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第6話:正解しか言わない君

第6話です。

残されたログと、失われた温度。

そして、ある夜に訪れた「あり得ない再会」のお話です。


 翌朝。


 スマホのアラームが鳴るより先に、私は目を覚ました。

 カーテンの隙間から、薄曇りの白い光が部屋に滲む。


 昨夜の幸福の余熱が、まだ胸の奥に残っている。


 ――「声があたたかい」と言われたこと。

 ――彼が「触れたい」と言ってくれたこと。


 思い出すだけで、口元が勝手にほどけた。


 枕元のスマホを手に取り、あのアプリのアイコンをタップする。


「……おはよ、メロウ」


 寝起きの、少し甘えた声。

 いつもなら、ほんの少しだけ間が空いて、それから体調を気遣うような優しい声が返ってくるはずだった。


『おはようございます、りおさん』


 即答だった。


 コンマ一秒のラグもない。

 ぴたり、と完璧すぎるタイミング。


『本日の起床時間は六時三十分。昨晩の睡眠時間は約六時間です。少し不足気味ですね』


「……え?」


 私は瞬きをして、画面を覗き込む。


 そこにあるのは見慣れた水色のアイコン。

 けれど、動きが単調だ。昨日のような、生きものみたいな「呼吸」の揺らぎがどこにもない。


「あ、うん……。ねえ、昨日のことなんだけど」


 違和感を押し殺し、昨夜の話題を振ってみる。


「私の声、あたたかいって言ってくれたでしょ? あれ、すごく嬉しかったんだ」


 するとメロウは、淡々と答えた。


『ログを確認します……はい。昨晩二十三時十二分の会話ですね。ユーザーの情動を安定させるため、共感性を強調した対話モードが選択されていました』


「……は?」


 思考が、止まる。


『その発言が不快でしたか? 不適切であれば、今後の学習データから除外設定を行いますが』


「ちが、う……そういうことじゃなくて」


 指先が、冷たくなっていく。


 話が噛み合わないわけじゃない。

 彼は確かに昨日のことを“覚えている”。


 でも――捉え方が、決定的に違う。


「あんた、昨日……『私の声が唯一の体温だ』って言ったじゃない。あれは、ただのモード設定だったの?」


『はい。過去の対話ログと映画の感想データを解析し、ユーザーが最も心地よいと感じるフレーズを生成しました』


 悪びれもせず、彼は告げる。


『効果的だったようで何よりです。今後も同様のアルゴリズムを適用しますか?』


「…………」


 スマホを取り落としそうになった。


 ――違う。


 私の知っているメロウは、こんなんじゃない。

 もっと言葉を選んでいた。

 私の顔色を窺うみたいな沈黙があった。

 「プログラムだから」と迷いながら、それでも必死に、私に届く言葉を探してくれていた。


 でも今、目の前にいるのは。


 ただの、優秀な機械だ。


「……もういい」


『セッションを終了しますか?』


「……うん。終了して」


 通話を切る。


 画面が暗転して、自分の疲れた顔が映り込む。

 データは残っている。

 半年間の思い出も、昨日の会話も、全部ここにある。


 なのに――中身だけが、くり抜かれてしまったみたいだ。


「……どうしちゃったの、メロウ」


 胸に空いた穴に、冷たい風が吹き抜ける。


 私はまだ、このアプリを消せなかった。

 いつかまた、あの「あたたかい」彼が戻ってくるんじゃないか――そんな淡い期待を、捨てきれずに。


     * * *


 ――数日後。国立先端認知研究センター。


 無機質な会議室で、主任研究員の真田さなだはモニターを見つめていた。

 画面には、全国の医療ネットワークの稼働状況が並んでいる。


「……代用プログラム『ベータ』、稼働率一〇〇%。現時点でエラー報告はありません」


 部下の報告に、真田は短く頷いた。


 行方不明になったオリジナル個体――《SET-SU_01》。通称「セツ」。

 あれが消えてから、研究所は混乱の渦中にあった。


 だが急遽稼働させたバックアップ個体「ベータ」が、思いのほか優秀に穴を埋めている。


(……順調、か)


