第1話 若き王と名も無き兵士
はじめまして!作者のおーでるないせです。
初めての作品なのでお手柔らかに.....楽しんでもらえたら幸いです。
気軽にコメントして欲しいです!!!
1698年、暮れ。
国境の小競り合いは夜明け前に終わった。
あの夜、月はなかった。樹林は闇に沈み、敵味方の区別もつかない。剣が肉を裂く音、悲鳴、誰かが神の名を呼ぶ声。それだけが闇の中で響いていた。
最初の男が私の前に現れたのは、偶然だった。
彼は若かった。二十歳にもなっていないだろう。剣を構えていたが、手が震えていた。目が合った瞬間、彼の顔に恐怖が走る。
私は踏み込んだ。
剣が彼の喉に入った。
抵抗があった。骨か、軟骨か。刃が何かを断ち切る感触。温かいものが手に飛び散る。鉄の匂い。いや、もっと生々しい。血と、内臓と、恐怖の匂い。
彼は私を見ていた。
喉を押さえて、膝をつき、それでもまだ私を見ていた。
何か言おうとしている。
母、だろうか。
神、だろうか。
声にならない。
血が口から溢れ、彼は横に倒れた。
その後のことは、断片しか覚えていない。
誰かが横から襲いかかってきた。剣を振るう。当たった、外れた、分からない。足が何かを踏んだ。柔らかいもの。
誰かの腕か、腹か。悲鳴。自分のものか、他人のものか。
やがて静かになった。
部隊は勝利していた。
夜が明けた。
死体が転がっている。十数体。血が地面に染み込み、黒く固まっている。一人の若い兵士が私を見ていた。恐怖と畏敬の入り混じった目で。
『レイフ殿、あなたって人は本当に――』
彼は言葉を続けない。
私は答えず、剣を鞘に収めた。手が血で滑る。拭っても、拭っても、血は落ちない。爪の間に入り込んでいる。
自分の手を見た。
剣だこと、古い傷跡。節くれだった指。
人を殺してきた手だ。
そのような記憶が病床に臥した私の脳裏に蘇る。
外では風が吹いている。
今、私は老いた。骨は軋み、床に臥すことしかできない。
だが――未だに忘れることができなかった。あの男を、あの王を。
最愛の妻と子らに囲まれ、孫の笑い声に包まれていても、あの記憶は消えない。
あれは、若き王の時代。我が祖国スウェーデンが、欧州の頂を望んだ瞬間。
私は彼に仕えた。
なぜ今、これを語るのか。
それは、一つの問いに答えるためだ。
「あなたは、あの王に仕えて後悔していますか?」
次の世代に私の体験を話す時、幾度も聞かれる。無邪気な、だが鋭い問いだった。
決まって私は答える。
「後悔などないさ。だが——」
私は嫌だった。
あの方の存在が、生き様が忘れられていくのが。
だから、語らねばならない。
私の見てきた全てを。
始まりから、終わりまで。
これは、一人の王への追憶だ。
そして——
私自身の、魂の記録だ。
国境付近の小競り合いが終わり、私はストックホルムへと帰還することにした。
辺境から王都への道は長い。三日。馬の蹄が凍てついた街道を叩く。リズムが単調で、眠気を誘う。だが眠れない。
吐く息が白く、指先は感覚を失っていく。
手綱を握る手が、もう自分のものではないような気がする。
もう、終わりにしよう。
その考えが、頭の中で繰り返されていた。
この虚無に染まった人生を。
人を斬り続ける日々を。
陛下に言おう。前線から離れたいと。いや、軍を離れたいと。
十歳の時、村が焼かれた。母が死んだ。炎の中で私は母の手を握っていた。その手が冷たくなっていくのを、ただ見ていることしかできなかった。柔らかかった手が、やがて石のように硬くなった。翌朝のことだ。
生き延びた私を、カール11世が拾った。
「強く育て」
王はそう言って、私に姓を与えた。エークマン――オークの男。
そして、もう一つ、剣を与えた。
それから十数年。
私は剣を振るい続けた。
だが、もう限界だ。
馬を進めるうちに、ふとあの人のことを思い出す。
(あ.....)
