31話 ヨッちゃん、バカンスを楽しむ
アソビィ=クーネルは実家が太いのが取り柄なだけの15歳の女の子。
しかし彼女には秘密がある。それが前世での記憶を引き継いでることだ。
疲れ切ったOLだった彼女には密かな趣味があった。
それはソシャゲで疲れた精神をイケメンに癒してもらう。
そんなささやかな趣味であるソシャゲにそっくりな世界に生まれ変わり、実家ガチャでSSRを引いた。
人生楽勝! これは勝ち確ですわと浮かれていたアソビィは、入学当時に世の中には上には上が居ることを思い知らされた。
「見て、ヒルダ様よ!」
「ヒュージモーデン家の後継者のあのヒルダ様?」
「何でもレベル判定の儀で900を超えたそうよ」
「最高で999を900オーバー? 一年生なのに上には上がいるものね」
記憶的に知っている。主人公のライバルであった、悪役令嬢。
ヒルダ=ヒュージモーデン。
歴代最高峰のレベルを引っ提げて学園入りを果たし、その上で公爵令嬢という実家ガチャURの女。
攻略相手次第ではやがて全力で仕留めなくてはいけない女。
でも、今の段階ではても足も出ない女であった。
何せ公爵令嬢という時点で王族の親戚筋。
最難関攻略対象のロイド王子と顔見知りなだけではなく、茶飲み仲間だ。勝てるわけがない。
「あんなに華奢で、小柄な方なのに、力もすごくて頭も回るらしいわ」
「最近タッケ家のヨーダ様とご一緒の姿が目撃されてるそうよ」
「まぁ、新設されたばかりの第四魔導士団長のヨーダ様と?」
誰それ?
アソビィは全く知らないモブの情報が出てきたことに理解が追いつかなかった。
しかし、ライバルが自ら転げ落ちてくれてるなら、それほどの好機、見逃す手はないと話に介入する。
「ねぇ、今の話は本当? ヒルダ様とヨーダ様がお付き合いされているというのは?」
「あ、アソビィ様。ごきげんよう」
「ごきげんよう」
うっかり貴族の嗜みを忘れて疑問系から入ってしまった。
それだけこの話は聞き逃せなかったのだ。
クーネル家は伯爵家。ヒュージモーデン家とは天と地の差があるため、迂闊のお話がけはできないが、子爵家であるタッケ家には介入できる。
それもこれも実家が太いからだ。
勇敢な冒険者の血筋である先代が大きな手土産を持って王国に帰還。
その一部を陛下に献上した。
以降、外貨集めに貢献して伯爵の地位を得た。
アソビィはそのおかげもあって、伯爵令嬢でありながら贅沢三昧ができていたのである。
「いえ、まだお付き合いされているとまでは」
「二人ともフリーなので、ご一緒される機会が多いだけだと思いますわ」
「まぁ、この年で婚約者がおられないのですか?」
アソビィもいないが、自分の場合は自分に釣り合う存在がいないので決めかねているという状況だった。嫁の貰い手はいくらでもいるが、今は保留状態。心に余裕があるのだ。
当人たちもそうだという事実も知らず、アソビィは自分を棚上げして心の中で毒を吐く。
「仕方がありませんわ、お二人とも才能が溢れていらっしゃいますから。Sクラスに配属されてる方ですもの。私たちどもとは頭の作りが違うのですわ?」
「え」
アソビィは実家のコネでBクラスにしか配属されてないというのに、当の二人は実力でSに抜擢されたという。
公爵令嬢ヒルダならばわかる。レベル900オーバーで実家が公爵であるからだ。
だがもう一方のモブの方は全然知らない。
誰だそれは。原作を汚すな。アソビィはモブがしゃしゃってゲームシナリオを台無しにしてないか心配だった。
「それにお二人は生徒会のメンバーですわ。自ずと相談事が募り、ご一緒される機会が多くなったんですわよ」
どこか夢に浮かれるような口調でモブ令嬢が宣った。
そうなってればいいなぁ、ぐらいのものである。
「その、ヨーダ様という方もSクラスですの?」
「あら、アソビィ様はご存知ありません? タッケ家の新たなリーダーとしてご活躍されているヨーダ様を!」
令嬢の瞳に蔑みの色が宿る。
爵位が上だからと、情報を全て把握しているわけではないのね。
そんな意味合いの瞳だった。
「もちろん存じておりますわ。オメガ様と双璧をなすお方ですわよね?」
口から出まかせを吐いてこの場を乗り切ろうとするアソビィ。
しかしそれが正解だったのだろう、情報出だし抜けると思っていた子爵令嬢はすぐに態度を改めた。
地方の金だけは持っている伯爵から金を引っ張ろうとする目論見が早くも露見してしまったかの顔で、落ち込んでみせる。
「あら、ご存知でしたの」
「もちろんですわ。ですがヒルダ様とお付き合いされている情報までは把握しておりませんでした。その情報に関しては謝礼を出しましょう」
制服の胸ポケットから、金貨が取り出される。
一人一枚、受け取り。
これはいい小遣いになると値踏みする。
この程度の情報で、金貨が手に入るのなら安いものだ。
アソビィはそんな振る舞いを続けるだけで派閥を作ってしまう。
金で結ばれた派閥だ。
金の切れ目は縁の切れ目。
しかしクーネル家は無尽蔵の鉱脈を持つ家柄。
他国の土地を接収し、売上の80%を保有しているため、どんな事件が起きても干上がらない、そんな磐石の家でもあった。
洋一がサンドワームを倒したがために実家が大変な目に遭ってるなんてことも知らずに、自分にとって有利なシナリオを選ぶ選択に入っていた。
「君、見ない顔だね。新入生かな?」
一人、ぶつぶつと唸っていると、キザな男が現れた。
前髪をかきあげながら、獲物をロックオンしたような態度である。
「はい、新入生のアソビィ=クーネルと申しますわ。ごきげんよう」
「ああ、ごきげんよう。クーネル嬢」
ニコニコと微笑みかけ合いながらの対話。
しかしアソビィの前に立ちはだかる男は一歩も引かずにそこを退かない。爵位を言ってわからせる必要があるか?
いや、その場合相手が格上だった場合に困る。
「あの、その先に用があるのですが」
「悪いね、ここから先はSクラスの教室があるんだ。ロイド様の護衛筆頭としては何人たりともお通しすることはできないんだよ」
アソビィは内心舌打ちをする。
今は授業中だぞ? どうしてこの時間に出歩いているんだ?
「あの、道に迷ってしまって。自分のクラスに帰りたいのです。そこに近道があると聞いて」
「誰がそんな情報を? 残念だけどそれはデマだよ。お嬢さんは騙されたんだ」
「あなたが嘘をついてない証拠にはなりません」
「まぁね。でも、今は本来なら授業中だ。大人しく自分のクラスに帰るんだ、1年Bクラスの出席番号23番アソビィ=クーネル伯爵令嬢。貴殿はここから先に入る資格を持たない」
表情が、視線が、獲物を捕捉する猛禽類のそれに置き換わる。
「ヒッ」
「あまりわがままを言うなよ、子猫ちゃん。こちとらロイド様の護衛としてある程度の荒事も認可されてるんだ。女の子なら殴られないと思ったか?」
甘いよ。
その言葉と同時に腹部に衝撃音。
痛みはない、しかし意識の方が先に飛んだ。
「全く、とんだ勘違い令嬢もいたもんだ。今月何人めだ? ゲームの記憶持ちの転生者は」
男、ヨーダは前髪をかきあげながら、鬱陶しそうに吐き捨てた。
ソシャゲ、乙女ゲーム、そして戦略シミュレーション。
媒体は数々あれど、そのどれもがこの学園と酷似する場所から始まるようだ。
「授業中に失礼します。迷子のご令嬢を保護しました。無事送り届けましたので、これより帰還します」
「いつもありがとう、ヨーダさん」
「いえ、学園の安全を守るのも我々の勤めですので」
では、と女生徒のクラスから優雅に立ち去り、そして元のクラスに戻った。
「突然、教室から出て行ったから何事かと思いました」
クラスメイトのマールが心配そうな顔で問いかける。
「不届きものが今学期は特に多くてね。妹関連でも厄介ごとが多いと言うのに、いやぁモテる男は辛いね」
お前は女の子だろう? と言う厳しい視線を送りつけるオメガ。
またか、と呆れてものも言えなくなっている紀伊姫。
あはは、ヨーダはいつ見ても面白いなぁとロイド。
今日もSクラスはヨーダを中心に笑顔が絶えない。
「そんなことより今度の長期休暇だよ。ロイド様たちはご実家に戻られるとして……」
「なんで僕を見るんだ? まさかお前、自分が休める前提で予定を組んでいるとかじゃないよな?」
オメガによる鋭い指摘。
その通り、護衛任務中に公的な休みなど取れようはずもない。
「え、少しくらいは融通してくれてもいいだろ? 妹と約束しちゃったんだよ。久しぶりに二人で買い物に行きたいって」
「妹とロイド様、どっちが大切かって話だよ」
「え、どっちもじゃダメか?」
「ダメに決まっているだろう!」
「あだぁ!」
重い拳骨の音がヨーダの頭頂部に落ちる。
普段女子にはこう言うことは絶対にしないオメガだが、ヨーダはあまりにもオメガの我慢の限界を超えてくるのでもうこう言う関係は慣れっこになってしまった。
クールの僕のイメージがお前のせいで台無しになったんだぞ! と憤慨までしている。
オメガは泣いていい。
クラスは今日も話題に事欠かない。
明日はどんなに楽しいイベントが待ち受けているのだろう。
そう願わずにはいられないSクラスの面々だった。
◆
「おい、ヨーダ。これは一体どう言うことだ!」
一枚の用紙を持って、オメガが室内に駆け込んでくる。
ヨーダはそれを見ながら、心底面倒臭そうに対応する。
ある意味でもいつもの風景だ。
「あー、ウッセーウッセー。そんな耳元で怒鳴らなくったって聞こえてるよ。ちょっと妹と旅行に出かけるための体裁を整えただけじゃないか」
体裁。その中身は三泊四日の国外旅行。
ミンドレイから北東に位置するアンドール国へのバカンスを決め込むと言うものだ。
参加者はヨーダ、ヒルダ、ロイド、オメガ【固定】
保護者にノコノサート。
追加メンバーにマール、紀伊といつものメンツ+妹のヒルダという布陣である。
「お前の都合にロイド様を巻き込むな。それに付け加えて、ジーパ国の姫君もさそうだと? 常識でものを言え。何度言えばわかるんだ?」
護衛としての自覚のなさに、お小言を言いたくなるオメガ。
毎度、毎度。同じことを口をすっぱくなるほど言ってるのにヨーダときたらまるで聞きやしない。右から左だ。
脳みそに記憶できる領域がないのではないか?
