下巻
8、 アンナが狙われる?
龍之介がさらわれた次の日のことであった。
私たちは久根崎の寺で、改めてお雪さんたちと一緒に作戦を取り直すことにした。
私が大きくあくびをしたら、つばきがひじで私の横腹をつつき、「かえで、少ししゃんとしなさい」と注意をしてきた。
「だって、昨日満足に眠れなかったから」
さらに私は再び大きなあくびをしたら、つばきは呆れて何も言えない始末になり、横にいたアンナはクスクスと笑い通し。
「ちょっとアンナ、笑いすぎ」
「だって。プッ、ハハハハハ……」
私のあくびがそんなにおかしかったのか、アンナはしばらく笑っていた。
私が眠そうだったのか、お雪さんは少し渋めなお茶を私たちに差し出してきた。
「眠気覚ましに飲んでください」
「すみません、ありがとうございます」
一口飲んだ瞬間、苦味が口の中に広がり、眠気が一気に吹き飛んだ。
「にがーい!お雪さん、これただのお茶ではありませんよね」
「中国茶も少し混ぜてみたの。まずかった?」
「そんなことはないけど、始めて飲んだから、ちょっとビックリしただけ」
そのあと、つばきとアンナも飲んだら、やはり同じような反応をしていた。
「お雪さん、始めて飲むお茶ですが、口の中に苦味が残ってしまいます」
つばきもそう言いながら、最後まで飲んでしまった。
お茶を飲み終えたあと、改めて本題に入ることにした。
しかし、いざ作戦を立てるとなると思いつかなくなってしまう。
「やっぱり、正面から斬りかかって助ける方法しかないんじゃない?」
「それでも構わないけど、敵の数がどれくらいかだよね」
私が出した意見につばきは少し納得のいかない顔をしていた。
「じゃあ、つばきは何かいい方法でもあるの?」
「それを今、考えているのよ」
「なら、いっそこと夜襲い掛かるのはどう?」
「その前に親に捕まるわよ。それでもいいの?」
話は再びふりだしに戻った。
4人で「うーん」とうなりながら考えていた時、アンナは急に何かをひらめいたような顔をしていた。
「ねえ、裏口から突入ってどう?」
「アンナ、裏口の場所知っているの?」
今度は私がアンナに突っ込みを入れた。
「わかんない」
その時、アンナの「わかんない」の返事に全員がずっこける始末。
「アンナ、知らないなら言わないでよ」
さらにつばきにまで突っ込まれる始末。
「今夜、チンピラたちのアジトの中を調べておくよ」
「お雪さん1人で大丈夫?」
私は少し不安そうな顔をしてお雪さんに尋ねた。
「大丈夫よ。私こう見えても元甲賀のくノ一だったわけだし、これくらい余裕よ」
お雪さんは自信たっぷりに返事をした。
「じゃあ、お願いしてもいい?」
「うん!」
その日の夜、お雪さんは源次郎の家の構造をくまなく調べていった。
ちょうど天井裏に着いた時、源次郎たちの会話が聞こえてきた。
「まさか良之助に続いて一成まで斬られるとは思わなかったよ」
源次郎は子分の前で酒を飲みながら愚痴をこぼしていた。
「一成と言いますと、土浦藩主の甥御様ですよね」
子分の1人がお酒を注ぎながら聞いてきた。
「そうだ。だが、本人は自分がこんな性格だから一家から勘当されたと言っていたよ」
「どうされますか?」
「何が?」
「この旨を土浦藩主に報告されますか?」
「その必要はないだろ。放っておけ」
「しかし……」
「じゃあ、藩主が見えたら本当のことを話せばいいだろ」
源次郎はそう言って最後のお酒を飲み干した。
「話を戻しますが、良之助と一成様を斬った凄腕ってどんな人なんです?」
「なんでも、金色の髪をした西洋人らしいんだよ。それも物干竿みたいに長い西洋の刀で斬りつけたって言うから、相当用心をしないとこっちが斬られてしまう」
「結構恐ろしいですね」
「ただの西洋人の女の子だと思って軽く見ない方がいい」
「いかがなさいます?見かけたら、とっつかまえて牢屋に入れますか?」
「それもいいが、あの西洋人に対抗できるような凄腕を探さないとな。とにかく俺は酔いが回ったから一度外に出るよ」
天井裏ではお雪さんが今の会話をすべて聞いていた。
翌日私たちは久根崎の寺でお雪さんから昨日の結果をすべて報告してくれた。
お雪さんは筆で描いた須田組の構図を広げながら、私たちに説明してくれた。
「ここに裏口があるけど、通路が狭いから気を付けてほしいの」
「何か仕掛けとかなかった?」
つばきはお雪さんに確認をした。
「とくに仕掛けとかはなかったかな」
お雪さんは須田組の中を順番に説明してくれた。
「大家さんと龍之介君はどこにいたの?」
我慢の出来なかった私は身を乗り出すような感じで聞き出した。
「かえで、落ち着きなさい。今、お雪さんが説明しているでしょ」
横にいたつばきが私に注意してきた。
「だって、我慢が出来なかったから」
「気持ちはわかるけど、今はちゃんと聞きなさい」
そのあとお雪さんは軽く咳ばらいをして話を続けた。
「かえでちゃんが気になっていた大家さんと龍之介君の居場所なんだけど、地下牢にいたよ」
「やはり?あのとき、番頭さんと思われる人が地下の入口の場所を教えるのを拒んでいたから、もしやと思っていたけど、やはりそうだったのね」
アンナは納得したような感じで、お雪さんの話を聞いていた。
「大家さんと龍之介君はいつ頃助けるの?」
アンナは、さらに確認を取るような感じでお雪さんに聞いた。
「今すぐって言いたいのが本音なんだけど、今動いても私が見た限り、かなりの人数だったから下手に動かない方がいいと思うの」
お雪さんは少し表情を険しくさせながら答えた。
「うかつに動くと、こっちが斬られてしまうよね」
つばきも気難しそうな表情で答えていた。
「そういえば、気になる会話を聞いてきたよ」
「気になる会話?」
私は気になってお雪さんに聞き出した。
「実は、源次郎とその子分と思われる人が、アンナをターゲットにするような言い方をしてきたよ」
「なんでチンピラがアンナを狙うの?」
私はちょっと疑問に感じたように聞いた。
「何か心当たりある?」
お雪さんはアンナに目を向けながら、聞いてきた。
「もしかして、最初の浪人侍とそのあと出てきた吉田一成を斬ったのが原因かもしれない」
アンナはふと思い出したかのように、一言呟いた。
「それよ。源次郎が子分と会話していた時、『良之助と一成が金色の髪をした西洋人の女に斬られた』って言っていたから、もしかしてアンナのことを言っていたと思ったの」
「その源次郎って人は、次の刺客を手配するようなことは言っていなかった?」
「そこまでは、わからない。お酒を飲み過ぎたのか、酔い覚めのために外に出てそれっきりだったよ」
「そうだったんだね」
「アンナちゃん、外を歩くとき用心した方がいいと思うよ」
今度は今まで黙っていた拝次郎さんが口を挟んできた。
「どうして?」
「源次郎はお金の力で凄腕の剣士を雇って、自分のボディーガードにしているんだよ。その中には元大名家や将軍家に仕えた人たちを家来にしているんだよ。中には忍びまで雇っているから用心しなければならないよ」
「その中に私と同じ西洋人もいた?」
「そこまではわからない。もしかしら、いるかもしれないよ」
「わかった。一応用心しておくね」
その帰り道、アンナは辺りをキョロキョロさせながら歩いていた。
「アンナ、あからさまに警戒をして歩くと不自然に思われるよ」
つばきは苦笑いをしながらアンナに注意をした。
「だって、私狙われているんでしょ?」
「だからと言ってね、むやみにキョロキョロしなくてもいいから」
その時だった。魚の行商から「アンナちゃん誰かに狙われているの?」と笑いながら声をかけられた。
「あ、魚屋さん、こんにちは。先日ちょっとトラブルがあったみたいで……」
「トラブルって言うと?」
「先日、チンピラが雇った浪人侍に狙われたので、それをアンナが斬ったのです」
つばきは魚の行商に淡々と説明をした。
「アンナちゃん、それ本当なの?」
アンナは黙って首をたてに振った。
「それで、チンピラ一味がアンナに報復するような動きがでたのです」
「そうなんだね」
「つばきちゃん、いろいろありがとう。かえでちゃん、早く帰らないと、またお母さんに叱られちゃうよ」
「言われなくてもわかっています!」
魚の行商は、笑いながら言い残していなくなっていった。
私たちが家に向かった数分後、少し離れた場所で忍びの格好をした若い男性がずっと尾行をしていた。
その男性とは言うまでもなく半蔵であった。
「誰、さっきから私たちを尾行していたのは!」
つばきは刀を抜いて、後ろを振り向いたが、半蔵はものすごいスピードで走って逃げていった。
「どうしたの、つばき」
私はつばきが急に刀を抜いたので、驚いてしまった。
「かえでとアンナは気がつかなかったの?あれは例のチンピラ一味が雇った忍びに違いないわ」
つばきは呼吸を荒くしながら、私とアンナに説明をした。
「アンナ、尾行されていたの知ってた?」
アンナは私の問いに黙って首を横に振っていた。
「とにかく、どこを歩くにしても後ろには気を付けた方がいいわよ」
つばきは私とアンナに注意を促した。
