は、全てを記録していた。


「レイフ殿」


「はい」


「この街で、最も危険な場所はどこでしょうか」


その質問に、私は考えた。


「……市場ではないでしょうか」


「なぜ?」


「多くの民衆が集まります。そして人が集まれば噂が広がります。そして——」

私は言葉を切った。

「そして?」

「噂は世論を作ります。」


ステンボックは頷いた。


「仰る通りです。市場は、街の心臓です。そこを押さえれば、街を掌握できる。そして——」


彼は私を見た。


「そこを失えば、全てを失います」


ステンボックは私よりも上位の位にあるはずなのに敬語を崩さなかった。

そして私たちは市場に向かった。

昼下がりの市場は人で溢れていた。野菜、魚、布、靴。商人が値段を叫び、客が値切り、子供が走り回った。


だが——私たちが入った瞬間、空気が変わった。

声が小さくなった。

人々が距離を取った。

ステンボックは、それを見ていた。


「……これは」


彼の声が、低くなった。


「恐怖ではありませんね」


「拒絶です」


私たちは市場を抜けたが帰り道でステンボックは何も言わなかった。ただ、歩きながら地図に印をつけていた。

正直私は彼が少し苦手だと思いながらただワルシャワの道を歩いた。

宮殿に戻る途中、彼が急に口を開いた。


「レイフ殿」


「え、あ、はい」


「あなたは、カロリアンですね」


「はい」


「戦場では、どのような役割を?」


「先鋒です。敵陣を突き、道を開きます」


「なるほど」


ステンボックは地図を見た。


「では、守ることは?」


その質問に、私は答えられなかった。


「……」


「そうですか」


彼は微笑んだ。だがその笑みは、冷たかった。


「剣と盾は、違います。攻めることと守ることは、似て非なるものです」


「……はい」


「剣は鋭ければいい。ですが盾は——」


彼は空を見上げた。


「重くなければなりません」


その夜、私はレーネの部屋を訪れた。


部屋には既に、アームフェルトとレーヴェンハウプトがいた。テーブルには酒瓶と杯が並び、蝋燭が揺れていた。


「レイフ、遅かったな」


レーヴェンハウプトが酒を注いだ。


「ステンボックの案内をしていました」


「ああ、あの生真面目そうな男か」


レーヴェンハウプトは肩をすくめた。


「俺たちとは、タイプが違うな」


「当然だ」


レーネが杯を手に取った。


「あの男は守る者だ。我らは攻める者だ」


「守るか、攻めるか」


アームフェルトが呟いた。


「どちらが難しいんだろうな」


「守る方だ」


とレーネが即答した。


「攻めるのは、前だけ見ればいい。だが守るのは——」


「全方位を見なきゃならない」


アームフェルトが続けた。


「面倒くせえ」


短い笑いが起きた。

私も座り、酒を受け取った。


「なあ、レイフ」


レーヴェンハウプトが言った。


「お前、ステンボックとどんな話を?」


「街の案内をしました。市場、城壁、門——」


「それだけか?」


「……『守ることと攻めることは違う』と言われました」


「ふむ」


レーネが杯を置いた。


「その通りだ。我らカロリアンは、陛下の剣だ。だが、国を守るには剣だけでは足りん」


「盾も要る」


とアームフェルトが言った。


「だから、ステンボックがいる。俺たち以外の将が国を守っている」


沈黙が落ちた。

蝋燭が揺れ、影が壁に踊った。

やがてレーヴェンハウプトが口を開いた。


「なあ、お前ら」


彼は酒を煽った。


「俺たちは、何のために戦ってる?」


「決まっているだろう。王のためだ」


とアームフェルトが即答した。


「それは分かってる。でも——」


レーヴェンハウプトは天井を見た。


「王のため、ってのは、つまり何だ? 国のため? 民のため?」


「全てだ」


レーネが肉を貪りながら答えた。


「王は、国そのものだ」


「そうかね」


