⠼⠃
就職と同時に、僕はトワと結婚した。できるだけ早く、彼女に居場所を作ってあげたかった。そこに至るまでにそびえ立つ壁は、無かった。僕の両親は「宵に、幸せにしたい人ができたのなら」と、全力で応援してくれた。トワの家族に関しては、さっさと引き取ってほしい旨を伝えられた。許しをもらって以降、一切会っていない。トワと関わらせないためだ。彼女だって、望んでいた。
夫婦になって十五年目の夜、僕達は初めて会ったカリヨンを見上げた。
「美月、修学旅行楽しんでいるかな」
トワが街灯に照らされながらつぶやく。娘の美月は小学六年生、健やかに育った。
「素敵な友達に囲まれているんだ、心配いらないさ」
「きみに似て、ほんとに良かった」
二人きりの時にいつも言う。顔だけを指しているのではないと分かっているから、重みを感じる。
「美月には、ちゃんと朝と夜が来る。つまずかせてくるやつなんか、いない。悔しいな」
カリヨンが、午後八時の音楽を奏でる。リストの「ラ・カンパネラ」だ。美月がお腹にいた頃、トワが教えてくれた。相変わらず、そら恐ろしい音だった。
「悔しいよ。美月の声で成長を確かめられても、笑顔が見られないんだもん。頭に描いたイメージだけじゃ、足りない」
僕はトワにことわって、手を握った。
「美月はトワが大好きだよ。悔しいのは、僕だ。休みの日に描く絵は、トワばかり」
「ぷすぷす紙をつついていたけど、絵だったんだね?」
てっきり、新しい言葉を作っていたのだと思っていたようだ。
「ママだ、ママだ、って必死に言っていたのに……ひどい親だよ。あたしにも見える絵を描いてくれていたのね」
涙をにじませ、トワは拳を空に向けて「次は、ちゃんと鑑賞する!」と決意した。
「どんな大人になるかな。若い頃のあたしみたいに、ふらふらするのだけは、させたくないね」
ワンピースの裾についているタッセルをいじりながら、トワは言った。
「美月がしたいことを、させてあげよう」
子は、親の分身じゃないんだ。ひとりの人間だから、背中を見守っていこう。
「あたし、ある日いきなり消えてしまうのかな。怖いよ、ずっと真夜中なんだもん。あたしの世界は星も月も、太陽も無い」
光を知らないトワは、母親になってから、命の終わりにおびえていた。
「きみと美月を遺して逝きたくないよ。おばあちゃん、いや、ひいおばあちゃんになってから、眠るように消えたい」
「叶うよ」
僕は、結婚記念のメッセージを、彼女の指先にふれさせた。タイプライターで一文字ずつ、想いを込めて打ったんだ。読んで。
⠐⠮⠩⠕⠗⠠ ⠨⠐⠡⠃⠣ ⠹⠙⠜