禅昌寺でアンナと別れたあと、私とつばきは家に向かったのだが、さすがに人の気配はなかった。
「さっきの忍びは何だったんだろう」
つばきは独り言のようにブツブツと呟きながら歩いていた。
「どうしたの?」
私は気になってつばきに聞いた。
「ねえ、思ったんだけど、あの忍びってアンナに向けた刺客なんじゃないの?」
「なんでアンナが刺客に狙われているの?」
「お雪さんの言葉を思い出してみて。例のチンピラの一味、アンナを報復するって話」
「そういえば、そんなことを言っていたよね。アンナが浪人侍を2人斬ったから、それが原因のようなことを言っていたわよ」
「だとすると、連中が本格的に動くのも時間の問題」
つばきは下唇に親指を当てながら、悔しそうに言っていた。
「とにかく帰ろうよ。門限もあるし」
「そうだね」
私はつばきに帰るよう、促した。
さらに次の日、私たちは昨日の帰り道での出来事を、お雪さんにすべて報告をした。
「忍びに尾行されていた!?」
お雪さんは少し驚いたリアクションをしていた。
「その忍びというのも、おそらく偵察だと思うの」
「その可能性は高いわ」
お雪さんは、つばきの憶測に納得していた。
「しかも私が刀を抜いて後ろを振り向いたら、一目散に逃げていったの」
「とにかく今後の行動には気をつけないとダメね。連中はいつどこで襲ってくるかわからないわ」
お雪さんは私たちに警戒をするよう言った。
「あと、言うまでもないけど龍之介君と大家さんを助けることも忘れないでね」
アンナもお雪さんの意見に付け加えるかのように言った。
「もちろんよ」
「なら、お奉行様が助ける前に私たちが助けた方が早いんじゃない?」
「それもいいけど、今私たちが助けたら、あの連中のことだからお役人様やお奉行様の前で絶対にしらを切るわよ」
お雪さんの意見にアンナは表情を曇らせた。
「確かにそうよね。でもさ、このまま大家さんと龍之介君を地下牢に監禁していたら、かわいそうよ」
「でも、これだけはわかって。今私たちが助けたら、証拠隠滅に協力したことになるんだよ。今はつらいかもしれないけど、もう少しだけ耐えてほしいの」
「でも……」
「気持ちはわかるけど、今は耐えて」
お雪さんはアンナを必死に説得していた。
アンナは必死にこらえていた。しかし、今のアンナがそれを維持するのは非常に難しいことであった。
その一方、源次郎の子分が浪人侍を何人か連れて、久根崎の寺の近くまで来ていた。
「旦那、この近くに良之助を斬ったと言われる西洋人がいるのですか?」
「俺の勘が正しかったらな」
源次郎の子分は少し緊張した表情で浪人侍に言った。
「どのあたりです?」
「おそらく、あの寺なんか怪しいと思うんだよ」
「よし、行きますか」
浪人侍は源次郎の子分に確認を取った。
「いや、まて」
「どうされたのです?入るなら、今がチャンスですよ」
浪人侍は源次郎の子分に早く突入するよう言った。
「何をためらっているのです。今がチャンスですよ。さあ、行きましょう」
さらに別の浪人侍が源次郎の子分に急ぐよう促した。
「よしわかった、行くぞ」
源次郎の子分は浪人侍数人と一緒に寺の中へ入るなり、玄関の扉を開けて大きい声で「ここに金色の髪をした西洋人はいないか!」と叫んだ。
「どなたでしょう」
お雪さんが言ったとたん、源次郎の子分は「俺たちはなあ、須田組の者だ。先日うちの者が西洋人に斬られたという情報が入ったので、ちょいと挨拶にきたんだよ。それでだ、目当ての西洋人はどこにいる?」と返事をした。
「ここには西洋人なんかいませんので、お引き取りください」
「おい、ここにいるのはわかっている。でないと、テメーが女であってもぶった斬るぞ!」
「なら私の首を斬りなさいよ。死ぬ覚悟は出来ているんだから」
「上等じゃねえかよ。なら望み通り斬らせてもらうよ」
源次郎の子分はそう言って浪人侍に斬るよう、指示をした。
「姉さんに手を出すな! 俺が相手をしてやる!」
その直後、拝次郎さんが刀を抜いて源次郎の子分と浪人侍に斬りかかった。
「ほう、なかなかやるじゃねえかよ。俺たちとやりてえのかよ」
「姉さんは、子供たちとかえでさんたちをお願い。俺はこのチンピラたちの相手をするから」
「そこまで言うなら、望み通り相手にしてやろうじゃねえかよ」
「この先の林の中まで来い!」
拝次郎さんはチンピラたちを連れて林の奥へと向かた。
その一方で騒ぎに気がついた私たちはお雪さんから事情を聞いて、拝次郎さんのいる林の中へ向かった。
私たちが着いたころには、拝次郎さんは傷を負いながらも闘っていた。
「ここまでよ。ここから先は私たちが相手になるわ」
アンナは源次郎の子分の前に出た。
「来たな、西洋人の女。西洋の長い刀で俺たちと勝負をするか?」
「上等よ。全員まとめてあの世に送ってあげるから」
アンナは背中のロングソードを抜いた直後、私たちにも刀を抜くよう指示をして、戦闘開始となった。
私の二刀流、つばきの燕返し、そしてアンナのロングソードさばきで浪人侍は次々と斬られていった。残った源次郎の子分は体を震わせながら、逃げ腰に入った。
「どうしたの?残っているのはあなただけよ。どうする?私たちと勝負する?」
アンナは鋭い目線で剣先を源次郎の子分の顔に向けながら言った。
しかし、源次郎の子分は震えて何も言えない状態でいた。
「たすけてえ。お願いだから」
「さっきの元気はどうしたの?武器がないと私たちと闘えない?」
源次郎の子分は迷った末、走って逃げた。
「どうする?追いかける?」
私はアンナとつばきに聞いた。
「追いかけたところで、どうすることも出来ないから、とりあえずは放っておこう」
私はつばきに言われたあと、刀をさやに戻してから、拝次郎さんのところへ向かった。
「傷が深いわね。一度寺に戻ってから療養所へ向かいましょ」
アンナは拝次郎さんの肩を担いで、寺へ戻った。
寺に戻ると、お雪さんや子供たちが傷だらけの拝次郎さんを見て驚いていた。
「拝次郎、どうしたの?」
「ごめん、姉さん。ちょっと油断して斬られてしまったよ」
「とにかく、これから療養所へ行って見てもらいましょ」
お雪さんは斬られた箇所を布で抑えて、玄関の前に置いてある大八車に拝次郎さんを載せて、宿場町の外れにある療養所へと向かった。
私たちは「けが人を運んでいます、道を開けてください」と言いながら、急いで向かっていった。
療養所へ着くなり、私たちは拝次郎さんを降ろして、板に乗せ換え、先生の所へ運んでいった。
「先生、けが人です。先ほど刀で腹部と右腕を斬られました」
先生は私の話を聞くなり、すぐに処置室へ向かい、拝次郎さんを治療台に載せた。
「これはひどいな。すぐに治療にかからないと」
その時、治療室にお奉行様が入ってきた。
「お奉行様、困ります。少しの間、表で待ってもらえませんか」
「今、斬られたと聞こえていたが、もっと詳しく聞かせてくれないか?」
お奉行様は険しい表情をしながら、私に聞いてきた。
「詳しい内容をお話いたしますので、申し訳ありませんが一度表に出て頂けませんか。つばきとアンナは悪いけど、中で待ってちょうだい」
私はお奉行様を連れて、療養所の外で今までのことを話した。
「なるほど、君のお友達である西洋人の女の子をチンピラたちが狙っていた理由は、その西洋人がチンピラが雇った浪人侍を斬ったからなんだね」
「はい……」
「そのそのチンピラの一味って、もしかして須田組のことか?」
「はい……」
「確か、お菊と花代ちゃんを監禁していたはずだよな」
「実は、花代ちゃんは解放されて、今は龍之介君が監禁されています」
「龍之介君を監禁した理由って言うのは、以前話した財布のスリか?」
「その通りです」
「やはり、そうだったんだね」
「あの、もしかして龍之介君を救出したら、お奉行様の裁きを受けるのですか?」
私は険しい表情でお奉行様に確認をした。
「一応、財布を盗んだ前科があるから、それなりの罰を受けなければならない」
「そうなんですね……」
「大丈夫だ、なるべく軽い罰で済むようにしてあげるよ」
「ありがとうございます」
私はお奉行様に深く頭を下げてお礼を言った。
その頃、療養所では拝次郎さんの治療が長引いていた。
「お奉行様、お疲れ様です」
お役人様たちはお奉行様にいっせいに頭をさげた。
「治療はまだ長引くのか?」
「おそらく……」
お役人様はお奉行様の問いに表情を曇らせながら答えた。
「治療が終わったら、けが人から事情を聞き出した方がいいかもしれない」
「そうですね。では、しばらく待ちましょうか」
お奉行様とお役人様は拝次郎さんの治療を待つことにした。
治療が終わって、お奉行様とお役人様は拝次郎さんの所へ行き、事情を伺うことにした。
「失礼、入るぞ」
お奉行様はそう言って、拝次郎さんに近寄るこにした。
「あの、あなたは?」
「あ、申し遅れた。私は川崎宿・道中奉行所から来た斎藤吉之助だ。おぬしの名前を聞いてもよいか?」
「お奉行様、わざわざお越しになってありがとうございます。自分は雪村拝次郎で、元甲賀の忍びであり、そして今は姉と一緒に手品師をやっています」