レーヴェンハウプトは酒を注いだ。


「俺は——故郷のためだと思ってる」


その言葉に、部屋の空気が変わった。


「故郷?」


私が聞いた。


「ああ」


レーヴェンハウプトは杯を回した。


「俺の実家は、エストニアだ。その森の中の屋敷だ」


彼は遠くを見る目をした。


「貴族の家系だが、貧乏貴族ってやつさ。城なんて名ばかり、屋根は雨漏りしてた。冬は寒くて、夏は暑くて、いつも何かが壊れてた」


彼は笑った。


「でも——あそこが、俺の故郷だ」


杯を置く。


「ロシアが来たら、真っ先に焼かれるだろうな。あんな辺境」


「だから、戦ってるのか」とアームフェルトが聞いた。


「さあな、俺はそこまで考えちゃいねぇよ」


レーヴェンハウプトはグラスに入っていた酒を飲み干した。それを聞きアームフェルトは頷いた。


「……俺もこいつと似ている」


彼は杯を見つめた。


「俺の故郷は、トゥルクだ。フィンランドの、バルト海に面した街」


その声は、いつもより低かった。


「親父は造船所で働いていた。長男の俺もそうなるはずだった。船大工になって、父の跡を継いで」


彼は拳を握った。


アームフェルトは杯を見つめた。


「だが——俺は、軍に入りたかった」


その言葉に、レーヴェンハウプトが眉を上げた。


「徴兵じゃなくて?」


「ああ。志願だ」


アームフェルトは微笑んだ。


「子供の頃、広場で兵士の行進を見た。青い制服、整った隊列、掲げられた旗」


彼は拳を握った。


「あれが——正義に見えたんだ」


私は——息を飲んだ。

広場。兵士の行進。青い制服。

私も、見たことがあった。

同じ光景を。

同じ憧れを。


「正義、か」


レーヴェンハウプトが呟いた。


「ああ。悪を倒し、弱者を守る。そういう軍隊があると、信じていた」


アームフェルトは酒を飲んだ。


「父は反対した。『お前は船大工になれ』って。でも——俺は、正しいことをしたかった。正義の側に立ちたかった」


「それで?」


「志願した。十六の時だ」


私の手が、杯を握る。

十六。

私も、その頃——

いや。

私はその頃、森を彷徨っていた。

盗みをして、逃げて、生きるために。


「父は——最後まで反対していたけど、母が説得してくれた」


アームフェルトは懐から小さな布を取り出した。刺繍が施されている。


「三年後に結婚した。これは今回の戦いの前に妻が作ってくれたんだ。『正しい道を歩め』って」


「おお、アンナちゃんの手作りか。お熱いねぇ」


レーヴェンハウプトがアームフェルトを茶化し、彼が気恥ずかしそうに小突く。


妻。

私は——

目を伏せた。


「だから——俺の部隊では、略奪を許さない。民を傷つけることも許さない」


レーヴェンハウプトが笑った。


「兵が一人でも規律を破ったら、容赦しないって評判だ」


「当然だ」


アームフェルトの声が、硬くなった。


「俺たちは、正義のために戦っている。ならば——正しくなければならない」


正義。

正しさ。

私は——

何のために、戦ってきたのか。

沈黙が落ちた。

やがてレーネが口を開いた。


「……お前は、相変わらず真っ直ぐだな」


「鋼鉄だからな」


レーヴェンハウプトが肩をすくめた。


「曲がらねえし、折れねえ」


「折れないさ」


アームフェルトは杯を置いた。


「正しいと信じているから」


私は——酒を飲んだ。

味が、しなかった。

レーネが深く息を吐いた。


「お前たちは、守るものがあるんだな」


「レーネは?」


とレーヴェンハウプトが聞いた。


「儂は、ストックホルム近郊の生まれだ」


老将は杖を膝に置いた。


「戦火など、見たこともなく育った。貴族の屋敷で、温かい暖炉と、豊かな食卓と」


彼は三人を見た。


「だから、儂にはお前たちほどの気持ちはない。故郷を守りたい、という強い想いはな」


レーネは酒を注いだ。