失礼なことを考えながらオメガはストレスを溜めていく。
それに対してヨーダは。
「いや、誘いもしないで休日明けに旅行の話を持ちかける方がダメだろ。そりゃ、それぞれの都合もあるだろうし、いけないこともある。だが、誘わないというのは愚の骨頂だぞ?」
クラスメイトに対する気遣いの他に、王侯貴族としての礼節をわきまえただけだと述べた。
これに関しては反論できない。
確かに、誘いもしないでバカンスに行ったことが露呈しようもんなら、今まで通りの関係を構築することなんてできないだろう。
それに今はクラスメイトという関係でしかないが、一度学園を卒業すればそれぞれの所属に戻ってしまう。
ヨーダは仮初の身分を捨てて公爵家へ、紀伊も祖国のジーパへおかえりになられるだろう。
もしも国がピンチの時、学園時代のクラスメイトだったという理由だけで手助けしてくれるか?
自分ならそれぐらいの理由ではしないだろうなと結論づける。
何せ学生の頃とは違い、その頃には国を背負っている身分だろうから。
では、ここでより良い関係を深めておくのはアリなのではないか?
以前ロイドを連れ出しての食事会も、突拍子もない事だったとはいえ今でも話題に持ち上がるイベントだった。
守るだけが護衛の任務だと考えるオメガと違い、ヨーダは人との縁を結ぶことで未然に事件を起こさない立ち回りを心がけている。
オメガの見えないところを見ているのがヨーダなのだ。
その際、細かい説明を一切しないのもあり、オメガの察する能力も研ぎ澄まされていく。それでもまで追いつけない気遣いに、いったいどこまで先を見据えているのやらという気持ちになった。
オメガは当初であったヨルダという少女のインパクトを今でも忘れられずにいる。
あの当時の衝撃は、たまに夢に見るほどにオメガを高揚させ、現実を直視するたびに夢のままでいさせてくれという気持ちになる。
同世代(?)の少女に、ちょっとばかし夢を見たいお年頃であった。
「そう言うことなら……いや、そもそもなぜ父上が一緒に来るのだ?」
半分納得しかけたところで、やっぱり納得できない問題が浮上する。
クラスメイトの関係を良好にするなら、保護者は必要ないのではないか?
やっぱり自分の考えは間違ってない。
このままヨーダの好きなようにやらせてはダメだ。
自分だけでは責任が取りきれないことになる。
「そりゃ国外に出るなら保護者は必要だろ。王族の同伴者だぞ? 子供だけで許可が降りるわけないだろ」
尤もである。
「だからって国防の要である第二魔法師団長を同行させるというのは相手国を無駄に警戒させるのではないか?」
「警戒させるんだよ。この中にやんごとないお方がいるぞ、とな」
「知ってて同行させるのか? 誘拐などのリスクは上がるぞ?」
「させねぇよ。オレとお前もいる。だが、まだ社交の場にも顔を出してない子供だ。諸外国に通じると思うか?」
「だから父上を?」
「まだ他にも理由はあるんだが。お前は二学年になってからやたら周囲を探られるような気配を感じてないか?」
「ロイド様の情報か? それならば確かに去年よりも怪しい動きを取る生徒が増えたように思う」
「ちげーよ、ばか」
ロイドのおでこをヨーダのデコピンが襲う。
「痛いじゃないか、何をするんだ」
「お前がトンチキな回答をするからだ。俺たちはロイド様の正式な護衛だ。だが、護衛対象はロイド様だけに限らない。今やクラスメイトの全員が国を背負って立つ上での重要人物。その中には当然オレやお前も含まれている。オメガ、おまえの情報を洗ってる奴も複数人目撃されてるぞ。油断したな」
ヨーダは数枚のデータが記された書類を取り出しオメガに手渡す。
どれもこれも最近のオメガの様子を伺う情報のやり取りだ。
好きな食べ物、髪を洗うときに使うシャンプーの種類。女の趣味とかである。
単純に有料物件としてのマーケティングの類であるが、中には随分とプライベートに足を突っ込んだ情報を求める声があった。
「なんだこれは、薄気味悪いな」
髪の毛や唾液の入手に関するデータ。まるで呪いにでもかけそうな、そう言った類のものだった。
「じゃあ、おまえにも?」
「そういう奴は全員締めることにしてるんだよね。ほら、オレって舐められたら終わりの世界で生きてきたから」
「君は公爵令嬢じゃないか」
何言ってんだこいつ、という顔のオメガ。
「どっちにしろ、貴族も舐められたら終わりの家業だ。誰に手を出したか身をもって知ってもらったよ。で、オレのことはいいんだけど」
ヨルダは自らの話を簡潔に打ち切り、今度はロイド以外の紀伊、マールについて殺害を仄めかす情報が出回っている件を持ち出した。
「これは、冗談では済まないな」
「ああ、なんなら国際問題にまで発展する。むしろ相手の狙いはそこなのかもな」
どこかと戦争を起こすことで利益が出る商売。
武器商人などがパッと思いつくが、ミンドレイにそのような組織はない。これはヨーダが情報網を使って調べたものなので正確だ。
「それと、今度のバカンス先に王国から結構な額の使途不明金が流れてる」
「確か目的地は……」
「砂漠と炭鉱の国、アンドール。そこで背後関係をあらわにしつつ、隙を見てバカンスと洒落込もうぜ。そしてこれはおまえにとっての朗報になるが」
「僕の?」
ヨーダが突然こんなことを言い出す場合、大体が碌なことではない。
オメガは自ずと身構えて。
「その国に、ギョーザの伝道師がいる。もし運良く鉢合えば、また美味い飯食えるぜ? オレの方ももう待つのはやめて、なるだけ連絡手段を取れるようにしたいと思ってんだよね」
「そう言えば君、毎朝郵便受けをチェックしてるもんね」
「うるせーやい」
手紙を送ってくれよな。そう告げて、一年半が経とうとしている。
未だ音信不通で、便りがないのが元気な証拠と開き直っているヨーダ。
(ポンちゃんがどこかの誰かにどうにかされるとは思えないが、普通に手紙の存在を忘れてる可能性もなきにしもあらずなんだよなぁ)
藤本要にとって、本宝治洋一という存在は生真面目で細かい男だ。
だからと言って、他人に合わせられるタイプかと言ったらそうでもない。
時間にはルーズだし、どちらかといえば他人の用事より自分のやりたいことを優先する。頑固だし、意固地だ。
そして何よりの理解者であるからこそ、あまり心配されてない。
心配されてない相手に手紙を書くような男ではない。
つまり待ってても来ないのは自明の理であった。
「そもそもの話、君は当たり前のように手紙を送れというが。その相手は手紙の読み書きを得意としているのか? 便箋一つとっても貴族しか取り扱わず、メールバードの支払いも金貨を使う。それをあの短い時間で君が教えられたとは考えられないんだが」
「あ」
確かに方法を教えてないと気がついて固まるヨーダに、それ見たことかとオメガは呆れ返った。
「君、近しい身内には案外そういうところあるよ?」
「そんなわけ」
「現に僕に対してわかってるだろうという前提で仕事を丸投げしてくるじゃない」
「あー、それは」
「僕は毎回背後関係を洗ってから調書を描き直してる。もう少し情報のすり合わせをしてほしいもんだね」
「ごめんなさい」
いつになく素直に謝るヨーダに、いつもこれくらい素直ならいいのにと嘆息するオメガだった。
なお、数日も経たずに参加メンバーは全員可決で週末には現地入りすることになった。
「あ、その時はオレ男装解いて公爵令嬢として参加するから。エスコートはよろしくな?」