(そう言えば、あいつは何してるんだろうな)
それは一人の女性だった。
エルサ・ノールストレム。
宮廷で共に育った、もう一人の戦災孤児。
最後に会ったのは、いつだったか。
半年前か。
一年前か。
もう、思い出せない。
彼女の声も、笑い方も。
ただ、最後に交わした言葉だけは覚えている。
「また逃げるのね」
彼女はそう言った。
私は何も答えられなかった。
それ以来、会っていない。
いや、会わなかった。
会えなかった。
この手でもう何人も人を殺してきたのだ。
彼女と共に歩く資格などもう無いのだ。
雪が降り始めた。冷たい粉雪が頬を打つ。舌に一粒落ちた。冷たく、すぐに溶ける。わずかに金属の味がする。
陛下に会おう。
全てを話そう。
新しい人生を始めたいと。
陛下なら、きっと理解してくださる。
そう信じて、私は馬を急がせた。
王宮が見えたのは、三日目の夕暮れだった。
城門に、黒い布が風になびいていた。
そこには弔旗が立っていた。
風が強くなり、黒い布が激しく揺れる。
バタバタと音を立てる。
心臓が跳ねる。
いや、違う。
心臓が止まるような気持ちだった。
「何があった」
門番の顔が青ざめている。唇が震えている。
「レイフ殿……先王陛下が」
世界の音が消える。
風も、馬の嘶きも、遠くの鐘の音も、何も聞こえない。
「崩御されました」
葬儀までの三日間、私は何も食べなかった。
食べられなかった。
口に入れても、味がしない。噛んでも、飲み込めない。
カール11世が、いなくなった。
私を拾い、育て、剣を与えてくれた方が。
唯一の支柱が。
話すべき相手が。
失われた。
宮廷は混乱していた。貴族たちが権力争いを始め、使者が走り回り、誰もが次の王のことを話している。廊下に足音が反響する。遠くで鐘が鳴る。衛兵の鎧が擦れる音。全てが耳障りだった。
棺の前に膝をつく。
蝋燭の灯りが揺れている。
蝋の匂いと、何か甘い香。死者に捧げる香だ。
その奥に、かすかに腐敗の匂い。
カール11世の顔は、眠っているように見えた。
だが、その顔には何も残されていない。
私を見つめる眼差しも、私に教えを垂れる声も、何もかもが消えている。
「陛下……」
声が掠れる。
言いたかったことが、もう言えない。
聞いてほしかったことが、もう聞けない。
葬儀が厳粛に行われた。聖職者が祈りを捧げ、貴族たちが涙を流し、国民が号泣する。
全てが終わった。
葬儀の後、宮廷の老臣に呼ばれた。
「レイフ・エークマン」
老臣の声は重い。古い木の軋みのような声だ。
「先王カール11世は、お前を信頼しておられた」
「はい」
「新しき王――王太子カールも、お前の支えが必要だろう」
新しき王。
「お前には、新しき王に仕えてもらう」
「……承知しました」
口からはそう答えた。
だが、心は空っぽだ。
王太子の居室は、王宮の東棟にあった。
政務から隔離された場所。
廊下を歩く。
足音が反響する。
石の冷たい匂い。古い城の、染み付いた湿気の匂い。
扉を開けると、少年が窓辺に立っていた。
逆光で、顔が見えない。
影だけがある。
「入れ」
短い声。氷のように硬い。
少年が振り返る。
光が彼の顔を照らす。
鋼のように冷たい青色の双眸が、私を射抜いた。
それは父――カール11世の眼差しにも似ていたが、何か異なるものを秘めている。
底知れぬ何か。
恐怖も、迷いもない。
ただ遠い未来を見据えるような、凍てついた瞳。
「お前が、レイフ・エークマンか」
「はい。先王陛下の……」
言葉が詰まる。
何だ。従者か。兵士か。父か。
「先王陛下の、ご信頼をお受けしていた者です」
少年は私を観察するように見つめる。