「だがこの歳になっても儂には、まだ守るべき家族がいる。そしてこの祖国が。それが老骨ゆえの意思だ。」


やがてレーヴェンハウプトが、私を見た。


「なあ、レイフ」


「……はい」


「お前は? 故郷は?」


その質問に——

私は、杯を見つめた。

酒が揺れていた。蝋燭の光を反射して。

私はふと考えた。


陛下の時みたいに嘘を吐こうかと。

彼らに身分を、出生を隠そうかと。


だが、それは嫌だった。

それを彼らにしてしまったら、私は彼らと一生対等になれない気がした。


「……ない」


気づけばその言葉が、喉から出ていた。


「故郷は、ない」


三人が、私を見た。

私は杯を置いた。


「私には——出身地がない」


言葉が、重かった。


「村は、焼かれた。名前も、もう覚えていない」


蝋燭が揺れた。


「母が、いた。弟が、いた。家があった。畑があった」


目を閉じた。


「でも——全部、なくなった」


アームフェルトが身を乗り出した。


「……いつだ」


「十五年前。俺が十歳の時です」


「誰が」


「分かりません。ロシアか、デンマークか、盗賊か」


私は目を開けた。


「母が、俺を逃がしてくれた。『走れ』って。それだけ言って」


喉が、詰まった。


「振り返った時——家が、燃えていた」


レーヴェンハウプトが、酒を注いだ。私の杯に。


「……それから?」


「森を、彷徨いました。何日も。盗みをして、食べて、逃げて」


杯を手に取った。


「そしてそんな中——先王に、拾われた」


「カール十一世にか」とレーネが驚きながら言った。


「はい。王が視察に来た時、俺は——道端で倒れていました」


酒を飲んだ。苦かった。


「王が、声をかけてくれたんです。『お前、名は』って」


「何て答えた?」


「『レイフ』って。それしか、覚えてなかった」


「姓は?」


「ない。だから——王が、つけてくれた。『エークマン』って」


「オークの男、か」


レーネが呟いた。


「強く育て、という意味だな」


「はい」


私は杯を見た。


「王は、俺を軍に入れてくれた。食事を与え、服を与え、剣を与えてくれた」


「だから、戦ってるのか」


とアームフェルトが聞いた。


「……分からない」


正直に答えた。


「最初は、恩返しのつもりだった。王に、国に。でも——」


言葉が、止まった。


「でも?」


「今は——何のために戦ってるのか、分からない」


蝋燭が、消えかけた。

レーネが立ち上がり、新しい蝋燭を灯した。

炎が揺れ、部屋が明るくなった。

老将は私の前に座った。


「レイフ」


「はい」


「お前は、よく生き延びた」


その声は、低く、温かかった。


「そして、ここまで来た。それだけで、十分だ」


「……十分、ですか」


「ああ」

レーネは私の肩に手を置いた。


「お前は家名を持たない。故郷も持たない。辛かっただろう。だが——」


彼は三人を見た。


「お前には、仲間がいる」


アームフェルトが頷いた。


「俺たちは——お前の故郷だ」


レーヴェンハウプトが笑った。


「まあ、ボロい故郷だけどな」


短い笑いが起きた。

私も——笑った。

喉の奥が、熱かった。


「ありがとう」


その言葉が、出た。


「ありがとう、ございます」


レーヴェンハウプトが私の背中を叩いた。


「よせよ、水くせえ」


「そうだ」


とアームフェルトが続けた。


「俺たちは仲間だ。礼なんて要らない」


レーネが酒を注いだ。全員の杯に。


「では——乾杯しよう」


「何に?」とレーヴェンハウプトが聞いた。


「故郷に」


レーネが杯を掲げた。


「ある者も、ない者も、失った者も、守る者も——全ての故郷に」


「故郷に」


四人で、杯を合わせた。

金属が触れ合う、小さな音。

そして、飲んだ。

酒は——温かかった。


その夜、部屋に戻った私は、窓から街を見下ろした。

ワルシャワの灯りが、暗闇の中で揺れていた。小さく、弱々しく。