「なるほど。お姉さんはどちらにいるんだ?」
「隣の部屋で侍の格好した女の子たちと一緒にいます」
「おぬしの姉さんとはのちほど話すとして、けがの方はどんな感じなんだ?」
「かなり深く斬られました」
「よかったら、見せてくれぬか?」
「お奉行様、申し訳ございません。治療を終えたばかりなので、患者様のお体に触れられるのはご遠慮頂けませんか?」
横にいた先生が、あわてて止めに入ってきた。
「あ、これはすまん。では改めて聞くが、おぬしの体を斬ったのは須田組の一味で間違いないな?」
「はい、家にやってきて『金色の髪をした西洋人の女はどこにいるんだ?』と大声で言ってきたのです」
「そのあと、どうされた?」
「姉さんが出て、『西洋人はいません』と言ったら、チンピラの一味が斬ろうとしたので、私が『自分が相手になる』と言って、久根崎の寺から少し離れた林の中で勝負となったのです」
「その時、おぬしも斬ったか?」
「いえ、自分が斬ろうとしたら、助太刀がやってきて相手を切ってしまいました」
「お奉行様、患者様への質問はこの辺でご勘弁願いませんか?」
「あ、すまない。では、一度失礼する」
お奉行様とお役人様は治療室をあとにして、お雪さんの所へ向かった。
「お奉行様、お疲れ様です。よかったら、こちらに座ってください」
お雪さんはお奉行様に頭を下げたあと、すぐに自分が座っていた場所に譲ろうとした。
「すぐにおいとまするから結構だ」
お奉行様はそう言って立ったまま、お雪さんと話をすることになった。
「先ほど、おぬしの弟と会ってきたよ」
「それで、弟のけがの具合はどうでしたか?」
「かなり辛そうだった。しばらく安静にする必要があるみたいだ」
「そうなんですね、ありがとうございます」
「我々は一度、須田組を調べてくるので、弟が落ち着いたらそばにいてあげてほしい」
「わかりました。お気をつけて」
「大家さんと龍之介君は必ず助け出すよ」
「よろしくお願いいたします」
お雪さんは、お奉行様におじぎをして見送ったあと、拝次郎さんのところへ行った。
「拝次郎、けがは大丈夫?」
「あ、姉さん……、心配をかけてごめん。ちょっとの油断で斬られたよ」
「私、斬られたと聞いてびっくりしたよ」
「本当にごめん。ちょっと横になっていれば楽になれるから」
「本当に?」
「本当だよ」
お雪さんは疑いをかけるような目つきで拝次郎さんの顔を見た。
「姉さん、心配しすぎだってば!」
「姉が弟の心配して何が悪いの?」
「そうじゃないけど……」
「じゃあ、今日はここで寝どまりして体を休むこと。いい?わかった?」
「ああ」
拝次郎さんは少しふてくされた顔で短く返事をした。
「じゃあ、そろそろ帰るから、ちゃんと休んでいるんだよ。間違ってもこっそり抜けだしたり、剣の練習をしないこと」
「わかったよ。そんなに疑うなら俺の刀を持ち帰れよ」
「そうするわ。じゃあ、明日の巳の刻(午前10時)に迎えに来るから、それまで先生の言うことを聞いて、じっとしているんだよ」
お雪さんはそう言って拝次郎さんの刀を持って治療室をあとにした。
それを拝次郎さんは右手で軽く手を振って見送った。
「それでは先生、弟のことをよろしくお願いいたします」
お雪さんは先生に挨拶を済ませたあと、療養所をあとにしたので、私たちも療養所を出ることにした。
「お雪さん、私のせいで拝次郎さんにけがをさせてしまって……」
アンナは申し訳なさそうな顔をしながらお雪さんに謝った。
「どうしてアンナちゃんが謝るの?」
「連中のターゲットは私なのに、それを拝次郎さんが私をかばって斬られたから……」
「アンナちゃんは悪くないよ。拝次郎が勝手にやったことだから気にしなくていいよ」
お雪さんはアンナの右肩をポンっと軽く叩いて元気づけたが、アンナは終始下を向いたままだった。
「本当にごめんなさい……」
「いつまでも気にしない。あの愚弟も一度斬られて少しは目が覚めたはずだから。じゃあ、私は用事があるから帰るね」
お雪さんはそう言って急ぎ足で帰ってしまった。
そのあと私たちも、家に帰ることにしたのだが、誰かに狙われているとは、その時はまったく知らなかった。
9、 新たな刺客の登場
次の日の巳の刻(午前10時)のことであった。
私たちはお雪さんと一緒に療養所へ向かい、拝次郎さんの様子を見ることにした。
「先生、おはようございます。弟の様子はいかがですか?」
「お雪さん、おはよう。拝次郎君はすっかり回復されていて、早く体を動かしたいみたいだよ」
「本当にありがとうございます」
「先生、おはようございます」
「かえでちゃん、おはよう。かえでちゃんは今日はどこが悪いのかな」
先生は冗談交じりで私に尋ねてきた。
「かえでは全部ですよね。お腹とか頭とか」
私が先生に挨拶をした瞬間、つばきが横から口を挟んできた。
「先生、私どこも悪くありませんから」
それを聞いていた先生やお雪さんはずっと笑っていた。
「こら、つばき。今の言葉、訂正しなさーい!」
「やだねー!」
私とつばきがふざけていたら、先生が軽く咳ばらいをして私とつばきをギロっと睨みつけるような感じで目を向けてきた。
それに気がついた私とつばきはすぐにおとなしくなり、一言「すみません」と謝った。
「君たち、ここは遊び場ではないんだから、少し静かにしてくれないと困るんだよ」
「すみません、気をつけます」
私が申し訳なそうな顔をして謝ったら、つばきも「次からは気をつけます」と謝った。
「次ここで騒いだら、君たちの両親に報告させてもらうよ」
先生は厳しい表情で私とつばきに忠告をしてきた。
注意を受けた私とつばきは、アンナとお雪さんと一緒に拝次郎さんの部屋に入った。
「入るよ」
お雪さんはそう言って、拝次郎さんのいる部屋に入って容体を確認した。
「もう、大丈夫ですよ。ほらご覧の通り」
拝次郎さんはそう言って、両腕をブンブン回したり、体を左右にねじって回復をしたところをアピールした。
しかし、痛みが取れていなかったのか、拝次郎さんはお腹を抱えて急に痛みを訴え始めた。
「いててて……」
「まだ完治していなかったか」
先生はすぐに駆けつけて拝次郎さんの様子を伺った。
「先生、退院は難しいですか?」
「そうだな。あと一晩様子を見よう。それで痛みが残っているなら、鎮痛剤を飲ませて様子を見るしかないか」
先生は気難しい表情で、お雪さんの問いに答えていた。
「そうなんですね」
「すまないな。明日同じ時間にここへ来て、様子を確認してくれないか」
「わかりました。それでは私たちは一度、おいとまさせてもらいます」
お雪さんは先生におじぎをしたあと、私たちを連れて療養所をあとにした。
「先生、僕なら大丈夫です」
拝次郎さんは先生の前で大丈夫な所をアピールしたが、先生は首を横に振った。
「じゃあ、なんであんなに痛がっていた?まだ完全じゃないからだろ。きちんと治して痛みが取れたら、帰してあげるよ」
「ですから、もう大丈夫なんですよー!」
先生は拝次郎さんの言葉など無視して、そのまま自分の部屋へと戻って行った。
その頃地下牢では大家さんと龍之介の会話が聞こえた。
「大家さん、いまさらだけど、僕のせいでこんな目にあって……」
「大丈夫よ。気にしてないから」
「僕、大家さんだけでも出してもらえるように言うよ」
「その必要はないわ。私も牢屋に入れられて当然だから」
「そんなことない。悪いのは僕なんだから」
その時、源次郎が子分を連れてやってきた。
「おい、騒がしいぞ」
源次郎は龍之介の顔をギロっと睨み付けながら近寄った。
「なあ、親分さん。大家さんだけでもいいから牢屋から出してくれないか?」
「それは断る。この女も同罪だからな」
「大家さんは悪くないよ」
「悪くない?よく言うよ。お前の逃亡を手助けしたくせによ」
源次郎は大家さんの方へ近寄り、顔を触り始めた。
「おい、大家さんに手を出すな!」
「黙れガキ!」
源次郎はそう言って格子越しから龍之介の顔をぶん殴った。
「いってなー、何をしやがる!」
「ガキはそれくらい元気な方がいいな」
源次郎は笑いながら龍之介に言ったあと、再び大家さんに目を向けて近寄った。
「なあ、俺の嫁にならないか。そうすれば、今までのことはチャラにするし、今よりも贅沢な生活が出来るぞ」
「お断りします」
「そう言うなよ。牢屋から出してやるからよ」
「やめてください」
「おい、大家さんが嫌がっているんだからやめろよ!」
「うるさいぞガキ、黙っていろって言っただろ」
源次郎はそう言って、龍之介を強く突き飛ばした。
「本当に世話の焼けるガキだ」
源次郎はそう言って再び大家さんに近寄り、顔や胸などを触り始めたので、大家さんは反射的に牢屋の奥へと逃げた。
「逃げることはないだろ。さあ、こっちへ来なさい」
「いやよ」
大家さんは体を震わせながら返事をした。
「まあよい。返事は急がないから、ゆっくり考えてくれ」
源次郎はそう言って、いなくなってしまった。
「大家さん、あんな男の言うことなんか聞かなくていいよ。いつかお役人様かお奉行様が助けに来るから」
