出会い
煤の蔓延る台所に湯気が立ち昇る。
鍋の中でぐつぐつと煮込まれる粥の様子を見ていた小鈴は、外から響いた物音にハッとした。
鍋に蓋をし、かまどの火を消し、小鈴は玄関へ駆けていく。
ガラガラと勢いよく戸を開けると、死臭が鼻をついた。
そこには、人が倒れていた。
身綺麗とは言えない格好の、帯刀した男だった。
触れれば氷の様に冷たい体温や腐敗が始まっていてもおかしくないほどの強い死臭とは裏腹に、男の遺体はまだ血が通っているような血色の良さだった。
その不思議な遺体を前に、シャオリンはパッと明るい表情を見せた。
「これは良い材料になる!」
彼女は、道術士であった。
道術とは、呪術を用い、死を利用し、霊薬を作り出し、不老不死を目指す学問である。
ウキウキした様子で遺体の足を掴んだシャオリンは、少し荒っぽく引きずって家の中へ遺体を運び入れる。
「このナリ、山賊というより旅人か? よりにもよってこの陰陽院の前で野垂れるとは運が良いのか悪いのか……」
玄関まで運び入れた後、今度は遺体を俵担ぎし、医務室へ運ぶ。
「沐陽老師〜、急患で〜す」
「ふがっ!?」
窓辺の机に突っ伏して眠っていた青年が一度飛び起きた後、すぐにまた眠りに落ちた。
それを横目に、シャオリンは一つだけ敷かれた布団に遺体を横たえると、いそいそと忍び足で自室へ向かった。
そこには、本や呪符を入れた箱が山と積まれていた。
積み上がった呪符はほとんどが効力のない試作だったが、机の上に一つ置かれた箱の中には完成した数枚が入っている。
ただし、シャオリンは道術士の集うこの陰陽院の中でもひよっ子に入る部類の道術士、彼女の道術が十分に発動した事は一度も無い。
「あいつなら……」
机の上の箱には目もくれず、そこらに散らかした効力の無い呪符を一枚取り、シャオリンは医務室へ向かった。
ムーヤン老師の背後を忍び足で通り過ぎ、布団へ向かうと、男の遺体が起き上がっていた。
しかし、シャオリンは特に動じる様子もなくひそひそと話しかけた。
「おはよう旅の方、小さな声ですまないね。あなたが倒れていたので連れてきたが、見知らぬ人を屋敷に入れたのがバレたら怒られるんだ。そこで、これを」
と、シャオリンは効力の無い呪符に粥を塗り、男の額に貼った。
「これはこの屋敷の客人である証だ、外さないように頼むよ」
「?」
小声でまくしたてるシャオリンに、男は何が起きているのか分からない様子で虚ろな視線を返した。
それからシャオリンは台所へ戻ると余熱でよく煮えた粥を一杯よそって再び医務室へやってきた。
「食べられるか?」
椀を差し出された男は粥をじっと見つめ、受け取った。
しかしまた虚ろな目でそれを見下ろすだけで食べようとしない。
「飢えて倒れた訳じゃなかったのか?」
と、シャオリンがつぶやくと、男は慌てたように口を開いた。
「○$%〆〒々! ☆#€÷@!」
明らかに外国の言葉だった。
それから、男は椀を膝に置き、手を合わせると、粥を食べ始めた。
「私は用事があるので失礼するが、椀は後で取りに行く」
と、シャオリンは医務室を離れた。
廊下を歩きながら、彼女は考える。
あの言葉、竜宮語だな。
しかし、あの国は……。
台所に戻ると、すでに兄弟子達がそれぞれの椀に粥をよそっていた。
「朝飯ほったらかしてどこ行ってた? 術の鍛錬か?」
道術には「気」が必要になる。
そして陰陽院の兄弟子達は、気の増減を視る領域に達していた。
「劉兄、私はもう雑用はまっぴらです。今に死体起こしを成功させここを出ていきます」
「は?」
兄弟子の1人、劉は、シャオリンの方を向く事もなく返事をした。
他の弟子達もくすくすと笑っている。
「飯の前だというのに墓場で土いじりしてたのか? 手は洗えよ」
シャオリンはむすっとした表情を浮かべ、しかしすぐに得意げに彼らを見ていた。
「絶対驚かせてやる」
「どうだか」
シャオリンは手を洗いにいくふりをして医務室へ向かった。
粥を食べ終わった男は、虚空を見つめていた。
「お客人、みんなに挨拶に行こう!」
「え、?」
男が、初めて意味の分かる単音を発した。
シャオリンが狼狽える彼を引き連れて食卓へ向かい、得意げな顔を見せつけると、呪符を貼られた男を見た兄弟子達は、自分の目を疑った様子だった。
「シャオリン、お前に人を雇える金なんか稼げたのか?」
「いざ目にしても疑うか! それならどうぞお手を、ばっちり死んでますよ」
兄弟子達は怪訝な顔で男の手に触れ、火のついた蝋燭を彼の目に近づけ、その喉元を息の根が止まるほど押さえつけた。
しかし、男は平気な様子でシャオリンやその兄弟子達をキョロキョロと見回していた。
「ふむ、本物だな。しかし誰だ? 裏の墓場の者ではないだろう?」
シャオリンはギクリとした。
更にその言葉に反応した男がなにやら口を開いたので嫌な予感がして顎を掴んで閉じる。
「私にも分かりません。死体起こしの霊薬を作れないかと思い立ち、山を駆けずり回っていたら見つけました。仙神の思し召しかもしれませんね。噛み癖はありますが良い子です」
兄弟子達はピンと来ないながらも納得した様子だったが、劉だけは疑り深く男を睨んでいた。