だが——消えていなかった。

私は胸に手を当てた。

初めて——

一人ではないと感じた。

故郷を失った者たちが、ここにいる。

そして、共に戦っている。

それだけで——


「レイフ殿」


背後から、声がした。

振り返ると、ステンボックが立っていた。


「失礼、起こしましたか」


「いえ、眠っていませんでした」


彼は窓の外を見た。


「美しい夜ですね」


「……はい」


沈黙が落ちた。

やがて、ステンボックが口を開いた。


「先ほど、レーネ殿の部屋から出てこられるのを見ました」


「はい」


「お仲間と、酒を?」


「はい」


「よろしいですね」


彼は微笑んだ。だが、その目は笑っていなかった。


「私には、そういう仲間はいません」


「……なぜ?」


「私は——守る者ですから」


ステンボックは窓枠に手を置いた。


「守る者は、孤独です。誰とも、酒を酌み交わせません」


「どうして?」


「なぜなら——」


彼は私を見た。

「守る者は、全員を疑わなければならないからです」


その言葉が、胸に刺さった。


「あなた方カロリアンは、幸運です」


ステンボックは街を見た。


「前だけ見ていればいい。敵を倒せばいい。単純です」


「……単純、ですか」


「ええ。ですが、私は——」


彼は目を細めた。


「全方位を見なければなりません。外の敵も、内の敵も。味方の中の裏切り者も」


「裏切り者、ですか」


「ええ」


ステンボックは私を見た。


「この街には、まだアウグスト派が潜んでいます。彼らは、機会を待っています」


「どうして、分かるんですか」


「分かります」


彼の声が、冷たくなった。


「守る者は、分からなければなりません」


沈黙。


「レイフ殿」


「はい」


「あなたは、今夜仲間と語り合いました。故郷のことを、過去のことを」


「……はい」


「それは、素晴らしいことです」


ステンボックは窓から離れた。


「ですが——忘れないでください」


彼は扉に向かった。


「あなたは将です。千の兵を率いる者です」


「はい」


「あなたは空虚な方だという噂を聞いていたが、変わってきているようです。

故に——」


扉の前で、彼は振り返った。


「あまり感情に絆されすぎないように。」


その言葉を残し、彼は去った。

足音が、廊下に消えていった。

私は窓から離れ、ステンボックが去った扉を見た。

守る者は、孤独だと彼は言った。

だが——

私には、仲間がいる。

その事実が、胸を温かくした。

廊下を歩き、自分の部屋に戻ろうとした時——


「レイフ」


振り返ると、レーヴェンハウプトが壁に寄りかかっていた。


「まだ起きてたのか」


「ああ。酒が回らなくてな」


彼は私の隣に並んだ。


「さっき、ステンボックと話してたな」


「はい」


「何て?」


「……守る者は、孤独だと」


「ふむ」


レーヴェンハウプトは腕を組んだ。


「あの男、堅苦しいよな」


「そうですね」


「お前もだ」


「え?」


「『そうですね』じゃねえよ」


彼は私の肩を叩いた。


「お前、まだ敬語使ってるじゃねえか」


「……癖で」


「癖じゃねえ。お前、まだ距離を置いてるんだ」


レーヴェンハウプトは私を見た。


「なあ、レイフ。さっき、俺たちは仲間だって言っただろ」


「はい」


「ほら、また敬語だ」


私は——口を閉じた。


「いいか、レイフ。お前はもう一人じゃねえ。だから——」


彼は笑った。


「敬語なんて捨てちまえ。俺たちは仲間だ。対等だ」


「……分かった」


「『分かった』?」


「分かったよ」


「よし」


レーヴェンハウプトが笑った。彼は私の頭を手繰り寄せ、突然わしゃわしゃとした。


「わっ、何を——」


「やっと敬語外しやがったなこんにゃろーが!」


彼は笑いながらいった。そうして夜は更けていった。


