119 母の危機②
こやつめ、仕留めた思っておるのじゃろう。
その瞬間が一番の隙となる。それは人間でも獣でも変わらん。
狼が大きく口を開けた。その時……儂もまた大きく口を開けた。
「破っ!」
「きゃあぁん!」
魂に刻み込んだのが剣術だけと思うな。
この200年生きてきた全てを魂に刻み込まれているのだ。
長年の戦闘で得た経験、死地をくぐり抜けてきた経験。
それは気迫となって表に出すことだってできる。
虚空斬ほどの反動のない咆吼に狼にわずかな隙を生んだ。
その隙をついてナイフを狼の急所である首に突き刺す。
何千、何万もの魔獣を葬ってきた。固い骨や筋など通さず、ただ柔らかい所を狙って思い切って突き刺した。
「ガッ……」
狼は痛みで小さく声をあげるが……やがて物を言えぬようになり絶命した。
「はぁ……はぁ……」
咆吼の反動で頭がくらくらする。
200歳の時はこの咆吼で弱い魔物を蹴散らしたものだが弱くなってしまったものだ。
「テコ入れをせんといかんな……」
肉体の成長を待っているだけではいくらあっても時間は足りぬ。どうにかせねばならん。
儂はリバイブリーフを懐に入れ、帰り道をよたよと歩く。
「……っ」
絶望の気配に思わず顔を歪めてしまう。
血のにおいを嗅ぎ取ったか、狼の群れが崖から降りてきたのだ。
その数は5匹。1匹でもあの体たらくだというのに……。
「そこをどけっ!」
儂は生きて父上と母上のところへ帰る!
全てを倒しきってみせる。
その時だった。
「はっ!」
血塗られたナイフを構えた瞬間、奥から一人の剣士が現れる。
狼達が転回して儂ではなく、その剣士に向かって飛び込んでいった。
その剣士はあっと言う間に全ての狼を斬り裂いて、儂の元に近づいてくる。
瞬く間に全部倒しきったその男は……儂の前に立った。
「父上」
「バカヤロウ! なぜ一人で行ったっ!」
「……っ」
「おまえは頭がいいんだから集落を出たらこうなるって分かってるはずだろ!」
ぐうの音も出ない正論だ。儂は何も言えなかった。
「クロスに何かあったらエレナが絶望しちまう……。これ以上エレナを悲しませたら駄目なんだよ」
「すまぬ」
父上から叱責は初めてだったかもしれない。
儂はまだ心の奥底で一人で何でもできると思っていたかもしれない。
この集落の大人が出来ないことを二歳の体でできると思い、誰も連れずにここへ来てしまったんだ。
だが結果は狼一匹に殺され掛ける始末。
本当に情けない。父上の言う通りだ。
父上が儂を抱き抱える。
「あの……母上は?」
「ミーナやエルゼ婆さんが診てくれてる」
「じゃが母上は父上が側にいないと……」
「俺だけじゃ駄目なんだよ。エレナは意識が朦朧としながらクロスを求めてるんだ。早く……母さんを安心してやってくれ」
儂は勘違いしておったのかもしれぬな……。
子を思う親の気持ち。子を持ったことのない儂には到底分からぬことであった。
父上が儂の体に触れる。
「ざっと診たけど大きな怪我はしていないな?」
「うむ……。多少の切り傷、擦り傷だけじゃ」
「……ったくその体で一匹ウルフを倒したのかよ」
「じゃが父上が来なければ多分死んでおった」
「そうだな。でも……無事でよかった」
父上はぎゅっと儂を抱きしめてくる。
汗臭く、柔らかみのない男の抱擁。だけどそのたくましさは安心できるものがあった。
前世の儂に比べたら断然弱いはずなのに……頼りになると思ってしまう。これが父というものなのだろう。
「父上、リバイブリーフを調合すれば母上の容態はよくなるかもしれぬ」
「本当か!」
「急いで戻ろう。今ならまだ間に合う」





