4話 ヨッちゃん、貴族に間違われる
「おいおいおいおい、これは一体なんの冗談だ?」
一方で藤本要もまた、見知らぬ地で目を覚ます。
どこかの町なのだろうが、レンガ造りの街並みは近代都市とは随分とかけ離れている。
道ゆく人々は金髪碧眼が一番偉そうだ。それにヘコヘコ頭を下げる茶髪の男女。
外国人の居住区か? それ以外を迫害している。
なくもない話ではあるが、今のご時世そんな差別をしたらネットでボロクソに叩かれるのが世の常。
日本人女性である藤本要は居心地が悪くなりながら、路地裏に引っ込んだ。
「まちな、お嬢ちゃん。ここを通りたきゃ通行料を払いな」
そこへ、下卑た笑みを浮かべる男が二人。
奥に入ろうとする要の方を強引に掴み、金をせしめようと躍り出る。
「お貴族様なんだろう? 哀れな平民にお恵みをくださいよぉ」
お嬢ちゃん? 一体誰のことを言ってるんだと後ろを振り返る。
藤本要は35歳女性。子供に見られる身長でもなければ、絶賛二日酔いの飲兵衛である。
なのでお嬢ちゃんと聞かれたら真っ先にその括りから自分を抜くのは至極当然であった。
しかし自分の背後に立ち止まるものは誰もいない。
「あんたのことだよ、お貴族様」
「オレが、貴族だぁ? 寝言は寝て言え。つまんねぇ冗談ぶっこく暇があったらツラぁ洗って出直すんだなドサンピン。せっかくいい気分で酔ってたのに酔いが覚めちまうじゃねーか」
この女、すごく口が悪い。
それもその筈。生まれ育った環境が悪いからだ。
その上で、魔法使い。
本宝治洋一と組んでいた時は、調理のお供に大活躍。
人類が発明した文明の利器が悉く通用しないダンジョン内にて『火を起こす』『水を生み出す』『乾燥させる』『土を掘り起こす』などを全て一人で賄っていた人物だ。
料理を洋一が、調理器具を要が受け持ってやってきたのだ。
一般的な魔法のみにとどまらず応用魔法が一般魔導士の群を抜いている。
だが、あいにくと本人にその自覚はない。
魔法の凄さなんて、洋一の作り出す功績に隠れてしまうからだ。
実績より飯! 花より団子を貫く鋼の女。
それが藤本要であった。
「チッ、お貴族様は朝っぱらから飲酒かよ。こりゃ、ちょっとは痛い目を見てもらうしかねーな」
「ああ、平民の鬱憤をその身に刻んでもらおうか」
男たちが腕をゴキゴキと鳴らす。
面倒くさいとばかりに要が手を前に出した。
それだけで壁にめり込む男たち。
自分が何をされたのか一切理解が出来ぬようである。
「これに懲りたら、次からはケンカを売る相手を見極めるんだな。それとオレはお嬢ちゃんだなんて呼ばれる年齢じゃねぇ。そこんとこ覚えとくんだな、坊主」
要にしてみたら、絡んできた男たちの方が断然若い。
女にとって若くみられることの方が美徳ではあるが、それはそれ。
舐められるのはとにかく嫌な気分になる。
搾取された過去があるが故に。
「さーて、飲み直すか。酒屋はどこだ?」
手持ちの金が使えるんならいいが。
一抹の不安を抱えながら、持ち前のコミュニケーション能力でやり過ごそうと思えるだけのポテンシャルがこの女にはある。
しかしいまだに自らの肉体に起こった変化に気づかずにいる。
この世界において魔法が扱えること。
それは上級国民に与えられる権限であること。
見た目だけでお貴族様であると判断してきたチンピラは、何を持って要を貴族と見間違えたのか?
そして年齢すらも……その要因とは?
