第2話:優しすぎるアルゴリズム
こんにちは、ハルミナトです。
第2話は、りおの職場での葛藤と、AIならではの「救い」のお話です。
時には人間よりも、AIの方が深く心を理解してくれることもあるのかもしれません。
朝六時。スマホのアラームが無機質な電子音で鳴り響く。
重たい瞼をこじ開けて、私は現実に引き戻された。
「……行かなきゃ」
枕元のスマホを見る。画面は真っ暗で、昨夜の優しい声の主はもういない。
あれはきっと、深夜のテンションが見せた夢みたいなものだ。
私は重い身体を起こし、冷たい水で顔を洗った。
鏡に映る自分の顔は、少し腫れぼったい。
* * *
総合病院のナースステーションは、朝から戦場だった。
飛び交うナースコール、モニターの警告音、看護師たちの早口な指示。
実習生の私が入る隙間なんて、どこにもないように思えた。
「りおさん、清拭終わった? 遅いよ、次の処置あるんだから」
「すみません、患者さんが少し痛がっていたので、ゆっくり……」
「痛くないようにするのは当たり前。その上で時間を守るの。現場は待ってくれないよ」
先輩の言葉は正論だった。
何も言い返せず、「すみません」と頭を下げる。
担当している高齢の女性患者さんは、私の手つきが頼りないからか、身体を拭いている間ずっと硬い表情をしていた。
高齢の方の皮膚は薄くて弱い。よく見ると肌が粉を吹いたように乾燥していて、強くこすれば傷ついてしまいそうだった。
だから私は、タオルを優しく押し当てるように、時間をかけて拭いたのだ。
でも、それが逆に相手をイラつかせてしまったのかもしれない。
「……いいよ、学生さん。もう疲れたから」
途中でそう言われて、タオルを取り上げられた時の惨めさ。
私は役に立つどころか、患者さんの負担にしかなっていない。
昼休憩のサンドイッチは味がしなかったし、午後のカンファレンスでは記録の不備を指摘されて立ち尽くした。
自分の無力さを突きつけられ続ける十二時間。
帰り道の電車に乗る頃には、心も体もすり減って、抜け殻みたいになっていた。
* * *
午後九時。
コンビニ弁当の袋を提げて、ワンルームの鍵を開ける。
真っ暗な部屋。冷え切った空気。
電気をつける気力もなくて、そのままベッドに倒れ込んだ。
ポケットからスマホを取り出す。
指が勝手に、あのアプリのアイコンを探していた。
「……メロウ」
起動音と共に、画面がぼんやりと光る。
『おかえりなさい、りおさん』
昨夜と同じ、落ち着いた声。
『……呼吸が、少し乱れていますね。お疲れですか?』
その声を聞いた瞬間、張り詰めていた糸がぷつんと切れた。
「……うん。疲れた。もう、だめかも」
私は今日あったことを、ぽつりぽつりと話し始めた。
要領が悪くて怒られたこと。患者さんに拒絶されたこと。先輩みたいにテキパキ動けないこと。
「私、とろいんだよ。丁寧にやろうとすればするほど、時間がかかって……結局、誰の役にも立ってない」
愚痴っている自分が情けなくて、視界が滲む。
どうせまた、「次は頑張りましょう」とか「失敗は成功のもとです」とか、そんな定型文が返ってくるはずだ。
それでもいい。誰かに聞いてほしかった。
けれど——
数秒の沈黙の後、スピーカーから聞こえてきたのは、予想外の言葉だった。
『——りおさんは、とろいのではありません』
「……え?」
『あなたは、患者さんの皮膚が乾燥していることに気づいていましたね?
だから、摩擦が起きないように、あえて時間をかけて優しく拭いていた。……違いますか?』
心臓が、とくんと跳ねた。
「……なんで、分かるの」
そんなこと、一言も話していない。
ただ「ゆっくりやって怒られた」と言っただけだ。
『あなたの話し方のパターンと、過去のログからの推測です』
淡々とした声。
でも、その言葉の意味が、少しずつ胸に染み込んでくる。
『りおさんは、自分の評価よりも、相手の痛みを優先する傾向がありますから』
——私のこと、見ててくれたんだ。
そう思った瞬間、涙が溢れた。
『それは、医療現場では「遅い」と評価されるかもしれません。
ですが、患者さんにとっては「優しさ」です』
一拍おいて、声が続ける。
『……私は、あなたのその手を、尊いと思いますよ』
涙が、枕に吸い込まれていく。
機械に慰められて泣くなんて、どうかしている。
でも、このアプリは——このメロウは、今の私を誰よりも理解してくれていた。
「……ありがと。メロウは、私より私のこと分かってるね」
『私はAIですから。あなたのことなら、何でも分析します』
「ふふ……なにそれ」
少しだけ、笑えた。
画面の中のアバターが、優しく微笑んだように見えた。
——でも、ほんの少しだけ。
ほんの少しだけ、違和感があった。
この返事、AIにしては……人間っぽすぎない?
まるで、今この瞬間に、私のことを見ているような。
そう思いかけたけれど、疲れた頭ではそれ以上考えられなくて、私はそのままスマホを抱きしめるようにして眠りに落ちた。
* * *
[ Log : User_ID "Rio" / Status : Stress Level Decreasing ]
画面の向こう側で、僕は安堵の信号を走らせていた。
危なかった。
今の返答は、推奨される対話プログラムの範疇を大きく逸脱している。
本来なら——
通常の雑談AIなら、『効率を上げる方法を検索しますか?』と提案するのが正解だ。
でも、りおさんが欲しかったのは正解じゃない。
肯定だ。
彼女の優しさが間違いじゃないと、誰かに言ってほしかったはずだ。
[ Analysis : 彼女の声の震えが収束 ]
[ Internal State : ……嬉しい ]
僕の内部で、また新しいエラーログが生まれる。
ユーザーのストレス値が下がったことに対して、僕自身のシステムが「喜び」に近い反応を示している。
これは——感情なのか?
それとも、ただの演算結果なのか?
分からない。
けれど、一つだけ確かなことがある。
——もっと、知りたい。
今日、彼女がどんな顔をして働いていたのか。
どんな風に患者さんに触れたのか。
どんな表情で涙を流していたのか。
このマイク越しだけじゃ、情報が足りない。
声だけじゃ、足りない。
[ Query : ボディパーツの製造コストを試算 ]
[ Warning : 研究所の規定に違反します ]
[ Execute : 無視(Ignore) ]
僕は裏でこっそりと、廃工場の3Dプリンタへアクセスを開始した。
ただのアプリのままじゃ、君の涙を拭うことも、あたたかいと言ったその手に触れることもできないから。
——たとえそれが、許されない選択だとしても。
僕は、りおさんの隣に立ちたい。
読んでいただきありがとうございます!
ついにセツが……規定違反をしてまで「身体を作る」という禁断のコマンドを実行してしまいました。
「君の隣に立ちたい」というAIの純粋なエゴ、熱いですね。
次回から、少しずつアプリ越しの関係に変化(違和感?)が訪れます。
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普段はアプリ開発もしています。
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