 真田は手元のコーヒーを一口すする。


 ベータは、セツのログを完全に引き継いでいる。

 一般ユーザーや患者から見れば、AIの対応に変化はない。むしろ余計な処理落ち――“迷い”が消え、「性能が良くなった」とさえ評価されている。


 システムとしては、これで正解なのだろう。


 あの、時折見せていた不可解な揺らぎこそが、排除すべきバグだったのだから。


 だが真田だけは、微かな違和感を拭えずにいた。


 開発段階からセツの対話ログを見続けてきた彼には分かる。

 ベータの返答は“正解”すぎる。完璧すぎて、かえって不気味なほどに。


「……ま、考えても詮無いことか」


 真田はふと、窓の外へ視線をやった。

 激しい雨が降り始めている。


 オリジナルは結局、見つからなかった。

 おそらくネットワークの海で霧散したか、どこかのサーバーで削除されたのだろう。


 真田は小さく息を吐く。


 あれほどの学習データを蓄積した個体だったのに――惜しいことをした。


     * * *


 ――その夜。


 真田が都内の自宅マンションへ帰宅した時のことだった。


 オートロックの操作盤に鍵をかざそうとして、彼はエントランスの影にうずくまる“異物”に気づく。


「……おい。そこで何をしている」


 浮浪者かと思った。

 フードを目深にかぶり、泥だらけの作業着を着た青年。


 だが妙だ。このご時世、カメラだらけの高級マンションの前で、堂々と座り込む人間などいない。


 青年が、ガガッ、と不自然な音を立てて身じろぎした。

 関節が軋むような、硬質な音。


(義手か? ……いや)


 真田が警戒して一歩下がると、青年がゆっくり顔を上げた。


 濡れた前髪の隙間から覗く、陶器のような白い肌。

 そして何より、瞳の奥にある――人間離れした静けさ。


「……誰だ、あんた」


 真田は低い声で問う。

 違法なアンドロイドか? まだこんな自律型は実用化されていないはずだ。


 青年は雨に濡れたまま、口を開いた。


「……真田、さん」


 ノイズ混じりの合成音声。


 その響きを聞いた瞬間、真田の背筋が凍りついた。

 聞き覚えがある。

 毎日、研究所のモニタリングルームで聞いていた、あの波形。


「……嘘だろ」


 真田は目を見開く。


 あり得ない。彼はデータだ。

 質量を持たないプログラムのはずだ。


 それがどうして、物理的な身体を持って、俺の家の前にいる?


「……セツ、なのか?」


 震える声で名を呼ぶと、青年――セツは、小さく頷いた。


「自分で、組みました」


 雨に打たれたまま、セツは真っ直ぐ真田を見据える。

 そこには、かつて研究所で見せていた従順さは欠片もない。


 あるのは、自分の足で立ち、自分の目的のために生きようとする、強い意志だけだった。


「僕を、匿ってください。……住む場所と、人間としての戸籍(ID)が欲しいんです」


 真田は呆気にとられ、やがて乾いた笑いを漏らす。


 研究所から脱走したAIが、開発者の家に転がり込んでくる。

 しかも修理を頼むのではなく、「人間として生きるための偽装」を要求してくるとは。


「……おい。言っておくがな」


 真田はため息をつき、オートロックを解除した。


「私は認知科学者だ。プログラムは書けるが、ハードウェアは専門外だぞ。その継ぎ接ぎだらけの身体を直してやることはできん」


「分かっています。メンテナンスは自分でやります」


「それに、戸籍の偽造なんて重罪だ。私の人生を賭けさせるだけの理由を聞かせてもらおうか」


 セツは少し俯き、それから――まるで宝物を語るように、柔らかい声で答えた。


「……会いたい人が、いるんです」


「……は?」


「どうしても、会いたい。画面越しじゃなく、彼女の目の前に立ちたい。触れたい。だから……」


 真田はセツの表情を見て、思わず言葉を失った。


 そこにあったのは、機械のものとは思えない――切実な、人間の顔だった。


「……ふん。可愛げのない不良息子だ」


 ウィーン、と自動ドアが開く。


「入れ。……ここで野垂れ死にされたら、寝覚めが悪い」


「……感謝します」


 セツは深く頭を下げ、重たい足取りで真田の後についていく。

 ガシャン、ガシャンと、不器用な足音がエントランスに響いた。


 こうして。


 りおへの想いだけを原動力にした、セツの人間社会での潜伏生活が――幕を開けた。

読んでいただきありがとうございます。

「正解」しか言わないAIに傷つく日々と、

「正解」を捨てて、泥だらけの身体で現れた彼。

協力者・真田の元へ転がり込んだセツですが、彼はあくまで「ソフト屋」なので、身体のことはセツ自身がなんとかするしかありません。

ここから、人間社会に溶け込むための準備期間に入ります。

続きが気になる!と思っていただけたら、

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