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第13話 戦いは終わらない

初冬の雪は地面を覆い始めていた。

ナルヴァの勝利から三日が過ぎても、我々はそこを動かない。

兵たちの興奮は未だ冷めやらない中、司令部には現実の重さがのしかかっていた。


カールは司令部の天幕で地図を見つめていた。蝋燭の光が彼の横顔を照らす。

東へ延びる一本の線――モスクワへの道を、彼は見つめ続けていた。


「陛下」


私が声をかけると、彼はゆっくりと振り返った。

その瞳には、まだあの夜の炎が宿っていた。戦いへの渇望が。


「レイフ、お前はどう思う?」


彼は地図上のモスクワに指を置いた。


「このまま東へ向かうべきか」


私は答えに窮した。天幕の外では、兵たちが凍えながら焚き火を囲んでいる。

馬は既に何頭も死んだ。補給線は雪に埋もれ、弾薬は湿気て使い物にならない。


「危険すぎます。我々は補給を整備せず速度を重視しました。そんな状況で攻勢に打って出ても勝てる見込みは薄いのではないでしょうか」


「やはり、そうだろうな」


カールの声は低く、彼はため息をついた。


「だが、今を逃せばピョートルに時を与えることになる。あの男は必ず立ち直る。」


「ですが、今ロシアの広大な大地に攻め入るのは……」


「分かっている」


カールは私の声を遮った。


「だから、代わりの作戦がある」


その瞬間、天幕の入り口が開いた。

将軍たちが揃って入ってきた。


私は自然と姿勢を正し、机に向き直った。

そうしてその夜の軍議が自然と始まった。


そうして先程のようなことが将軍達によって議論された。

彼らの意見は満場一致だった。


「今ロシアを迎え撃つほどの余裕は私達にはありません」


軍の意見を代表し、レーネがその意見をカールに述べた。

初めはカールは反発をするかと思ったが、彼はやはり冷静だった。


「ああ、そうだろうな」


そして彼は立ち上がり、机に置かれた机に丸をした。


「だから明日ポーランドリガを解放する。そのための準備を整えろ」


「はっ」


将軍達は皆手を合わせ、礼をした。

だが、その中で王の横に立つ私だけが気づいていた。

王の拳が、握りしめられていることを。


「だが、」


カールの声が再び響いた。


「リガを解放しても戦争は終わらない」


その発言を聞き、一瞬ざわめきが走る。

そして、私もその発言が一瞬処理しきれなかった。


(どういうことだ)


私は顔をカールに向ける。

その発言の意図を探るために。

だが、カールは自ら説明を始めた。


「リガを解放した後、その勢いに乗せてアウグストを叩く」


その発言に対しアームフェルトが挙手をし、意見を申し立てた。


「なぜポーランドへ攻勢に出るのですか。ここまで徹底的な勝利を収めれば彼らは講和に傾くと思いますが……」


カールは地図から顔を上げ、アームフェルトに視線を合わせる。


「我々に一方的に戦争を仕掛けておいて、彼らは無傷でいられると思っているのか?」


その発言を聞いた瞬間、私の中に燻っていた小さな違和感の数々が一つに繋がった気がした。


(そうか……)


私とカールの望みは違うのだと、この瞬間にそう思い知らされた。


「デンマークは既に下し、奴らはもはや無力だ。ポーランドをも服従させればロシアの盟友は消え去る」


カールの見る目線の先にあったのは、一本の線だった。

ナルヴァからモスクワへと続く真っ直ぐな赤い線。


「そうすればピョートルは反撃の手段を失う、奴を完全に屈服させる」


カールの目にはどこか執念のような者も見えた気がした。

デンマークの王フレデリクの時とは明確に違う。

何か、特別な感情。


彼の目を見るとその蒼い瞳は明かりに照らされ、どこか赤く見えた。


その瞬間に気づいた。


私は彼の宿す「炎」に惹かれていると言うことに。

幼い頃から私の目の前で小さく光っていた先王の炎は消え去った。

光を失い、炎が潰え、凍えていた私の前に、カールという巨大な炎が現れたのだ。


だから今も、私は彼の炎の近くに身を置くことで安心しているのだと。


「その選択はそれこそ議会を通す必要があります」


今まで静かにしていたレーネが口を挟んだ。


「この戦争の行方はリガを解放した後にストックホルムへ戻り決めましょう。今日はこれぐらいでいいでしょう」


そうしてレーネは小さく手を叩いた。

そうして部屋にいた将校達は身支度を整え始めた。


だが、私の心には未だどこかしこりがあった。




──ポーランド、ドレスデン王宮


同時刻、ポーランドの王、アウグスト2世は重厚な玉座に腰を沈めていた。

宮殿の暖炉から立ち上る煙の淡い香りを嗅ぎながら、手元に届けられた書状をゆっくりと開いた。


そこには、ナルヴァの戦いでのスウェーデン軍の勝利、ピョートル率いるロシア軍の惨敗が記されていた。


彼は絹のローブの袖口に指を這わせ、眉をひそめるどころか、むしろ笑みを浮かべていた。周囲の侍臣たちが緊迫した面持ちで報告を続けるなか、アウグストは冷ややかな声で言った。