「そうね」
大家さんは短く返事をした。
「それより連中の顔を見た?あの顔は人間じゃなくて悪魔だよ」
「悪魔?」
「そうだよ。こんな所にいたら間違いなく助からないよ。大家さんは親分のお嫁さんにされちゃうし、俺は殺される。だから、その前に早く逃げようよ」
「でも、どうやって……」
「そこなんだよな……」
「フフフ……」
何も考えていない龍之介に大家さんは軽く笑った。
「大家さん、笑うことないでしょ」
「だって、あれだけ大きいこと言ったから、何か考えでもあるのかと思ったら、何も考えていないんもん。フフフ……」
大家さんは笑いながら、龍之介に言っていた。
「大家さん、笑いすぎ」
「ごめん」
「そんなにおかしかった?」
「うん」
「そこは否定しないんだね」
その時、再び源次郎たちがやってきた。
「お前たち、返事は決まったか?」
源次郎は顔をニヤつかせながら大家さんに近寄った。
「返事と言いますと?」
大家さんは震えた表情で源次郎に聞き返した。
「決まっているだろ。俺の嫁になるって話だ」
「お断りします」
「どうしてだ?こんないい話、他へ行ったってないぞ」
「あなたの嫁になるくらいなら、私は1人でいます」
「ひどく嫌われたものだ。じゃあ、仕方がないな。もうしばらく牢屋に中にいろ」
源次郎たちはそう言って牢屋からいなくなってしまった。
自分の部屋に戻った源次郎は、キセル(昔のタバコ)をくわえて帳簿を眺めていた。
「失礼します」
子分の1人が源次郎の部屋に入ってきた。
「どうした?」
「新たな刺客をお連れしました」
「その刺客とは?」
「鎖鎌の豪鬼でございます」
子分はそう言って豪鬼を紹介した。
「豪鬼と申します」
豪鬼は体格が大きいので、その迫力は半端ではなかった。
「豪鬼と言ったな、中へ入ってくれないか」
「では、失礼します」
源次郎はキセルを引き出しに入れて、豪鬼に要件を切り出した。
「実はお前に頼みがある」
「頼みと言いますと?」
「金色の髪をした西洋人の女侍をやっつけてほしい。年は16歳くらいだが、かなりの凄腕だ」
「承知しました。充分に用心してやっつけます。」
「それとな、友達と思われる女侍もいるから気を付けるように」
「その女侍も西洋人なんですか?」
「いや、日本人だ。1人は二刀流、もう一人で物干竿の刀を持っている。どのみち手ごわいのは確かだ。充分気を付けておくれ」
「承知しました。では、女侍3人を始末してきます」
「ああ、頼んだぞ」
豪鬼はそう言って、源次郎の部屋をあとにした。
その頃、私たちは団子屋でくつろいでいた。
「まさか拝次郎の痛みがそこまでひどかったとは思わなかったよ」
お雪さんは団子を一口食べたあと、ぼやくように言った。
「結構痛がっていたよね」
つばきも、そのあと続くように言った。
「先生は明日以降じゃないと退院は難しいと言ったんでしょ?」
私も便乗するような感じで聞き出した。
「ええ」
「早く治るといいんだけど……」
お雪さんはため息交じりで呟いた。
「大丈夫よ。案外明日になれば痛みも取れているし、普通に生活が出来ると思うよ」
アンナはお雪さんに元気づけるように言った。
「そうだといいんだけど……。あと問題は療養所から脱走しなければねえ……」
「拝次郎さんって、そんなこともするの?」
「前にも病気で療養所に4日間入院していたんだけど、完治する前に抜け出して先生に連れ戻されたことがあったの」
お雪さんはあきれ顔で説明していた。
「拝次郎さんって、なんだか小さい子どもみたいですね」
アンナも笑いながら答えていた。
「そのあと、先生と助手が交代で見張りをするようになったの。だから、今回も同じような展開にならなきゃいいと思っているけど、正直心配になってきた」
そう言ったあと、お雪さんの表情はだんだん不安になってきた。
私が2個目の団子を食べようとした瞬間、店の外で豪鬼が浪人侍を連れて歩いてきた。
豪鬼は店や家々を回ってアンナの居場所を聞きまわっていた。
そして、ついに私たちがいる団子屋にやってきた。
豪鬼は店の中に入るなり、「ここに金髪の西洋人の女侍はいねえか」と尋ねてきた。
「いらっしゃい」
お店の人が返事をした瞬間、豪鬼はアンナと目が合ってしまった。
「お前が良之助と吉田一成を斬った西洋人の女侍か?」
「だったら、なんだと言うの?」
「俺は鎖鎌の豪鬼だ。お前を八つ裂きにしてやるから、さっさと店の表に出ろ!」
豪鬼は私たちを連れて店の前に出た。
店の前では大勢の人たちが私たちを見ては「アンナちゃんたちが大男たちを相手に決闘するみたいだよ」とか「見て見て、かえでちゃんとつばきちゃんもいるよ」など口々に言ってきた。
「ここで勝負すると他の人の迷惑になるから、場所を変えましょ」
アンナはそう言って通りの外れにある草原へと向かった。豪鬼たちと私たちもそれに続くようにアンナのあとをついて行った。
「ここをお前の墓場と選んだわけか」
豪鬼は薄笑いをしながら、アンナにゆっくり近づいてきた。
「私と決闘するなら相手になってあげるわよ」
「こんな小娘相手に俺が出るまでもない。お前たちの相手はこいつらで充分だ。おい、相手は侍の格好したただの小娘だ。一人残らず斬れ!」
浪人侍は豪鬼の指示でいっせいに刀を抜いて私たちに切りかかろうとした。
「かえで、つばき行くわよ」
「うん!」
私たちも刀を抜いて浪人侍に斬りかかった。私の二刀流、つばきの燕返し、そしてアンナのロングソードさばきで浪人侍は斬られていった。
そのあともお雪さんも助太刀に入って8人近くいた浪人侍も残り1人になってしまい、それをお雪さんが忍び刀でとどめをさしてしまった。
「さあ、どうする?私たちとこの鎖鎌で勝負をする?」
お雪さんは忍び刀を豪鬼に向けて聞き出した。
「今日のところは軽いあいさつ代わりだ。次回までお前たちの寿命を延ばしてやる」
豪鬼はそう言っていなくなってしまった。
「みんな、けがはなかった?」
お雪さんは気にかけるように私たちに言った。
「大丈夫です。ご心配をおかけしました」
私はちょっと大げさに返事をした。
私たちが家に帰ろうとした瞬間、大勢の人が集まって私たちの決闘を見ていた。
「みんな、けがはなかったか?」とか「お疲れ様」と見ている人たちから声をかけられてしまった。
「私たちなら大丈夫です。心配をかけてすみません」とつばきは見ている人たちに返事をしていった。
「あの、このことなんですけど……。両親には内緒にしてもらえませんか?」
私は少し遠慮気味で見ている人たちにお願いをした。
「ああ、大丈夫だ。かえでちゃんたちが斬ったってことは言わないでおくよ」
「俺たちは何にも見ていない」
「浪人侍を斬ったのは、通りすがりの辻斬りだってことにするよ」
見ている人たちは口々に私たちに言ってくれた。
果たしてそれを信じていいか微妙になってきた。
翌朝、私たちが久根崎の寺に向かう時、読売が瓦版を読み上げていた。
その内容とは<昨日、未の刻(午後2時)に謎の女侍4人が浪人侍を次々と斬っていった>と書かれていた。
さらに読み上げると、<その女侍の姿は二刀流と燕返し、西洋人、さらにくノ一と思われる>と書かれていた。名前は伏せられているもの、特徴が目立ちすぎなので、両親にばれても仕方がないと思った。
「かえでちゃん、昨日の見物人の中に、まさか読売の人がいたとは思わなかったよ」
「大丈夫です。怒られることには慣れていますので」
米問屋の主人が申し訳なそうな顔をして私に謝っていた。
「今日かえでちゃんのお父さんとつばきちゃんのお父さんを酒飲みに誘うから、その時にあんまり叱らないように言っておくよ」
「その気持ちだけ、ありがたく受け取っておきます」
つばきも気を落としたような顔をして返事をした。
「つばきちゃんも元気を出しなよ。話せばきっとわかってもらえるから」
米問屋の主人は、つばきの肩をポンっと軽く叩いて元気づけた。
「お気遣い、ありがとうございます」
私はため息交じりで、米問屋の主人にお礼を言った。
「とにかく今日、君たちのお父さんに話しておくよ。アンナちゃんも和尚様にはきちんと話しておくから」
「わざわざ、すみません」
「気にすることはないよ。みんなのお父さんには、あんまり叱らないように言っておくから」
私がお礼を言ったあと、米問屋の主人はそのままいなくなってしまった。
その数時間後、米問屋の主人は父さんとおじさん、そして和尚様を連れて近くの飲み屋へ連れて行った。
「主人から酒飲みを誘うなんて、明日は雪でも降らなきゃいいですけどね」
父さんは冗談交じりで米問屋の主人に言ってきた。
「宮本さん、これは手前のご厚意ですから。それに今日の酒代は手前が持ちますので、遠慮なしに飲んでください」
「坊主の私までが酒の席に招かれたら、ばちが当たりそうですよ」
「和尚様、今日だけ無礼講でいてもお釈迦様は目をつむってくれますよ」
「それでもそうですな」
「それにしても何で急に酒飲みに誘ったのですか?」
おじさんは上機嫌な表情で米問屋の主人に聞いた。