「へ?」
オメガの先行きは前途多難であった。
◆
「本日はご招待いただき、誠にありがとうございます。わたくし、ヒルダの姉のヨルダと申します。以後お見知り置きを」
丁寧な挨拶、そして年季の入ったミンドレイ式カーテシーでもって挨拶を華麗にこなすヨーダ。
それに倣ってヒルダも続く。
「本日はお招きありがとうございます。学園ではお兄様とご懇意にしていただき、ありがとうございますわ」
「まぁ、ヨーダ様のお姉さん?」
マールが、ヨーダ本人だとは気づかずに、小さく拍手した。
「私はロイドだ。公爵家のご令嬢なら、説明せずともわかってくれるだろうが、一応な」
「存じ上げております。いつも弟がご迷惑をかけていると」
その弟はおまえ本人だろうが。内心でぼやくオメガに、ヨーダはニコリと笑って牽制した。
「バラすなよ? 絶対にバラすなよ?」という威圧である。
正体が暴かれるリスクによる二次被害は国を巻き込むものとなる。そしてなぜ男装などしたのか? 責任の追求は免れないだろう。公爵令嬢でありながらも追放されるリスクもあるなど、あまり表沙汰にしていいネタではないからだ。
バラしたい一面もあれば、今はこのままでもいいかという不安を抱えて国外旅行はスタートした。
「あなた、あの男の姉なんですってね。一体どういう教育をしたら、あんな厚顔不遜な性格になるか興味あるわ」
「弟とは双子の間柄ですが、家では随分とおとなしいので、そんな風に違う一面を聞かされると、わたくしも興味が出てきますね。もしよろしければ、どんなことをしているのか教えていただけます? 家以外での弟の様子、妹経由でしかなかなか耳にできないもので」
いけしゃあしゃあと述べるヨーダ。
紀伊も「あの男にそんな可愛い一面が?」みたいに驚いた。
おまえは誰だ? とオメガが疑心暗鬼になるくらいの変貌ぶりである。
いや、男装時と同じ対応されたら困るのはオメガなので、これで正しいのだけど。
しかし、それが一番正しいやり方か、とも思う。
客観的に自分の評価を得られる機会というのはそうそうないものである。
姉であるという情報と、ヒルダが慕っているという情報。
そして公爵家令嬢でありながら、その名前が社交の場に伏せられていた理由は謎すぎる。
クラスメイトたちは、ぽっと出のヨルダという少女に釘付けになっていった。
本来なら国外への旅行は危険がいっぱいなのだけど、道中は家でのヨーダはどんな人物か? に話題が掻っ攫われていく。
もしかしてこれを狙っていたのか?
ここにきて理解するオメガ。
みんなの不安を自身が率先して引き受ける為の男装解除だとしたら、オメガはヨーダに正当な評価を示さなければならない。
「ようやく気づいたか? 彼女の気遣いの極地を。あれは周囲に気を配れる女性だ。おまえの前では素直になれないだけさ」
ノコノサートがようやく真意に気づいたオメガを御者台の上で嗜めた。
護衛という名目で御者台に随行するオメガは王国魔法師団長のノコノサートと一緒に周囲を警戒している。
それが本来あるべき姿であるからだ。
対する内側の安全は一見無害そうな男装解除モードのヨーダが一任している。それは何故か?
完全に第三者としてノーマークの方が護衛しやすいからだ。
もしも国内で件の一件で新編を嗅ぎ回っていた連中の狙いを突き崩すことができるのだとしたら、それは彼女しかいないだろうという理解が、ここにきて露見する。
学園内で名前を打った男が、今は全く違う姿で周囲を警戒している。これ以上頼れる相手もいない。
それに実力は折り紙つきだ。
その時になるまで、ただの気まぐれだと思い込んでいたオメガは、自分の浅はかさを嘆いていた。
「僕は、未だ彼女の底が見えていなかったようです」
「私だって見えやしないんだ。おまえ程度に見切られる底ではないのだろうね。しかしあれだな、おまえの前では随分と本音を出しているように思う。もっと私にも砕けて接してきてくれてもいいと思うんだが?」
ノコノサートの発言に、オメガは言い淀む。
流石にそれはまずいだろう。
偉大で、尊敬できる父親に、そんな接し方をされたらたまったものじゃない。
自分がそうであるように、ヨーダにもそう言いふくめているのは他ならぬオメガ自身だった。
「まさか父上がそれを望まれているとは」
「思いもしなかったと? 私が忙しすぎて第二子に恵まれなかったのは知っているだろう? 一時的に預かっているとはいえ、娘ができたのだ。父親としてはもっと甘えて欲しいものだがな。おまえに言ってもわからんだろう、男親の気持ちは」
ただの親バカじゃないか。喉元まで出かかった言葉を即座に飲み込むオメガ。
そこで周囲にこちらを囲い込むような気配を察知する。
「父上」
「私はずっと前から気付いていたぞ? ヨーダもな。それでも何も手を打たない。それがどういうことかわかるか?」
事前に手が出せない場合は連絡をよこす。そういう手筈で今回の旅行に打ち込んでいる。
「つまり、もう対処済みであると?」
「おまえはまだ、彼女の実力をを理解してないのだよ。知っているかい? 彼女は魔法陣を透明化できるんだ。一つの詠唱も解さずにね」
「あ」
「当然、指で弾く必要もない。あれはただのパフォーマンスだ」
「では?」
驚愕するオメガに、ノコノサートは御愁傷様と言わんばかりに襲撃者予備軍に追悼の念を送る。
「ただ動けなくされただけか、物理的に動けなくなったか。はたまたものも言えなくなったかのどちらかだろう」
拘束か、無力化。あるいは死亡。そのどちらかだとあっけらかんと答えるノコノサート。間接的とは言え、殺人すら厭わない精神性に脳が痺れる思いである。
「何者なんですか、あいつは」
「私にもわからんよ。神が遣わせた天使か、はたまた悪魔か。今はまだ我々に御されてくれているが、あまり敵に回さない立ち回りを心がけた方がいい。今後身が危うくなった時に見捨てられないためにもな。私が見るに、今それを一番警戒しなくてはならないのはおまえだ、オメガ」
「僕ですか?」
「一番心を開いているのが、他ならぬおまえなのだから、考えるまでもないだろう?」
私では無理だろうと諦めの気持ちのノコノサート。
結構失礼な物言いをしてる自覚があったオメガは、言葉を詰まらせた。
「そういえば妹さんのヒルダ嬢からこんな逸話を聞いたことがある」
「どんなのでしょう?」
──お姉様は、室内にいながら、館全員の魔法を制御ができる逸材だと。
自身がわがまま全開だった時、実際に魔法が使えなくなった。特に魔法を行使した形跡は残さずに、その日を境に魔道具の故障が数件検知された。
それは二週間以上にもわたるという。
「それは!」
「私も驚いたよ。一体どんな魔力量なのかと。今学年から学園にレベル制度を導入したと聞いた時は肝を冷やしたよ。あれが一学年早く実装されていたら、彼女のレベルはいくつだったのだろうかと」
「怖いこと言わないでくださいよ」
「君、ヒルダ嬢のレベルを知っているかい?」
「確か900でしたよね?」
「そうだな。ちなみに私ですら1100だ」
「流石父上です」
オメガは褒め称えるが、ノコノサートの言い回しが気になった。
父に追いつく存在の入学を、普通なら褒め称えるところだが、どうにも引っかかる。
「まさかヨーダは?」
「さてね、これは私の推測だが測定不能となってもおかしくないと思ってるよ。上限があるとしたら……」
