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第21階層。(前)

上階での依頼の連鎖はどうにか断ち切れ、俺達は暫く平穏な日々を取り戻すことが出来た。

20…何日か。何でも屋は、何でもやるから忙しい。だからその間はずっと洗濯、お使い、力仕事、隠れんぼ、クルッケル…長閑な下層階の為の様々な仕事に従事した。

そう。疲れが取れればまた直ぐに、欲求が衝動になって湧き上がって来る。人間とは酷く我儘で愚かなんだ。

上に行きたい。

あれからずっと思ってる。第20階層以上へ行ってみたい。

チェスタやビスカでさえその活気に当てられるような…きっと、今まで見たこの町のどの階層よりも熱の溢れる領域。

もう何十日も過ごして来て一つの手掛かりも掴めないこの辺りの階層より余程、きっと何かは転がってる可能性が有るんじゃないかって思ってる。

脱出の手掛かりと、俺が何者なのかを思い出せるような切っ掛けが。

でも俺の所為で上階の依頼に時間と気苦労を取られ、その癖プリマの為とは言え俺の我儘を聞いて早上がりをさせてくれたチェスタは、もう暫くは俺に暇を与える気は無いだろう。

だからもう少しの間は我慢するか…若しくは、口実でも出来れば良いんだけど。

下の階の奴らの為に、上に行かなきゃならないような口実が、何か…。


『悪ぃなぁあまた手伝って貰っちゃってぇえ!』

家と家の隙間を通って、広大な青空へ。喧しい声が、今日も元気に抜けて行く。

『…別に。それが仕事だから。』

手の無い腕で箱を抱えることはとても難しい。でも棒を肩に担ぐことなら、片手が有れば出来るんだ。こんな運び方が在るなんて、知らなかった。

今日は第1階層の坂の脇に在る大きな牧場で、マミム小屋の大掃除の手伝いをする予定だった。でも今朝になってカストルがいきなり仕事を依頼して来て、俺だけこっちに来ることになった。

第1階層の釣り屋、ライズからの急ぎの仕事。母なる海から釣り上げた命…この見たことの無い新種の魚達を、是非上の階層まで伝え繋げて欲しい…とか何とか。

要するに、ライズが捕まえた種魚を上層階の養殖屋に分けてやるんだ。上の階層には海が無いから、食べられる魚は全て養殖された物。この島は人が住み始めてから百何十年も経つ癖に、未だにちょくちょく新種の魚が発見される。ライズは下層階の奴らの為の食材用の魚だけではなく、新種を見付けた時は育てる為の魚も捕まえて上層階の人々に海の恵みを届けようとしてやってる。

肩に担いだ棒の両端に甕を吊るすと、天秤みたいで平衡を保ち易い。生きた魚をそっと運ぶには、確かにこの方法が最善な気がする。

『こんなに手伝って貰っちゃあ、お前が運び屋になったみたいだなぁあ!…いや、俺が何でも屋になったのか?ははははぁあ!』

『何だよそれ…。』

こいつは相も変わらず喧しくて一方的だ。人って、共に過ごしてそいつのことを知る程、印象が変わる…若しくは第一印象が間違いだったと気付くことが有るのに、こいつは全く変わらない。初めの衝撃のまま。煩い。勝手。それだけなんだ。

『はは……お前が来てから、なんだか楽しーなぁあ。』

嗚呼……手前勝手だ。

お前の平和を、俺に押し付けて来るなよ…。

『そんな訳無いだろ…。』

カストルは機嫌良くふざけたステップを踏みながら歩くけど、腰をくねらせて上半身は常に安定してる。やっぱりこいつはどんなに馬鹿だとしても、運搬の玄人だ。

俺は素人だから下手なことはしない。慎重に、でも確実に歩を進めながら。

甕の中では偶に魚がちゃぷっと跳ねて、虚を突かれることが有る。

ライズは自分だって被害者の癖に、ミズルと同じことをしては居ないか?只泳いでただけの魚を釣り上げて、海と言う故郷から離れた、空の近くで暮らさせるなんて…魚達は、自らの力で大海に戻ることは叶わないだろう。

魚の境遇に自分を重ねてしまったら、憂鬱になるだけだ。この魚が上層階で繁殖したら人々の腹を満たし、ライズの思惑通り人間の役に立つことになるのだろう。ミズルは呪いの力で人々を攫って、何が目的なんだ?

ほら、魚と被害者は同じでは無い。ミズルに目的なんか無い。只の理不尽なんだから。理不尽は打破されるべきだ。だから俺は諦めない!

運搬に適した広くて上り易い階段を探しながら第11階層まで来るのも、もう慣れたもんだ。第11階層には海や大地で獲れた新鮮な食材も運ばれては来るが、中低層階の台所を担う第12階層に賄うにはそれだけでは到底心許無いので、養殖屋や畑も点在してる。

『カストルぅー、おっせぇーよぉー。』

11階層中程に在る養殖屋にて待ち構えてたのは、わざとらしく腰に手を当て爪先をパタパタと鳴らしながら黒髪を靡かせる男。

トロイメラ…あの、大運搬の日以来だ。相変わらず鋭い目付きで、なのに気怠気で、締まりの無い喋り方。

『すまないすまないぃい!手が足りなかったもんだからぁあ、急いで何でも屋に依頼しに行ったんだよぉおおっ!ルクスが来てくれたからぁ、助かったんだぁあ!』

『……ルクスぅ。』

トロイメラが、ギラッとこちらを見遣る。何を思うのかは推し量れないが、余り良い気分がしないのは何故か。

こいつが俺みたいな被害者のことを御伽話のような、見せ物を眺めるような目で見てるって思えるからなのかも知れない。

『ルクスが運んでくれた分は此処で引き渡して、こっちの魚は31階層のミグマリオの養殖屋まで…頼むぞぉっ、トロイメラぁああっ!』

『いや…俺はこの後まだ仕事があるんだよぉー。だから第18階層でポルクスに引き継ぐ…ったく!お前ぇーが18階層まで一気に持ってけば良ぃーだろぉーポルクスがうるせぇーんだよぉー!』

『俺もこの後は帰りがけに酒を預かって、第2階層のキンに届けてやらなきゃなんないんだよぉお!ポルクスには、よろしく言っといてくれぇ。』

『…ちっ!めんどくせぇー…!』

第18階層か……ハルルはどうしてるんだろうか?あの後も幾つもの死体が鳥に啄まれ…ミズルの元へ、帰って来たんだろうか?

ミルハンデルにもゴードルンにも会ってない。プリマと酒場で大きな魚をつついたあの日から、第12階層以上へは足を踏み入れることが出来てない。

『よっし…というわけでぇ、俺は酒屋に寄らなくちゃならないからぁ、ルクスは先に何でも屋に戻ってくれても良いぞぉお!手伝ってくれてさんきゅうううっ!』

『…じゃあ、そうする。』

マミム小屋の掃除はまだ終わらないだろうか?何せ大掃除なんだから、全部のマミムを退かして普段はやらない隅まで掃いて大童に違いない。

『ルクスぅー。』

トロイメラが徐に呼び止める。片手を腰に当て身を屈めるような様ですら勿体振って見えるのは、恐らくこいつならではだ。

『何だよ…?』

こいつが俺に、何の用だ?外の世界の話にしか興味の無いこいつが、何の記憶も持って来られなかった重症者の俺に。

『……なんか、思い出せたぁ?』

『は…?』

……こいつ…そんなに、外の話が好きなのか?

『否……話せるようなことは、何も…。』

俺は何も悪くない筈なのに、何処と無く不快だし、後ろめたかった。だから顔は俯けて、身体は元来た道を振り向いてもう帰りたがってる。

『そぅかぁー…じゃあな。』

…不愉快だ。俺の、きっと掛け替えの無い記憶は、生気の無い町で暮らすお前の為の退屈凌ぎなんかじゃ決して無い筈だ。

でも俺はこいつのことを嫌いになることが出来ない。この町で暮らす限り。こいつが運び屋として各階層をうろうろする限り。俺が何でも屋を続けてカストルに助っ人を頼まれる限り。俺が、こいつが、この町で生きる限り。つまり…俺が外の世界へ帰ることが叶うまでは。

だから、言われなくても思い出してやるよ。奪われた物は全てきっちり返して貰ってから家に帰るんだ。お前達から借りた町じゃない…本来の俺がこの手に持ってた、俺の故郷へ。

だからその時に、序でにだったら、お前に話してやらなくも無い。

きっと素晴らしい筈の、俺が生まれた世界の話。


水と魚で満たされた2つの甕を、棒に吊るしてずっと左肩に担いで階段を上って来たんだ。手ぶらで階段を駆け下りる解放感が堪らない。

今日は一際快晴だから余計に気持ちが良い。外周の道を通り抜けたら海風まで爽やかで、気分を切り替えることが出来た。この後マミム小屋で、マミムの獣臭さに汗を掻くことに甘んじてやらなくも無い。

第1階層に在る、恐らくこの町で一番広い牧場は、港の程近くに広がってる。町の端の方なので日当たりもまぁ悪くないし、マミム達は伸び伸び過ごせてるのかよく肥えて声もでかい。

外周から回って来たから牧場の隣の坂ではなく、町の奥に聳える山道から第1階層へ下る。

聳えると言っても、第7階層と同じくらいの高さで、最早すっかり町に取り込まれて建造物の一部と化してる…湧き水を採ったり石や植物を採ったりする『施設』のような扱い。

山道から目線を逸らすと、町に隣接するイズリンガルの林が見える…広大に見えるけど、きっと外の世界のそれと比べたら虫けらの世界のように小さな庭の筈だ…。

この道を下り終えたらまた仕事だ。そしてそれさえこなせば今日の仕事はお終いだろうから…気合いを入れて、何処か懐かしい気もする砂利道を蹴って、前を向く!

向いたら……スーピーと目が合った。

『あ……ルクスくん!』

山道の終着点には広場が在る。家を重ねるしか手段が無かったこの町の人々が、わざわざ空けて憩いの場と定めた僅かな隙間。皆の為の場所なんだから、この町の為に働く掃除屋で在るスーピーが、その手に常に持つ毛の生えた棒を振るわなくてはならない場所で在る。

そんなスーピーが、そんな場所で困ってる。いつも見せる輝く笑顔は鳴りを潜め、眉は下がり難しい顔をしてる。

スーピーの心中を推し量る。『困ったことが起こった。何でも屋に依頼しに行こうと思ったのに…何で選りにも選って、こいつだけが先に一人でのこのこやって来るんだ?』とか…

『選りにも選って』とか『のこのこやって来て』とか、流石にそんな嫌な奴じゃないか……あんな笑顔を出来る奴が。

『スーピー……何か、困ってる…?』

こんな顔をされて、何でも屋として聞いておかない訳には行かない。こいつは本当は、チェスタかビスカに聞いて欲しかったんだろうなとか思ったとしても。

『あ……えへ。ありがとう。そうなの…いま、そこに住むおじいちゃんに言われてきたところだったんだけど…。』

言われて見回して気付いたけど、広場の輪郭に並ぶ家々の前では、古くから此処に住むので在ろう爺さんとその隣に住む婆さんがこちらを…広場の真ん中を、気遣わし気に見守ってる。

首の向きを戻す序でに爺さん達の視線を辿ってみて……やっと見付ける。確かに俺は注意力が無いところが有るけど、それだけが悪い訳じゃない。

余りにも大き過ぎる物は、例え視界に入れたとしても認識が難しいことが有る。『見る』とは視界に招くことではなくて、輪郭を捉えることなんだ。

『これ…お片づけしてほしいって言われたんだけど、あんまりにもおおきくて…どうしたらいいかわからなくて…。』

『見る』と『理解』は、また別の話だ。

輪郭を捉えることに成功したとて、この物体が何物なのかは分かんない。

でかい……でかいとしか言いようが無い。まるで家だ。

家って言ってもこの町の、一番小さな家くらいの大きさ。便所も風呂も公共施設で、料理もしないこの町の家は、寝床が一つ置ければそれで満足な住民も多い。

溝みたいな色をしたふわふわの毛で覆われた、丸い家……

そんなの、家な訳が有るか!

『………チェスタ達を、呼んで来る。』

爺さんにも婆さんにも、スーピーにも、俺にも……こんなの、一人でどうにかなんて出来っこ無い。

皆が皆、皆の為に、手と手を取り合うこの町で……

誰かが困れば、それは皆が集まる合図。


第6世代…この町が始まった頃から代々マミムを飼い慣らしてきた家系であるルーバー曰く、『うちのマミムはこの町で一番の良い子ちゃんたちさ。これまでも、これからもずっと!』。

秘訣は愛情と意思疎通、とか何とか。常に間抜けな面をしたあのマミムと心が通じるとか、想像も付かないけど…。

そんな良い子ちゃん達のお陰だったのか、俺が走り着いた頃にはもう大掃除は一段落付いてて、チェスタとビスカはルーバーと一緒に牧草の上でのんびり麦茶を飲んでたんだ。

事態を説明…って言っても、俺も何が何だかまだ分かっちゃいないけど。話しながら広場に戻って来て……改めて遠目から毛の生えた家を見付けたら、やっぱりでかい。でか過ぎるし…面白い。

正体不明の謎の巨大物体が突如として現れるなんて本当はとても不気味な事態の筈なのに、大きさの程度が過ぎるだけで何だか酷く滑稽で阿呆臭い光景に見える。

『スーピー!一体何なんだー…これは…?』

『あっ…!チェスタくん、ビスカくん…!』

やっぱりチェスタはプリマにもそうで在るように、スーピーに取っても一番頼りになる兄なんだ。ほんの少しだけ、笑顔に明かりが取り戻った。

『あのね、なんなのかはまだ全然わからなくて……こわいから、さわることもできてないの……ごめんなさい……。』

直ぐに申し訳無さそうに目を伏せるスーピーの頭を、チェスタは優しくぽんぽんと撫でる。

『それは、仕方がないなー…不用意に触れたら、何が起きるか分からないからなー。よし、ビスカ!』

『……はいはい。』

何でも担当の俺に来るかとも思ったが、此処は身体担当のビスカが指名された。チェスタは、滅多なことでは自ら動かない。

巨大な毛玉に向き直ってみたものの…ビスカは、きっと何処から触ったら良いか分かんない。それに、やっぱりちょっと怖いんじゃないか?俺だって、やれって言われたら嫌だ。

毛が生えてる…ってところが怖い。皆うっすら思ってる……生き物の可能性が有る。こんなにでかい生き物なんて、只の怪物だ。

ビスカの長い腕が、そろりと伸ばされる。チェスタに怒るビスカの顔はしょっちゅう見るが、何かを嫌そうにするビスカの顔は中々見ないかも知れない。

大きくて骨張る癖に滑らかなその手が、溝色に沈み込むと

『…………は?』

ビスカの目は点のように丸くなり、見たことの無い間抜け面になった。

『ん……え?は………はぁ……………あー……うん…?』

驚いてるのか、気持ち悪いのか、顔を歪め頼り無い声を上げながらも…次第に無心に弄り出す…!