「たまにはみんなでお酒を飲むのも悪くないかなと思ってね……」
「主人、誘って頂きながらこんなこと聞くのも変ですが、他に理由でもおありですよね。もしかして、かえでたちが何かひと騒動を起こしたのでは?」
父さんは少し表情を険しくさせながら、米問屋の主人にするどく聞いた。
「実は私も一つ気になったことがあって、つばきが帰ってくるなり、部屋で刀の手入れをしていたから、もしかして、それも関係しているかもしれませんね」
米問屋の主人が答える前におじさんが横から口を挟んできた。
「実はお2人の察しの通りなんです」
「となると、かえでたちが何かしたのですね」
父さんは少し驚いた表情で米問屋の主人に聞いた。
「そういえば、今朝がた散歩していたら、読売が瓦版を配っていたので読んでみたら、女侍4人が浪人侍を斬ったという内容が書かれていたけど、もしかしてアンナたちの可能性が高いと思いました。ご主人、間違いありませんよね」
和尚様は曇った表情で米問屋の主人に聞いた。
「この記事なら私も読みました。やはりかえでたちだったのですね」
父さんも出されたお酒を飲みながら言った。
「宮本さん、この記事なら私も読みました。私も帰ったらつばきに問い詰めてみます。かえでちゃんやアンナちゃんはちっとも悪くありません。もっぱら、つばきが2人を巻き込んだに違いありません」
「皆さん、お気持ちはわかりますが、まずは私の話を聞いて欲しいのです。チンピラが手配した浪人侍が突然、娘さんたちに決闘を申し込んできたので、引き受けたまでなのです。その中でも1人大男がいて、浪人侍に娘さんたちを斬るよう命令を出したのです。ですから、家に帰って叱るようなことはしないでください。くどいようですが、娘さんたちは悪くありません」
「そういうことなら、仕方がないですね。なるべく穏便に話を進めるように努力をしますよ」
父さんはそう言って渋々認めた。
「私もまったく叱らないところまではいきませんが、なるべく穏便に話を進めるようには努力をします」
おじさんも米問屋の主人の話を聞いて渋々と認めた。
「ところで、大男はどうなったのですか?」
今度は和尚様が疑問に感じたような顔をして米問屋の主人に聞いた。
「あ、それなら1人でいなくなってしまいました」
米問屋の主人は杯のお酒を一気に飲み干したあとに返事をした。
「なぜ、大男だけいなくなったのですか?」
「それはわかりません。親分に報告するために戻ったのか、それとも他に何か考えを思いついたのかはわかりません」
「そうなんですね。ちなみその大男の特徴って覚えていますか?」
「そうですなあ……」
米問屋の主人は和尚様に聞かれたあと、少し考え始めた。
「覚えていらっしゃらないのですか?」
「待ってください……」
「確か鎖鎌を持っていたような気がしてたけど……」
米問屋の主人は自信なさげな顔をしながら答えていた。
「鎖鎌!?」
その時、父さんは何かを思いついたような反応を示した。
「宮本さん、ご存知なんですか?」
米問屋の主人は父さんの方に目を向けて反応した。
「風の噂で聞いたことがあるんだけど、その人って確か『鎖鎌の豪鬼』と呼ばれていて、人々から恐れられているのですよ。話に寄れば宍戸梅軒の血縁者らしいのです。鎖鎌さばきもご先祖様ゆずりみたいで……」
「そうなんですね」
米問屋の主人は納得した顔で答えていた。
「豪鬼のことなら聞いたことがあります。彼が扱う鎖鎌は、まるでカマイタチみたいなんです」
おじさんも、あとから付け加えるような感じで言ってきた。
お酒を飲んでいくうちに、話題は私たちではなく豪鬼の話題になっていた。
「おやじー、酒もう一本!」
おじさんはメロメロに酔った状態で酒の追加注文をした。
「お客さん、飲み過ぎなので今日はこれくらいにしてくださいよ」
店の主人がやってきて、飲むのをやめるよう言ってきた。
「そうですよ。佐々木さん、今日はお開きにしましょ」
米問屋の主人も、おじさんに帰るよう言った。
「佐々木さんは私が責任持って連れて帰りますので、お2人はそのまま帰ってください」
「では、勘定だけは手前がいたしますので」
米問屋の主人は4人分のお金を払ったあと、「それでは、この辺で失礼します。宮本さん、申し訳ありませんが、佐々木さんのことをよろしくお願いします」と言って、和尚様と一緒に帰ってしまった。
「佐々木さん、帰りますよ。大丈夫ですか?」
父さんはおじさんを連れて帰ることにしたのですが、おじさんは完全に酔いつぶれていて、まともに歩けない状態だった。
「佐々木さん、よかったら大八車に乗りますか?」
「その必要はない。ちゃんと1人で家に帰れますよ~」
「本当ですか?かなり酔っているみたいなので、私が家まで送りますから」
「本当に大丈夫ですよ~」
おじさんは父さんの手を振り払って、1人千鳥足で帰ろうとしていた。
「佐々木さん、こっちはドブがあるので気を付けてください」
父さんはあわてて、おじさんの腕を強く引っ張り、自分の首にかけた。
その時だった。2人の酔いを一瞬に覚ます出来事が起ころうとしていた。
「うわー、助けてくれー!」
誰かの悲鳴が聞こえたので、2人は急ぎ足で悲鳴の聞こえる方角へと向かった。
「どうされましたか?」
しかし、駆けつけた時にはすでに手遅れで、誰かに斬られて死んでいた。
「宮本さん、明らかに浪人侍の仕業ですね」
おじさんは表情を険しくしながら、死体を見て呟いた。
「ただの浪人侍にしては斬り方が不自然すぎる」
父さんも気難しそうな表情で答えていた。
「これは我々だけではどうすることもできませんよ。一度お役人様に報告した方がいいかもしれませんね」
おじさんは、そう言って父さんと一緒に番所へ行き、お役人様にすべてを報告をした。
「これはひどいですね。最初に見かけたのはあなた方2人ですか?」
お役人様は十手を首に当てながら父さんたちに目を向けた。
「はい、そうです。酒飲みの帰りに男性の悲鳴が聞こえたので、駆けつけたらすでに斬られていて、このザマでした」
「この斬り方は普通の侍ではなさそうですね」
お役人様は気難しい顔をして呟いていた。
「私が思うにはこの斬り方は刀ではなく、鎖鎌のように思えます」
「なるほど、その可能性は高いようですね。一度この死体を奉行所で預からせてもらえますか?」
「それは構いませんが……」
お役人様はおじさんの説明に納得したあと、死体を奉行所へ運ぶことにした。
父さんはおじさんを家に送り届けたあと、家に戻り、私を自分の部屋へ呼んだ。
「失礼しまーす」
部屋に入るなり、父さんは険しい表情で瓦版の記事を私の前に見せつけた。
「かえで、この記事に書かれている4人の女侍とはお前たちのことか?」
「はい……」
「正直でよろしい。もう下がっていいぞ」
「もう下がっていいのですか?」
「叱ってほしいのか?」
「そうではありませんが……」
「早く自分の部屋に戻れ」
私が父さんの部屋を出たあと、それと入れ替わるかのように、母さんがお茶を運んで父さんの部屋に入ってきた。
「珍しいわね。飲み屋で何か言われたの?」
「米問屋の主人からかえでを叱るなって言われたから……」
「あなたがそうやって、素直に聞き入れるなんて珍しいんじゃない?いつもなら、すぐに反発するのに」
「米問屋の主人には世話になっているからな。それに今日の飲み代も出してくれたし……」
「そういうことだったのね」
「母さんも今日だけはあいつを叱るなよ」
「はいはい。では、失礼するわね」
母さんはそう言って、部屋をあとにした。
10、 源次郎の策略
斬りつけ事件の次の日、蕎麦屋では葬式が行われていた。昨日斬られた人は蕎麦屋の主人だったのである。
私たちは何も知らなかったので、近くの人から事情を聞くことにした。
「こんにちは、お蕎麦屋さんで葬式が行われていますが、どなたかお亡くなりになったのですか?」
「かえでちゃん、お父さんとお母さんから何も聞いていなかったのかい?昨日、何者かによって斬りつけられたみたいのよ」
近くにいたおばさんが、泣きそうな顔をして私に説明してくれた。
「その事件のことについて、もっと詳しく教えてもらえますか?」
今度はつばきまでが便乗するような感じで聞き出してきた。
「それなら私が教えてあげるよ」
横にいた駿河屋の小吉さんが説明してくれると言ってきた。
私たちはお焼香を済ませ、葬列を見送ったあと、駿河屋へと向かった。
中に入って出されたお茶を飲みながら、小吉さんの話を聞くことにした。
「私が用事を済ませて家に戻る途中、通りの外れの方で男性の『たすけてくれー!』という悲鳴が聞こえたから、近くへ行ってみると蕎麦屋の主人が鎖鎌を持った大男にめった切りにされていたので、私は怖くなって逃げたんだよ」
「そうだったのですね。もしかしたら、その男は豪鬼の可能性が高いかもしれない」
「アンナちゃん、知っているのかい?」
「はい、私たちが団子屋でくつろいでいたら、突然やってきたのです。そしてそのあとは、通りの外れにある草原で決闘となりました」