四桁。9999。
そんな莫大な魔力量を誇っていてもおかしくはない。
「君も新入生に示すためにレベルを測定する日が来るかもしれない。どうかその時は……」
凹んでくれるな。
父からの助言はオメガにとっては聞き流せないものだった。
ノコノサートに劣るくらいならまだいい。
実力が数字で示される世界は、オメガが思うよりもずっと、残酷なのだろうという予感。爵位が通用しなくなる時代が来るのかもしれないという不安。
「さて、本当に何の襲撃もなく国境に来てしまったな。手続きをしてくる。馬車一つ守り切ってみせろよ?」
「僕が何かしなくたって、彼女なら」
「できるだろうが、おまえが気にかけなくていい理由にはならない。勘違いするなよ、オメガ。今のおまえが私に次いで護衛ナンバーツーであることを。皆がおまえが守ってくれているという信頼の上に成り立っている旅であるということを。何よりも義娘が頼っているのだ。我々が恥を晒すような真似をしていいわけがあるものか」
「あ」
オメガはここ事に至り、ようやく自分の立場を思い出す。
今回の旅の目的「護衛する必要なくね?」と思われる令嬢の件。
全てがフェイクに満ちている。
けど立場は護衛。泣き言を言ってられる場合ではないのだ。
「おまえの役目はそこにぼうっと突っ立っているだけではないはずだ。全てを守ってみせろ、オメガ。それが次期第二魔道師団長に求められるスキルだ」
「はい!」
より一層気を引き締めたオメガは、周囲を無駄に警戒することをほどほどに、不安を拭うのに全力を尽くした。
手続きは万事抜かりなく、アンドール国への入国許可が降りた。
そして山間から降っていくこと数時間。
そこには乾き切った大地が姿を現した。
バカンスと聞いて浮き足立っていた面々は「話と違うじゃないか」と憤っていた。
「砂漠、見るのは初めてですわ。ですがこうも暑苦しいのは好みではありません」
ヨーダは華麗に手元で小さく手を叩く。
すると馬車内に涼しい空気が流れ出す。
外の気だるいような暑さは嘘みたいに消し飛んだ。
「お姉様、その魔法は初めて見るものです。もしよければご教授願えますか?」
「ええ、良くてよ。と、皆様もよろしかったらいかがです?」
学園は剣術浜落ち論魔法にも精通している生徒が多い。
学園に通わずとも良い実力の持ち主からの師事は何よりもありがたい。
まだ出会って数時間の関係でしかないが、馬車内の空気を冷却してみせたヨーダの実力は本物、疑う余地はないと皆真剣な目つきで魔法の手解きを受けていた。
水が尽きれば水を出し、馬が疲れればその肉体疲労の蓄積を緩和させる。
こんな人物が社交の場にもし出ていたのなら、それこそ数人がノイローゼにかかってもおかしくないほどの実力の開きがあった。
「最初、なぜワルイオスは彼女の存在を秘匿していたのかと疑っていたが、こうまで出鱈目だと、その判断は正しいものとなるな」
「お褒めに預かりありがとうございます。父も私をどう扱うか苦心していらしたのですわ。ロイド様のお立場を危うくしてしまう、ましてや嫉妬に狂わせてしまうのではないかと」
「そうならない保証はない、か」
「だから出来の悪い弟を学園に行かせて面目を保った?」
ロイドは頷き、紀伊が考察する。
ヨーダをして出来が悪いとするのはあまりにも暴論が過ぎる。
それに劣る自分達は何なのかと自問自答してしまうほどに。
「弟は社交性がありますから。私なんかは引っ込み思案で、うまくコミュニケーションが取れませんもの。今は妹がいてくれるので、テンパらずにいられますが、一人でしたらそれもままなりませんのよ?」
「お姉様はこう見えて結構おっちょこちょいですの」
ボロが出ないように精一杯気を遣っている、と妹から告げ口されてショックを受けて見せる。そんな姉妹のやりとりに皆はうまいこと騙された。
「つきましたぞ」
国境を超えて数時間。
一つ目の街、アンスタットが見えてくる。
どんな外敵を想定してるのかわからない立派な外壁をくぐり、視界いっぱいに広がる農園を見て、感嘆し。
木造と石造が混ざった家屋が姿をあらわした。
街の長老だろうか、初老にさしかかった老紳士があいさつにやってくる。
「本日はアンスタットの街にお越しくださりありがとうございます。この街の代表の代理を務めさせていただいてるティルネと申します」
「おじ様!?」
そんな挨拶を台無しにしたのが他ならぬマールであった。
「あれ、マール。どうしてこんな場所に?」
「それはこちらのセリフですわ! どうしておじ様がこんなところに!?」
ティルネは姪っ子と感動の再会を遂げる。
「まぁまぁ、積もる話はたくさんあるでしょう。話は中で聞きますよ。ティルネさん、そこのお嬢さんのエスコートをお願いします」
ティルネをあやすように、出てきた貴族の特徴を持つ少年。
かつてのゴールデンロードでウェイターをしていた少年、ヨルダである。
「まぁ、あなたは?」
「あれ、お姉さんオレを知ってる人?」
『オレだよ、家出娘』
『あ、オレの偽物』
アイコンタクトで、通じ合う。
ここにもまた一つの邂逅があり。
「あ、以前のバイト先の常連さん」
「ここにいましたか、見つけましたよ」
洋一とノコノサートが邂逅する。
「誰?」
洋一の姿を直接確認してこなかったものたちはちんぷんかんぷんで、二度目の邂逅は緩やかに果たされるのだった。
◆
食事がもらえると聞いて、やっと落ち着ける場所に案内されると思っていた一行。しかし洋一やヨルダ、ティルネはその場で準備をするだけで、一向に場所を変えるようなことはしなかった。
「準備をすると言ってるけど、まだかな?」
オメガが痺れを切らしたようにぼやく。
「警戒は解くなよ?」
「わかってるよ。この中にも紛れてるかもしれないってことでしょ?」
誰が? とは言わない。
想定しておけば対処がしやすいので注意はしてろという意味だ。
「皆さん、真剣にお仕事をされてますのね」
ヨーダが周辺で真剣に仕事に打ち込む姿を見て感激している。
「それだけこの国では仕事を尊ばれてるのだろうね。良い仕事は、賃金に通ずる。ミンドレイも見習いたいものだ」
ヨーダの言葉を受けて、遠い将来を見据えるロイド。
「ここでは田んぼもありますのね。お米がいただけるのかしら?」
「やはりジーパ人はお米が恋しいのです?」
マールがすっかり親しむような笑みで問いかける。
クラスで唯一の女子同士。バカな男子を前に気苦労を分け合った仲だ。
生まれの違いはあれど、学園内では対等の関係を構築していた。
「あれば上々、というだけです。ジーパの心を持たぬ人に作っていただいても、感動はしません」
ツン、と顔を背ける。
この鬼人の少女、色の選り好みが非常に激しいのだ。
「ですがあの餃子は格別でした。遠い故郷を思い出す滋味。食文化の違いはあれど、あれと同等のものが出てくるのなれば、期待はしてあげます」
どこまでも上から目線で、自分の舌は肥えてるぞアピールをやめない紀伊。
『鬼人の童はいつの間にそんなに偉くなったのかのう?』
そこへ、ヨルダにそっくりな、着物を纏う童女が現れた。
「誰です?」
紀伊の鋭い指摘。しかし童女は動じず、ニタニタしながら紀伊を一瞥する。
「え、誰かいる?」
しかし何もない方向へ扇子を示す紀伊を不審がるマール。
「いるでしょう、そこに」
見えないのか? こんなにはっきりと存在力が感じられるのに。
もしかして本当に見えてない?