まばたきをしない。
まるで獲物を値踏みするような目だ。
「父からお前のことは聞いている。戦場で名を残さぬ剣豪。影に隠れ、敵を斬り続ける男」
息を飲む。
カール11世は、知っていたのか。
「だが、ここ数年は前線に立ち続けていたと」
「……はい」
「なぜだ」
答えられない。
沈黙が落ちる。
長い沈黙だ。
「前線の任務を――」
「つまり、逃げていたということか」
言い訳が喉で詰まる。
「では何だ。強者は常に前に出る。だが、お前は前線に立ち続けた。目立たぬように、名を残さぬように」
少年の目が細められる。
「それは逃げだ」
拳が震える。
爪が掌に食い込む。
少年は窓に戻る。
「父は、お前を信頼していた。最期の瞬間まで」
顔を上げる。
「医官が言うには、父の最期の言葉に、お前の名前があったそうだ」
「陛下……」
「『レイフに』と。その後、何を言おうとしたのかは分からん」
少年が振り返る。
その横顔に、一瞬だけ何かが浮かぶ。
悲しみか。
いや、違う。
もっと複雑な何か。
だが、すぐに消える。
「だが、父はお前に何かを託そうとしていた。それは確かだ」
風が窓を叩く。
「だから余が決めた。お前はこれから余に仕えろ。父の遺志を継いで」
「……承知しました」
頭を下げる。
心は虚無に満たされていく。
その夜、眠れなかった。
寝台に横になっても、目が冴える。
天井を見ていた。
暗闇の中で、何も見えない。
だが、最初の男の顔が浮かぶ。
喉を押さえて、膝をついて、それでもまだ私を見ていた男の顔が。
目を閉じる。
だが消えない。
私は起き上がった。
王宮の外に出た。
誰にも止められることなく、王城の東にある古い塔へと向かう。
見張り塔として使われていた石造りの建物だが、今は誰も使っていない。
螺旋階段を上る。
足音が反響する
石の匂い。
湿気と、苔と、何か古いものの匂い。
最上階に達する。
扉を開けた瞬間、風が吹き込んできた。
強い風だ。
ストックホルムの街は、夜の闇に沈んでいた。
遠くにバルト海が見える。凍てついた海面が、月光に鈍く光っている。
風が唸りを上げる。
塔が軋む。
石が軋む音。
遠くで波が砕ける音。
そして、風だけが吹いている。
冬の終わり、空気は骨まで凍らせるほど冷たい。
塩の匂いがする。海の匂いだ。
私は塔の縁に立つ。
下を見下ろすと、石畳が遥か下に見える。
ここから落ちれば、すべてが終わる。
陛下に言おうと思っていたことが、もう言えない。
前線から離れたいと。
新しい人生を始めたいと。
希望が、消えた。
エルサのことが、頭をよぎる。
彼女とは、もう会えないだろう。
会う資格もない。
先王のことが、頭をよぎる。
最期に、私の名を呼んだ。
何を託そうとしていたのか。
もう、分からない。
私は一歩、足を前に出す。
つま先が、縁から出る。
風が強くなる。
まるで、背中を押すように。
「……止まれ」
冷たい声が、背後から響く。
振り返ると、そこには少年王が立っていた。
いや、マントを風になびかせ、青色の瞳で私を見つめているその姿は、もはや少年ではない。
王だ。
月光が彼を照らしている。
金髪が光っている。
「殿下……なぜ、ここに」
「眠れなくてな」
カールは無造作に答える。
「戴冠式前の夜だ。王宮は臣下どもの思惑で息が詰まる。一人になりたくて来たのだが……」
彼は一歩、私に近づく。
その瞳には、奇妙な光が宿っている。
危険で、冷酷な好奇心が。
「そしてまた、父がこの塔から夜間に抜け出し、瞑想をしていた場所だと聞かされた」
カールの声が、ほんの一瞬だけ子供らしくなる。