「その話なら、瓦版を読んで知ったよ。4人の女侍が浪人侍を斬ったと書かれていたけど、君たち3人はわかるけど、もう一人は誰になるんだ?」
小吉さんは下を向いたまま少し考え始めた。
「もう一人はお雪さんです」
「ああ、あの子か。確か以前6歳くらいの男の子を連れて歩いて行ったのを見たよ。あの子たちは今どうしているんだい?」
「お雪さんは久根崎の寺に引っ越しをして、龍之介君は大家さんと一緒にチンピラのアジトで捕虜になっています」
アンナは悔しそうな顔をして話した。
「お奉行様には話したのかい?」
「お雪さんがお奉行様に訴状を提出しに行きました」
「お奉行様は何をされているんだ」
小吉さんは少しいらだった顔をしてぼやいていた。
「あの、一つ気になったのですが、お蕎麦屋さんはこれからどうなるのですか?」
「かえで、こんな時に何を言っているのよ」
私がお蕎麦屋さんのことを持ち掛けたら、つばきが頭を叩いて突っ込んできた。
「ハハハハハ、そうだったね。蕎麦屋の主人が斬られたら、お店はなくなってしまうかもしれないね」
「えー、冗談だと言ってくださいよー」
私は焦った表情で小吉さんに訂正を求めた。
「そんなに気になるんだったら、お蕎麦屋さんに行って確認してきたら?」
つばきはあきれ顔で私に突っ込みを入れた。
「あ、そうか。その手があったか。じゃあ、これからお蕎麦屋さんに行って確認してくるよ」
「ちょっと、待ちな。今行かない方がいいって」
つばきは私の腕をつかんで引き留めた。
「そうだよ。今日葬式だったんだから、行かない方がいいよ。家族が悲しんでいる時に行っても水を差すだけだから」
小吉さんも私に行かないように説得した。
「じゃあ、辞めておく」
「あんたが本気で行こうとしたことに正直驚いたよ」
つばきは私の行動を見て、呆れた表情で見ていた。
「話を戻すけど、龍之介君がチンピラの捕虜になった理由ってなんだ?」
小吉さんはお茶をすすりながら、私たちに聞いてきた。
「龍之介君、チンピラたちの財布を盗んだのです」
「えっ、なんてことを」
小吉さんは私の一言に驚いた反応を示した。
「龍之介君、生活に困っていたみたいで……」
「それで、あの時君のお母さんと一緒にここにやってきて、仕事の催促をしてきたんだね」
「はい……」
「ちょっと悪いことをしちゃったかな……」
小吉さんは少し罪悪感を覚えたような顔して返事をした。
「小吉さんが気に病むことはないです。悪いのは龍之介君とチンピラだと思います。これは私の感想ですが、理由はどうあれ、人さまのお金を盗むのはよくないと思うのです。それに関係のない大家さんやお雪さんたちを巻き込んだので、少し反省してもらいたいのです。チンピラに関してはお役人様に被害届を出さずに自分のアジトへ監禁したことを反省するべきだと思うのです」
つばきは厳しい表情で小吉さんの前で自分の気持ちを話した。
「ちょっとつばき、言い過ぎだよ」
私はつばきの発言に一言注意をした。
「いや、つばきちゃんの言う通りだよ。龍之介君にはこれくらいの罰を受けてもらわないとだめだかもしれないねえ」
小吉さんもため息交じりで返事をした。
「それでは、そろそろ失礼させて頂きます」
私はそう言って、つばきとアンナを連れてお雪さんの所へ向かうことにした。
私たちがお雪さんの所へ向かっているころ、源次郎たちは新たな動きを見せていた。
「親分、地下にいるガキと女、いつまで閉じ込めてくのですか?このままだと、お奉行様に捕まってしまいますぞ」
子分は帳簿を見ている源次郎に尋ねた。
「うーん、そうだな。何も考えていないと言ったら嘘になるわけだが……」
「と、言いますと?」
「俺にも考えがあるんだよ」
「その考えとは?」
「実は外国へ売り飛ばそうと思っているんだよ」
「当てはあるのですか?」
「実はアメリカの奴隷商人で、日本人を欲しがっている人がいたから、その人と交渉に当たってみようと思っているんだよ」
「なるほど、それは素晴らしい考えです。それで、そのアメリカ人はどちらにいるのですか?」
「この近くに住んでいるみたいなんだよ。あとで時間があったら行ってみるよ」
「かしこまりました。では自分もお供いたします」
なんと源次郎は大家さんと龍之介をアメリカの奴隷商人に売ろうとしていた。
その一部始終を屋根裏で拝次郎さんが全部聞いていたのである。
その一方、地下牢では大家さんと龍之介の会話が聞こえていた。
「大家さん、俺たちいつになったら牢屋から出られるの?」
「私にもわからない」
「もう、限界だよ。こんなことなら財布なんか盗まなきゃよかったよ」
「今さら後悔しても始まらないわよ。とにかくじっとしていましょ」
その時、源次郎が大家さんと龍之介の前に現れた。
「お前たち、騒がしいぞ」
「いい加減、俺たちを牢屋から出してくれないか?」
龍之介は源次郎にすがるような感じでお願いをした。
「ああ、いいとも」
「本当か?」
「本当さ」
源次郎は顔をニヤつかせながら返事をした。
「龍之介君、こんな話を鵜呑みにしちゃだめよ」
大家さんは横から口を挟んできた。
「おっと、関係のない人は黙ってくれないか。今、このガキと話をしているんだからな」
「なら牢屋から出したら、私たちを家に帰してくれるんでしょうね」
大家さんは怒りをむきだしにして源次郎に言った。
「そりゃあ、わからねえな」
「どういうこと?」
「牢屋から出るまで、楽しみにしておきなよ。じゃあ、俺様はちょっと用事があるから出かけてくるよ」
源次郎はそう言い残して、地下牢からいなくなってしまった。
お雪さんの所へ戻った拝次郎さんは、源次郎の会話のことをすべてお雪さんに報告した。
「姉さん、連中動くみたいです」
「それで、どうなったの?」
「大家さんと龍之介君、海外へ奴隷として売られるみたいです」
「えー! それ本当なの!?」
横で聞いていたつばきが大きな声を出して反応した。
「そういう話が出ていただけで、本格的に動くのはこれからだよ」
「そうなんですね」
「とにかく、僕は連中の動きをこまめにチェックするから」
「わかりました」
つばきは拝次郎さんの言葉を了解して返事をした。
「私も拝次郎と一緒にお奉行様のところへ行くので、みんなも何かあったら私と拝次郎に報告してね」
お雪さんはそう言って、久根崎の寺をあとにしていなくなってしまった。
「私たちもそろそろ出ようか」
つばきはそう言って、私とアンナを連れて家の方角へと歩いていった。
その頃、源次郎は通りの裏にある細くて少し寂しい路地を歩いてスミスさんがいる料亭へと向かった。
中へ入ると中居さんがやってきて「源次郎様、お待ちしておりました」と言って出迎えてくれた。源次郎は「アメリカ人のスミスさんがいる部屋へ案内してくれ」と言って案内させた。
中居さんは「失礼します、お客様をお連れしました」と言って源次郎を中へ通した。
「すまないが、酒とつまみを適当に用意してくれぬか?」
「承知しました。ただいまお持ちします」
源次郎は中居さんに催促したあと、座布団に座るなり、あぐらをかいて話を始めた。
「スミスさん、あんたの欲しがっていた人、俺の所にいますよ」
「ホントウデスカ?」
スミスさんは慣れない日本語で反応してきた。
「若い女と6歳くらいの男の子だ。悪くない話だろ」
「ハイ。ワタシガ欲シガッテ人ダト思イマス」
「なら、話は早い方がいいな。いくらで取引をしてくれるんだ?」
「ニホンノオ金デ、コレクライハ、ドウデスカ?」
スミスさんは小さな金庫から300両を取り出して源次郎の前に見せた。
「悪くないな」
「女ガ200両、子供ガ100両」
「これで交渉が成立だ。いつ頃にする?」
「源次郎サンニ任セマス」
スミスさんは出されたお酒を飲みながら言った。
源次郎は少し考えた。いつにするか迷った結果、明後日となった。
「ソレデハ、明後日ヨロシクオ願イシマス」
「ああ、頼んだぞ」
そのあと、源次郎はスミスさんと一緒にしばらくお酒を飲み通していた。
源次郎は料亭でスミスさんと別れたあと、家に向かうことになった。
そのあと拝次郎さんがゆっくりと尾行していった。
源次郎は地下牢へ行き、大家さんの前に立った。
「お前たち喜べ。もうじき出られるぞ」
「なら、私たちを解放してくれるのですか?」
大家さんは険しい表情をして問い詰めた。
「ああ、もちろんだとも。ただし、家に帰れるかどうかわからないけどな」
源次郎は不気味な笑みを見せながら答えた。
「それって、どういうこと?」
「そりゃあ、その時になったらわかることだよ」
大家さんの表情はだんだん険しくなってきた。
「おい、もったいぶらずにきちんと答えろ!」
その時、横から龍之介が口を挟んできた。
「おい、うるさいぞガキ。お前は黙っていろ!」
「俺を子供だと思ってなめるじゃんねーよ!」
「泥棒の分際でデケー態度をとんじゃねー!」
「俺がいつ泥棒したって言うんだよ!」
「おいおい、とぼける気か?人の財布を盗んでおきながら。お前なんかお役人様に捕まれば一生前科者だ! 悔しかったら言い返してみろよ」
「……」
龍之介はこれ以上何も言い返せなくなった。