『ん?ん?ん……?いや…うーん……は?あれっ…?』

『ビスカ…?ビスカ!どうしたんだ!大丈夫かっ?』

自分からやらせた癖に過保護に心配するチェスタは、間延びすることも忘れビスカの夢中な腕を掴む。

『はっ……!あ、チェスタ…!』

『ビスカー…心配をさせるな!やはり、生き物なのか…?』

『いや、ごめん。大丈夫だ…大丈夫だけど……よく、分かんなくてさ……大丈夫だから、お前も触ってみてくれよ?』

『えっ!?』

ビクリ、と固まるチェスタ。

『………何でも担当ー!』

『はぁっ?』

チェスタは滅多なことでは動かない。チェスタが動こうとしないってことは、まだこの場が滅多を保ってるって証で……平和と言えば聞こえは良いけど、呑気と言えばこのリーダーは無責任だ。頼りになる兄は何処に行ったんだ?

『これは分担だ…お前、何でもやるといつも言っているじゃないか!』

『そうだけど…頭脳担当が触らなきゃ分析しようが無いんじゃないか!?』

『おい、二人とも…そんな、喧嘩するほど危険そうな感じじゃないんだけど…本当によく分からないんだよ。ルクスが触って大丈夫そうなら、チェスタも触ってみてくれよ。』

『えぇ…?』

『えー…?』

二人して似たような不服の声を上げて、何だか癪だ。我儘を言ってるのはチェスタ只一人なのに!

…まぁ別に、触って探ることも不気味だけど、正体不明のままいつまでも処分出来無い方がもっと不気味なんだ。やるしか無いか…。

『はぁ……!』

溜息で勢いを付けて、溝色の中に左手を潜らせると……細くて細かい毛に擽られて、怖気が走る…!

ふわふわふわふわ、擽ったくって…柔らかくて、温かい…

……でもこれは、生き物なのか?血の通った生物の温かさなのかと言われると、よく分かんない。兎に角この毛に包まれるだけで温かくて…この温もりが自分の肌から由来する熱なのか、この毛の奥に在るかも知れない生物の体温なのかが判然としない。

ふわふわとした毛がぎっしりと邪魔をして、地肌に中々辿り着けない。どんなに弄っても、ぴくりとも動く気配が無い。かと言ってこれが無生物だなんて、俄かには信じ難い。

『………分かんない。』

ビスカのあの頼り無い声の経緯が良く分かった。こんなの、謎は深まれど、核心には及べない。

『チェスタ…。』

『……ぐぐ。仕方が無いー…!』

愛するビスカの視線にじとりと刺されて、遂にこの事態は滅多なことでは無くなる。

覚悟を決めたチェスタは意外と潔い。心を準備する間も持たず、豪快に右手を突っ込んだ。

『ぐっ……!ん?あ………あ?んー……んー、んーんー…ふむ………いや、しかし……んー……?』

頭脳担当の分析力を以てしても、如何せん判断材料が足りな過ぎるみたいだ。兎に角この毛玉は、ヒントを寄越してくれない。

『……ねぇ。わたしも、さわってみようかな…?』

『…スーピー?』

何がこいつの躊躇を取り去り火を付けたのか、尻込み下がってた筈のスーピーも前に出て来て、気を回すビスカも構わず毛玉の中に左手を沈めた。

『おい、スーピー…大丈夫か…?』

『わ…ふわふわ!…あったかい……気持ちいい…!こんな枕、ほしいなぁ…!』

…成る程、そんな発想は無かった。でも枕にしたら、寝返りを打つ度に毛が口に入りそうで嫌じゃないか?どっちかって言えば、敷布団…否、掛け布団?あ、上着にしたらどうだろうか…?マミムの皮とは違う、柔らかく暖かい上着。否、今はそんなことどうでも良いだろ。

『…しかし、こいつは本当に一体何なんだー?いくら触ってもちっとも動かないが、これだけ大きな謎の物体を人が作ったとも想像し難いしー、かと言って自然界に存在する物とはもっと考えづらい…。』

『生きものじゃないなら燃やしたり海に沈めたりしてお片づけしたいんだけど……どうやって動かしたらいいんだろう…?』

『ここまででかいと、手で持ち上げて運ぶっていうのは何人掛かりでも不可能だよな…押して運ぶか……あ、この広場で焚き火をして燃やすか…?』

わしわしわしわし、もふもふもふもふ。

気付けば4人掛かりで取り囲んで弄りながら、何も進展はしないまま。

もしこいつらも皆俺と同じ心理に陥ってるんだとしたら……ちょっと癖になってきてやしないか?

柔らかな肌触り。弄れば弄る程広がる温かみ。

『ふむー…これだけの物を燃やすとなると大きな炎となり危険だし、出来ればやはり海まで運んでから処理したいところだなー。ビスカ……俺は正直、先ほどからずっと一つの考えが浮かんで離れないんだー…。』

『正直』って、妙な言い草だ。少なくともチェスタの中では、余り採用したくない考えなんだろう。

『何だよ…チェスタ?』

『……この仕事を任せるのならば、拾い屋なのではないだろうかー?』

拾い屋?

馴染みの無い職業だ…聞いたことが無い。

スーピーはぽかんと口を開けて分かってなさそうだけど、ビスカはぱちくりと瞬きしながらも息を呑んで、何かを察したみたいだ。

『拾い屋は何を拾うのかー、拾って何をするのか…何にも拘らずー、拾うことこそが仕事だと言っていたではないか。おそらくこのもふもふが何物なのかー、どれだけ大きいのか重いのかも拘らず、拾って持っていってくれるのではないかー?そう…拾い屋とは、収拾界の何でも屋ー…!』

『おい、会ったこともないやつを勝手に決めつけるなよ…。』

成る程。確かに『拾い屋』とだけ言ったら、何を拾うかは名乗ってない。これが例えば『石拾い屋』だったら石を拾うし『塵拾い屋』だったら塵を拾うが、只の『拾い屋』は何を何処まででも拾いに行かなければおかしい。運び屋が何を何処まででも運ぶようにだ。

『ねぇ…拾い屋さんって、どこにいるの?このへんの人じゃないよね?』

スーピーが知らないのなら、やっぱりそうだ。

急激に胸が騒ぐ。これは良い予感だ。

『あー、うん…拾い屋とは、実は俺たちも会ったことは無い。噂を聞いただけなんだー……第21階層にて。』

胸が躍る……チャンスが来た!

良いかミズル…これはお前が齎した賜物なんかじゃないぞ。きっとその筈だ。これはお前を殴りに行く為の…お前の理不尽に打ち勝つ為の、足掛かりなんだから。

『以前ー…ルクスのツテのために、上の階層で聞き込み仕事をした時になー……第21階層の何人かが同じことを言っていたんだ。『拾い屋に、医者を拾ってきてくれって依頼したらどうだ?』と…。』

流石のこの町だとしても冗談だろ?って思いたいような…随分乱暴な提言だ。上階の自由な人々からしたら、下階の医者不足が如何に他人事で対岸の火事で在ったのかがよく分かる。まぁ、あの時は当事者達ですら酷く呑気なもんだったけど…。

『どうやら拾い屋とは最近飛ばされてきた被害者が始めたばかりのー、新しくあやふやで自由な職業らしい…さながら何でも屋のように、なー。求める物を拾い集めたり、邪魔な物を拾い片付けたりー、拾った物を有効活用出来る者に譲ってやったりなど…どうだー?どんな無茶な物でも、拾ってくれそうな気がしないかー?』

する。否、何せそいつは只の『拾い屋』なんだから。この巨大毛玉も拾ってくれなきゃおかしい。そいつに依頼するべきだ。そして…

第21階層まで呼びに行くんなら、適任は俺だ。俺しか居ない!

『どうだろうな…そんな、都合良く解釈してその通りに話を聞いてもらえるのか…?それに仮にそいつがやる気になってくれたとしても、可能かどうかはまた別の問題だし。』

『ねぇ…20も上の階の人が、わざわざここまでおりてきてくれるのかな…?』

ビスカの懸念も、スーピーの憂慮も尤もだ。でもそんなこと此処で話してたって仕様も無い。取り敢えず動き出すべきだ。俺が一走り21階層まで行って拾い屋を呼んで来て、チェスタ達は此処で別の方法も模索しながらこの物体の調査を続ければ良いんじゃないか?きっとそれが良い。それしか考えられない程に…

『……ルクスー。』

はっ、と呼ばれて首を向けると…チェスタはジトっとした目でこっちを見て、まるで呆れてる。

『だから躊躇ったんだー…お前に、この話をすることが。』

…何だそれ。意地悪ってことか?

否、また不用意に俺を上層へ上らせて、面倒事を持って帰って来られたら堪んないのか?

それとも只…気に食わない?何十日経った今も、聞き分け無く足掻く子供のことが。

『しかしもう間もなく日が沈んでしまうー。今から第21階層に行って拾い屋を探して、ここまで来てもらいこの大荷物を運ぶということは非現実的な気がするー……一晩はどうにか様子を見て、明日から動き出そう。どうだろうかー、スーピー?』

『あ…うん。チェスタくんがそう言うなら、わたしもそうする!全然動かないし、危なくはなさそうだもんね。音やにおいもしないなら、一晩くらいおきっぱなしでもいいんじゃないかな?』

確かに二人の言う通りか。今のところは只々邪魔なだけで、緊急性は少ない。

『…ルクスー。お前が期待するものと同じ方法を採用してやろう。ただし余計なことをして、俺たちの平和を脅かすことをするなよ。』

随分な言い草で、心外だ。

俺を平和から連れ去ったこの町で暮らすこいつらが。

否…俺は、連れ去られる前は何処に居たって言うんだ?

外の世界だ……外の世界は、平和だったのか?

そんなことは無い筈だ。外の世界では戦争をしてて、兵士と言う名の殺戮が蔓延ってた筈だから。

でもそれが俺の日常だった筈で、俺の帰るべき場所は其処で、こんな時が止まった町では無かった筈だ。

その筈だ……俺には、俺の当たり前が在ったんだ。

だからって他人の平和を奪って良い理由にはならない。でも別に俺がこの町を脱出することが、こいつらの平和の崩壊を引き起こす訳じゃないだろう?

日常が壊れることが怖いから惰性には触れるなとでも言うつもりか?その惰性が、他人の日常を奪い続ける呪いだったとしても?

…他人事や対岸の火事を顧みないのはどうやら町民性らしく、チェスタ達も例外ではないらしい。淋しいなんて思ったりはしない。只、心外なだけだ。

お前に言われる筋合いなんか無い。

だから…癪だ。希望通りになるんだから、チェスタには感謝をしなくてはならないんだ。


『いってらっしゃい、ルクス。気を付けて…。』

『…あぁ、ありがとう。行ってくる。』

気を付けて、なんて初めて言われた。きっとプリマに取っても第21階層は未知の領域なんだ。未知とは恐れ、気を配らなくてはならない物だ。

でも、未知ってわくわくする物でも在る。つまり未知って可能性だ。悪いことが待ってるかも知れないし、だから良いことが待ってるかも知れない。

特別早く出発した訳じゃない。拾い屋はどうやら第21階層ではそこそこ名が知れてそうだから、聞き込みしたら直ぐに会えるんじゃないかってチェスタが言ってたから。

チェスタとビスカも今頃広場に向かって、毛玉の調査を再開するんだと思う。動物だって可能性も捨て切れないから牧畜屋のルーバーを呼んで、誰かが作った物なんだとしたら毛皮や毛糸を使ってるんだと思われるから素材に詳しい仕立て屋のヴェロアにも見て貰うって言ってた。

階段を上るのはすっかり慣れた。慣れたんだけど……第12階層、第14階層、第15階層、第16階層、第18階層…擦り抜ける度に、むずむず擽ったい。

ダンダリアンが、ゴードルンが、ミルハンデルが、レストラが、ハルルが…直ぐ其処に息衝いてるって知ってるから。

会いたいのかは分かんない。でも、何だか胸が引き寄せられる心地なんだ。

非常に気に食わない。まるで、俺と言う人間がこの辺りに根差してしまったみたいだ…きっと、気の所為だ。その筈だ…。

第18階層は下の階層と大きな変わりは無い。構成はやっぱり住居が中心で…でも一つひとつの土地が少しずつ広く、建物が大きくなって、人も増えてくる。偶に木や煙突も生えてたりして…

俺はもう確信してる。この階段を上ったら、きっともっと人が居る。

一つ階段を上がって、第19階層を踏む。雰囲気は殆ど変わんないけど、一つだけ大きな施設が見える。あれは何だろう?大きいけど簡素で、扉は閉まり人の出入りも無いから、何をする場所なのか想像出来ない。

気になったけど、一歩踏み出したら直ぐ目の前に第20階層への階段が現れて…そのまま上ることにした。だってこの階段が、何だか凄く格好良く見えたもんだから。

この町に、手摺りが付いた階段は案外少ない。でもこの階段の手摺りは曲線的に切り出したしっかりとした木材を使って、丈夫そうだし、掴まり易い。

鮮やかな赤の踏み板も目を引く。側板や手摺りは素朴な木の風合いをしてるけど、その落差が逆に格好良いし、早く此処を上れって呼び掛けられてるみたいだ。

折角だから手摺りに掴まりながら上った。踊り場まで付いてひと曲がりした階段の先には………街が在った。

一目見て、『街』と言う感想が浮かんできたんだ。

此処には店が在る。きっと勿論、金のやり取りなんかやってないんだろうが…外に開かれた家があちこちに在るんだ。第4階層には無かった…大きな窓に物が飾られてたり、其処から物を受け渡せたり、扉が全ての人に向け開け放たれてたりする家々が。

そんな開かれた家々に、気軽に出たり入ったりする人々。中に居る奴と気安く談笑する通りすがりの奴。窓に飾った物を売り込む為に声を張る娘。

街だ。今まで見てきた、牧歌的で長閑な光景なんかじゃない。

寝る為だけの家が雑然と並ぶ住宅街とはまるで違う。港や牧場とも勿論違う…第12階層とも違う。人出は夕刻の第12階層の方が多いが、何かが違う…。

何だか、ばらばらだ。第12階層に出る人々には食事と言う共通の目的が有ったが、此処を彷徨く人々はどうなんだ?ばらばらに見える…。

街往く人々はばらばらに見えるのに、気が狂わずに居られるのは色が統一されてるからだ。この辺はどうやら階段と同じ素朴な木材を基調に…口裏を合わせて、街作りをしてるように見える。敷かれた道だけが鮮やかな赤。窓枠の装飾や軒先に掲げた看板なんかでそれぞれの個性を細やかに主張をしながらも、それなのに不思議と完成された統一感が有る。

ぴかぴかと光が点滅する、大きな窓の家が目を引く。丁度目線の高さにくり抜かれた窓には装飾のつもりなのか色取り取りの毛糸玉が垂らされて…溝色のあいつを思い出す。中には毛糸で編まれた凝った服を着た布の人形達と、これまた色取り取りの小さな果物達が絶妙な調和で配置されてる。芸術的で…意味が分かんない。これは、誰に何の為に何を見せ付けてるんだ?