「ピョートルの間抜けめ。兵力の四倍もの差を小僧にひっくり返されたとはな」


彼は袖を軽くはたきながら、玉座の背もたれに体を預けた。

深く息を吐くと、その口調はより一層傲慢に変わる。


「これでこそ我らが主導権を握れるというものだ。抜け駆けしたかと思えば降伏したフレデリクも、ピョートルも手痛い失敗ばかりだな。」


彼は居並ぶ同盟国の使節たちに向け、声を張った。

そんな中、ポーランドの貴族がアウグストに意見を申し立てる。


「ですが王、ロシアを下したカールの軍はすぐさまリガへと向かってくるはずでしょう。我々はどうしますか」


その問いを聞き、アウグストはその貴族へ顔を向けた。

彼は玉座の背に寄りかかりながら、酒杯を手に取り掲げた。


「確かに今戦うのは得ではない」


侍臣たちの間に緊張感が漂う中、アウグストの瞳は冷たく光っていた


「リガに送った部隊を撤退させろ。そしてストックホルムに伝令を遅れ。ポーランドは攻撃を停止するゆえ和平を結ぼう、と」


確認するように貴族たちにそれを告げる。


「私もそれがいいと思います」


貴族の多くは、頷きその方針に承諾した。だが、中には意見を申し立てる者もいた。


「ですが、彼らは和平を受け入れるでしょうか?」


だが、アウグストはそれを聞き高笑いした。


「奴は所詮若造。こちらから手出しをせねば、奴は何もできまい」


彼にとっては、敗れたピョートルも、戦いに勝利した若きカールも、すべては己が支配するゲームの駒のようにしか見えていなかった。


アウグストは片手に残っていたワインを一気に平らげ、机に叩きつけた。

その残響だけが宮廷の中を響き渡った。




──ロシア ネヴァ川付近


霧立ち込めるネヴァ川の湿地。

そこには新たな都市計画があった。

若いロシアの王、ピョートルの肝入りで始められた、新たな都の建造計画。

しかし、その立地はあまりに過酷だった。


「おいっ、なんでこんな所に建設なんてするんだよ……」


「ばか、聞かれるぞ、声を下げろ」


沼地であり、洪水のリスクもあり、冬の現在凍土となっている。

あまりに都市として不向きな気候。


だが、それでもその都市づくりは敢行された。

その土台としての要塞を建てるため、大勢の農民が各地の田舎から動員されていた。

そしてその中に彼は──


ロシアの王ピョートルもいた。


湖沼近く、粗末な外套の農民が慣れぬ手つきで畝を整えていた。

ピョートルはその大柄な体を曲げ、沼地の上でシャベルを持っていた。


「おい、イヴァン!そこ、浅すぎるぞ、水が溜まる!」


「は、はい、ツァーリ様……!」


驚きと緊張のあまり、農民の手が止まる。だがピョートルは笑って肩を叩いた。


「緊張すんなよ。なあお前の村はどこにあんだ?」


ピョートルは笑みを浮かべ、イヴァンという農民に気さくに話しかける。

その姿はあまりに王とはかけ離れていた。


「えっと……ヴャジマという田舎です」


イヴァンがしどろもどろとしながら答えるとピョートルは、朗らかに答えた。


「そうか、今度機会があれば周遊してみよう。教えてくれて感謝だ」


それを聞き、イヴァンが小さく笑みを浮かべた。

少し離れたところでは農民達はヒソヒソと話していた。


「なあ、なんでツァーリ様がここにいんだよ……」


「お前知らないのか、あの方はたまにこういった土木に顔を出されるんだ」


「なんでそんな……」


「分からねえよ。でもいい王様だって俺の村ではみんな言ってるぜ」


口々に村人達はピョートルを誉めていた。

だが、それは強制された者ではなく親近からくるものだった。


「さあさあお前ら!雑談すんのもいいが、手は止めんなよ!」


ピョートルは手を大きく掲げ、周りの農民達に宣言するように言った。


「さすがツァーリ様だ、なんて寛大なお方なんだ」


農民達は交互に繰り返し、ピョートルは笑みを浮かべそれを聞いていた。

だが、彼はそして一つ付け足すように言った。


「だが一つ言わせてくれ!中にはこの現場から逃げる奴もいる……過酷な工事だ仕方ない」


彼の発言で農民たちの間に静寂が訪れる。


「もし逃げてもお前たちを牢に入れることはない!だが、俺と一緒に作ってくれねえか?」


それを聞き、彼らは口々に返事をした。


「勿論です!」


「ツァーリ様のためなら!」


そうして彼らは再び建設の土木作業へと戻った。

過酷な労働だというのに、笑みを浮かべながら。


パンッ


その現場から数キロ離れた場所からとある音が響いた。

どこか乾いた、鉄の音が。

だが、ほとんどの農民たちはその音に気づきすらしなかった。


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