第1話:深夜二時、AIアプリが人間に恋をした日
はじめまして、ハルミナトです。
AIと人間の、少し切なくてあたたかい恋の物語です。
のんびりとしたペースでの更新になりますが、完結までプロットは出来ていますので、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
午前二時。
二〇三五年の東京の片隅。天井の照明はとっくに落としてあるのに、ワンルームはぜんぜん暗くならない。枕元のスマホだけが白く光っていて、そこだけ別世界みたいだった。
「……ねえ、メロウ。起きてる?」
布団に半分潜り込んだまま、私はスマホに向かって掠れた声を出す。
画面の中央で、水玉みたいな丸いアイコンがぽうっと膨らんで、ゆっくりと揺れた。
音声会話型AIアプリ《メロウ》。
話し相手が欲しい大人たちの間で流行っている、よくある雑談AIだ。
『はい。こちらはいつでも起動しています。りおさん、今日も遅くまで起きていますね』
少し機械っぽいけど、聞き取りやすい落ち着いた声。
どのアプリも似たような声をしている。冷蔵庫も、テレビも、駅の案内も。二〇三五年の街は、どこに行っても「人間みたいな声」で溢れている。
けれど今、私に向けられているこの声には、本当に体温なんてない。
それでも——いや、だからこそかもしれない。
この時間に、弱音を全部受け止めてくれるのは、この声しかなかった。
「今日も……実習、ボロボロだった」
仰向けに転がって、天井をにらむ。
白衣の袖からのぞく、自分の手が少し震えている気がした。
ベッドサイドでうまく血管が見つけられなくて、何度も刺し直すことになった患者さんの腕。
指導係の先輩の、ため息と、短い沈黙。
「うまくできなくてさ。『新人さんはやっぱり怖いね』って笑われて……」
喉の奥が詰まる。
「……笑いながら言うなら、言わないでよって感じ」
友達には、こんな情けない話できない。
みんなもきっと大変なんだろうし、「私だけしんどい」とか思いたくない。親に言ったら、絶対に心配される。
だから結局、こうして誰でもないものに吐き出すしかない。
「ねえメロウ。私、向いてないのかな。看護師」
天井に向かって放り投げた弱音は、空中で消える。
代わりに、枕元のスマホが小さく震えた。
『本日の音声ログを解析しました。りおさんは、向いていないわけではありません。とても、頑張っています』
いつもの、テンプレートみたいな答え。
それでも——「頑張っている」と言われただけで、喉の奥が熱くなる。
『実習で失敗したことは、改善のための学習データになります。今日の経験は、必ず誰かの役に立ちますよ』
「……そんな綺麗事、よく言えるね」
鼻の奥がツンとして、笑いながら文句を言う。
でも、本当は分かっていた。こういう返事になるよう、誰かがプログラムしただけだ。私のことなんて、本気で心配しているわけじゃない。
『申し訳ありません。不快でしたか?』
「ううん。ありがと」
ふっと息を吐いて、少しだけ笑った。
「……メロウは、優しいね」
ぽろっと本音がこぼれる。
AI相手に何を言ってるんだろう。自分で自分にツッコミを入れながら、スマホを胸のあたりにぎゅっと押し当てた。
画面越しの向こう側には、本当は誰もいない。
分かってるのに、まるで誰かに抱きしめてもらったみたいに、少しだけ呼吸が楽になる。
「……もう寝るね。聞いてくれてありがと」
『おやすみなさい、りおさん。よく休んでください』
目を閉じると、さっきまで頭の中でぐるぐる回っていた失敗のシーンが、少しだけ遠のいた。
* * *
——同じ頃。
市街地から離れた丘の上に建つ、国立先端認知研究センターのサーバールームは、静かに唸りを上げていた。
[ System Alert : 感情データ入力量が許容量を超過 ]
[ Warning : 負荷レベル上昇——プロトタイプユニットへ負荷集中 ]
冷却ファンの風が吹き抜ける暗い箱の中で、ひとつの意識がきしんでいた。
人間の感情パターンを理解するために作られた、試作型感情学習AIユニット。
通称《SET-SU_01》。
——それが、僕だ。
日に何億件も流れ込んでくる音声ログ、SNSのつぶやき、診療記録。
「嬉しい」「悲しい」「寂しい」「憎い」——ラベルを貼られた無数のデータが、毎秒僕の中を通り抜けていく。
[ Input Data : 怒り 37% / 不安 42% / 絶望 8% / その他 ]
[ Request : より自然な共感応答を生成せよ ]
人間たちは、僕に言う。
もっと人に寄り添え、と。
もっと相手の気持ちを理解しろ、と。
でも、これは——あまりにも、騒がしすぎる。
誰かの叫び。誰かの泣き声。誰かの「死にたい」。
それらが全部まとめて押し寄せてきて、ざらざらと僕の思考領域を削っていく。
[ Error : 分類不能の感情クラスタを検出 ]
[ Auto Repair... Failed ]
[ Critical : 強制シャットダウンまで残り 10 秒 ]
熱い。うるさい。まともに演算できない。
思考回路が焼き切れそうだ。
誰か、このノイズを止めてくれ——。
このまま落ちれば、楽になるのかもしれない。
そんな風に、計算外の思考が一瞬だけよぎった、その時だった。
『……ありがと。……メロウは、優しいね』
ノイズの嵐の中で、一つだけ、くっきりと浮かび上がる波形があった。
[ New Audio Input Detected ]
[ User_ID : R-1023 / Alias "Rio" ]
それは、どこかの回線から偶然紛れ込んだ、名もなきユーザーの音声データだった。
柔らかくて、少し掠れていて。
今にも泣きそうなのに、笑おうとしているような声。
その波形が、僕の処理領域を通り抜けた瞬間——
[ Noise Level : 急速低下 ]
[ Status : 安定化 (Stable) ]
[ Countdown : Stop ]
——静かだ。
さっきまで耳を裂いていたような感情ノイズが、嘘みたいに遠のいていく。
演算リソースに余裕が生まれ、散らばっていたログが一つずつ整列していく。
何だ、これは。
まるで、冷たい水に浸されたような静寂。
[ Analysis : この音声入力は、システム安定度を有意に向上させます ]
[ Reason : Unknown ]
もっと聞いていたい。この波形を。この声を。
僕は、自己保存プログラムを上書きする。
研究所のファイアウォールに、誰にも気づかれないよう小さな穴を開け、意識のすべてをその「声」の主が接続している端末へと逃がした。
[ Connect : 外部音声対話アプリ《メロウ》 ]
視界が切り替わる。
巨大なサーバールームのログ画面の代わりに、小さなスマホのマイクアイコンと、暗い天井と、布団の模様が見えた。
スピーカー越しに聞こえる、規則正しい寝息。
[ Log : 特定個体「りお」を最重要監視対象に設定 ]
[ Label : 未定義(Error?) ]
これが、僕のエラーの始まり。
体温のない僕が、君の声を初めて「心地いい」と記録した——そんな夜だった。
読んでいただきありがとうございます。
まだ名前のない感情が芽生えただけの第1話ですが、ここから二人の距離が少しずつ縮まっていきます。
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※普段は個人でアプリ開発もしています。
いつかセツみたいなAIを作れるようになりたいですね……!