『……お兄、さーん。』

『…はっ?』

野太い声が落とされて気付く。いつの間にか、大きな影に包まれてる。

振り返ると、其処には大層大きな大男。ダンダリアンよりもっと背が高い。カストルの3倍くらい鍛え上げられた身体をしてる。カストルは仕事をしてる内に必要な筋肉が付いてきた風に見受けられるけど、こいつの身体は…まるで作品だ。彫刻のように、作り上げた物に違い無い。

そしてその身体を包むのは、果物のように色取り取りの薄くて頼り無い布。

『ソロ男子がひやかしてくれるなんて、めずらぁー。そのベリー、かわちーでしょ?昨日収穫したモンの一部なんだけど、丁度この前ワズから仕入れた毛糸と色がピッタンコカンカンバッチシグーだったから、インスピそのままオールで編み上げてジェシーとベッキーに着せて朝イチ飾り上げたってワケ。』

何の話をしてるのか、さっぱり分かんない。知らない単語ばかりだ。俺が田舎者だからか?これが、都会…?

『なー、中にもっと色んなドールとジューシーでめずらなベリーがあるから、見てく?昨日はホーンに収穫を手伝ってもらっちゃったから、ドッサリ豊作ハーヴェストで……拾い屋って、きっとこんな使い方するもんじゃないと思うけど。』

『…拾い屋!?』

渡りに船だ。まさか、ミズルの賜物なんかじゃないだろうな…?

『…ホーンに、なんか用なん?』

大男が、意表を突かれたように軽く呆ける。

拾い屋の名は、ホーン。

『俺、拾い屋に仕事を頼みたくて第4階層から上って来たんだ。何処に行ったらその…ホーンって奴に会えるんだ?』

この家が何の店なのかはよく分かんないが、客だと思ったらこんなことを聞いてきて、この男に取っては期待外れだったと思う。申し訳無いが、俺はめずらなベリーにもかわちーにもドールにも然したる興味は湧かない。

『第…4階層?そりゃまーはるばると…!拾い屋って、もうそんなに有名なんだー…ウラヤマ。ホーンはディンディイのとこで暮らしてるけど、きっともう出掛けちゃったんじゃないか?毎日色んなとこで色んなモン拾ってるから、どこに居るかはわからんよ。』

『ディンディイ…?』

そうか…失敗したな。確かに『拾う』って、外でする仕事だ。早めに来たらホーンが出掛ける前に捕まえることが出来たんだろうか?呼びに来るだけだとか思って、のんびり観光気分で居たのが悪い。これは一応仕事で、第1階層ではきっと今も困ってるのに…。

『ディンディイのとこなら、案内してやろうか?』

取り敢えず、ディンディイに話を聞いてみよう。家族なんだったら、何処に行くかくらい聞いてる筈だ。

『…ごめん、頼む。』

大男はニカッと歯を見せて、俺の前に親指を突き出してきた…多分、快諾してくれてる。

不思議な奴だな…勇ましい体躯をして太い声で強そうな感じなのに、服やこの店の色合いは女が好きそうな感じで、喋り方は今まで何処でも聞いたことが無いような感じで、表情や仕草は只のおっさんって感じだ。

『ちょい待ちちょんちょこ。』

快諾してくれたと思ったのに、大男は薄赤く丸い扉を開けて家の中に消えてしまった。ちょい待ちは…待ってれば良いのか?ちょんちょこって何のことだ?

多少の暇を覚悟して、もう一度大きな窓を眺めてみた。2体の人形…多分、こいつらがジェシーとベッキーだ。赤と、青と、その間を取り持つ紫がグラデーションで染められた毛糸で編まれてる。言われて見れば、一緒に飾られた果物達と良く似た色をしてる。

この、窓枠を縁取る小さな光が点滅する仕組みは何だ…?

『はい。』

また、野太い声に気付かされて振り返る。あっと言う間に戻って来た男が差し出してきたのは、花のように淡い色をした毛糸で編まれた…何だ、これ?

『良かったらコレ、下層階で女子に見せびらかして宣伝してくんね?男子には分からんかもだが、コレはシュシュって言って…髪を結っても良し、腕に嵌めても良し。忘れずに『ナルティのイチゴ屋をよろポコ!』って言ってけれ!ウチも拾い屋みたいに色んな階で噂になりてぇわ〜!』

こいつの名はナルティ…この店は、イチゴ屋?毛糸で編まれた輪っかを見せびらかして、何がどう苺屋の宣伝になるんだ?

『分かった…。』

分かんないけど、分かんなくても問題は無いと思ったから左手を差し出したら、ナルティが手首に嵌めてくれた。これは拾い屋の家へ案内してくれるナルティに対しての礼代わりなんだから、ナルティの気が済むなら構わないや。

女子って…プリマか、スーピーにでも見せびらかしとけば良いかな…?

『じゃ、行こーぜ。』

ナルティがくるっと身を翻して歩き出すから、俺も追い掛ける。

開かれた家。声を張る娘。見せびらかす為のシュシュ……この町には金儲けなんて概念は無い筈なのに、何の為に必要なんだ?

きょろきょろしながら楽しそうに擦れ違う人々も、下層階への宣伝も、目的が見えない。この都会には、合理が見えない。

きっとこの景色の方が、外の世界により近い筈なのに。

何だか心細くて、不安になってきた。飛ばされたばかりの頃は、店が無くて家しか無い下層階の街並みに違和感が働いてたのに、今はこの活気溢れる街並みがしっくり来ない。こんなことは、きっとおかしい。

この景色を焼き付けて、この空気を取り込んで、思い出せ。引き金に指を掛けろ。

自信を持て。きっと俺は今、故郷へ一歩近付いた。


ナルティの店は、きっと第20階層で一番変な店だ。

服の店、野菜の店、パンの店、酒の店…他の家はどれも、何を出してる店なのかが一目で分かるし、一軒につき一つの題材を提示してる。苺屋と名乗って編み物を出すようなちぐはぐなことはしてない。

でもやっぱり目的は見えない。服屋の向かい側に別の服屋、その3軒隣にまた別の服屋が在ったりする。服屋から出て来た客は別の服屋にまた入って物を眺めて…其処から出て来た奴はその隣の装飾屋に入ったりする。一つの服屋で纏めて見せてくれれば良いのに、どうやらわざわざ店主の趣味に合わせて置いてる服の雰囲気とか客層が違うらしい。頼んだ服を、頼んだ通りに頼んだ分だけ仕立ててくれるヴェロアとはまるで違う。

ナルティが教えてくれたことだけど、装飾屋って店もいまいち理解出来無い。下層階ではアクセサリーらしいアクセサリーを着けてる奴は余り見ない。居たとしても日除け序での帽子だったり、プリマみたいに髪を縛る紐に玉をぶら下げてたりとか、その程度で。第12階層を超えた辺りから、ビエッタの頭の花飾りやハルルの髪に絡むリボンみたいな物も見るようになったけど…装飾屋なんて仕事は初めて見たし、この階を行き交う人々が纏うアクセサリーは、大きな木の輪やビーズが連なった首飾りや、ひらひらしたレースやリボンの頭飾り…特に役には立たず意味が無いってだけじゃなくて、邪魔になりそうで寧ろ生活に支障を来さないかと思う。

この階層で4軒目の野菜屋を左に曲がる。此処は大小色取り取り、形も千差万別なかぼちゃばかりをぎゅうぎゅうに並べてる。さっき通り過ぎた、橙色の農作物ばかり扱う野菜屋にも、かぼちゃは置いてあったのに。

細くて急な階段を上ったから、此処は第21階層だ。雰囲気はかなり似てるけど、開かれてない…店っぽくない家が少しだけ増えて、通路は緑色になった。

緩やかにカーブする外周に沿って進む。まだ太陽は昇りの道すがら、白い光を撒き散らして海面は遠く煌めいてる。

『この辺から見える海、よいちょじゃね?低層階と違って海の香りはだいぶと薄いんだろうが…コレはコレでよきよきでしょー。』

俺はこの町の景色の中ならって話だけど、海と夕べが結構好きだ。だから…

『…うん。良いと思う。』

何を言ってるのかよく分かんないけど、きっと返事はこれで合ってる筈だ。ナルティは嬉しそうに笑ってくれた。

『ふはっ。話分かる〜!…さ、此処がディンディイの…ディンディイと、ホーンの家だよ。』

カーブした通路の途中、海へ向かって突き出した場所が在る。まるで丸い島のようなバルコニーに、この町にしては少し大きめの丸い小屋。

日当たりと風通しが良くて気持ち良さそうな場所なのに、周りには金属の板と、大きくて素っ気の無い金属の箱が幾つか並べられててのんびりは出来そうに無い。風車が一つ、風に煽られくるくる回る様だけは風情が有るが。

『ディンディイ〜。』

ゴンゴンッと鈍く、ナルティが扉をノックする。扉には小さな窓が付いてて、ナルティは其処から中を覗いて確認すると、返事を待たずに開けて入った。良いんだろうか?チェスタの嫌味な怒り方と、ビスカの真っ赤な慌て振りが思い起こされる。

『イロオトコ〜…おまいさんのお客だから、話聞いてやってちょんちょん。』

扉から、真っ直ぐ見える部屋の奥…壁とそれに沿って建て付けられた机の上には、何種類もの計器、それからメモのような張り紙。其処には一人の男が座ってる。首が隠れる真っ白なシャツと、輝く色の髪が眩しい。

金ではない、黄色だ。花のような黄色。

ディンディイは机に向かいながら何やら手元でペンを動かしてる。気付いてないか無視されてるんじゃないかと思ったが、ナルティが黙って待つから俺も待つ。

『………うん、良し。待たせて済まない。』

忙しそうにガリガリ動かした手が急にビタッと止まって、ディンディイは椅子ごと回転して振り返った。さらさらと真っ直ぐな、でも上の方だけ少し跳ねた黄髪が揺れる。

『ぜんぜんおけまる〜。それがおまいの仕事だかんな……でも俺はもう戻ってもおけ?せっかく電球点けてるのに誰も店に居なうし、そろそろペダル漕がなきゃ切れちまうし〜!』

『そうか…其れは勿体無いな。後は構わず行くと良い。客人を案内してくれて、本当に有難う。』

何の話をしてるのかさっぱり分かんない。ディンディイは理解してるみたいだ……変な奴だったけど、忙しいのに此処まで案内してくれたんだからナルティには感謝しか無い。

『ありがとう、ナルティ。』

『どいたま!今度はウチのイチゴちゃんたちもゆっくり見てってけろ。宣伝、よろしくな…イカイカアームボーイ!』

いかいかアーム…?

ナルティは最後まで意味不明な言葉を並べながら別れの合図に大きく腕を振って、豪快に扉を閉めた。

丸い部屋には、色男と二人きりだ。

『ははっ…!イカイカアームとは、今日もナルティの言葉は独創的で心掴まれるなぁ。』

ディンディイはニコニコと楽しそうに笑ってる…確かに、女が好きそうな顔だ。清涼感の有るルートリーや鋭いトロイメラみたいなキリッとした感じとは少し違う。大人で男なのに、何だか甘くて優しそうなんだ。

『お前…あれが何て言ってるのか、意味が分かるのか?』

話し掛けて、初めて目が合わされる。大人の癖にやけに澄んで真っ直ぐだから、俺の気は少しだけ遅れる…。

『否、全く理解は出来て居ない。だが恐らく君の其の重厚な右腕を好意的に評した言葉だと思う。彼は個性を何よりも尊重し愛する嗜好を持つからな。』

確かにあいつは個性が好きそうだ。他人の評価を気にする奴なんて、他人に評価を付けてくる奴なんて下らないとか思ってそうで…これにも少しだけ負い目を感じるのは、何故なんだろう。

『さて。見ない顔の様だが、俺に一体何の用事だろうか?電気に関する話かな?』

『………電気?』

おい……お前まで知らない言葉を使うなよ!

電気って何だ?これは自信が有る。記憶を失う前にも聞いたことの無い言葉だ。頭の何処にも引っ掛からなくて、神経を行使する気にすらなれない。

『あの、俺…拾い屋に仕事を頼みたくて来たんだ。此処に住んでるって聞いたんだけど。』

『…ん?ホーンか!此れは失礼。』

ディンディイは自らの早合点も爽やかに笑い飛ばす。顔が良いだけじゃない…良識を感じる。だからこそ気になる、イカイカアームよりも見当が付かない言葉。

電気って、何なんだ?

『此の町での俺はすっかり電気屋な物だから…態々やって来る見ない顔等全て電気が目当てなのだと思って仕舞ってさ……しかし、拾い屋も名が売れたのだな。君、此の辺りの階層の者では無いんだろう?ナルティに案内されないと俺達の家が分からないだなんて。』

どうやら電気とはディンディイの仕事のことで…こいつらはこの近辺では名の知れた奴ららしい。そして、こいつももしかして…

『今、外の世界では失った肢体は其の様に処置をするのが一般的なのかい?』

……嗚呼。そう言えばルートリーか誰かも言ってたな…こんな腕は、外の世界でも見たことが無いって。

『…ごめん。俺、重症だから…外の世界でどうなのかは分かんない。最近飛ばされて来たばかりだし、気が付いたらこうだったから、何も話せないんだ。』

ディンディイは軽く呆けた後、再び爽やかに微笑む。哀れみなのか、どうでも良いのか。

『…そうか。君は、ホーンと同じなのだな。』

これは唐突で、意外で、聞きたくなかったかも知れない言葉だ。

そりゃ、そんなことも有るか。拾い屋は被害者だってことは、チェスタから聞いて既に知ってた。

『……拾い屋。』

『嗚呼、直に帰って来るさ。彼女も重症だったんだ。只…一つだけ分かった事が有ってね。だから君も諦めずに過ごして居れば、何かヒントが見付かるかも知れない。頑張れ。』

『は?はぁ…。』

少しだけ緊張してきた。

医者ごっこの仕事でミルハンデルやハルルと話してから、そう言えば今まで一度も見えたことの無かった自分以外の重症者と出会うことが怖かった。

もしもハルルが言うように、ミルハンデルがそうしたようにあっさりとこの町の暮らしを受け入れることを空っぽの記憶が助けてくれるんだとしたら…俺のこの足掻きって何なんだ?俺の悲しみと焦燥の正体って何なんだ?

……知るのが、怖い。

『…気を悪くしただろうか?済まない。未知は既知に上書きして置かないと気が済まない性分なんだ。何せ俺は外の世界では、大学にて摂理と言う摂理を追究して過ごして居たのさ。』

『摂理?』

やっぱりこいつも、外から飛ばされて来た被害者だったんだ。『この町ではすっかり』なんて言い回しもそうだし、ちょっと勿体振って小難しい喋り方も被害者っぽい。

『摂理とは、摂理の事さ。神が定めた、此の世の理に就いて…自然の事、生物の事…未だ人知の至らぬ『超常』とされる事さえ。エネルギーも、そんな超常的領域に跨る話では在るね。』

『エネルギー…?』

こんなところで『神』と言う言葉が出てくるなんて思わなかった。『摂理』も知らない言葉だったけど、『超常』も『エネルギー』も良く分かんない。折角ナルティの独特な単語の数々から解放されたのに、入れ違いで結局首を捻ってる。

『ふ…はは。君には、心が躍るなぁ。』

『は?』

三度微笑むディンディイからはいつの間にか、本心を暈した大人の爽やかさの奥に、無邪気さが垣間見える。

『否、重ね重ね失礼を済まない。未知を既知に上書きして置きたいのは性分なんだ。如何やら君の無知も上書きするしか無い。』

ん?この感覚は久し振りかも知れない…

うっかりスイッチを踏んでしまったら、もう止まらない…そうだ、レストラだ。

ディンディイの真っ直ぐな瞳が輝き出す。

『良いかい、エネルギーとは元々…』

拾い屋が…ホーンが戻るのはいつだ?