「まあ、いいや。本当は当日まで黙っておくつもりだったけど、この際だから話しちまおうか」
源次郎はもったいぶった感じで言った。
「だから、なんなの?」
大家さんは急かすような感じで源次郎に問い詰めた。
「まあまあ、焦るなって」
しばらくして、源次郎は落ち着いた感じで大家さんと龍之介に話を始めた。
「いいか、お前らよく聞け。明後日には2人してアメリカの奴隷商人に引き取られることになった。女のあんたは200両、そっちのガキは100両で買い取りが決まったんだよ」
「なんですって!? 私たちを売り物にしたっていうの!?」
「そうさ。せいぜい自分がとった行動を恨みな。早く明後日にならないかなー。そうすれば俺様の手元には300両が手に入る。せいぜい怯えながら待っていろ」
源次郎はうれしそうな表情をしながら、地下牢をあとにした。
近くにいた拝次郎さんは一部始終を見ていた。
その時だった。
後ろから肩をポンっと叩いてきて「おい、立ち聞きとは感心できないなあ」と言ってきた人がいた。
拝次郎さんは一瞬、驚いた表情をして後ろを振り向いた。するとそこにいたのは源次郎の子分だった。
「何の用だ!」
「そりゃ、こっちのセリフだよ。人さまのアジトでコソコソと動いて何をしていたんだ」
源次郎の子分はニヤついた表情で返事をした。
「ここをどけ!」
「断るよ。なぜならお前は俺たちの計画をすべて知ってしまったので」
「おい、騒がしいぞ。何事だ」
その時、源次郎がやってきた。
「あ、親分。ここにネズミが一匹紛れ込んだみたいで」
「ネズミ?」
源次郎は拝次郎さんを見るなり、顔を近づけた。
「確かにネズミだな。いや、こう言った方がいいか。甲賀の忍びの生き残りだろ」
「何が言いたいんだ!」
「お前、ずっと俺のあとをつけていただろ」
「知っていたのか?」
「ああ。料亭をちょうど出たあたりから。なんとなく気配を感じていたけど、あえて気がつかないふりをして、ついて来させたんだよ。お前、誰かに頼まれたのか?」
「自分の意志でやったまでだ」
「本当のことを言え。誰なんだ?お前の姉さんか?それとも、女侍たちか?正直に言え!」
「彼女たちは関係ない。本当に自分の意志でやったんだ」
「じゃあ聞くが、俺たちの計画を知ってどうするつもりだ?」
「そんなのお前たちに話す必要はない!」
「そう来たか。俺たちの情報を立ち聞きしておきながら、自分の情報を話さないのか?不公平だと思わないのかい?」
「くどい! その必要はない!」
「なら仕方がないか。おい、お前らやっちまいな」
源次郎は子分に拝次郎さんを襲わせるよう指示を出した。
子分たちはいっせいに襲いかかったが、拝次郎さんはとっさに高くジャンプしてよけて、逃げ去っていった。
「おい、あいつを逃すな。追いかけろ!」
子分たちはいくつかにわかれて拝次郎さんを追いかけまわした。
「絶対に脱がすな!」
子分たちの声がいろんな所から聞こえてきた。
拝次郎さんは屋根に上がり、家々を飛び移っていった。
「くそっ、見失った」
「一度戻って親分に報告だ」
アジトへ戻った子分たちは口々に源次郎に報告をし始めた。
「そっかあ、逃げられたかあ」
源次郎はキセル(昔のタバコ)をくわえながら一言呟いた。
「親分、どうしますか?さっきの忍びも捕まえておくべきでしたか?」
「まて、焦るな」
「このままだと、お奉行様にも情報が伝わりますよ」
「その時はその時だ」
「こっちはお代官様を味方につけますか?」
「それも視野に入れなくてはならないな」
源次郎は気難しい表情をしながら答えた。
「とにかくあいつらがお奉行様に報告をしようとしまいと関係ない。その頃には地下にいる女とガキはアメリカの奴隷商人にいきわたって、俺の手元には300両が手に入るわけだ」
源次郎は不気味な笑みを見せたあと、高笑いをした。
その頃、久根崎の寺では拝次郎さんは地下牢での会話をすべて報告した。
「姉さん、大家さんと龍之介君、明後日にはアメリカの奴隷商人に売られるみたいなんです」
「それ、本当なの?」
「源次郎が言うには大家さんが200両、龍之介君が100両でアメリカの奴隷商人に売られるみたいなんですよ。どうしますか?」
拝次郎さんは焦った表情でお雪さんに話した。
「とにかく焦っても始まらないから、私はこのあとお奉行様の所へ行って報告をさせてもらうよ」
「わかった。でも、気を付けて。どこかで連中に見られているかもしれないから」
お雪さんは拝次郎さんの忠告を受けたあと、身支度を始めた。
「じゃあ私、お奉行様の所へ行ってくるから、留守お願いね」
「わかった。姉さんも気を付けてね」
奉行所へ着いたお雪さんは、お奉行様に会って拝次郎さんから聞いた内容をすべて話すことにした。
「お奉行様、度々のお願いで恐縮ですが、須田組の源次郎たちが新たな企みを考え始めたのです」
「ほう、その新たな企みとは何なんだ?」
「実は源次郎たちが、砂子長屋の大家であるお菊と龍之介をアメリカの奴隷商人に300両で明後日売り渡すみたいなのです」
「それはまことか!?」
お奉行様は驚いた表情で反応していた。
「それなら急がねばならないな」
「どうか、よろしくお願いいたします」
お雪さんはお奉行様に頭を下げたあと、奉行所をあとにした。
そのころ私たちは特に予定もなかったので、3人で団子屋で時間をつぶしていた時だった。
偶然お雪さんを見かけたので、私たちは店を出てお雪さんに声をかけることにした。
「お雪さん、こんにちは」
「かえでちゃん、こんにちは。お団子屋さんの帰り?」
「どうしてわかったのですか?」
「だって、プフフフ……」
「何かおかしいことでもあったのですか?」
私はお雪さんが、急に笑い出したことに疑問に感じてしまった。
「かえでちゃん、口の周りにあんこがついているわよ」
「本当ですか?」
その時、今まで他人のふりをしていたつばきがやってきて、刀拭き用の和紙を懐から一枚取り出して、私の口の周りを拭いてくれた。
「かえで、ちょっとこっちを向いて」
「つばき、ちょっと恥ずかしいよー」
「少し我慢をしなさい」
それを通り過ぎる人たちは笑いながら見ていた。
「みんな見ているよ」
「私だって結構恥ずかしいんだから。それに誰のせいで、こんなことをやっているのよ!」
つばきは少しいらだった感じで、私の口を拭いていた。
その時だった。いつもの魚の行商がやってきて、私とつばきの光景を見ていた。
「お、かえでちゃん。つばき姉ちゃんに口を拭いてもらってよかったねえ」
魚売りの行商は笑いながら言ってきた。
「ちょっと、からかわないでください!」
「そうなりたくなかったら、もうちょっと気を付けて団子を食べてね。私もそれなりに恥ずかしい思いをしているんだから」
つばきもあきれ顔で私に突っ込みを入れてきた。
「なんだか、つばきってやっていることがお母さんみたい」
お雪さんも笑いながら突っ込んできた。
「こんなこと言いたくなかったけど、かえでの団子の食べ方って、小さい子どもと一緒なんだよね」
「……」
つばきの発言に私は何も言い返せなくなった。
「それ、私も気になっていた」
今まで黙っていたアンナも横から口を挟んできた。
「引き留めて申し訳ないけど、お雪さんはこれからお出かけなんですか?」
つばきは少しあらたまった感じでお雪さんに聞き出した。
「実は今日お奉行様のところへ行ってきたの」
「もしかして、チンピラたちに新しい動きがあったのですか?」
つばきの問いかけにお雪さんは黙って首を縦に振った。
「実は大家さんと龍之介君をアメリカの奴隷商人に売ることになったみたいなの」
お雪さんは重たい口を開いてゆっくり話した。
「それって、本当なの!?」
つばきは思わず大声で反応してしまった。
「拝次郎が連中のアジトへ行って調べてくれたの」
「お奉行様はすぐに動いてくれるの?」
「うん……」
「なら、お奉行様がくるまでの間、私たちが大家さんと龍之介君を助けるよ」
「大丈夫?」
お雪さんは不安そうな表情でつばきに聞いた。
「私たちなら大丈夫よ」
「本当に?」
「お雪さん、心配しすぎですよ。私たち毎日稽古を受けているし、身に着けている刀も飾りではありませんので」
つばきは背中の物干竿の刀を見せながら、お雪さんに言っていた。
「向こうには半蔵や豪鬼もいるから本当に気を付けて」
「心配には及びません」
今度はアンナが自信たっぷりに返事をした。
さらにアンナは背中のロングソードをお雪さんに見せながら「これでフランスの騎士と闘ったことがあるので、怪物には余裕で勝てますよ」と自慢げに言っていた。
「無理だけはしないでね」
お雪さんは引きつった表情でアンナに言った。
そのあと私が何も言って来なかったことに対して、お雪さんは少し疑問を感じたような顔をしていた。
「かえでちゃんは何も言わないの?」
「何がです?」
「なんていうかその……、ほら意気込みっていうのかな……」
お雪さんは私が何も言わなかったことに対し、調子を狂わされたような感じになってしまった。
「私、特に何も言うことなんかないですよ」
「そうなんだ……」