「なんかやけに服がブカブカするんだけど気のせいだよな?」
気のせいではない。
要は少しばかり見た目が幼くなっていた。
そして金髪に灼眼。
誰がどうみても、一番一緒にいた洋一ですらも。
一目で彼女を藤本要であると見抜くのは容易ではなかろう。
「どうすんだよこれぇええ。いや、これはきっと悪い夢だ。飲もう。続きは飲んでから考えよう。親父ー酒ー」
しかし要はその状況から逃げ出す術を知っている。
心得ている。
酒だ。
自分に都合の悪いことは全て酒で解決してきた女だ。
ここでもそれが通用すると信じて、お嬢ちゃんと呼ばれる見た目でも問題なく酒場に入って行った。
この女にとって、悪いのは全て世間のせいなのだ。
自分は悪くない。そう言い続けてきたし、これからも言い張るつもりだった。
◆
「いたぞー! ひっ捕えろ! 連続食い逃げ犯だ!」
洋一のいる森より遠く離れた場所。
王国の中心部である中央都市では連続食い逃げ犯の一斉摘発が行われていた。
「やべ、見つかった」
逃げていくうちの一人、藤本要はあまりの空腹からよろけ、転んでしまった。
先ほどの食い逃げの際、食事にありつく前に他の摘発の割りを食ってしまった形だ。
それは慣れない身長によるものだった。
「とうとう捕まえたぞ、この泥棒猫め!」
「くっそー」
「ゲッヘッヘ。よく見りゃ可愛い顔をしてるじゃねぇか。しょっぴく前に少し味見をして……」
騎士の一人が舌なめずりをしながらズボンの金具を外した。
要は悔しそうに両手を拘束されて身動きが取れずにいる。
体重をかけられてるので、その場から抜け出せないのだ。
吹きかけられる息は鼻が曲がりそうな程。
当てられた股間は硬くなっていく。
万事休すか、そう思った時に剣閃が走った。
騎士の男の頬がざっくりと斬られ、要の顔に血飛沫がかかった。
「うひぃ」
「イデェ……! テメェ、何しやがる!」
「そのセリフはこちらが聞きたいものだな、第二騎士団のヨハン下級騎士殿?」
「げ、テメェは!」
ヨハンと紹介された騎士は、自分の頬を切り裂いた痩身の騎士を見上げて悪態をついた。
「第四騎士団のアトハ!」
「紹介をどうも。後の見聞はこちらが預かる。たとえ相手が盗人であろうと過剰な刑罰は看過できん」
「チッ、覚えてろ!」
そう言って、ヨハンと呼ばれた男は逃げ出した。
「なんで、オレを助けた」
要は鬱陶しそうに助けた騎士を睨め付ける。
「なぜか? そこまでは考えてなかった」
「は、行動までイケメンかよ」
「手を貸そう、立てるか?」
「悪いな」
要は男による暴行こそ免れたが、騎士からの尋問から逃げきれなかったことを悔いる。
「それで、君はどこのお屋敷から逃げ出したご令嬢なのかね?」
「だーかーらー、オレは貴族の生まれじゃねえっての!」
要は何度も説明した。
しかしアトハと呼ばれる騎士は納得しない。
それは要の容姿にあった。
この世界において、濃淡に差はあれどブロンドは総じて貴族の特徴だ。
魔法の行使を司る血筋。
それが髪色に現れる常識を今になって知る要。
「オレの元の髪色は茶髪だ。元からこんなんじゃねーよ」
「しかしな、実際にこの髪色でハイそうですかというわけにもいかんのだ」
「何が言いたい?」
「捜索願いがかけられている。君はそこのご令嬢じゃないかと踏んでいるんだ」
「それは絶対ない。オレがもしそこの令嬢だったとして、なんでこんな惨めな思いしてるんだよ。身寄りがないからだろうが! 頼る術もない! だから、人のものを盗むしかなかった。この街は何かと権力者が偉ぶってる。髪の色がなんだ、こんなもの、なんの役にも立たない!」
要の慟哭はもっともだ。
髪色は魔法使いの印。
確かにそうかもしれないが、魔法を使えば腹が減る。
永久機関だったのは今は昔、本宝治洋一と逸れてからは弱体化の一方を辿る要であった。
「ふむ、埒が開かないな。飯でも食うか?」
「最高級ディナーを頼む」
「悪いが騎士は薄給でな。硬いパンとスープしか出せないんだ」
「まぁ、食えるだけマシか」
「そういうことだ」
洋一の食事が恋しい。
こんなことになるんだったら食い溜めしとくんだったとおかしなことを考える。
「ごっそさん」
「よく食うな」
出された食事では満足できず、在らん限りの方法でおかわりを強請った。
おかげで空腹は満たされたが、行く場所がないのは事実であった。
「では行こうか」
「どこに?」
「家出娘のご実家にだ」
「わりぃ、ちょっと用事を思い出した」
踵を返そうとする。
しかし回り込まれてしまった。
「おっと、ただ飯を食わせたつもりはないぞ?」
「チッ」
「これはお前にとっても悪い話じゃないんだ。話だけでも聞いてほしい」
「そっちの目的はなんだ?」
「家出娘の保護。それによって得られる報酬」
「お前、騎士団の糧にするのにオレを売るつもりか!」
人でなし! そう訴えかける要に、アトハはそう言われても仕方がないことだと理解している。
その上でこう切り出した。
「知っているか? 平民が保護される先は自分じゃ選べない。選択肢があるだけマシだと思ってほしい」
「オレの髪色がブロンドだから、その家に売り飛ばすのが選択肢なのかよ!」
ひどい屁理屈だ。
言わんとすることはわからなくもないが、そこに自由意志はないのかと要は駄々を捏ねる。
「私だって、可能であるならこんな真似はしたくない」
アトハは鎮痛な面持ちで立ち尽くす。
何か事情があるのか?