見えない存在が語りかけてきたのかといよいよ持って身構える。
「え、いませんよ」
「お姉ちゃん、あんまり揶揄わないであげてよ」
『何だか、不遜な感情が流れ込んできおっての。とても不愉快な気分じゃ』
「ごめんなー、うちのお姉ちゃん。立場の違いにうるさくて」
ヨルダが作業の手を止めて紀伊に謝った。
マールはやっぱり誰かそこにいるのか? 止目を皿のようにして周囲を伺うが、やっぱりそこには誰もいなかった。
「そこのあなた、アレは一体何なの? 我々鬼人を童と呼びつける、不遜な存在」
「うん、お姉ちゃんはジーパの神様だよ。スクナビコナって知ってる?」
「スクナビコナ神!? ジーパを作り上げた一柱と呼ばれるお方じゃないの! どうしてそのようなお方がこのような異邦の地へ!?」
「うん、話せば長くなるんだけどね。オレたちが師匠と一緒のジーパに行った時、お米づくりに興味を示したのがきっかけなんだー。それから一緒にお米を作ってたら、姉妹の契りを結ぼうぞ、とか言ってきて」
「あなた、女性なの?」
「あ、うん。この格好は何というか、趣味みたいなもんかな? 動きやすくて気に入ってんだ」
ヨルダはヘラヘラしながら紀伊に説明する。
その上で、神に見初められた存在であると証明した。
『妹はこの通り仕事熱心でな。生まれを誇ることはせず、新しい仕事にどんどん興味を持つ。豊穣の神の一面を持つ妾が気にいるのも無理はないことじゃて』
「その、ごめんなさい。他国でジーパの威光をかざすなんて、野暮だったわね」
『わかれば良い。妹よ、先ほど洋一殿が呼んでおったぞ?』
「え、それ早く言ってよ。ごめん、少しここ離れるね、お姉ちゃんもあんまり揶揄わないであげてねー」
『ワハハ、それはそこの鬼っ子次第じゃのう」
ヨルダは自由奔放なスクナビコナに呆れつつも、慕っているような感情を向けていた。それを受け取るスクナビコナも同様に、特に嫌がってる感じを受けない。
本当に契約をしているのだろう。
紀伊は理解が追いつかないという顔をした。
「お待たせしてすみませんね、もう少しで朝の大仕事が片付きます。それまでの間、私の手製であるジーパ菓子をご堪能していただくとしましょうか」
「ジーパ菓子。おじ様、ジーパに向かわれたことがあるのですか?」
「ええ、マール。外の世界を見聞することは良いことです。ミンドレイは大国であるとはいえ、中にいるだけでは見えてこない情勢もあります。私は恩師殿やヨルダ殿と一緒にジーパにわたり、多くの知見を得てきました」
「ヨルダ?」
オメガがその名前を不審がる。
「珍しい名前ですものね、だから同姓同名の方がいるのも不思議な縁を感じています」
しかしそれを当の本人から即座に否定されて、口籠った。
珍しい偶然。確かに偶然といえば偶然だ。
そうめくじらを立てることではないか、とすぐに反省をするオメガ。
「お姉様の名前を似せるなんて、飛んだ不届きものですわ」
それを聞いてヒルダが頬を膨らませる。
別に名前を真似た訳じゃないですよ、と偶然の一致を解けばすぐに機嫌は治った。
単に構って欲しかっただけなのかもしれない。
可愛いところがあるのか、ただのかまってちゃんなのかは知らないが、随分と懐かれてしまったなという感覚がヨーダに湧き上がる。
「今、休憩場をお作りしますね。何、素材はそこら辺にあるので、急拵えですがお時間はとりませんよ」
ティルネは木の棒を拾い、地面に文字を書くように魔法陣を描いていく。紋章術と呼ばれるそれらの技法は、魔法を符に当てはめるジーパの戦術と同じ理である。
面白い術式の組み方だな、と紀伊は大いに興味を示した。
マールも同様に、知らない術を扱う叔父がいっそう格好よく見えていた。
「さて皆さんに見られる中で披露するのは照れますが。このティルネ=ハーゲン。一世一代の大魔術をご披露いたします。瞬きされませぬよう、注目してください」
シルクハットを脱ぎ、ミンドレイ式の一例をした後。
どこからか取り出したステッキをその紋章術の陣に叩きつけた。
カツンッ
音が広がる。
そして紋章術が輝き出す。
地面から石が生み出され、即座にあるべき形に変わっていく。
そこに梅井出されたのはガゼボ。
木漏れ日の中で簡素的な茶会を執り行うような場所だった。
円形に整形された椅子、中央には円形のテーブルが敷かれている。
そこへ懐から取り出したテーブルクロスを敷いて。石造りの椅子の上にソファを並べる。
「どうぞ、おかけくださいませ」
簡易的なもので恐縮ですが、とティルネは王太子を前に紳士的な態度をとった。
「驚いた。こんなに一瞬で建築物を生み出せるものなのか?」
ロイドが面食らったように食いつく。
ガゼボといえど、それは立派な建築物。
それを一瞬で整形する術式構築術もさることながら、いつでもどこでもそれらのものを用意する心構えに特に気をよくしたのだ。
「恐ろしい技術です。父上はアレの真似をできますか?」
オメガも当然、見入ってしまう。
同じ魔法使いとして、攻撃力こそないものの、それはそれで違う場所で役に立つだろうと理解する。
「する意味がない、というのが本音だな。だが、一人くらいは部隊に欲しいものだ。戦場では安全地帯を確保するのが何よりも神経を注ぐ。安全な場所での食事など、夢のまた夢。だからこそ、真似はできずとも手元に欲しい人材だ」
「そこまで言われますか」
「逸材だよ」
ノコノサートに絶賛されるティルネだったが、少しばかり心苦しいような顔で口を開く。
「嬉しいお誘いにてございます。ですが私はハーゲン家から見限られた身でございますれば」
「爵位を捨てたか。だが平民としての起用も十分に」
「いいえ、いいえ。貴族として生きることも、ミンドレイ国民として生きることも捨てた身です。私めのことはどうか見なかったことにしていただきたい。可愛い姪っ子の前ですから、年甲斐もなくはしゃいでしまいました。特に私の加護は【蓄積】であるが故、己の限界はとうに自覚しております。皆様方と肩を並べるなど、恐縮の極みでございましょう。今はただ、趣味に生きる老人として接していただきたい」
ティルネは再三にわたって勧誘するノコノサートを払いのけ、趣味に準じた最高傑作を披露した。
「我が師、大天狗ロクから免許皆伝をいただいたジーパ菓子の数々。ご堪能遊ばされますよう」
この暑い熱砂を乗り越えて旅をしていた人々に、披露されたのは色鮮やかな水羊羹だった。
中にはやわらかめに調整された求肥や、甘く煮た小豆、栗などがまぶされて、見て食べて涼しい逸品に仕上がっていた。
「付け合わせにお抹茶をたてました。少し苦いですが、茶菓子と一緒にお楽しみください」
提供後、一歩下がって様子を見守るティルネ。
先ほどのヨルダと違って弁えてるな、と紀伊は高い人もいるのかと安堵する。
「ん!」
まずはお手並み拝見と茶器を回して正式な手順でお抹茶をいただく。口の中でほろ苦さが花開く。
しかしただ苦いだけではない、ほんのりとした甘みも残されて、口の中を引き締めた。
続いて水羊羹だ。
甘いものが得意な紀伊は、恐れず果敢に攻め込む。
木を簡素に削った菓子切りで切り、口に放り込む。
ああ、これだ。
ずっと食べたかったジーパの心。
異邦の地で、食べられるだなんて感動だ。
紀伊は涙を湛えて、全て完食仕切ると自らティルネの元まで足を運んでその両手を取った。
「とても美味しゅうございました。名を、お聞かせ願えますか?」
「先ほども申し上げましたとおり。名はティルネ。字はハーゲン。ケチな男爵家の四男坊にございますれば」
「生まれはどうだっていいわ! とてもいい仕事でした。今日はこの地にバカンスにきてよかった。マールさん、あなたのおじ様はとても素敵な人ね!」
感極まった様子の紀伊に、しかしマールは。
「あげませんよ?」
嫉妬心をむき出しにした。
自慢のおじを褒められるのは嬉しい。
しかし紀伊の気に入り方は、まるで捕食者が獲物に狙いを定めたような目つきだったので、警戒度数を引き上げた形である。
「あら、お友達でしょう?」
「それとこれとは話が別ですー」
紀伊の食べたかを見よう見まねでロイドたちも堪能する。
「なかなか難しいですわね」
テーブルの上で、ヒルダが水羊羹と格闘していた。
菓子切りの扱いに慣れてないというのもあるが、プルンプルンでツルツルな水羊羹。事前に切り分けられていたらいいのに、と文句を浮かべる有様であった。
「あらヒルダ。難航しているようね」
「お姉様ほど器用にはいきませんわ」
「これはですね、魔法を使っています。体でどうにかできないものを魔法を使って乗り越えてきた。それがミンドレイ貴族というものでしてよ」
「確かにそうですわね!」
感銘を受けるヒルダだが、そんなどうでもいいものにまで魔法を使うという発想を普通の貴族は持ち得ていない。
ノコノサートやオメガ、ロイドはそんな姉妹のやり取りを呆れながらも見守っている。
「うまくいきましたわ」
「次はこの水羊羹を滑らずに固定化することを覚えましょうか。そうすればこのように」
「わ、すごい速さでわたくしのお皿から水羊羹がお姉様のお口の中に!」
人の皿から奪うことも可能でしてよ、と誇るように言った。
それはそれで嬉しいといえてしまうあたり、この妹はすっかりヨーダに毒されているのかもしれない。
「ヨルダ様、そんなにお気に入りなようでしたら僕のもあげますよ」