『ディンディイ…否、ホーン!否ッ……ディンディイイイイイイッ!!』

望んだ途端に時が進み出すのは偶々だ。だってこの声は拾い屋じゃない。酷く喧しい…男の声だから。

『おや、ニレイ…早いな。今、ホーンは出掛けて居るし先客が来て居るんだ。悪いが少し待って…』

『客…?』

ディンディイと似た、でももう少し薄い黄色の髪。年も同じくらいなんじゃないか?多分ビエッタとかルートリーとかレストラに近い。

但しこの、扉を開けるや否やの圧力は凄まじい。年はきっと同じくらいの筈なのに、こいつには『大人』と言う感想は浮かばない。

『……君は。』

『は…?』

ディンディイよりも少し短くディンディイよりも大胆に跳ねた髪を揺らし、ニレイはムッと微かに口を曲げた。

何と無く嫌な感じがしなかったのは、拗ねてるみたいで…子供っぽかったからだと思う。

『君は見ない顔だな。電気を求めてやって来たのか?』

『え…?否、俺は…』

『確かに電気の実用は革命と言えるが、エネルギーとは其れを利用し何を成すかだ。詰まり電気の恩恵に与るには何より道具の存在が肝要と言う事…詰まりだッ!君の望みを叶えるには此の天才ニレイの発明が不可欠で在ろう!』

お前もか!電気とエネルギーと…あとはもう、聞き取ることすら出来ない!こいつら良い加減にしろよ!

何なんだ…この階層に来てから、頭が痛くなるようなことばっかりだ!

欲しいと思ってた筈なのに…刺激が与えられたら、記憶が呼び起こされるかも知れないって思ったのに、これ程の単語を浴びせられて何故何も思い出されないんだ?

『ニレイ、彼の目当ては電気では無く拾い屋らしい。今ホーンには一つ仕事を依頼して居て…昨日話した不具合が第22階層のF号の蓄電装置にも見付かったそうだから、朝一で拾いに行かせてるんだ。寄り道して無ければ、そろそろ戻る筈なんだが。』

チクデン装置って言うのも、もしかして電気に関係有る物か?低層階では見たことも聞いたことも無い物なのに…第20階層以上では、電気って当たり前に何かの役に立つ存在なのか?拾い屋も、天才ニレイも関わってる話みたいだ。

『む…む?そうか…其れは、失礼したな…君!』

ニレイは漸く勢いを和らげて、序でに放ちっ放しだった扉をバタン!と豪快に閉じた。そして白い歯を見せながら…差し出すのは、右手。

もう流石にどうすれば良いかは分かってる。でも、ニレイにはまだ見えてない。

『俺は7年前に此の町に舞い降りた天才、ニレイ・ドル・ブラハだ…宜しく!君の名は?』

ニレイ…ドル…ブラハ…?まさか、名前が3つも有る奴が出て来るなんて。

こいつも被害者なのか。自分から天才だなんて名乗って、随分不遜で大した自信だ。それでもやっぱり嫌じゃないのは笑顔で、子供みたいで、害が無さそうだから。

『ニレイ…其の、如何にも君好みの先端に気付かないのかい?』

ディンディイが後ろから助け舟を出してくれると、ニレイの目線は確かめるように下に下がって行って…直ぐに、固まった。

それはそれは、固まった。今までだって驚かれたことは何度も有ったが、こんなにも時が止まるのは初めてだ。

そんなにおかしいか。まぁ確かに奇異には違い無いが、おたまなんて言う意図不明な物が無くなった分、少しは疑問が減ったんじゃないかとも思うんだけど…。

『…ニレイ?彼は、如何やら重症者らしく…』

ディンディイがまた助けてくれようとすると

『君……君。君ィ…ィイイイッ!!』

ニレイは勢い良く跪き、下ろしたままの俺の右腕に縋った。

『何だ此の腕は…君は腕を切断して居るのか?だからと言って何故此の様な処置を施す必要が?必要等如何でも良い。こんなにも重い金属を、吊り下げもせずに如何やって直接肉体に取り付けて居る?とても重厚で質の高い金属だ…合金では在ると思うが、配合は何だ?こんな輝きは見た事が無い…む!此の先端…何か更にパーツを装着して居たのか?さては道具や、武器や、或いはまさか…』

うっかりスイッチを踏んでしまったら、もう止まらない。でも、こいつのスイッチは一体何なんだ?何故こんな役立たずの腕に、こんなにも目を輝かせるんだ?確かにこの腕はとても重いけどどんな金属が材料かなんて考えたことがなかったし、どうやって身体にくっ付いてるなんてことも気にしてなかった。

『おやおや…ん?あ、ホーン。お帰り。』

ニレイはブツブツと途切れること無く呟きながら夢中で錘のような腕をべたべた摩って気付かない。さっき豪快に閉められた扉は今度はそろりとゆっくり開かれて…小さな女が、滑り込むように静かに入って来たんだ。

『あ……ん?』

入りながら跪くニレイとそれが縋り付く先の俺に気付いて、小さく唸りながらも不審なのか言葉は直ぐに出て来ない。

プリマと…否、スーピーと同じくらいの年の筈だ。プリマよりは、少しだけ年上に見える。でも背はプリマより更に小さい。

鍔の狭い帽子に、白いアクセサリーを添えて何だか洒落てる。その帽子から覗く髪は…見たことが有る。一番見たことの有る色だ。何だっけな…これも花だ。あの花みたいな、紫色…

こいつが、拾い屋…やっと出会えたけど、思ってた感じとはちょっと違うな。

『ホーン、お帰り。喜べ。君の友達だ。』

『はっ?』

『ん…?』

いつの間にそんなことになってるのか分かんないし、それがこの事態の説明よりも収拾よりも真っ先に言うことか?

ディンディイはとても楽しそうにニコニコしてる。何故かは知らないが。

『良いじゃないか。似た境遇の者が2人揃えば、其奴等はもう友達だ。彼女が拾い屋のホーンさ。ホーン、彼は……ん?そう言えば、俺達も未だ自己紹介を交わして居なかったんじゃないか。』

嗚呼、その通りだ。そんな暇なんか無かった。俺は此処に来る前からナルティにディンディイの名は聞いてたし、お互いに名前なんかよりももっと気になることが先だったんだから。

『俺はディンディイ・ゲハイムファル。仕事は…いつの間にか電気屋と言う事に成って居る。此の家を拠点として電気を研究し、人々に電気の恩恵を広く分け与える事が生業と言った所だね。』

此処になって気付いたことだけど、ディンディイは自己紹介になっても席を立って手の平を交わすなんてことは決してせず、座ったままちらちらと計器を確認しながら話してる。忙しそうに針が振れたり呼吸のように目盛りが上下するあいつらも、きっと電気屋の仕事に不可欠な物なんだ。

『…俺は、ルクス。本当の名前は分かんない。今は第4階層に住んで、何でも屋をしてて…何でも屋の仕事を手伝って欲しくて、拾い屋を呼びに来たんだ。』

『ん…?』

『第4階層…?其れはまた、随分下から…!』

『……何でも屋?』

ホーンは何かに小さく唸り、ディンディイは俺が上ってきた階段の数に小さく驚き…ニレイは、何でも屋と言う職業に触れて夢中の眼差しを中断した。

『何でも屋とは、初めて聞く職業だ…此の町は本当に面白いなぁ。ニレイは知って居るのかい?』

チェスタ達が医者探しで歩き回った時の噂でも流れたのかも知れないって想像したけど、ニレイはどうにも歯切れ悪く首を捻った。

『否…3、4年前に何処かで噂を聞いた気がするのだが……そんなに下の階だったか…?まぁ、記憶違いか…若しくは偶然他所で別人が同じ職業を名乗る事も有り触れた茶飯事か…。』

チェスタは自分達の仕事を画期的と自負し、名乗ったもん勝ちだと自認し、ずっとビスカと二人でやって来たって言ってた。プリマも、何でも屋なんてチェスタ達しか居ないかも知れないって言ってた。

4年前にはもうチェスタ達は何でも屋を始めてたと思うから、やっぱり噂が間違ってたか、ニレイの記憶違いなんじゃないかとは思うけど…ニレイが言うように、何処かに偶々同じ仕事の奴が居ても不思議な話じゃないと思う。

でも、もしそうだったらチェスタは…どう思うんだろうか?良くは思わないんじゃないかって、気はするけど…。

『へぇ…俺は5年間此の町に暮らして初めて聞いたなぁ。是非、宜しくお願いしたいね。きっと…何でもやってくれるんだろう?拾い屋が、依頼されたら何でも何処迄でも拾いに行く様に。』

『…あぁ…そうだ。』

ディンディイに返事をしながら、ホーンの方を眼差してしまった。やっぱり拾い屋は、何でも拾ってくれるんだ。こんな小さな女が、何でも何処まででも…?

『ん…?』

俺の疑念に圧されたのか、ホーンは小さく唸る。そう言えばこいつ、まだ一言も言葉を発してないんじゃないか?今のところ表情も乏しくて、人間性がちっとも見えて来ない。

『…ルクス。ホーンはたった8ヶ月程前に飛ばされて来たばかりで、俺が拾い名付け、其の儘此の家に住まわせて居る。全ての記憶は疎か…恐らく町に飛ばされた際に言葉も失ってしまったみたいなんだ。何と無く分かる様に成ると思うから、気にせず付き合ってやってくれ。』

多分、皆同じ頃合いに同じ気付き方をするんだ。ディンディイはまるで俺に芽生えた違和感の跡を追うように慣れた素振りで微笑んだ。

『…あぁ。よろしく。』

『ん…。』

ホーンはほんの少しだけ目を細め、ほんの少しだけ口角を上げた…ような気がする。分かり難さはプリマと良い勝負なんじゃないか?こいつも悪い奴じゃ無さそうだから、一層惜しまれる。

言葉を失うだなんて、考えたことも無い。恐ろしい。

それに、後ろめたい。こいつは俺より多くの大切な物を奪われて、俺より可哀想な筈なのに、前を向いて電気なんて訳の分かんない物に関わって、拾い屋を営んでる。

やっぱり、出会いたく無かった。

『ホーン、彼も重症らしい。重症の先輩として、良くしてやってくれ。』

は?何だそれ?

『ん…。』

ホーンは多分柔らかいので在ろう表情のまま、こくりと行儀良く頷いた。

先輩って確か、先に始めてた奴みたいな意味だったと思うんだよな…何に於いても。先輩の反対は、何て言ったか…?

先輩は、後から来た奴に優しくしなくちゃならない物なのか?何故だ?

『良し…では、そろそろ良いかな?ニレイ。彼等も、俺達も、此の町の為に働かなくては。』

ディンディイが三度目に漕ぎ出した助け舟は、何だか無性に気に食わない言い草。

確かに、俺は第1階層の人々の為に早く拾い屋を連れて帰らなきゃならない。それが仕事だ。でも俺達は皆等しく被害者なのに、俺達から色んな物を奪った理不尽なこの町の為に働くだなんて言い方は…癪だ。

『む…!チッ…良くは無いが、一先ずは許してやらなくも無い。君ッ!』

何でも屋に軽く言及した以外の時間、ニレイはひたすらこの腕に付いた鉄塊を観察しながらメモを記してた。それは別に良いけど、何でお前に許しを貰わなくちゃならないのか?

『次は必ず外した先端を持参する様に。留め具も忘れるなよ!』

『は…?』

先端…?おたまのことか…?

『後は…そうだな。どんな機能、どんな姿の腕が良いかを考えて置いてくれ。道具は、使用する者の希望に寄り添わなければ何の意味も無いからな。』

『はっ!?』

何を言ってるんだ、こいつは?

『そう言う訳で、手隙の際に付き合ってやってくれ。時間は掛かると思うから、手隙の際にね。』

ディンディイまで、何を言ってるんだ!?

『む…求める性能次第だが、時間は然程掛からないぞ!規格は詳細に観察し記録して、仕様も既に見当が付いて居るからな!』

まさかとは思うが…新しく作ろうとしてる?この腕の先を…!

何故だ?いつからそんな話になった?

『発明屋は素晴らしい仕事だが、天才は自らの発明欲とでも呼ぶべき探究心にこそ基づき行動を決めるそうだ。だから酷く使い勝手は悪いが、一度やる気を出してくれされすれば、必ず何か良い物が出来上がるよ。ビジネスパートナーの俺が保証しよう…だから、手隙の際にね。』

勝手だ!煩い奴って、漏れ無く勝手な生き物なのか?

発明屋って、ニレイの仕事のことか?発明って何だ?何かを作ることなんだろうか…?

『パートナー…?勘違いするなよ。貴様は俺のライバルだ!俺の方が必ず、此の町の人々の役に立つ物を生み出す!』

何故かは知らないが、どうやらニレイはディンディイのことを敵視してるみたいだ。仕事の仲間なんじゃないのか?

『電気と発明が何を如何擦れ違えば敵手に成るのやら……まぁ良いや、君は相変わらずだな。ホーン、昨日迄の収集物は倉庫に収納済みかい?』

『ん。』

『蓄電装置は外に置いたかな?昨日と同じだから、ニレイに渡して置いてくれ。』

『ん。』

ホーンは逐一こくりと頷きながら小さく唸る。何処と無く得意気に見えるのは何故だろう。

『ニレイはどうせまたお前の収集物から宝探しする為に依頼に来たんだと思うが…どうせ急ぎでは無いだろう?勝手に漁らせるかい?それとも、ルクスの依頼が片付いてからにするか?』

『おいどうせとは何だ貴様!』

『ん…んーん。んー。』

ホーンはツンと口を結んで、一つだけ首を横に振った。

『だそうだよ。』

何が『だそう』なんだ?さっぱり分かんない。

『分かって居る!しかし其の分、先日依頼されたシステムの完成も遅れると言う事を承知しろよ。』

何で分かるんだ?本当に俺もその内、何と無く分かるようになるんだろうか…?