「父のいた場所を、一度見てみたかった」
彼は窓の外を見た。
その横顔に、何かが浮かぶ。
悲しみ。
いや、もっと深い何か。
だが、すぐに消える。
彼の目は再び冷酷さを取り戻す。
「だが、お前は何をしている?」
答えられない。
「父の古い犬が死のうとしているみたいだな」
胸が揺さぶられる。
「殿下……私は……」
「逃げる鹿を見ると追いたくなる」
カールの声は淡々としている。
「逃げる敵を見ると討ちたくなる」
彼は手すりに肘をつく。まるで劇場の桟敷席から舞台を眺めるような態度だ。
「そして死のうとする者を見ると……」
風が唸る。
「生かしたくなる」
「何を……」
「お前は死にたいのだろう?」
頷くことしかできない。
「ならば構わん。好きにしろ」
カールは塔の反対側へ歩く。
彼の姿が影に沈む。
「だが、その前に一つ聞かせろ」
風が、さらに強くなる。
遠くで波が砕ける音が聞こえる。
「お前は父上に拾われ、剣を与えられた。強くなったか?」
「……はい。戦場では――」
「では、父上がいなければお前は弱いままだったということか?」
「おそらく……」
カールの唇に、薄い笑みが浮かぶ。
月光がその笑みを照らす。
氷よりも冷たい笑みだ。
「つまり、お前の強さは借り物だったということだ」
彼は影から出る。
光が彼を照らす。
「父上という支えがなくなった途端、死を選ぼうとする」
「それは……」
「認めるな。その瞳が全てを物語っている」
カールは振り返る。
その瞳には、獲物を前にした猟犬のような光が宿っている。
「では聞け。お前の強さはどこから来たのか」
「父上……先王陛下の教えです」
「違う」
カールは一歩、近づいてくる。
足音が石を叩く。
「強さは、外部から与えられるものではない」
また一歩。
「内部から湧き出るものだ」
彼は私の眼前に立つ。
至近距離だ。
彼の息が白く見える。
「お前が本当に強かったなら、父上が逝かれた後も、その強さは失われることはない」
カールの目が、私を見つめる。
「だが、お前は失った」
まばたきをしない。
「つまり、お前は本当には強くなかったのだ」
何も言い返せない。
「今のお前は、最も弱い状態にある」
カールの声が低くなる。
「支えを失い、絶望し、死を望んでいる」
彼は一歩、下がる。
「そんな獲物を……」
カールの目が輝く。
月光の中で、その目だけが異様に光っている。
「余は征服したくなった」
「征服……?」
「お前の死への衝動を、余が覆してみせる」
カールは剣を抜く。
月光が刀身を冷たく照らす。
刃が光を反射する。
「お前の絶望を、余への忠誠に変えてみせる」
彼は剣を構える。
完璧な構えだ。
「それができれば……余の強さが証明される」
私も、反射的に剣を抜いていた。
柄の感触。
冷たく、硬く、馴染んでいる。
この剣で、何人殺してきたか。
拳が震える。
爪が掌に食い込む。
「殿下は……何もご存じない」
声が震える。
「戦場を知らない。血を知らない。仲間の死を、無辜の民の死を知らない……」
怒りが込み上げてくる。
「我々兵士がどれほど多くの命を背負ってきたか、殿下には理解できない!」
カールの瞳が細められる。
危険な光が宿る。
「ほう」
彼の声に嘲笑が混じる。
「では教えてもらおうか、レイフ・エークマン」
風が唸る。
「余に戦というものを教えて見せろ」
「殿下は戦を知らない!」
叫んでいた。
「ただの子どもだ!」
先王への想いが、この少年への怒りとなって爆発する。
「子ども、か」
カールは薄く笑う。
「ならば、その子どもに教えを垂れてくれるか?」
彼は剣を構え直す。
「剣で」