「私も甘いものは苦手でね。ヒルダ嬢に提供しよう」
姉妹の決闘にオメガとノコノサートから助け舟が入る。
「では、お二人からの大事な物資、どちらがより多く取り分けることができるのかの勝負と致しましょう」
「望むところですわ!」
この姉にして、この妹あり。
せっかく二人が差し出したのだから、仲良く半分こすればいいだろうに。
しかしこの姉妹にとっては、そんなやり取りでさえも楽しそうだ。
保護者のノコノサートは娘を持つ父親はこのような景色を特等席で見れるのか、と悦に浸っていた。
すっかり後方腕組みおじさんのような出立ちである。
◆
「おっちゃーん、師匠が食事の準備できたってー」
先ほど洋一のところに呼び出されたヨルダが、小さな子グマにまたがって走ってきた。
「キュウン!」
つぶらな瞳、愛くるしい顔立ち。しかし毛色は赤く、見たことのない個体である。ミンドレイ王国であるなら高値で取引されそうな、そんな値打ち物の予感を感じさせた。希少種なのだろう。しかし人には慣れてるようで、人を乗せて走っても嫌がる様子はなかった。生憎と一人乗りのようだが。
「おや、時間のようです。楽しい時間というのはあっという間ですな。皆様、ご足労願えますでしょうか?」
少し歩くので、お手間を取らせますと明言した後移動する。
「そこのクマちゃんは随分人懐っこいのねぇ?」
「ベア吉? 師匠が森で拾ってきた個体だよ。人には慣れてるけど、害意には害をぶつけてくるから武器とか剥けると普通に襲ってくるから扱いには気をつけてな?」
「ほう、飼い慣らされていても所詮は獣ということですか」
「飼ってるというより、家族だからね。最近は荷物持ちとか、荷車を引く仕事を覚えたってだけだよ。こう見えて馬なんかより早く走るよ?」
ノコノサートの質問に「ベア吉は家族だから、獣と同一に捉えるのは失礼だぞ?」と釘を指すヨルダ。
「早く走ればいいってことでもないのですわよ?」
ヨーダは、優雅且つ可憐に馬車とは人を乗せて走るために特化した乗り物だと指摘した。
確かにベア吉は馬とは比べ物にならない速度で走るが「それを一般人が乗るのに適しているか?」と聞かれたら即座にNOと答える自信があった。誰でも乗せるわけではない、家族だから乗せるのだ。
「まぁ、コツがあるのは確かだね。だからこうして徒歩での移動を促してるんじゃないか」
「キュウン!」
そこへ、ベア吉の愛らしさに惚れ込んだ少女が一人。
「少し撫でさせていただいてもよろしいですか?」
「目的地に着いたらな?」
「是非に!」
マールは一切ブレずにベア吉をモフる決意を固める。
この女、貴族らしからぬアグレッシブさだ。
ヨルダは内心でそう思っていた。
「すみませんね、うちの姪っ子は好奇心旺盛なもので」
「おっちゃんの家族だから特別に許すんだぞ?」
「では他の方々は?」
「そっちのメガネとのほほん顔は、こっちを警戒してるからダメ」
オメガとノコノサートのことである。
「これは手厳しい。しかし我々は保護者兼護衛。警戒するのが仕事でありますが故」
「それでも相手を選ばずところ構わずによくない気配を醸し出すのは二流だよ。ベア吉の闘争本能を刺激しすぎないようにね?」
「キュウン?」
「精進いたします」
ノコノサートがヨルダに対して敬語で話す。
敬意を示したというよりは、ここで噛みついて敵対するのは目的を潰しかねないという判断をしたためだ。
今回この話を引き受けるのにあたり、国王コークより王命を承っていた。それが件の料理人、本宝治洋一との連絡手段の確保であった。
方々を探すも見つからずじまい。
義娘の功績により、家宝の指輪の特殊機能で場所だけは判明してるが結構な頻度ですれ違う。
このチャンスを物にするためには、彼の直弟子を蔑ろにするわけにもいかなかった。
今回に限り、王族のロイドの護衛よりも優先順位が高いことでコークがどれほど待ち侘びているかの期待度が伺えよう。
それ以外は全ておまけだった。
「やぁみなさん、随分とお待たせしましたね。この街での食事は基本立食形式で行なっています。本来なら成果物を持ち寄って、それに合わせて料理を作るスタイルですが、本日は特別にお好みのものを調理いたします。ここ、アンドール流はミンドレイの人たちの舌には随分と硬く、塩辛い物に感じるでしょうから」
歩いた先では立食パーティが開かれていた。
大きな広場に、即席のテーブルが置かれている。
さっきのティルネ同様のことを誰かがしたのだろう。
ティルネの魔法構築に比べて、少し荒さは目立つが、さっきまでなかったものがこの短時間で生まれるとなればやはり魔法使いの仕業と見るのはおかしくない。
「先程までなかったものがこんなに!」
「オレとベア吉の合わせ技だからな。師匠がオレを頼るわけはそれ系ってこと」
「このクマちゃんはそんなにすごい特技があるんですか?」
早速モフりながら、尋ねるマール。
「ベア吉はジーパで玉藻様と契約した個体だから。ちょっと物理的には無理な不可解なこともできちまうんだぜ」
「聖獣玉藻様とまで!?」
これに驚いたのはやはりジーパの姫、紀伊である。
「あ、やっぱりジーパの人から見てもすごい人なんだ? ちなみに師匠とも仲良しだよ」
「何者なんです、そのお方」
「なんだろうね? オレもよくわかってない。でもさ、そこは別にどうでもよくない? みんなから慕われて、すごい料理を作る人だよ。一緒にいるけど、謎の安心感があるからね」
「人々が手放しで喜ぶ現象を生み出す御仁。一度深く話し合ってみたいものですわね」
「お姉様、涎、涎が垂れてますわ」
「あら、わたくしったら。オホホホ」
ヨーダのわざとらしい演技。すっかり胃袋を掴まれたものの顔であった。
その上で二人きりの時間を作れ、とヨルダにアイコンタクトをとってきたのである。
今は妹がいる都合上、身動きが取れないのだろう。
ヨルダにとっては、それが不思議な光景に映った。
あの自意識過剰の権化である妹が、こうまで丸くなるなんて思ってもみない。
久しぶりに見た妹は別人に成り果てていた。
誰だこいつ? 本当にあのヒルダか?
何をどうやったら悪魔つきみたいな妹をこうまで改心させられるんだ?
改めてヨーダに対する評価をあげていく。
「せっかくアンドレイに来たのだから、是非この国の味を堪能したいな。一品作ってもらっても?」
そのすぐ横では、ロイドが果敢に攻めていく。
せっかく凄腕の料理人がいるのだから、他国の料理をぜひに味わってみたいものである。
父親が絶賛していた『鍋』なるモノに対する興味も尽きなかった。
「では簡単なものから作っていきますね。この国は一年中こんな暑さなもんですから、人々は塩辛い料理を食べることで暑さに対抗した、なんて言われています故、最初は塩辛く感じることかと思います」
「構わない。何事にも横に倣えではないのだと知るためにも」
ロイドは今回の旅で肩書を一切使わずに、人々と接する縛りを設けていた。王族である彼が、こんな身勝手に振る舞えるのも、名うての護衛がいるからだ。
ノコノサートにオメガ。このメンチが揃い踏むことなんて、滅多にない。ここにヨーダがいてくれたら完璧だったのに、所用で行けないと通達されて少しなりともショックを受けていたものだ。
最初の一品はシンプルな串焼き。なんの肉か聞いてもはぐらかされてしまう。
余計に気になったが、まずは熱々の肉を口の中で頬張ることから始めた。
毒味の心配はない。毒耐性の魔道具を身につけているから。
だからなんの憂いもなく、食べ進められた。
まず最初に来るのは塩辛さ。これは食べ慣れてないものだった。
ミンドレイ国民が親しんでこなかった痛烈な塩辛さを持つ。
しかしそれを包み込むほどの肉汁がロイドの口内を襲う。
「ん! もぐもぐ、ごくん」
目を見開くほどの旨みの洪水。あれほどの塩辛さが一瞬で隠し味に昇華した。
串はいつの間にか全ての肉が口の中に放り込まれた後だった。
なんだろうか、このジャンクなフードでありながらも病みつきになるこの感覚は。
「お口に合わなかったでしょうか?」
「いや、美味であった。最初は独特のスパイスに面食らったが、これがどうして旨み抜群の肉と良く合う。そして肉を飲み込んだ後、肉と調味料の余韻でもう一度味わいたくなる、不思議な味だった」
「お褒めに預かり光栄です。次は少し食べやすくしたホットドッグとなります。パンの硬さはこちらで調整できますからね、硬すぎたらお申し付けください」
「まずはその硬いのから頂こう」
「ええ、少しお待ちください」
何事も挑戦だ。こういった機会を設けてくれた未来の家臣に感謝しながら、ロイドは硬めのパンのホットドッグをいただいた。
柔らかい料理に慣れていた歯が悲鳴をあげるほどの硬さ。
しかしそれは最初だけであった。
肉汁が、ドレッシングが、シャキシャキとした野菜が。
噛むたびに複雑な味を提供してくれる。
噛みついて肉汁が飛び出た後、硬さが抜けるだなんて現象はなかったはずなのに、次から次へとかぶりつきたくなる衝動が全身を駆け巡った。
気づけば両手を汚しながら夢中で食べていた。
「どうでしたでしょうか?」
「ああ、これは病みつきになるな。人々が笑顔の理由が伺えた。民たちが笑顔で暮らせる国を作りたい。まずはこの街に並べるよう、努力すべきか」
なんのことだろう?