翌日、私はレーネの部屋を再び訪れた。

昨夜の続きのように、四人が集まった。


「レイフ、昨夜はよく眠れたか」


とアームフェルトが聞いた。


「はい——いや、ああ、よく眠れた」


言い直すと、レーヴェンハウプトが笑った。


「おい、まだ敬語が出てるぞ」


「すまん、癖で」


「まあ、仕方ねえか」


レーネが酒を注いだ。


「長年の癖は、すぐには抜けん」


「でも、少しずつな」とアームフェルトが言った。「焦る必要はない」


私は頷いた。

杯を手に取り、酒を飲んだ。


「なあ」


レーヴェンハウプトが言った。


「お前、さっきステンボックと何て話してたんだ?」


「守る者の孤独について」


「孤独、ねえ」


レーヴェンハウプトは酒を煽った。


「あいつ、本当に一人で全部背負ってるよな。部下や仲間もいるだろうに」


「それが彼の役目だ」とレーネが言った。「我らとは違う」


「そういうもんか」


四人で、杯を合わせた。

小さな音。

そして、飲んだ。


「なあ、レイフ」


レーヴェンハウプトが言った。


「お前、王に仕えて何年になる?」


「先王も含めればもう二十五年」


「げっ長いな」


「ああ」


「その間、ずっと一人だったのか?」


「……そうだ」


私は杯を見た。


「いや私には先王がいた。だがそれ以外誰にも、過去を話さなかった」


「なんでだ?」


「分からない。ただ、私の中の何かが壊れてたのかもしれない」


「でも、昨夜は話した」


「ああ」


「なんで?」


その質問に——

私は考えた。


「……お前たちが、先に話したから」


「それだけか?」


「いや」


私は三人を見た。


「お前たちが——信じられたから」


アームフェルトが微笑んだ。


「俺たちも、お前を信じてる」


「ああ」


とレーヴェンハウプトが続けた。


「だから、もう一人で抱え込むなよ」


「何かあったら、言え」


レーネが言った。


「我らは、お前の味方だ」


その瞬間、喉の奥が少し熱くなった。


「……ありがとう」


「ほら、また敬語だ」


レーヴェンハウプトが笑った。

「すまん——いや、悪い」


「まだ出てるぞ」


「くそ、難しいな」


三人が笑った。

私も——笑った。

部屋が、笑い声で満たされた。

温かく。

明るく。

蝋燭が揺れ、影が踊った。

レーヴェンハウプトが酒を注ぎ、アームフェルトが冗談を言い、レーネが笑った。

私は——

その輪の中にいた。

初めて——

居場所を見つけた気がした。


「さて」


レーネが立ち上がった。


「そろそろ休むか。明日も早い」


「そうだな」


アームフェルトも立ち上がった。


「レイフ、また明日」


「ああ。また明日」


敬語なしで、言えた。

レーヴェンハウプトが私の背中を叩いた。


「よし、上出来だ」


扉を開けると——

冷たい空気が入ってきた。

廊下に出て、それぞれの部屋に向かおうとした時——

遠くで、何かが鳴った。

鐘の音。

夜警の鐘。

だが——いつもより、多かった。

私たちは顔を見合わせた。


「……何だ?」


レーヴェンハウプトが呟いた。

私は窓に駆け寄った。

街の一角で——

炎が上がっていた。

赤い炎。

黒い煙。

そして——

悲鳴が聞こえた。


「おいおい勘弁してくれよ」


レーヴェンハウプトが剣を掴んだ。


「行くぞ!」


アームフェルトの声に呼応して、四人で、廊下を駆けた。

足音が、石畳に響いた。

だが——

頭の中で、ステンボックの言葉が蘇った。


「守る者は、全方位を見なければなりません」


炎の向こうに——

何が待っているのか。

私は——

剣を握りしめた。

昨夜の温もりが、まだ胸にあった。

だが——

その奥で、何かが冷たく沈んでいくのを感じていた。

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