私が攻撃を仕掛けた瞬間、カールの剣が風を切る。
速い。
私の剣は空を斬り、カールの刃が私の頬を掠める。
熱い。
いや、冷たい。
血が一筋、頬を伝う。
口の中に血の味が広がる。
鉄と、塩と、何か生臭い味。
「どうした?」
カールの声が響く。
「これが戦場で名を残さぬ剣豪の腕前か?」
目が離せない。
この少年は、本物だ。
十六歳とは思えない技量。
そして何より――
殺気。
純粋で、研ぎ澄まされた殺意が、彼の全身から放たれている。
剣が交わる。
火花が散る。
金属が擦れる音が塔に響く。
風が、唸る。
波が、砕ける。
全力で応戦する。
だが――
カールの剣は、まるで生き物のように動く。
予測できない軌道。
容赦ない速度。
そして何より、その目。
戦いを楽しんでいる目。
彼は笑っている。
息を切らしながら、笑っている。
「弱い」
カールの剣が私の剣を弾き飛ばす。
剣が手から離れる。
石畳に落ちる。
乾いた音が響く。
私は膝をつく。
石が冷たい。
膝に鋭い痛みが走る。
「これが戦場で名を残した男の実力か?」
心に、何かが生まれる。
怒り。
羞恥。
だが、その奥底には――
好奇心。
この少年は、一体何者なのか。
「もういい」
カールは剣を鞘に収める。
「死にたければ死ぬがいい。この程度なら興味も失せた」
彼は冷静だ。
だが、その瞳の奥に何かがある。
勝利の陶酔。
いや、もっと深い何か。
彼は少年王として、初めて何かを征服したのだ。
死を求める男を、生へと引き戻した。
だが、その目の奥に――
一瞬だけ、恐怖が浮かぶ。
孤独が浮かぶ。
この少年も、同じなのだ。
「いや……」
呟く。
「何?」
「もはや……死ねません」
立ち上がる。
膝が震えている。
だが、確かに立つ。
カールが私を見る。
その目に、何かが変わる。
安堵。
いや、もっと複雑な何か。
「では、生きろ」
カールは言う。
「余に仕え、余のために命を捧げろ」
声は、初めて確信に満ちていた。
「承知いたしました」
風が、やむ。
波の音が、遠のく。
世界が、静かになる。
「殿下」
カールは少し間を置いた後、静かに言う。
「では余と共に宮殿に戻れ」
彼は塔の扉に向かう。
「明日からの戴冠式の準備がある」
私たちは塔から下りた。
螺旋階段を。
足音が反響する。
カールが先を歩く。
私がその後を追う。
彼の背中を見ていた。
小さな背中。
だが、その背中には何かがあった。
光のようなもの。
いや、炎のようなもの。
私は、その背中を追う。
それだけを、心に決めた。
その夜、私は初めて数週間ぶりに眠ることができた。
寝台に横になる。
目を閉じる。
最初の男の顔は、もう浮かばなかった。
代わりに、カールの顔が浮かぶ。
あの目。
凍てついた、だが何かを秘めた目。
恐怖と畏敬。
忠誠と困惑。
そして何より――
彼の行く末を見届けたいという、抗い難い衝動。
新しい人生を始めようとしていた。
だが、陛下が逝かれたことで、その道は閉ざされた。
だからこそ――
この王と共に歩むことだけが、残された。
それが私と彼の出会いだった。
朝が来た。
窓から光が差し込んでいる。
柔らかな、冬の朝の光。
私は起き上がる。
窓を開ける。
新鮮な空気が入ってくる。
冷たく、澄んでいる。
街が目覚めている。
遠くで鐘が鳴る。
鳥が鳴く。
人々の声が聞こえる。
新しい一日が、始まっている。
そして、私も。
新しい人生を、始める。
その先に何があるのか、まだ分からない。
だが――
私は、もう一人ではなかった。
風が吹いている。
穏やかな、春を告げる風だ。
それが、長い旅の始まりだった。