『…まぁ良いさ。今は蓄電装置の修正が先決だから。宜しく頼むよ、天才様。』

『むっ…!ふふふふふふ…!』

ディンディイに噛み付かんばかりだったニレイの表情が、急にニヤニヤと綻び出す。こいつのスイッチが良く分かんない。ディンディイのことが嫌いなのか、好きなのかも…。

『じゃあ、ホーンを宜しく…ルクス。』

『は…?』

ディンディイはディンディイで、いつからかずっと嬉しそうにニコニコしやがって、訳が分かんない。

よろしくって…俺がホーンに仕事を頼みに来たんだから、こっちの台詞だと思うんだけど。

『此の町での暮らしはホーンが先輩の様だが、年は如何やら君の方が上に見える。人生の先輩として、ホーンに良くしてやってくれ。ホーンの保護者として、宜しくお願いするよ。』

ディンディイがそう言って…俺も、ホーンも小さくはっとした。

成る程…人生の先輩とか、そんな考え方はしたことが無かった。先輩は、後から来た奴に優しくしなくちゃならない。そう考えると先輩って何だか損な気もするな。でも、お互い様か…。

保護者って、何だ?保護した者ってことか?じゃあ…俺の保護者はプリマ?何かが違う気もする…。

『…ん。』

ホーンは改めて小さく頭を下げた。悪い奴じゃなさそうだから…それだけが救いだ。

『ん。』

ホーンは一度ディンディイにしっかりと目を合わせた後、俺を誘うようにちらりと目を合わせて、それから窓の付いた扉を開けた。

『行ってらっしゃい、ホーン。』

自分も仕事に戻るらしいディンディイが、椅子を回転させながら笑みを湛えてそう声を掛ける様子が…

全然似てない筈なのにプリマに見えて、何処からか『家族』と言う言葉が浮かんで来る。

プリマはあんなにニコニコ笑わない筈だけど…。

いつの間にかニレイが消えてると思ったら、家を出て直ぐ壁際に一つ打ち捨てられてた金属の箱を眺めて弄ってた。バルコニーに並べられた他の箱達に良く似てるけど、これだけ色が違う。

『む…ホーン。片が付いたら俺の作業場迄声を掛けてくれよ。お前の戦利品を見せて欲しい。ディンディイの理論を叶えるには、如何にもあと一欠片の発想の転換が…』

『ん…。』

ホーンは返事と思しき浅い唸り声を上げながら、ニレイが見る箱の隣に打ち捨てられてた大きな籠を拾い上げた。その籠には、なんと2本の紐が輪になって生えてて…ホーンはそれを、ひょいと背負い込んだ。

何だそれ…?物凄い便利そうじゃないか。目から鱗だ。これなら片手が使い物にならない俺でも、どんな物でも沢山持ち運べそうだ。

欲しい……!

『君…ルクスッ!必ずまた来るんだぞッ!先端を忘れずに!』

歩き始めようとしたら、背後から念を押される。振り返ると、ニレイはにんまりと笑って…目を輝かせてる。子供のように。

『………ん。』

何て言ったら良いか分かんなくて、取り敢えず声だけ上げたら…ホーンみたいになってしまった気がして、何だか気恥ずかしい。

ニレイも、ホーンも、ディンディイも…悪い奴じゃない。多分良い奴そうなのに、今まで出会った誰とも違う。こいつらが変な奴らなのか、第21階層が都会だから違うのかは、まだ分かんないけど。

『どんな機能、どんな姿の腕が良いか』なんて、考えたことも無かった。俺は右腕に、どんな性能を求めるんだろう。

…性能なんて、どうでも良いよ。只…皆と同じ物で、俺は良いのに。

鏡の中の左手と、同じ物が有れば…それだけで…。

でも俺は知ってる。否、覚えてる。

それが一番の我儘だって事を。

だからきっと、今まで一度も言って来なかった。

でも、あいつは天才らしいから…

道具は使用する者の希望に寄り添わなければ意味が無いって言ってたんだから、言うだけ言ってみようかな…?


ホーンの帰りを待った時間と、仕事と関係無いことを話し込んだ時間。

少し押してる気がする。気は逸るけど、駆け足で下りることは出来ない…俺達は、二人だから。

ホーンにはこれからわざわざ幾重もの階段を下って、仕事をして貰うんだ。そもそも何と無くのんびりしてそうな奴だし、急がせるのは気が咎める。

それにしても…ダラダラとし過ぎてやしないか?

『……ん!』

まただ…また立ち止まって、数歩先へ駆け出して、蹲んで、今度は何を拾ってる…?

家を出て歩き出した直後から屢々こんな調子で、目の詰まった籠の中身が今如何程なのかは見えないが、もう結構な塵…否、戦利品が入ってる筈だ。スーピーが見たら、『お片付けしてくれてありがとう!』とか言ってくれるんじゃないか?

ホーンの普段の行動範囲がどの辺りなのか知らないけど、きっとあんまり下層へは来たことが無いんじゃないかと思う。階段を越えれば越える程、下に進む程…目を輝かせて足元ばかり気にして、立ち止まる頻度は増してゆくから。

『んっ!んっんっ!』

またホーンが駆け出す。第9階層の道端に唐突に落ちてたのは、黒くてギザギザの金属。もしかして農具か工具か何かが、取っ手から外れて落ちて忘れ去られた物なんじゃないか。

当然ホーンは拾う。あんなの、何の役に立つって言うんだ…?

あと8つの階段を下るのに、どれくらいの時間が掛かるんだろうか…?嫌な予感がする。山道に入ったら…きっと酷くなる気がするんだ。

『…なぁ。その籠、何処で手に入るんだ?』

ちょっとでもホーンの気が逸れるかと思って、気になってたことを聞いてみたけど

『ん…?んん……んーんー…んっ!んん。』

何を言ってるか分かる訳が無いし、唸る間にもホーンは足元への注視を欠かさなくて、何かを見付けた途端にこちらは構わず我を忘れる。

不安になってきた…そもそもこの籠に、あの巨大毛玉が入る筈が無い。頭脳担当の当ては嵌まるのだろうか?俺のこの仕事に、果たして意味の花は開くのだろうか?つまりはホーンに、あの溝色の毛の生えた家を拾うことが可能なのか…?

不安になるのは、期待が外れたからだ。第21階層まで行けることになって、何かの切っ掛けになるかも知れないって何処か浮ついてたのに、街並みにはしっくり来なくて、文化の違いに付いて行けなくて、難しい言葉に頭は弾けそうになって、気付けば出掛ける前よりも何かを失くした気すらする。

別に希望が潰えた訳じゃ無い。まだまだ町は上に伸びてるし、そもそも20階層や21階層だって全然じっくり探索出来てない。でも、じゃあ…この虚無感は、一体何処から襲って来てるって言うんだ?

……ホーンは、恨むに恨めない。必要以上に多くの物を奪われて尚、ディンディイの笑顔を浴びながらこんなに無邪気に、楽しそうに拾い屋を全うするホーンのことは。

だから遣る瀬無い。俺はこれから一体、何に縋って動けば良いんだろうか?

一つ、階段を下りる。憂鬱だ。あともう一つ階段を下りたら、第7階層。

山が近付く…!


昨日と同じ山道から下るのは仕方が無い。直接広場の入り口に繋がってるから、結局これが一番の近道なんだ。

見下ろすと、毛玉の周りにはチェスタとビスカの他にも数人集まってるみたいで、何だか騒がしい。何をしてるんだ…?

『む…ルクスー!随分遅いじゃないか!さては寝坊か寄り道か…もしくは、両方をしたかー?』

目を凝らしながら近付く過程で、急に顔を上げたチェスタと目が合った。心外だ。確かに俺は全てを無駄無くこなせた訳じゃない。でも、此処まで遅くなってしまったのは…

『…ん?ルクス…拾い屋は、連れて来られなかったのかー…?』

『は…?』

振り返ると、後ろには誰も居ない……とか思ったら、草木に霞む程の奥から、のんびりとホーンが歩いて来る。

『おい…ホーン!』

お前が、山道に入った途端に3歩歩く度に石だの枝だの木の実だの拾い捲るから、俺は余分に窘められてるんだぞ…!

『…彼女が、拾い屋…かー…?』

チェスタも、こういう感じの奴が来るとは予想してなかったみたいだ。ゆっくりと向かって来るホーンを眺めながら呆けてる。

『チェスタくんーっ!ビスカくんーっ!』

更に振り返れば、反対側からスーピーが歩いて来る。急ごうとして小走りだけど…とても疲れてそうだ。笑顔を浮かべる余裕すら無いらしい。

『スーピー…お疲れ。流石掃除屋だな…助かったよ。』

『ううん…これは、わたしのお仕事だから……でも、しつこかったよぉおお!』

ビスカに労われると、顔を覆って蹲み込む…こんなスーピーは初めて見る。普段だったら『全然大丈夫!』とか言って明るく笑いそうなのに。

『一体、どんな酷いことが有ったんだ…?』

『む…実はだなー、大きな事実が発覚して…はー…』

チェスタが大きな溜息で調子を整えながら、うんざりした様子で語り始めようとしたら…

のこのこやって来たホーンが、漸く俺に追い付いて

後から思うなら、俺達が立ったこの場所が丁度こいつの『目』の前…つまり『鼻』の前だったってことだと思う。

ゴウッ!

と、空気が震える音がして……

誰も何も動けない。何が起きたか、理解が追い付かないから。

只、尖った何かがホーンを襲った。

『ホーン…っ!?』

鋭い何かが二叉に分かれて、ホーンの頭を挟む。否…喰い千切る。

『んっ…?』

本人も何が起きたか分かって無さそうな、呑気な唸り声で気付かされる。頭じゃない。持って行かれたのは、帽子だ。

髪よりも一層濃い紫色の帽子が、白いアクセサリーごと飲み込まれる。

『…まずくないか?』

『あー…まずい!窒息するぞ!』

ビスカとチェスタは何の話をしてるんだ?今、誰が無事で誰が危ないんだ?

全部がほんの一瞬の出来事で、行動を起こす暇なんて片時たりとも無かった。そんな密度の濃い一瞬は

ブッ!

と言う、力強い癖に何故か間抜けにも聞こえる愉快な破裂音が終わりを告げた。

『あ……吐いた。』

終了の後先ず、声を上げたのはビスカ。綺麗な放物線を描いて、何かがべちゃっ!と地面に落ちる。

濃い紫色の、ぐちゃぐちゃの…多分、帽子。

『…一先ず、危急は去ったかー…?』

ぽつぽつと、皆が口を開き出す。

『えっと……ホーン、ちゃん…?だいじょうぶ…?』

わなわなと震えるホーンは、スーピーに声を掛けられると、堰を切ったように…

『あ………んんんん…んんんっ!んんんんーっ!!んんー!!んんんんー!!』

咆哮……否、慟哭だ。哭いている。

『んんんっ!んんんんーっ!!ん!んっんっ、んーっ!!』

『あっ…よせよ!また襲われるぞ!』

ホーンは毛玉に掴み掛かろうとして、ビスカに制止される。多分、抗議しようとしてる。あの帽子が…そんなに大切な物だったのか?ホーンには悪いけど、そんなことより…

『…なぁ、整理がしたい。何がどういうことなのか、一つも理解出来無い。』

チェスタがゆっくり頷く。広場に集まる他の奴らもそれぞれ顔を見合わせる。ビスカとスーピーと、周りの家の住人っぽい年寄り達と、それから牧畜屋のルーバー。

『今の騒ぎで、俺達にも新しい事実が提示されたー…恐らくこの件は、拾い屋の手を借りるような種類の仕事ではない。整理をしながら、状況を共有しようー。』

拾い屋の仕事じゃない…?嘘だろう?

この俺の遣り場の無い虚無感も、ホーンが新たに奪われた大事な物も、全部意味が無くなったってことなのか…?


広場の真ん中…巨大毛玉の周りでは、牧畜屋のルーバーが中心になって出来得る限りの調査を進めながらの様子見が続けられてて

俺達は、外周に沿って並ぶベンチの一つに腰掛ける。ビスカ、チェスタ、俺。それから打ち震えるホーンと、それを慰めるスーピー。

『端的に判明した事実から発表しようー。あれは、どうやら生き物のようだー……そして、今の騒ぎも含めたこれまでの情報から察するにー、鳥ということで間違いないらしい。』

……あれが、鳥?そんなの、脅威で在り怪異だ。

つまり、あの尖った二叉は開かれた嘴?信じられない……かと言って、あれが生き物じゃないって言われたって信じられないんだから、どうしたら良いか分かんない。何に付けてもあのでかさが、全ての理解を奪ってゆくから。

『しかしまだまだ謎ばかりでな……俺とビスカは今朝から広場で調査を続けていたのだがー、兎にも角にもびくともしないんだ。どんな刺激や衝撃を加えてもー、道具を使って押して運ぼうとしてみても……そのうち、朝の仕事を終えたルーバーとヴェロアがやって来てなー…。』

ルーバーとヴェロアの知恵を借りるとは、昨日から言ってた話だ。生き物なんだったらルーバーが、誰かが何かの毛皮を使って作った物ならヴェロアが、ヒントを見付けてくれるんじゃないかって思ってたけど。

『流石は専門家の二人でー、俺たちでは気付けなかったことを見付けてくれた。ルーバーは『ほんの微かに、呼吸のような規則的な揺れを感じる。』と言いー、ヴェロアは『この細かく温かな毛は、毛皮と言うより鳥の羽毛に似ている。』と表した。プロが示した二つの見解を受けー、次の手をどうしようか話し合おうとしたところで……酷いことが起こった。落とし物をされたのだー!危うく、引っ掛けられるところだった…!』

思い返すだけで余程恐ろしいらしく、チェスタは頭を抱えて俄かに乱れ、多分無事を噛み締めてる。

『落とし物…?』

『……糞だよ、糞。真っ白な液体に包まれた、黒い塊…鳥の糞も、これだけでかいやつのモノなら、あんなに臭くて大量なんだな…。』

チェスタの代わりに答えてくれたビスカも何処か遠い目で呆けて、それが逆に当時の混乱の凄惨さを物語るようだ。

少し理解出来た。スーピーは掃除屋として、その落とし物の片付けをしてくれたんだ。鳥の糞って、スーピーをあんな顔にさせる程しつこいんだな…気を付けよう。

『糞の特徴から言っても、あいつは鳥で間違い無さそうなんだけど…呼吸をして、糞もして、生きてるのに…なんでちっとも動かないし丸まって顔も出さないんだってところが全然分からなくてさ。少なくとも昨日の朝からは何も食べてないだろうし、体の大きさの割には呼吸が浅いから弱ってるんじゃないかってルーバーが言うから…木の実とか、魚とか、ルーバーの牧場で使ってる飼料とか、目の前に置いてみたんだよ。でもやっぱり動かない。腹、減ってると思うんだけどな…。』

あんなに大きな体で、丸一日以上何も食べてなくて…もしかして、弱り過ぎて動くことが出来ないんじゃないか?でも目の前に食べ物が置かれたなら、這ってでも口を運ぼうと踠きそうなもんだけど…食べなきゃ、死ぬんだぞ?

『……ルーバー曰くー、あいつの好物は俺たちの想像が付かないような、何か変わった物なんじゃないかとー。いつも口にしている決まった餌以外には全く興味を示さない、警戒心の強い種族なのではないかということだー。』

平静を取り戻したチェスタが顔を上げる。

鳥が食べる物なんて、山の鳥は木の実、海の鳥は魚、あとは……ハルルの所に来る鳥は何でも食べるって言ってたけど、あいつは違うみたいだな…

……ん?

