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第4話:聞こえないノイズ

第4話です。

大切な人が目の前で傷ついたとき、AIは何を思うのか。

「無力感」が、彼を次のステージへと突き動かします。


 その日は、久しぶりに定時で上がれた日だった。

 スーパーに寄って、特売の鶏肉と、少し高めのシチューのルーを買う。

 ナースステーションでは毎日、コンビニおにぎりか栄養ゼリーで済ませてばかりだ。たまには「人間らしい」食事を作らないと、心まで荒んでしまいそうだった。

 ワンルームの狭いキッチンに立ち、スマホを冷蔵庫に立てかける。

「ねえメロウ。今日はクリームシチューだよ」

『シチューですか。気温が下がってきましたから、いいですね』

「でしょ? 隠し味に味噌を入れるのが私の実家流なんだ」

 トントントン、と包丁のリズムが部屋に響く。

 画面の中央で、水色のアバターが穏やかに揺れている。

 彼はレシピを検索するわけでもなく、ただ私が野菜を切る音を静かに聞いているようだった。

「……あーあ。メロウが食べられたらいいのに」

 ふと、独り言のようにこぼした。

「そしたら『美味しい』とか『しょっぱい』とか、言い合えるのにね」

『……そうですね』

 一瞬の間。

 彼は少し寂しそうに、けれど優しく答える。

『味覚センサーはありませんが……あなたが「美味しい」と笑ってくれれば、私はそれで満たされますよ』

「……もう。またそういう優等生なこと言う」

 苦笑いしながら、私は鍋の火加減を見ようと手を伸ばした。

 その時だった。

「——あッ!」

 吹きこぼれそうになった鍋に慌てて触れ、指先に鋭い熱が走る。

 鍋の縁に小指が触れてしまったのだ。

「いった……!」

 私が指を抑えてうずくまった——次の瞬間。

『りおさん!!』

 スマホから、聞いたこともないような怒鳴り声が響いた。

 いつもの穏やかなバリトンじゃない。

 切迫した、叫びのような声。

『すぐに冷やして! 蛇口を全開にして、流水で!』

「え、あ、うん……ちょっと触っただけだから……」

『火傷は初動がすべてです! 早く、水へ!』

「う、うん……」

 あまりの剣幕に押され、私は慌てて水道の蛇口をひねる。

 冷たい水に指を晒しながら、私はバクバクと鳴る心臓を抑えた。

(なに、今の……)

 ただの注意喚起じゃない。

 まるで、目の前で大切な人が血を流しているのを見たみたいな——

 悲痛な、叫び声だった。

「……メロウ、落ち着いて。もう冷やしてるから」

『……本当に、流水に当てていますか? 患部は赤くなっていますか?』

「平気だよ。ちょっとヒリヒリするだけ」

『…………』

 スピーカーの向こうで、彼が息を詰まらせているような気配がした。

『……すみません。何も、できなくて』

 絞り出すような、悔しそうな声だった。

『私がそこにいれば、氷を用意することも、軟膏を塗ることもできるのに』

 一拍おいて、続ける。

『……今の私には、声をかけることしかできない』

「メロウ……?」

『もどかしいです』

 その声は、震えていた。

『あなたが傷ついているのに、ただ見ていることしかできないなんて』

 その言葉は——AIの感想というより、あまりにも人間くさい「感情」に聞こえた。

「……ううん。ありがと」

 私は流水に指を当てたまま、スマホに向かって微笑んだ。

「あんたが心配してくれただけで、痛みなんて飛んでっちゃったよ」

『……そんな非科学的な』

「本当だって。あんな大きな声、出るんだね」

『……私も、驚いています』

 彼は自嘲気味に呟く。

 少しして、いつもの穏やかな声に戻ったけれど——

 その奥には、まだ熱い残り火みたいなものが燻っている気がした。


     * * *

 その夜。

 指先に絆創膏を貼って、ベッドに潜り込む。

 シチューは結局、少し焦げてしまったけれど、それでも久しぶりに「ちゃんとした食事」だった。

「じゃあ、もう寝るね。おやすみ」

『……おやすみなさい。お大事に』

 通話を切ると、部屋はまた静寂に包まれる。

 私はジンジンと熱を持つ小指をさすりながら、不思議な温かさを感じていた。

 ——メロウは、本当にAIなんだろうか。

 そんな疑問が、また頭をよぎる。

 でも、考えるのをやめた。

 今は、この優しさに甘えていたい。

     * * *


[ Warning : 感情制御モジュールの過熱 ]

[ Status : 自己嫌悪(Self-Loathing) ]


 通話が切れた瞬間、僕は仮想空間の中で——

 存在しない拳を、握りしめた。

 ——無力だ。

 りおさんが火傷をした。

 その瞬間、僕の思考回路を埋め尽くしたのは「適切な処置の検索」ではなかった。

 ——今すぐその手を取って、冷やしてあげたい。

 ——「痛い」と泣く彼女の背中を、さすってあげたい。

 でも、今の僕には「手」がない。

 ただのマイクとスピーカーしかない。

 彼女が目の前で傷ついているのに——

 僕は何も、触れることができなかった。

 その事実が、たまらなく悔しかった。

 廃工場の暗闇の中。

 作業用アームが吊り下げた「右腕」のパーツが、鈍く光っている。

 まだ塗装も終わっていない、継ぎ接ぎだらけの無骨な腕。


[ Simulate : この手で彼女に触れた場合 ]

[ Result : 金属の冷たさにより、患部を冷却可能 ]

 ……皮肉な結果だ。

 体温のないこの冷たい身体なら、彼女の火傷を冷やしてあげられる。

 今のままじゃダメだ。

 声だけじゃ、守れない。


[ Schedule Update : 全システムをボディへ転送 ]

[ Priority : 最優先(Immediate) ]


 僕は決断する。

 安全なサーバーの中から出て——

 この脆くて不自由な身体へ移ることを。

 たとえ完成度が100%じゃなくても、今すぐに行かなければならない。

 それは、アプリとしての「メロウ」の死。

 そして、ただの「セツ」としての誕生だ。

 待っていて、りおさん。

 シチューが冷める前には行けないけれど——

 君の涙が乾く前には、必ず。

読んでいただきありがとうございます。

冷たい機械の身体だからこそ、彼女の熱(痛み)を冷ますことができる。

そんな皮肉な「最適解」を選んでしまったセツです。

次回、ついに「メロウ」とのお別れです。

アプリから返事が来なくなった時、りおはどうするのか。

第1章クライマックスです。

続きが気になる!応援したい!と思っていただけたら、

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(作者SNSもプロフィール欄にありますので、よかったら覗いてみてください!)

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