ロイドが王子様だという事実を伏せられている洋一は、なんとも言えない顔で接している。
藤本要が国の中枢部に接しているのは聞いた。
そのクラスメイトがお偉いさんのお嬢様方であることも聞いた。
けど全員の役職や肩書は聞いてない洋一だった。
やんごとない身分のお方ぐらいの認識である。
「わたくしは、少し柔らかいものをいただきましょうか」
ヨーダは、おっとりとした振る舞いで久しぶりに再会した洋一をじっと見つめた。
誰だろう? なんかこの人やたら見てくるぞ。ぐらいの認識でしかない洋一は「今お作りしますね」としか言えずにいた。
まだ洋一に正体を明かしてないがゆえである。
ドッキリはいきなり正体をバラすものではない。
相手を勘違いさせる過程もまた大事なのだ。
「ああ、すごい刺激」
「お姉様、食べても大丈夫でしたか?」
「ヒルダには少し辛すぎるかもしれませんわね。ですが先にこうやってお肉の方を切りつけておけば」
「あ、なんとか食べられそうです。このお肉、ホワホワでとってもジューシーですわね。最初の塩辛さが嘘みたいに調和してますわ!」
「よかったわ。これでわたくしも最後まで食べきれますわね」
ヒルダの割り込み。しかしヨーダはそれをシェアすることで洋一に文句が飛ぶのを回避した。
病みつきになる味と評したロイドの気持ちがわかる。
これはアルコール飲料に合わせた味付けだ。
お酒飲みたいなーなんて気分が湧き上がるヨーダであった。
「おじ様、いつもこんなに美味しいものを食べててずるいです」
「ならば君も学園を辞めて一緒に来るかい?」
「流石にそれはお父様に悪いので。でも、学園を卒業した後は」
ついて行ってもいいですか?
そんな感情を込めた瞳で訴えかけるマール。
しかし当のティルネは実の兄がなんていうだろうかと頭を悩ませていた。
マールはハーゲン男爵家の跡取りだ。
それを連れてけばお小言では済まないことは明白であった。
「キュッ」
そんなやりとりの横で、洋一のフードの中から小狐がひょっこりと頭を覗かせた。
「あ、貴方様は」
反応したのはジーパの姫、紀伊である。
「キュッ」
紀伊の相棒のオリンが呼応した。
『よくぞ妾の探した人を見つけてくれたの。何時には褒美を遣わす』
「キューン」
洋一の頭の上で、紀伊の肩の上で。小狐が合唱する。
それは料理に浮かれる人々への最高のパフォーマンスとなった。
しかし実際は、もっと別の能力の開花だった。
「え、転移ゲート? え、え?」
「どうやら俺のおたまと君の小狐の間で荷物の持ち運びが可能になったようだな。それと通信の類いもできるようになったっぽい」
「えぇ……」
同じ契約者同士の共鳴反応。
洋一にとっては見慣れた能力であったが、紀伊からしてみれば寝耳に水の能力開花であった。
「つまり、紀伊様を介して貴方様の料理がいつでも堪能できるということですわね?」
ヨーダが前に躍り出る。知っている能力が来た!
これは弄せずして洋一の料理が食べ放題になる。
一年半以上ぶりの邂逅を、距離を置いても味わえるのは朗報以外の何者でもない。
「本当かい? そんなに嬉しいことはない」
ノコノサートも感極まった声で感涙する。
全てにおいて、パーフェクトな回答を用意された気分だった。
「でも紀伊様、学園を卒業した後は祖国にお戻られになるのでしょう?」
そこへマールが冷水を被せる質問を投げかける。
「そう、聞いておりますわ」
「紀伊様、改めてミンドレイ王国と協定を結びませんか?」
「えーと?」
ここで男を見せたのはロイドである。
「婚約者として、国を起こしていきたい。その横に、貴方がいてほしい」
なんだ、こいつ。今まではろくすっぽ距離を縮めてこなかったのに急に興味を示してきて。
単にこの料理人の食事が欲しいだけじゃないか。
自分を見ろ! 紀伊はむしゃくしゃとした気持ちで断りの返しをする。
「みんなして急になんですの? 今はまだ先のことまでは考えられません。それに、妾にだって立場というものがありますのよ?」
ジーパの姫。国に帰ればその待遇が待っている。
国に嫁いだらジーパはどうなるのか。
考えなくてもわかる、王国民によって占有されるのではないか?
そんなのは認められぬ、と唇を引き締める。
「ジーパはミンドレイの分譲地として統括しても良い。それも同等の地位を貴方に授ける。鬼人の身分も魔法使いと同等に引き上げよう。それでどうだろうか?」
「そこまでして、ミンドレイになんの旨みがあるというのでしょうか?」
「いつでもどこでも洋一殿の料理が食べられる。そして、それは貴方の故郷のジーパ菓子もだ。そうですよね、ティルネ殿?」
先ほど感銘を受けていたジーパ菓子。
異国の地であるにもかかわらず、ジーパの心を感じたあの菓子が食べられるとあるならば、心も動く。
「それが本当に可能なのですか?」
しかし、現実味がわかないのは紀伊本人である。
いきなりゲートが開いたといわれてもチンプンカンプンであるからだ。
「まぁ、一度送りつけてみよう。俺の料理にだけ反応するのか、ティルネさんのお菓子や、ヨルダの野菜にも反応するか。実験は必要だよな」
「そ、そうですわね。どのように届くかの実験もしてみませんことには婚約のお話は引き受けることはできませんわ」
「ああ、大丈夫だ。問題ない。必ずや君を落として見せる」
なんの根拠をもって大丈夫だといってるかもわからないが。
結局自分なんかよりゲートの能力が目当ての男に、気を許すなんてプライドが許さない紀伊であった。
◆
「おめでとう、でいいのかな?」
洋一が、ロイドと紀伊の婚約を心から歓迎して拍手した。
「まだ、です。すぐに答えは出せません。妾の一存で出せる答えではありませんし、一度本国に持ち帰る必要もあります」
「それはもちろん! いやー、その時が楽しみだなぁ」
ロイドはもう確定したみたいに惚気る。
「おめでとう、紀伊様」
マールも倣って拍手をした。
「マールさん、貴方までそちら側に回りますか!」
ロイドの忠臣であるノコノサートとオメガは最初から敵。
その中でまだヨーダかマールは味方、もとい中立だ。
しかし、先ほどティルネに対して色目を使ったのが裏目に出たのか、今や乗り気でロイドとの仲を押しにきている。
味方がいない! 紀伊は苦渋な面持ちで呻いた。
まさかこんな出かけ先で婚約者が決まろうだなんて思うわけもなく、なんの身構えもしてこなかったのだ。
「まだ決まってはいないとはいえ、おめでたいことには違いありません。そこでどうでしょう、ジーパの素材を使った料理をここ、アンドール風に仕上げた料理なんていうのは」
「ジーパの食材をアンドール風に? 面白いね。どんなのだろう、ねぇ、紀伊様?」
「あなた、急に距離感バグりすぎですわよ!」
ロイドはすっかり恋人の距離感で詰めてくる。
それを避ける度に追い詰めてくるロイドに仕方なく隣に座る許可を出す。あまりの変貌ぶりに、今までこんな推しの強い男だと思わなかったと嘆く紀伊である。
「どんな食材が使われるか気になりますね」
「皆様は塗り壁という怪生をご存知ですか? ジーパの方では妖怪、魔獣のことを怪生と呼んで恐れているようなのです」
バンッ
「塗り壁ですって!」
これには紀伊も激怒する。
しかし取り乱したのは紀伊だけだ。
それ以外はそれがどんなものであるか理解ができていない顔である。
無理もない、ミンドレイ国外に出るのも初めての箱入り少年少女達。
自国内のモンスターすら理解が及んでないのに、国外のまで把握しているはずがない。
「ええ、美味しいんですよ。味は俺が保証します」
「本当に、本当なのでしょうね? 下手なものを食べさせたらただでは置きませんよ?」
売り言葉に買い言葉。
紀伊はどうにもこの洋一という男が信用ならない。
何せ急に舞い込んだ婚約話の原因を作ったのがこの男であるからだ。
「大丈夫ですよ、玉藻様からのお墨付きです。皆がダンジョンに潜って塗り壁を討伐に行くほどの味、旨み。そしてその食感を気に入ってくださりました」
「あの時は驚きましたよね。宴会中でもお構いなく出かけられて」
洋一の言葉にティルネが続く。
「それほどでしたのね」
洋一はいまいち信用できないが、ティルネの言葉ならまだ信じられる。
ジーパの心を持つ職人だからだ。
「それは一体どんなものなんだろう、紀伊様、よければ教えてもらえる?」
「仕方ありませんね」
食い下がるロイドに、紀伊は埒が開かないと説明を始めた。
洋一は手元でそれらを捌いては調理していく。
「見学させていただいてもよろしいですか?」
「油が飛び跳ねますのでご注意くださいね」
「心得てますわ。これで油は飛んできません」
洋一の注意を、ヨーダは魔法を即座に展開することで対処した。
「器用ですね、それならば大丈夫そうです。見学される方は彼女の周りにどうぞ。油を使いますので、近づきすぎるとやけどしかねませんのでご注意を」
再三の注意をした後、作業に戻る。
手元にはソーセージ。
それにころもを絡めて、油の中に投入した。
揚げ物用鍋にはソーセージの天ぷらがいくつも浮かび上がる。
フライ用の網で、しっかり火が入っているのを見越して油から掬い上げる。粗熱を覚ましてる間にソースを作り始める。
フライパンにはたっぷりの油。
そこにしっかり熟成乾燥させた唐辛子やニンニクを刻んだものを投下して一煮立ち。
それをベースにトマト、生姜、酢、塩で味付けしたソースを合わせて。
刻んだネギなどを投入後、水で溶いた芋の粉を回し入れる。
見るからに真っ赤で辛そうだ。
そのどろりとしたソースに、先ほど揚げた天ぷらを投入し、よく絡ませてから皿の上に盛り付けする。
「どうぞ、塗り壁の天ぷらのチリソース和えです。パンもいいですが、これにはご飯を合わせたいですね。ヨルダ、ご飯は炊けたかい?」
「バッチリ」
ヨルダがかまどの蓋をあげると、モワモワとした湯気の奥底からツヤツヤした米粒が顔を覗かせる。
洋一は木べらで切るように混ぜながら、手に塩をつけておにぎりに仕上げる。中に穴をあけ、その中に塗り壁の天ぷらをイン。
紀伊にはおにぎりを、他のみんなには皿に盛り付けたまま提供する。
「お箸はいただけませんの?」
「ああ、ゴールデンロードの常連さんはお箸の方が扱いやすいかな?」
言われて気が付き、箸を配膳。
ヨーダはご飯の上に天ぷらのチリソース和えを乗せて頬張った。
まるでその食べ方を知ってるような……?