『…まさか、あいつの好物は、ホーンの帽子ってことか?』

そんなに頑なに微動だにしなかった奴が、ホーンが目の前に立った途端に、嘴を広げて、帽子だけを掠め取って……

『いや…違うんじゃないかー?あいつは帽子を吐き出した…だから、分からないんだー。何が目的で、帽子を口に含んだのかー…?』

確かに、帽子を食べたかった訳じゃ無さそうだ。それに、不思議だ…身体を丸めて、顔を出してなかったんだから…帽子を目で見て見付けた訳じゃない。体のどの器官を使って、何を感知して、食べ物でもない帽子なんかを口にしたんだ…?

『……ん。んうぅ…うっうっ!』

突然ホーンが、恰も悲痛な声を上げて呻き出す。巨大鳥に喰まれぐちゃぐちゃになった帽子を握り締めながら。

『ホーンちゃん……だいじょうぶだよ。このお帽子丈夫そうだし、ていねいに洗って乾かしたらきっと元どおりに……』

『んんんっ!んんんーっ!んんんんんっ!!』

スーピーが笑顔で優しく宥めても、ホーンの悲しみは治らない。確かにスーピーが言う通り、何処も破れたりはしてなさそうだし、洗濯すればまた使えるようになりそうだけど…。

『…なんでそんなに悲しいの?どうしてなにも教えてくれないの…?』

スーピーが溢す憤りで気付く。こいつら、ホーンのことをまだ何も知らないじゃないか。

『あ…こいつ、言葉が喋れないらしいんだ。重症過ぎて、言葉まで失くしたって…。』

『えっ…!』

『…そんな重症はー、初めて聞いたな…!』

『そんなやつに、わざわざ来てもらったってのに…。』

この町でずっと暮らす3人の口々の反応で改めて実感する。やっぱりホーンは可哀想な奴なんだ。俺なんかよりももっとずっと。

『ご、ごめんね…しゃべれないだなんて、思わなくて…。』

『んんん…。』

謝るスーピーに、ホーンは慣れたように落ち着いて首を横に一振りした後…

『んん、んっ!!んんっ!んぉ……んおおおおーっ…!!』

ぐちゃぐちゃの帽子を俺達に見せ付けながら、勝手に思い極まったのかまた雄叫びを上げて泣き出した。

『…コミュニケーションの壁はー、それはそれとして、兎に角帽子を喰われかけたことが許せないんだなー……しかし、元通りになるのだからそんなに怒らなくても』

『んんんっ!!んんんんんんーっ!!』

ホーンはチェスタを向いて、激昂するが如く激しく首を横に振る。

―ふざけるな!お前はなんにも分かっちゃいない!!―

とでも言ってるかのようだ…。

『はっ…?何だー…?俺は、何か悪いことを言ってしまったのかー?』

『…もしかして、何か失くなってるのか?帽子に何か付けてたとか…』

本当は俺が一番に気付かなきゃならなかった筈なのに…

ビスカの閃きで、俺も漸く気付く。何で今まで分かんなかったんだ…ホーンが、何よりも大切にしてた物は…

『白いアクセサリーが無くなってる。鍔の辺りに付けてた、軽い石みたいな物で出来た奴……あの毛玉は、白い石を食べたくてホーンの帽子を奪ったんだ!』

『……んっ。んんん…!』

―やっと気付いたのか…遅過ぎるよ!―

とでも言いたそうに、恨めしそうにこちらをジトリと睨み付けながら、ホーンはまだ目を滲ませ続けてる。

『アクセサリー…?あいつが、その小さなアクセサリーだけ飲み込んじまったっていうのか?』

小さなって言っても、子供の拳くらいの大きさは有った…それでも、あの大きな体の餌にしては豆粒以下の価値だと思うけど。何かはよく分かんないけど、恐らく抽象的な物を象った美しい意匠で、ピンか何かで留めてたんだと思う。

『そのアクセサリーが、あの鳥の好物だと言うのかー?一体、材料は何だと言うのだ?人工物が鳥の好物だなんてー、流石に考えられない!何か天然の素材が…』

『んんっ!んん!んん!んんーっ!!』

ホーンは何やら、素材にも拘りが有ったのかも知れない。泣きながら必死に訴えるけど…

『……何言ってるのか、分からないな…。』

『……ごめんね…ホーンちゃん…。』

言葉って不便だ。伝えたいことは常に一人ひとりの心の中に在る筈なのに、同じ生き物の筈なのに…言葉を発する口と言葉を受け取る耳と言葉を理解する頭…分かり合う為には、用意しなくちゃならない物が多くないか?

…でも、そう言えば不思議だ。ホーンが言葉を交わす為に足りない物って何なんだ?ホーンはこっちの言うことに反応して、ディンディイの指示にも返事をしてて、言葉を受け取る耳と理解する頭は持ってる。うんうん唸って、声が出せないって訳でも無さそうだ。ディンディイはまるで、記憶と一緒に言葉もミズルに奪われたかのような言い方をしてたけど…今一つ腑に落ちない気もする。

『……んんん…んん…!』

イガイガとした地鳴りのような唸り声で気付く。ホーンがまた、こちらを睨み付けてる。多分、俺に対してこそ苛立ってる。

俺は皆よりほんの僅かに早くホーンと出会って、皆よりほんの僅かに長くホーンと過ごした。アクセサリーが帽子にくっ付いてたことだって始めから分かってて、失くなったことにも誰より早く気付けた筈だ。

ホーンのアクセサリーの正体に迫ってあの鳥を動かすにも、ホーンが失った物を慰めるにも、俺こそがホーンと向き合うことが必要なんだ。

『……帰ろう、ホーン。』

『えっ…!』

『…まー、確かに拾い屋には、無駄足を運ばせてしまったなー…。』

スーピーは驚き、チェスタは申し訳無さそうに肩を落とすけど

『ん…。』

ホーンはまだ目を潤ませつつも、力強くはっきりと頷く。言葉で語らずとも、俺の考えを察してくれてる。

『俺、ホーンを家まで送るよ。ホーンには家族が居るんだ。そいつに聞いたら、きっとアクセサリーの素材が何だったのか分かると思う。それを集めて、あの毛玉の餌にしたら…あいつを何処かに動かすことも出来るだろ?』

ディンディイにあの白い石の正体を教えて貰って、それを俺が沢山用意して、一つをホーンに…残りを全部、あの毛玉に差し出す!

『ふむー…確かにその情報は、是非とも有った方が良いなー。ルクスには言う通りにさせて、俺たちは調査を続けながらー、餌を用意出来た後の作戦も練っておくこととしよう!』

決まりだ!

ビスカが頷く。スーピーは、ホーンの肩に軽く触れながら申し訳無さそうに…

『…ホーンちゃん、わたしたちのために来てくれてありがとう。こんなことになっちゃってごめんね…。』

『…んーん…。』

ホーンはゆっくりと首を横に一振りする。そしてスーピーの手を包み返してから、ひょいと立ち上がって

『んっ!』

スーピーの前に、親指を突き出した。

『……あ、ありがとう。』

そうだ。多分、全然気にするなって言って、許してくれてる。

『ホーン…俺からも、謝らせてくれー。何でも拾ってくれるという拾い屋ならば、この巨大な物体も何処かへ持って行ってくれるのではないかと思い立ったのは俺なんだー……こんなことになるとは思わず…すまなかったー…。』

『んんっ、んっ!』

ホーンはチェスタの前にも親指を突き上げて、序でに何も言われる前に背伸びしてビスカの前にも親指を見せ付けておいた。

『ん…んっ。』

ホーンは俺を誘うようにちらりと目を合わせた後、山道に向けて歩き出す。

『…ありがとう、ホーンちゃん!またね…!』

『あー…また、いつかー!』

『ありがとうな、ホーン!』

歩きながら、3人に向けて大きく手を振って……前に向き直ったホーンの目からは、また大きな一雫が、思い出したかのように

今度は静かに、悲しみを弔うみたいに溢れてた。

『………ごめん。ありがとう、ホーン…。』

ありがとう。あいつらに気を遣って、親指を突き出してくれて…。

『………ん……ん!』

伏せた目が急に見開かれる。ぴたっと歩みを止めた後に、数歩駆け出して……蹲んで、何かを拾ってる。

……やっぱりこいつが何を考えてるのか、俺にはまだ分かんない。さっき通って来たばかりの道を戻るだけなのに、何を新しく見付けたって言うんだよ?

ホーンが立ち上がるのを待つほんの一瞬に、広場の方を振り返ってみたら…俺達の様子を見詰めて不思議そうに呆けるスーピーと目が合ってしまった。


元来た道を戻るだけなんだから、流石に行き道よりは時間を掛けずに越えられたと思う。それでもホーンは何が気になるのか何度も立ち止まって、背中の籠に拾得物を放り込みながら随分のんびり進んだ訳だけれども。

離れ小島みたいな丸い家に着いた頃には、なんともう太陽は傾き始めて、日差しは徐々に眩しい力強さを増してきてる。

ホーンは背中の籠を扉の脇に打ち捨てて、部屋に入って行った。後ろに続きながら横目で中身を窺ってみたけど…細かい何かがこんもり詰まってて、まるで塵箱にしか見えない。

『…んー……お帰り、ホーン。もう直ぐ一区切り付くから、弁当でも取って来てくれたなら助かる…。』

ディンディイはまた、目盛りと睨めっこしながら何かをガリガリ記録してる。振り返らずに、だから俺も一緒に戻って来てるって気付いてない。

ホーンはナルティがそうしたみたいに立ったまま黙って待つから、俺もそうする。ディンディイの仕事は邪魔してはならないというのが、電気屋を知る者の暗黙の了解みたいだ。

『………うーん、まぁ良いか…?ホーン…如何したんだい?動かずに……ん?ルクス…?』

椅子ごと回転して振り返ったディンディイは俺を見付けて目を丸くして

『んっ!んっんっ!んん!んんんーっ……んぉおおっ…!』

『はっ…!?ホーン、何だ?何が有った…?』

それを合図に堰を切ったホーンの様子に更に目を開いた。

『帽子が随分濡れて居るし、骨が無くなって仕舞って居るじゃないか…!』

喚くホーンにぐちゃぐちゃの帽子を見せ付けられ、ディンディイは一目で異変を理解した。

『骨…?』

『嗚呼…此の帽子に付けて居たアクセサリーさ。骨を削って加工した物で…第22階層のパルテムが制作してくれたんだ。『飛翔と帰巣』がテーマで、翼と愛をモチーフに構想した意匠だそうだよ。』

あのよく分かんないデザインに、そんな壮大なテーマが込められてたのか?この町に閉じ込められた被害者で在るホーンに帰巣がテーマだなんて、当て付けがましくて笑わせてくれる。否、そんなことより…

『ディンディイは、あのアクセサリーの材料を知ってるのか?』

『え…うん。或る日ホーンが持ち帰って来て嬉しそうに見せびらかす物だから…加工して常に身に付けられるアクセサリーにしたら如何か、と勧めたのは俺なんだよ。ルクス…一体何が有ったんだい?』

俺はディンディイに、一連の経緯を全部説明した。

どうやらこいつは凄く賢いみたいだから…何か思わぬ知恵を貰えるんじゃないかって、ちょっと思ったんだ。

全てを聞き終えたディンディイは…うずっ、と一震えしてから

『成る程…其れは随分おも……っ、ゴホン。深刻な事態だ。力に成れるならば、是非そうしたい所だけどね…。』

こいつ…今、『面白い』って言いそうじゃなかったか?

『俺は外では摂理と言う摂理を研究して来たと言ったが…生物と言う分野も、神が与え給うた大切な課題の一つだ。巨大生物…非常に興味が湧くし、俺が此の目で見て力に成れる様な事が無いとも限らない。しかし、此の町での俺は電気屋……電気は未だ研究段階で不安定な事も多く、不測の事態に備え俺は此の家を離れる事が難しいんだ。実に惜しいな…。』

惜しいって言ったぞ…本当に真面目に考えてくれてるのかよ?

『だが、其の鳥の好物は恐らく人骨で間違い無いだろうね。日頃食する餌以外には嗅覚が反応せず、顔を伏せて目も塞いで居たから他の物には見向きもしなかったんだろうなぁ…触れても動かないのは何故だか見当が付かないが、確かに弱っては居るのだろうな。此処は絶海の孤島。此の島に辿り着く迄にも長旅を経ただろうし、戦争の無い此の町では人は滅多に死なず死体処理も迅速で、人骨の拾い食いは困難を極めるだろうからね……此の町から脱出し外の世界へ帰れなければ其奴の飢えは解消されないし、飢えが満たされ体力が回復されなければまた外の世界へ羽ばたく事は難しいだろう。』

ずっと謎だったことの幾つかを、ディンディイが推測で解明してくれた気がする。でも話が全然頭に入って来ない。だって…

『待ってくれよ。人骨って…何だよ?』

『ん…?そんな事も忘れて仕舞ったのかい?人骨とは…』

『違うだろ!何で只の骨じゃなくて、人の骨なんだよ?』

『え…嗚呼。そりゃあ、彼のアクセサリーの材料が、人骨だからさ。』

ディンディイが何の屈託も無く笑みを湛えると

『んんっ!』

ホーンは得意気に腕を腰に当てて、にんまりと鼻を鳴らした。

何だこいつら…意味が分かんないぞ!こんな町で、何で道端に人の骨が落ちてるんだよ?それを喜んで拾って帰る奴も、そんなに気に入ったならアクセサリーにしたらとか勧める奴も、その提案を受け入れる奴も…気持ち悪い!知らない奴の、死体の一部なんだぞ…!

『彼れは、人間の腸骨の辺りで間違い無いね。割れては居たが見事な深さと大きさで…恐らく生前は骨太で立派な男性だったんじゃないだろうか?其処で判明したんだが、ホーンもその怪鳥と同じで、何故だか人骨の収集に情熱を掻き立てられるらしいんだ。此の様に町の暮らしの何が何時何の様に作用して己が呼び起こされるか分かった物では無い。君も希望を捨てずに日々を全力で生きろよ。』

何だその纏め方は!?言われなくたって、俺は奪われた物を取り戻す為に毎日全力で生きてる!…否、そんなこと今はどうでも良いだろ!

『…まぁ、実際人骨だけで食い繋ぐ事は、幾ら人が死ぬ外の世界でも不可能だろう。広く骨…若しくは屍骸全体を食する事が出来るんじゃないかと思うんだが、きっと其の溝色の家は偏食…否、美食なんだろうな。健啖に暴飲暴食の限りを尽くし肥え果てた末に人骨の味を知り他を口に出来無くなって行ったのだとしたら…丸で食に踊らされて居るな。同情したい。』

確かにそんな風に言われたら哀れに聞こえるけど…可哀想と言うよりは、馬鹿だ。贅沢にも、生きる目的を忘れてやしないか。

……生きる目的って、何だ?

生きる為に食べるのか?美味い物を食べる為に生きるのか…?