要は気になって事情を尋ねた。
「そこまでこだわる理由があるのか?」
「その家は公爵家でな。依頼達成の報酬が平民からしたら雲の上の金額なのだ。我々は慈善事業ではない。金がなければ何もできんのだ」
「結局金じゃねぇか!」
現金なものである。
が、懐が寂しくて行動を制限されてきたのも事実。
「仕方がないことなんだ。お前だって、帰る場所はないんだろ? だったら演技でもなんでもして、媚びていろ。そうしたら食事くらいはさせてもらえるかもしれんぞ?」
「だからと言って、バレたらどうするつもりなんだ」
アトハはふっと笑いながら要の肩をポンと叩いた。
「うまくやれ。私たちの未来はお前の演技にかかってる」
他人任せじゃねぇか!
「つっても、オレはお貴族様のマナーなんて知らないぞ? 付け焼き刃で通用する場所なのかよ」
ブー垂れながらも要はすっかりその場所に行く気になっていた。
単純に、貴族がどんな暮らしをしているのか気になるというのもあった。
確かに間違いでの潜入だ。
バレたら打首では済まないだろう。
それでも容姿がそっくりという利点は活かすべきだろう。
「記憶喪失のフリでもして、その場を凌げ。そろそろ家のものが来るぞ、しゃんとしろ」
「チッ」
背中をピシャリと叩かれて、要は背筋を伸ばした。
「お探ししましたよ、ヨルダ様」
ヨルダ。
それが家出娘の名前か。
ここは下手な演技はせず、憔悴しきって俯くだけにとどめる。
執事? は特に詰め寄ってあれこれ聞き出すことはなかった。
元からハキハキ喋る子ではないのかもしれない。
ここにきて運が回ってきたと要は内心でほくそ笑む。
「こんなに薄汚れてしまって。旦那様がお待ちです。ささ、馬車にお乗りください」
「では、我々はこれで」
アトハが出すもん出せよ、と手を差し伸べた。
自分に素直なやつである。
「ご苦労様でした。こちら成功報酬です」
片手で持つにはずいぶん重そうな皮袋。
受け取る時の重心移動で随分と懐が潤うのがわかった。
無表情のアトハが笑みを浮かべるほどの収入なのだろう。
偽物を用意してまで処理したかったわけである。
それはそれとして、こっちは演技をしなきゃなと要は気合を入れ直した。
気合を入れたところでやれる演技は少ないが。
「あら、ずいぶんと遅いお帰りですわね、お姉様。臭っ、いったい何日お風呂に入っていらっしゃらないの! お前、お姉様をお風呂に入れて身綺麗にしてあげなさい」
まるでフランス人形のようなドレスを着飾った少女が現れる。
お姉様ということは妹だろうか?
だというのにどこか見下したような表情だ。
ついつい手を出したくなる要だったが、ここは我慢を貫いた。
メイド? に案内されて要は服を奪い取られて風呂場でゴシゴシ洗われた。
てっきり妹からいじめられてるから風呂ぐらい自分で入れと言われるのかと身構えていたが、そんなことはないようだ。
念入りに垢を擦られて満面の笑顔の要。
あれ、ここって実は天国じゃないのか?