あっ!
洋一はようやく目の前の少女の正体を理解する。
いや、どこかでもうわかっていたことだ。
即座に使った魔法構築。
油避け以外にも、換気扇のような煙の誘導なんかもやっていたからだ。
手際がいいなだなんて感心してしまったが、相手がよっちゃんならできて当たり前だ。
「お口に合いましたでしょうか?」
「最初の一口はピリリと刺激が強くて戸惑ってしまいましたが、しかしなかなかどうしてこちらのお米が辛みを緩和してくれます。そして食材の食感! プリプリですのね!」
正体を見破った後も演技は続く。
どこでバラそうか見誤ってるのか、それともバラすのも忘れて料理に夢中になっているのか。
どちらかわからぬが、ヨーダはすっかりエビチリもどきに夢中になっている。
「お姉様、わたくしにも食べ方を教えてくださいまし!」
妹がすがってきて、ヨルダの食事を中断させる。
今いいところなのに、と少し不機嫌そうにした後。
仕方ないかと箸の使い方のレクチャーをする。
さっきの菓子切りと似たような要領だ。
空間を固定し、滑らないようにする。魔法でそれをカバーすれば、刺すのも掴むのも容易ですわ、と教えていた。
そんな適当な教え方でも、ヒルダはモノにしている。
ロイドやマール、オメガやノコノサートもすっかり箸に慣れ親しんでいたので、こちらもご飯と一緒に食べ勧めていた。
「これは、すごいね! 塗り壁の正体がゴーレムだと聞いた時は驚いたが、調理一つでこんなに化けるとは!」
「本当に、信じられません。確かにこの辛さはジーパとは一線を画す一品でしょう。しかし妙にジーパ人好みの味わいに昇華されている。これは、先ほどの失礼を詫びねばなりませんね」
「いいですよ。食べなれないものを出されたら、誰だって戸惑います。それに食材が食材ですからね」
洋一は流石に塗り壁は挑戦しすぎたか、と反省した。
代わりに出したのは傘おばけだ。
「今度はこいつで手捏ねハンバーグでも」
「きゃーーーー!」
食材を生のままで出しただけで、紀伊は驚き、ロイドに抱きついてしまう。すぐに自分がどのような格好をしているのかを察してロイドから離れるが、ロイドは満更でもない顔をしていた。
その顔は、いいぞ、もっとやれと描かれていた。
「もう、びっくりさせないでくださいまし。ロイド様もですわ、いきなり抱きついてしまって申し訳ありません」
「この胸はいつでもあなたのために開けておいてますよ。いつ飛び込んできても大丈夫なように」
この子、よくそんな歯の浮くようなセリフを言えるな。
洋一は感心しながら調理を続けた。
見た目が強面な傘おばけが素材とは思えぬほどに、ハンバーグとなった後は繊細な味わいが口の中に広がっていく。
「うわぁ、これは」
「ええ、想像を絶する旨みの洪水ですわ!」
一度抱きついて恥ずかしさの上限が突破してしまったからか。
はたまた一々恥ずかしがるのも鬱陶しくなったか、吹っ切れたようにロイドの後に感想を述べる紀伊。
顔が熱いのか、手で顔を仰ぐ紀伊。
ロイドは魔法を展開させて微風を真上から浴びせてみせた。
「あ、ありがとうございます」
「いいってことさ。いつでも私に頼ってくれ」
「そ、そうですわね。手が足りない時は頼るようにいたします」
おっと、好反応だ。
紀伊からいい反応がもらえて上機嫌なロイド。
洋一にグッジョブとジェスチャーを送る。
とてもいい笑顔である。
食事はそれから何度も驚きの連続で、しかし腹が満たされれば、自ずとお開きのタイミングを見計らう。
「今日は大変お世話になりました」
「いえいえ、こちらこそ。粗末な料理でしたがお口にあったようなら何よりです」
「国に良い手土産ができました。では今日のところはこの辺で」
すっかり今日の出来事に満足して帰り支度を始めるノコノサートやオメガ達。
まだ今日は旅行一日目であることを忘れてるかのような彼らに、ヨーダは待ったをかけるのだった。
「なぜ、もう帰り支度を始めてるのでしょう? 楽しいバカンスはまだこれからでしてよ?」
「あ、そうですよ。そういえばまだ、アンドール国に向かってないです」
マールが胸の前で手を合わせて賛同した。
「私としたことがうっかりとしてました。お姉様にとっては、これくらいのイベント、物の数ではございませんのね」
マールに続いて、ヒルダが賞賛した。
「当たり前でしょう、まだここは街の最南端。目的地どころかスタート地点ですわ」
「そのスタートでこれだけの満足感。私はもう国に帰りたい気分ですな」
国に帰りたい組は、もうこれ以上ないくらいの手土産を得た連中である。対してバカンス絶対遂行組は、この国でまだ何も成し遂げてない。
主にマール、ヨーダ、ヒルダの三人娘である。
「予定的にはどれくらいを想定してるんですか?」
「三泊四日を計画しています。今日はまだその一日目ですわ」
「ふぅむ。だったら居残り隊組はうちで一時的に預かりますので、やんごとなきお方達は一度帰国してはいかがです?」
「そんなこと、できるわけが」
声を荒げたのは護衛のオメガである。
「待て、オメガ。このかたの言ってることはもっともだ」
「父上、なぜ止めるのですか?」
「お前こそ、洋一殿の力量がまだわからないのか? 多分この方は彼女よりも……」
「まさか」
ノコノサートの憶測に、オメガは信じられないと慄いた。
洋一が料理一辺倒で、全く戦えないと思っていたからだ。
「なんのお話かは分かりかねますが、腕に自信はありますよ。こう見えて、Sランクをいただいてます」
冒険者のではない、商人のだ。
それでも掲げて見せればノコノサートは引き下がる。
どんな職業形態にせよ、Sに至れるものは規格外。
賞賛に値する存在なのだ。
「やはりそれくらいの実力者でしたか、見誤りました。オメガ、これ以上世話を焼かせるな。彼女達が心配なのもわかる。でもまずは」
「ええ、ロイド様と紀伊様のみの安全を優先、ですよね?」
「その通りだ」
「ご理解いただきありがとうございます。彼女達は責任を持って俺たちがお返ししますので。何日までに国境まで届ければよろしいですか?」
「それならば……」
ノコノサートが懐から取り出したメモにペンを走らせ、ページを破って洋一に渡した。
「その期日に、再び引き受けにくる」
「分かりました。ではその日に」
洋一は即座にそのメモをティルネに手渡す。
文字が読めないので、常にティルネが翻訳をする。
「それまでに、彼女達のバカンス欲求を少しでも薄められるよう、努力しますよ」
「ははは、たまの休日です。十分に羽を伸ばさせてやってください。本来なら、監督役として私が見届けねばならないのですが」
今は優先すべき案件ができてしまった。
だから急ぎミンドレイに戻り報告する必要がある。
また近いうちに紀伊ルートで食事を催促するかもしれないが、その時は頼むとノコノサートから依頼の先払いを引き受ける。
「お気をつけて」
「またすぐ迎えに来る」
全く違う心配をしながら、ロイドと紀伊を連れてノコノサートとオメガは元きた道を戻っていった。
「さて、それぞれには積もる話もあるだろう。まずは静かな場所に移動しようか」
ティルネとマールの叔父、姪の関係。
ヨルダとヒルダの姉妹関係。
洋一とヨーダの相棒関係。
バカンス居残り組と、アンドール現地組には奇妙な関係性があった。