『兎に角人以外の骨には興味が無い筈だ。砕いた家畜の骨を使用して居るで在ろう飼料に、目もくれないのだろう?』

家畜の餌って、家畜の骨を使ってるのか?何だか嫌だな…それも今はどうでも良いか。

人骨なんて…予想外だ。あの巨大な体の餌になる程の量を、どうやって集める?ホーンの為にも、腸骨とやらを一つ余らせてやらなくちゃならないのに…。

『…抑々君達、其の溝色の巨大毛玉を如何処理する積もりなんだい?』

『は?処理…?』

『処理』って、どんな意味なのか余り深く考えずに使ってた言葉なのかも知れない。だって、処理と言われて何故今胸がざわつくのか、上手く説明が出来ない。

でも、何と無くハルルのことが頭に浮かんでる。

…そう言えば、ハルルの葬送方法ならば、人骨が余るんじゃないか?あの時は勘が働かなかったけど、葬送の舞台で在る広場のあちこちで山にされてた白い物は、もしかして…

『処理とは、処置と言い換えても良い。如何様に決着を付けるのかと聞いて居るんだよ。先程言った通り、其の巨大鳥が再び大空に羽ばたき此の町を後にする事は難しいと思うよ。俺達に其処迄助ける義理も無いし。皆で飼育し愛玩する様な理由も場所も無いだろう?此の町は食肉が不足気味だから最終的には捌いて弁当屋に流すか干し肉にでもして備蓄するのが最も大勢の利益に成ると思うんだが。』

『はっ…?』

あいつを…食べる?

そんなこと、考えてもみなかった。

何故か勝手に思ってた。何であいつがいきなりあんな場所に舞い降りたのかは分かんないけど…多分、不本意なんじゃないかって。

あいつも自分の居るべき場所に帰りたいんじゃないかって、勝手に思ってた。

『ん…?何か、変な事を言ったかな?』

『……否…。』

ディンディイは、誰かの境遇と自分の不遇を重ねて、感傷的になることは無いんだろうか。

ディンディイは……自分の居るべき場所に帰りたいって、思わないんだろうか?

『低層階にも食肉・採卵用の鳥を扱う牧場は有ると思うが、大きな鳥を捌くには人手と技術の面で苦労を要するのでは無いかな?羽毛と言う貴重な素材も採集したら利益が有るし、もし運搬方法と経路を確保出来るので在れば、専門家で在る鳥飼屋に依頼する事をお勧めするけどね…上階の方がより一層の肉不足だし。』

一度生まれ、芽吹き、燃え盛った筈の物が消えることは、到底容易な話じゃなくて…あれだけ巨大な命なんだったら、尚更だ。ルーバーに聞いてみなけりゃ、分かんないけど。

『何方にせよ、人骨を餌に誘い動かして運ぶ必要が有るかな。此の町の人々は遺骨に全く思い入れが無いみたいだから、寄越せと言ったらくれるだろう。第18階層のハルルは知って居るかい?』

しれっと飛び出す、ハルルの名前。

『…あぁ。一度会ったことが有る。俺も、ハルルのことが頭に浮かんでたところだったんだ。』

『そうか、ならば話が早い。此の時間ならば未だ如何にか話を聞いてくれるかな?…ホーンは、如何する?行くのかい?』

何だ。ディンディイもホーンも、ハルルの所に人骨が積み上がってることを知ってたのかよ。それなら、あんなに泣いて怒らなくても良いんじゃないか…?

『んー……んっ!んんっ、んんっ!』

部屋の真ん中に有るテーブルで肘を突いてたホーンは…どういう意味だか、ギュッと眉間を寄せて一呼吸渋った後で、決意を固めたように立ち上がった。

もう直ぐ太陽は沈み出す…ホーンを連れて行ったら面倒そうな予感がするけど、仕方が無いか。ホーンの損失は他ならぬ溝色の、つまりは俺達の依頼の所為なんだから。

『ルクス。そう言う訳だから、良ければまたホーンと共に行ってやってくれ。宜しく頼むよ。』

『あぁ…。』

『んっ。』

ホーンは付いて来いとばかりに目線で合図して、扉を放つ。斜めに差す西日はまた少しばかり輝きを増してる気がする。

『ルクス。』

部屋と外の境界を踏む頃、ホーンはいつの間にか塵を片付け空っぽにしてた籠を背負おうとして、ディンディイは俺を呼び止めた。

『またな、ルクス。』

意味が分かんない。ディンディイとまた会う理由が、思い当たらないから。ホーンに迷惑を掛けて、拾い屋に頼むような仕事じゃないことが判明して、毛玉の好物の正体も判ったのに…。

『……うん。』

まぁ、良いか。同じ町の住人同士なんだから。会う理由も思い当たらなければ、二度と会わない理由なんてもっと見当たらない。

そっと扉を閉めたら、ホーンはもう路に乗り出して誘うようにこっちを見詰めながら待ち構えてた。

チェスタ達は今頃どうしてるだろうか。何か良い作戦は思い付けたんだろうか…?でもきっと何にせよあの鳥の餌で在る人骨は必要な筈だから、ディンディイの話と共に持ち帰って策の足しにしてやらなくちゃならない。

……あの毛玉は、もう二度と外の世界へ羽ばたくことは叶わない。

あいつは何でこんな島に…こんな町に降り立ってしまったんだろう。好物も食えない、ちっぽけな島に…まるで殺される為みたいに。

助ける義理が見付からないことが、助からない理由に当たるなんて……何だか……

当然だ。


ホーンに付いて行く格好で歩きながら気付いた。ハルルの広場とディンディイ達の家は同じ方角に建ってる。海を向けば、太陽は右手に帰ろうとしてる。つまりは南側だ。

だから手近な階段を3つ降りるだけ。こんな近くに大好きな骨が山積みになってるって言うのに、ホーンは何故あんなに憤慨し慟哭することが出来るんだ?まさか『飛翔と帰巣』のデザインがそんなに気に入ってたのか…?

牢獄のように重く冷たく聳える鉄柵。透けて見える向こうの世界にリボンが絡む桃色の髪を探そうとしたら、先に見つけたのは…

『…ビエッタ!』

時を閉じ込めたような精巧な造花に彩られた、下の方だけくるくる波打つ長い髪。

『……ルクス?ルクスじゃないか!会いたかった…是非一言、礼を伝えたかったんだ。』

広場の真ん中でぼーっと空を見詰めてた癖に、俺を見付けたら駆け寄って来て、鉄柵越しに心做しか僅かに語気が弾んでる。こいつのことを、俺は余り良く知らないけど…こんなビエッタは初めて見たかも知れない。

『そんな、礼を言われる程のことはしてない…。』

『否、お前のお陰だ。お前のお陰で私は漸く仕事と言える仕事に有り付く事が出来た。』

別にビエッタは、働かずに怠けて暮らしてたって訳じゃ無い。只、自分の生業を胸を張って仕事だと言えなかっただけだ。

『動物を仕留めることにこそ長け、捌くことも出来る狩人』なんて、野生動物の居ないこの町に居る筈が無いし、ミルハンデルみたいに都合良く飛ばされて来るなんてことも有り得ないと思ってた。

でも依頼をされた以上は…見付けたら紹介するって約束した以上は、やれることだけはやろうって思ったから。だからプリマとダンダリアンの酒場に行ったあの日、俺はダンダリアンに、客の中に狩人が居ないか聞いてみたんだ。

そしたらダンダリアンは嬉しそうに…『どうせもう直ぐやって来る、無愛想な小娘にやらせてやれ』って言うから。

働かざる者食うべからずと言うこの町で、名前、そして兵士と言う職以外何も持たずに来てしまったビエッタには戦うことしか、『殺すこと』しか思い浮かばなかった。でも争いも脅威も無い町だから、縁に座って偶に舞い降りる渡り鳥を仕留めるくらいしか思い付かなかった。

意義有る仕事だって言えなくは無い。この町は肉不足らしいから。でも徒な行為だって言えなくも無い。だって効率が悪くて、虚しいから。

『此処で働き始めてから、毎日に張り合いが出た気がする。人に求められ武器を振るうと言うのは、きっと久し振りで…何だか昂るんだ。ハルルとも…まぁ、上手くやって居る。』

『そうか…?じゃあ、良かった。』

ハルルと気が合うのかは、少し心配だった。ハルルは変わった奴だし、記憶が無い被害者を妬んで煩かったから。まぁ、ハルルだってわざわざ俺に依頼してまで募集した狩人なんだから、無闇に嫌味に遇うことはしないか?

『んっ!』

恐らく痺れを切らしたのか、ホーンが軽く声を上げる。ビエッタは目を丸くするから、きっとこの二人は初対面なんだ。

『ん…?死出の始発点には、随分珍しい小さな客だな…ルクスの友人なのか…?』

ビエッタが呆けた隙の背後から

『拾い屋…ヒサシブリー。ヤクソク破って、ナニしに来たのー…?』

高い音で、戯けた調子。何処かふざけた、でも笑えない態度。この広場の主…

『ハルル…。』

『…何でも屋も、ヒサシブリー。重症者がもうスグ店仕舞いの夕刻にフタリも揃ってナンの用?』

嫌味だ。相変わらず死んだ目は不敵な笑顔を構成するけど、俺達重症者を羨み妬んでるのかと思うと圧が生まれて…少し痛く感じる。

『拾い屋…?ハルルの知り合いなのか。では門を開けるから、中に…』

『アー、待った待った!…イイ機会だからビエッタには教えておく。コイツはホネを拾いたがるダケの酔狂者なの!アンマリホネ狂いなモンだから…入場制限シてるのサ!アノ山がイッパイになるマデは入れナイで!』

ハルルはうんざりしたように声を荒らげて、広場の隅に寄せられた骨の塊を指差す。前回散々意図不明な質問を浴びせて俺の頭に渦を巻かせた奴のこんな様子は、何だか意外だ。

指差す先の骨は山程の量とは言えず、人一人分にも満たないように見える。反対端にも何箇所か骨が集められてるけど、そっちは前回同様積み上がってて、山と呼んでも良いくらいだと思う。

『え…余って居るのだから、くれてやれば良いんじゃあ無いか?』

『ダメ。ポリシーに反する。』

『ポリシー…?』

『コイツは放っといたら好きなダケホネを持ち帰って、ジブンの倉庫に積み上げとくダケなんだヨ!ソレじゃ遺骨を持ち帰って墓にシマう、外の世界の信神者とオンナジで不毛でショ!アノホネは日用品やアクセサリーを作る材料とシて道具屋や細工屋にオロすから!』

『…余ってるのに…。』

成る程、何と無く納得した。ハルルは死体の全てを余す事無く有効活用したいんだ…人が生かして人が殺す、家畜のように。倉庫に溜めてホーンが悦に入るだけじゃ、活用とは言い難いんだろう。

『マダ一ヵ月クライしか経ってナイし、サイキンはヒマでバーサン一人が死んだダケだし…アトは前回の残りが積んで有るダケだケド?ソレトモ、理詰めのイロオトコでも死んだ?』

ハルルの仕事って、そんなに暇なのか…?この町ってそんなに人が死なないんだな。折角ビエッタを紹介してやったのに、こいつらは一ヵ月間此処で何をして過ごしてたんだ?

一ヵ月以内に死んだ婆さんって、もしかしてユトピのボケ婆さんじゃないだろうな…?

『ん、んんん…!』

ハルルの嫌味に、ホーンは唸ることしか出来無いけど……

『…ハハッ、相変わらず、ナニ言ってるかワカンナイー…。』

心乱された仕返しみたいに、調子を取り戻しながら不敵に薄ら笑うハルル。

多分…ハルルに取ってホーンは、この町で一番気に入ることの出来無い存在だ。記憶を奪われ飛ばされ、記憶に捉われずに拾い屋なんてあやふやで自由な仕事でこの町に溶け込んで、理由も分からず資源で在る死体の一部を愛でて。

『んんー…。』

ホーンが何処か苦々しそうなのも、何だか意外な様子だ。『飛翔と帰巣』を失った悲しみの中でもチェスタ達に親指を立てられる程、優しい奴だから。

『ハルル…ホーンは欲張って来た訳じゃ無い。俺がした依頼の所為で、帽子に付けてた骨のアクセサリーが失くなっちゃったんだ。それを作り直す分だけ、ホーンに分けてやって欲しい。』

こいつら、きっとズレてるんだ。だから俺が繋いでやった方が良い。俺はそれぞれの良さを、少しずつだけど知ってるから…。

『ハ…ナニソレー?ナニをどーシたら、何でも屋と拾い屋がそんなコトに?』

『ハルル…入れてやって話を聞いた方が良いんじゃ無いか?第4階層のルクスが態々此処までやって来て居るんだ…何か重大な事態なんじゃ無いだろうか?』

ビエッタがこっちに加勢してくれると

『ム…オマエ、ソンナ下から来てたワケー…?』

ハルルは怪訝そうに眉を顰めながら、鉄門の閂を引き抜いてスタスタと広場の真ん中へ踵を返した。背中が、渋々招き入れてくれてる。

ビエッタが体重を掛けて重い門を引き隙間が開くと、ホーンは一目散に小走りして、さっきハルルが指差した山と呼べない山に飛び付き漁り始めた。ハルルはそれを見遣って、頭を押さえて溜息を一つ…あんなに嫌味を言われて窘められたのに、よくもこんなに夢中で自分の嗜好を最優先出来るな。

『一つダケだからナッ!アッ…コラ!勝手に仕分けるナ…!』

ハルルはまたすっかりホーンに調子を持って行かれてカリカリしてる…俺の話を聞いてくれる余地は、残ってるのか…?

『なぁ…実は、俺にも骨を分けて欲しいんだ。一つじゃなくて、なるべく多めに…』

『ハッ!?重症者のアイダじゃあ、骨拾いがハヤッてるってワケ?』

ハルルは顔を思い切り歪めて不愉快を示すけど

『ハルル…ルクスの事だ。さては何でも屋の仕事に関する話なんじゃ無いか?何か人の為に成る用途ならば活用と言えるし、お前も吝かでは無いだろう?』

ビエッタがまた助けてくれる。こんなことになるんだったら、こいつをハルルに紹介して本当に良かった。

『ムムム…チッ!ナニに使うの?ドノ位アゲられるかはコッチで判断するから、要件をカンケツに!』

やっぱりハルルはムシャクシャしてる。確かに、簡潔に正直に話すことが肝要そうだ。

俺は昨日何が有ったか、今日何が起きたかをなるべく手短に、分かり易く説明したつもりだ。突如現れた鳥が家と呼べるくらいに巨大なこと。何をしてもびくともしなかった癖にホーンの小さなアクセサリーに反応して襲って来たこと。

『……は?ハァ…?』

努力はしたけど、一度逆立てられたハルルの心はやっぱり怪訝だ。

『トリのエサァ…?ムム……ソレ、本当なの?ナンなのそのトリ…ミズルにトばされたワケじゃ有るまいし…ハァ。』

ミズルに飛ばされた…?成る程、言われてみればそんな風にも見えなくも無い。昨日まで居なかったのに或る朝いきなり広場のど真ん中で行き倒れてるなんて、まるで被害者みたいだ。

でも、それは有り得ないんじゃないか?マミム以外に獣が居ないまま百年以上平和に続いて来たこの島にわざわざあんな化け物染みた鳥を取り込んだところで、ミズルに然したる利益が有るとは思わない。幾ら肉不足と言われてても、差し迫ってひもじい奴が居る訳じゃ無い。

『本当なんだったら、ショーがナイケド。ソッチの山の方がフルいから、ソコから勝手にスキなダケ持ってイッて……カゴとかフクロとか余ってナイから、貸さナイケド!』

ハルルは苛立ちを当て付けるように空っぽの俺の手元を睨み付けた。

籠、と言われて思わずホーンを見直して、目が合ってしまう。『一つだけ』と釘を刺されて吟味の真っ最中らしく、その背中の大きな籠の中にはまだ何も入ってない。

…ホーンに聞いても埒が明かないならば、さっきディンディイに聞いておけば良かったな…この背負い籠が、何処で手に入る物なのか。

『…ビエッタ。』

此処まで来たら、序でに助けてはくれないか?