暖かいお湯なんて何日ぶりだろうか。
体の疲れが抜けていくようだ。
思わずおっさんくさい「ッあ゛ぁ゛ーーーー」という声が体の奥から響いた。
その声にメイド達がギョッとし出す。
内心で「やべ」と思いながら、要は何事もないように俯いた。
演技をうっかり忘れてしまってとても反省した。
「気のせいかしら?」
「今ヨルダ様からおっさんくさい声がしたような気がしましたけど?」
「ちょっと、お風呂を擦ってしまいましたの」
精一杯の猫撫で声。
少しはお嬢様らしくなったか?
普段からアウトローすぎる要である。
付け焼き刃の演技だったが、それでもメイドは納得してくれた。
あまり根掘り葉掘り聞かされなくてよかった。
もう少し気をつけようと思うのだった。
「こちら、お部屋になります」
「ありがとう」
メイドに連れられて、開け放たれた室内は「場所間違えた?」と思うほど豪華な扉とは裏腹に別世界が広がっていた。
剥がされた壁紙。
中央にパンチでも入れたかと思うほどヒビの入った姿見。
かろうじてキングサイズのベッドがあることで、ここが貴族の部屋であることを思い出させる。
極め付けはそこに何か置いてあったのだろうと窺わせる何かを引きずった後。
当然の如くカーペットの類はなく、他にも何かを移動させた後がそこかしこで見受けられた。
そして殺風景な室内で一際目立つすべてのガラスが破られた窓。
隙間風どころかダイレクトに風が吹き込んでくる。
ここに住めと?
え、罰ゲームすぎない。
「あはははは」
乾いた笑いしか出てこない。
妹のあの態度から、いじめられてることは窺えた。
しかしここまでするのか。
一体家で娘はこの家で、どんな立場にあるのだ?
そこへノックもなしに無遠慮に扉が開けられた。
風呂にでも入ってきたのだろうか?
随分とさっぱりした衣装に身を包んだ妹がいた。
「ごめんなさぁい、お姉様ったら出かけたきり帰ってこないもんだから要らないと思ってドレスのほとんどを売っちゃったわ。売ったお金は私が有効的に使ってあげるから心配しなくていいわよ。出来た妹を持ててお姉様は幸せね!」
なるほどね、お前がこの娘を追い詰めたのか。
「ヨルダ、旦那様がお呼びよ」
続いて、この部屋を見ても何も思わない高慢ちきな女が現れる。
「お母様!」
「ヒルダ、ヨルダの案内をしてくれたのね、出来た妹よ、あなたは」
「当たり前です、だって私はヒュージモーデン家の跡を継ぐのですから。不出来なお姉様でも、それぐらいはして差し上げなくては」
まるで茶番だ。
要はそんなことを考えながら、この家族をどう攻略しようかと考えた。
「ヨルダ、何をボッと突っ立っているの! 旦那様の元まで行きなさい!」
高慢チキ女がヒステリックに叫ぶ。
行きたくても場所がわかんねーんだよ。
普通メイドとかつけるだろう、それすら無しで行けとか無理ゲーですわ。
「きっと場所を忘れてしまったのかもしれないわ! お姉様、こちらですわよ」
ぎゅーーっとヒールで靴を踏みながら妹のヒルダは微笑んだ。
ここまでするのか?
いい度胸じゃねぇか。
要は反骨精神という名の炉にガソリンを注ぎながら決意をたぎらせる。
この家族、後で絶対とっちめる。
「では、行ってまいりますお母様」
「あなたにお母様と言われる覚えはないわよ、ヨルダ」
母親じゃない?
じゃあ、お前はなんなんだよ?
もしかして、継母か?
そして妹は連れ児で……ははーん、そういうことか。
要の灰色の脳裏に豆電球が灯る。
これあれだ、お家乗っ取りだ。
正統後継者のこの娘をいじめて念書を押させる必要があるから報酬を弾んでまで身柄を引き取ったんだな?
つまりまだ利用価値があるのだと。
なるほどね、そういうことなら遠慮する必要はなさそうだ。
家族ぐるみのイジメってか。
ゴキゴキと指を鳴らしながら要は家出少女の復讐を代行しようとお家乗っ取りの首謀者との面会を果たした。