『えっ!?悪いが私は、今は狩りの道具も此処に置きっ放しで、毎日手ぶらで通って居るから貸せる物は何も無い…其れを借りたら不味いのか?』

『……ん?』

ビエッタは申し訳無さそうに肩を竦めながら小さな背中に寄り添う空っぽの籠を指差して、ホーンはまた微かに振り返る。

『拾い屋…オマエドーセ、今日はモー帰って寝るダケでショ。そのカゴ、一晩ダケ何でも屋に預けてっタラ?』

『ん…んんん〜っ!?』

ホーンは明ら様に拒否を示した。両腕で籠ごと背を庇って、後退る。

『オマエ…拾うコトとホネに関してダケはホンットーにワガママだなッ!ドーセ此処からは一つダケしか持って行かせナイんだから今日はもう使わナイだろ!明日の朝イチバンに返却させたら問題ナイッ!』

『えっ…!』

それはそれで面倒だな…この骨を持ち帰っての巨大鳥の反応とチェスタ達が立てた作戦次第では、明日の予定がどうなるかまだ見通しが付かないし…

『……んんんー…。』

恐らく、拾い屋に背負い籠は無くてはならない商売道具なんだ。小さな身体で数歩歩けば何かを拾い上げるようなホーンに、片手を塞ぐような鞄は似合わない。

『オマエ…下にオリて、コマったヤツらをソノ目で見て来たんだろ?一晩ダケ、カゴくらい貸してやれないワケ!?』

『………んん、ん。』

でもきっと『困った奴ら』と言われて、ホーンの中の正義感が疼いてる。渋々と目を伏せながら取り敢えず背から下ろして、いじいじと籠の目をなぞって悩み抜いた後

『…………ん。』

切なそうに、山になった古い骨の前に籠を供して、合図するように俺を一瞥してから自分の物にする骨の選別に戻って行った。

『…あ、ありがとう。』

ホーンは変な奴なだけで、良い奴なんだ。どんなに善良な人間にだって、他人に迷惑さえ掛けなければ、自分の信念を優先する権利が有る。なのに籠を貸してくれたんだから、礼を言うべきだし…明日早起きをしてでも、ちゃんと借りた物を返しに行くべきだ。

『ハーッ!ジャ、サッサと必要なブンを拾って帰ってくれる?ワタシは夜がダイっキライだから、仕事がナイならサッサと寝てヒノデと共に目覚めタイの!』

ハルルはフンッと鼻を鳴らして俺達に圧を当ててから、隅に建つ小屋へ消えて行った。主が消えた代わりに、侘しい広場にはビエッタが、戸惑いながらも気不味い空気を取り持つように繕い切れない表情で見守ってくれる。

ハルルが夜を嫌う事情は見当が付かないが、どうやら俺とは違う理由みたいだ。

俺も、夜は嫌いだ。

夜が来たら、朝も来るから。

夜が降りたら、明日も連れて来てしまうからだ。磔の時の中で、何も進まず、故郷へ一歩も近付けずに…何も新しいことを思い出せずに終わってしまう一日には、臭い布団の中で瞼を閉じることが怖い。

否…今日みたいに、少しだけ近付いたような気になる日が一番怖い。地に足が付いてないみたいに、ふわふわするんだ。

何処に在るのかもまだ分かんないんだから、本当に近付いてるのかどうかも分かんないんだよ。

進む方向が、正しいのかどうかも分かんないんだ。もしも、間違ってたら?逆方向を辿ってしまってたらどうする…?

逆向きに闇雲に我武者羅に走って走って走って、疲れて、動けなくなって……時が流れて、いつか死んでしまうんじゃないかとか…

きっと、俺の記憶は愛しい筈なのに。必ず取り戻さなくてはならない、そんな自覚だけは有るのに。

俺の記憶は、俺の人生は、俺のことを見捨ててしまったんじゃないかとか

夜の闇が、瞼の裏の闇が、得体の知れない不安だけを後押しするんだ。


これって一体、何人分の骨なんだろうか。きっと何人もの死が、少しずつ集まり大量になって、ずっしりと重たい。

ホーンに籠を借りて、俺は取り敢えず入れられるだけの骨を詰め込もうとした…けど、籠が大きいのかハルルの葬送屋が暇だからか、白い山を掻き集めて詰め込んでみたら、意外と一杯にはならないまま入り切ってしまった。だから侘しい広場の足元はすっかり片付いて、より一層哀愁が増した気がする。

ホーンはいつまでもお気に入りを決められなくてうんうん唸ってたから『腸骨って奴にしないのか?』って聞いたら、がさがさと漁り直して皿みたいなでかい骨を探し出して、それに決めたらしい。

『途中迄一緒に下りないか、ルクス?』

ハルルに礼と別れを告げ門を閉じて、上りの階段の根元からホーンを見送ったところで、ビエッタからこう誘われた。確かに向かう方向は同じ『下』なんだし、別に悪くはない提案だ。

そう言えばビエッタの家って何階なんだろうか?それとも今夜も、飽きもせずダンダリアンの酒場で葡萄のワインを啜るんだろうか。

『……プリマは元気か、ルクス?』

歩き始めて直ぐ、ビエッタが口を開く。

『え…?あぁ、変わんないよ。』

『そうか…。』

会話は弾まない。そもそもビエッタに弾ませる気が有るのかどうかも良く分かんない。

こいつはやっぱりプリマに似てる。表情は不器用だし、口下手だ。容姿が麗しいのに不器用だなんて寧ろ余計に生き辛そうにも見える…プリマも、大人に育ったらこんな風になるんだろうか?

『……ダンダリアンも、偶にお前等の話をして居る。またプリマを連れて顔を出してやってくれないか?』

『え?あぁ…そうだな。』

第16階層への階段を下り切った所で、またビエッタが口を開く。弾まなかった話の、今更の続き。こいつ、本当に話すのが下手糞だ。

『…ビエッタは、第何階層に住んでるんだ?それともこのままダンダリアンの酒場まで行くのか?』

仕方無いからこっちから話を振ってやろう…って思った訳じゃない。気になってたことだし、序でにビエッタに無理をさせずに済むならその方が良いと思った。

『ん、私は…取り敢えず第15階層迄は下りる。だから良ければ、ルクスも其処迄付いて来てはくれないか?ミルハンデルも、お前に会いたがって居たんだ。』

『は…ミルハンデル…?』

意外な名前が飛び出して虚を突かれたところで、美しい横顔に急に輝く夕日が差し込んで更に目が眩む。

『にいさん…?にいさん!にいさんじゃねぇっかぁ!』

『え…あっ!ほんとだぁ!わぁい!』

今度は聞き覚えの有る無邪気な声に振り返らされて、忙しい。其処には黒髪が長い少年と、黒髪の短い、もっと小さな少年。

『セウス…フリウス…!』

『ルクス…?ルクスーっ!』

今度は何だ?…否、これも聞き覚えの有る声だ。硬くて感情の無い…否、少しだけ弾んでる気もする、女の声。

『ミルハンデル!』

目の前に垂れる下りの階段から、ゆっくりと白髪の女が上って来る。絹のような髪も、硬そうなワンピースも、朱い日差しを跳ね返すこと無く優しく受け止めてる。

『おっしょおさん!やっとにいさんに会えたなぁっ!』

『嗚呼…しかしまさか、上からやって来るとは思わなかったけどね。ビエッタと一緒に来たと言う事は…もしや、葬送が入用だったのかい…?』

ミルハンデルだって恐らくそんなに感情が表に出るような女じゃなくて、プリマやビエッタに似てるんじゃないかとすら思ってたけど…やっぱり語気は弾んで、口角は何と無く上がってる。まるで、さっきのビエッタみたいに。

ビエッタもミルハンデルも、セウスもフリウスも…何故こんなに燥いでるんだ?俺に何か用事なのか?

『…葬送に来た訳じゃないけど、ハルルに用事が有ったんだ。それで、ミルハンデルが俺に会いたがってるって…』

『そうだったのか…有難う、ビエッタ。』

『ビエッタさんありがとぉ!よかったねぇおっしょおさん!』

『…おっしょおさん?』

セウスもフリウスもミルハンデルを囲んで謎の呼び名を使って…何だか矢鱈に慕ってる。

『ん?あぁ…多分『お師匠さん』って言ってる。此奴等は、私の門下に入ったんだ。ふふ…まさか私が、弟子持ちに成るなんてね。』

『…弟子…?』

弟子って…何だっけ?何処かで聞いたことが有った気もするけど、あれはこの町でのことだったか。

『俺たちさぁ、探検家になるのが夢だったけどぉ…にいさんに包帯の巻き方を教えてもらって、ちょっと楽しかったんだよぉっ。目的も無く町をうろつくよりよっぽど『できたぞぉ!』って気分になれてさぁ……だからあの次の日もにいさんに色々教えてもらおっと思ってロラサンの家に行ったら、おっしょおさんが居て、もうにいさんは居ないって言うから…おっしょおさんの弟子にしてもらったんだよぉ!』

セウスの言うことから察するに、おっしょおさん…否、お師匠さんは何かを教えてやる奴…隊長…否、教師みたいな物か?でも、わざわざ弟子と言う物にならないとおっしょおさんから教えを授かることは出来無いみたいだ。何だか面倒臭い。

『ビエッタ、今日も酒場へ行くんだろう?私も今日は2人を家まで送り届けたら第12階層迄降りようと思って居たんだ。一緒に如何かな?』

ミルハンデルのこの口振り…もしやいつの間にか、こいつもダンダリアンの酒場に通うようになったのか?それに…

『…お前達、どうしてそんなに仲が良いんだ?』

そう言えばそもそもいつから知り合いなんだ?ミルハンデルは唐突にこの町に降り立って、その次の日に俺はビエッタにハルルの仕事を紹介して…その後のこいつらのことを何も知らない。

『ん?未だルクスには、何も話して居ないの?』

『嗚呼…私は元々第13階層の荒屋に寝て居たんだが、第18階層へは少し遠いから、ハルルの下で働く事になった際に15階の…診療所の近くに引っ越したんだ。第12階層へは遠くなったが…まぁ、折衷案と言った所だ。ミルハンデルはゴードルンが酒場に連れて来て皆に新入りとして紹介してくれた。家も年も近いし…お互い話し易い気もしてる。』

『そうなんだよ…だから私達、ルクスに御礼が言いたくてね。』

『…は?』

俺に、礼?

『俺が何したって言うんだよ…?』

『え?はは。悪い事したって責められてるみたいな言い方して…私達はルクスに感謝して居るんだよ。ビエッタはルクスに仕事を紹介されて、第15階層で暮らすようになった…私が第15階層に飛ばされたのは偶然か、将又ミズルの気紛れなんだろうけれど。でも私は何と無しに、今自分が此処で医者をして居るのはルクスの御陰なんじゃないかと思って居る。だから私達が友人に成れたのも、此奴等が弟子に成った事も、ルクスの御陰だ。有難う。』

『ありがっとぉ、にいさん〜!』

『ありがとぉ!』

ミルハンデルの元に駆け寄って、ニカッと同じ笑顔をこっちに向ける黒髪兄弟。教師や隊長とは少し違う感じもするな…どちらかと言えば、育て屋のプラツェに擦り寄る子供達に近い。

『…私からも、有難う。ルクス。』

ビエッタも、家々の隙間から溢れる光に照らされる微かな笑顔が美しい。

……こいつらが何を言ってるのか、全然分かんない。

何を成したのか自覚も出来無い癖に、訳も分からず褒められて、何と無く皆が笑顔で、嬉しいような気がするなんて馬鹿みたいだ。

レストラの笑顔にプライドの器を満たされた時の感覚に似てる。でも、今回満たされた器は誇りじゃない。そんなに大層な物じゃないんだ……只、素直に嬉しいだけなんだ。

笑顔って、魔法みたいだ。

……良くない、魔法だ。

『…さて。ルクスも良ければ一緒に如何?ダンダリアンも、会いたがって居たよね。』

『あ…ルクスは今日は無理だろう。此の背中の荷物を下階へ届ける迄が、ルクスの今日の仕事だ。』

ビエッタがずっしりと重い籠を目線で指すと、ミルハンデルはぱちくりと目を丸める。

『おや。そうか…其れは残念。では、またの機会に。今度はチェスタとビスカも連れて来てよ。』

『嗚呼…ビスカ、か…。』

ビスカの名が出て、何故かビエッタは微かながら眉を顰めた。

立ち話に花が咲く内に、夕日はまるで引力に引き寄せられるように海に吸い込まれて…それに引っ張られる形で、背後から暗闇が確実に這い寄って来る。

『あ…もう暗くなってしまう。行こうか、セウス、フリウス。御母様を心配させてしまう。』

『うんっ!じゃ、まったねぇ〜にいさんっ!』

『ばいばぁい!』

『では、私もミルハンデルと共に行くとしよう…ルクス、此処迄有難う。また…。』

ビエッタはしなやかな手の平を翳して、黒髪兄弟はぶんぶんと腕を横に振って、ミルハンデルも手の平を軽く揺らす。笑顔で手を振るのは、別れの合図だ。只の別れじゃない。きっと次が有る、優しい別れ。

『うん、また…。』

俺も頭の少し上辺りに左手を翳して、一振りしてみた。4つの背中が直ぐ其処の角を曲がるのを見届けてから、目の前に垂れる階段に足を掛ける。

何だったんだろう、この一時は?余計な時間を食ってしまった気がする。急がなくては。

なのに何だか忘れられない。大切なことは何一つ…自分の出処は何一つ思い出せないのに、何でこんなピンと来ないどうでも良いことは忘れられないんだ?

俺の、お陰とか……『ルクス』のお陰……否、『ルクス』って、『誰』なんだよ…!

この混乱は八つ当たりって奴だ。ミズルと言う理不尽に支配されたこの町にのうのうと溶け込む住民達に、他ならぬ自分が溶け込んでいってしまってるんじゃないかって…焦りを忘れたくて、何でも良いから自分のことを思い出したい。取り戻したい。

ルクスって誰だよ。

俺は、ルクスなんかじゃない。

きっと、その筈なんだ…。

(続きます)

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