「かえで、何か言ったら?」
その時、つばきが横から口を挟んできた。
「つばき、なんで?」
「なんでって、ほらこれからチンピラから大家さんと龍之介君を救うわけなんだし、何か一言……」
「私、何も考えてないよ」
「じゃあ、何か考えてよ」
「そう言われても……」
「また私に恥をかかせる気?じゃあ、いいよ。無理強いして悪かったわね!」
つばきの機嫌はすっかり悪くなってしまい、そのあと小さい子供のようにへそを曲げてしまった。
「つばき、何怒っているの?」
「自分の胸に手を当てて考えてみたら?」
私が何を聞いても、つばきはへそを曲げて何も答えてくれなかった。
「なんで怒っているのか教えてよ。もしかして、さっきお雪さんの前で私だけ何も言わなかったことが、面白くなかったの?だったら、今から言うわよ!」
「もう、いいわよ!」
「じゃあ、どうしたらいいの?」
「かえでちゃん、一応形だけでもやっておかないと、つばきちゃんの機嫌が直らないんじゃないの?」
その時、お雪さんが後ろから肩をポンっとかるく叩いてきて、私にささやくように言ってきた。
「お雪さん……。今さらやっても……」
「もういい! 私、帰る!」
つばきは吐き捨てるような感じて私たちに言い残して、1人で家に帰ってしまった。
「かえでちゃん、あとでちゃんと謝った方がいいと思うよ」
「うん、そうだね。では、私たちそろそろ失礼します」
お雪さんと別れたあとの帰り道、いつもなら楽しい会話で盛り上がっていたはずなのに、つばきがいなくなっただけで空気が重くなり、終始無言のままで家に向かうこととなった。
11、半蔵の最後
家に戻ったつばきは疲れきった顔をして自分の部屋に戻り、刀を戻したあと大の字になって天井を見上げていた。
「何やっているんだ私……。落ち着いたら、かえでにちゃんと謝ろう……」
その時だった。「つばきー、ご飯が出来ているわよー!」とおばさんの声が聞こえた。
つばきがのっそりと階段を降りて八畳間に向かった時には、父さんと門下生たちがすでに食事を始めていた。
箱膳を持って食事を始めようとしたつばきを門下生の1人が元気がないことに気がついた。
「お嬢様、どうされたのです?かえでちゃんとアンナちゃんとけんかをされたのですか?」
「うん……」
「なら、なら自分から謝って仲直りをされた方がいいですよ」
「わかりました……。明日きちんと謝ります」
「その方がいいいですよ。いつまでもつまらないことで、お互い意地を張ってもいいことなんかありませんから」
「そうですね……」
「もっぱらトラブルの原因はつばきなんだろ。かえでちゃんとアンナちゃんを巻き込むなんて何考えているんだ、このバカ娘は」
ご飯を食べ終えてお酒を飲み始めたおじさんが横から口を挟んできた。
「師匠、ちょっと言い過ぎですよ」
「これは親子の問題だ。お前は黙っていろ」
「確かにお嬢様にも非があります。ですからその件に関しては明日きちんと謝って仲直りをすればいい話なんです」
「お前、いっぱしに俺の前でこんな口を聞けるようになったな。誰のおかげで剣の腕が上がったと思っているんだ?」
「それは、その……。師匠のおかです」
「だったら、おとなしく引っ込んでいろ」
「わかりました」
おじさんは完全に酔いが回っていたのか、門下生に絡む始末となった。
怖くなったつばきは箱膳を持って自分の部屋に向かい、ゆっくり食事を始めた。
食事を終えて、食器を台所に下げたあと、つばきはおじさんの部屋に呼ばれた。
「失礼します」
「ここに座れ」
つばきが正座をしたあと、お酒を飲み終えて時間が経っていないのか、出てきた息と一緒にお酒の匂いまでが漂ってきた。
「父さん、お酒臭い」
「少しくらい我慢しろ。っで、かえでちゃんとアンナちゃんともめた原因はなんだ?」
「一つ訂正があります。アンナちゃんとはけんかになっていません」
「まあいい。っで、かえでちゃんとけんかの原因はなんなんだ?言ってみろ」
おじさんは少しいらだった感じで、つばきに問いかけた。
「実は些細な利理由で……」
「だから、その些細な理由を聞いているんだ! 言ってみろ!」
「実は……その……」
「ああ、もう、じれったい!」
おじさんはつばきの反応に対し、いらだちの頂点に達していた。
「……」
「なあ、はっきり言え。父さんに何か隠していねえか?」
「何も隠していません……」
「まあ、これ以上問い詰めていても何も言いそうにないから、これで終わりにするけど、かえでちゃんとけんかをした以上、ちゃんと仲直りをしろよ」
「わかりました」
「じゃあ、さがれ」
そのあと、つばきは部屋へ戻り布団を敷いて寝ることにした。
一方、私の方でも似たようなことが起きていた。
「かえで、今日は元気がないけど、どうしたの?」
茶碗を持って考え事をしていた私を見ていた母さんは曇った表情で私に聞いてきた。
「ううん、何でもない」
「本当に?」
「うん、本当だよ」
私は母さんに余計な心配をかないように、うまくごまかしてみた。
「かえで、母さんに何か隠してない?」
「何も隠してないよ」
「お嬢様、本当のことをおっしゃってください」
その時、門下生の1人が横から口を挟んできた。
「本当に何も隠していませんので、大丈夫です」
「本当ですか?例えばお友達と何かトラブルでもあったのでは?」
「本当に何もありません……」
「お嬢様、やましいことがなかったら、私の目を見てください」
門下生は少し厳しめな表情で私に目を向けた。
「かえでが黙っているのなら、私が当てます」
今まで黙っていた母さんが箸をとめて、厳しい目線で私に向けた。
「おかみさん、食事中なので控えめにお願いしますよ」
門下生の言葉など耳一つ傾けもせずに、母さんは厳しい口調で話を続けた。
「今日、つばきちゃんとアンナちゃんと何かあったんでしょ?例えばけんかとか?」
「けんかはしてません……」
「本当のことを言いなさい!」
食事中にも関わらず、母さんの顔は完全にナマハゲになっていた。
「本当になにもないんです……」
「なら、なんで下を向くの?おかしいよね?何か隠しているから下を向いているんでしょ?」
母さんは昔から勘が鋭かった。だから下手に隠し事をしてもすぐにばれてしまう。
なので、今回も最後まで隠し通せないことはわかっていたが、反射的に事実を隠してしまう結果になってしまった。
その時だった。今まで黙ってお酒を飲んでいた父さんが一言、言い出してきた。
「かえで、母さんや門下生に何か隠しているんだろ。正直に言え」
父さんも母さんに負けないくらい怖い目つきで私を見ていた。
さすがにこれ以上は限界が来たので、正直に話すことにした。
「実は、今日些細な理由でつばきとけんかをしました……」
「それで、けんかの原因はなんなんだ?」
父さんはお酒を飲んで私に問い詰めた。
「実は今後の意気込みをお雪さんの前で言っていた時、私だけ言わなかったことが面白くなくて、つばきにうるさいことを言われたの」
「つばきちゃんとアンナちゃんが言って、お前だけ言わなかったらおかしいと思われるよな。なんで言わなかったんだ?何かわけがあるんだろ?」
「特にありません」
「『特にない』ってことはないだろ」
「だって、言う必要がなかったから……」
「それで何も言わなかったの?」
今度は母さんが口を挟んできた。
「うん……」
「明らかにかえでが悪い。明日つばきちゃんに会ったら、ちゃんと謝ること。わかった?」
母さんの強い口調に私は黙って首を縦にふるだけとなった。
翌朝のことであった。私は食事をすませて食器を洗ったあと、身支度をして出かけることにした。
外へ出てみると、季節外れの冷たい風が顔に直撃してきた。
冷たい。4月も終わりになろうとしているのに。
そう思って私はつばきの家に向かった。
玄関先で、私は大声で何回かつばきの名前を呼んだら、おじさんがやってきて、「あ、かえでちゃん、こんにちは。昨日はつばきが迷惑をかけたみたいで本当に悪かったな。ちょっと呼んでくるからな」と言って二階へ上がり、つばきを呼んできた。
「つばき、ごめんね。昨日あれからお母さんに叱られたよ」
「かえで、私こそごめんね。私も父さんにこっぴどく叱られた」
「じゃあ、ちょっと出かけようか」
「うん」
その時だった。おじさんが懐からお金の入った巾着を取り出して、つばきに渡した。
「つばき、これでかえでちゃんたちに団子を食わせろ」
「わかりました」
「おじさん、気を使わないでください。私も出かける前に父からお金を預かってきました」
「じゃあ、このお金はお小遣いにしろ。ハハハ……」
おじさんは笑いながら私に言ってきた。
「お言葉に甘えて、ごちそうになります」
「じゃあつばき、アンナの所へ寄ってから団子屋に行こう」
「うん」
「じゃあ父さん、行ってくるね」
「気をつけて行けよ」
そのあと私とつばきはアンナと合流し、団子屋へ向かうことになった。
「アンナー、聞いてよ。昨日家に帰ったら父さんと母さんにこっぴどく叱られたよ」
私は泣きそうな声で早速アンナに愚痴をこぼし始めた。
「ハハハ……、それは災難だったね」
アンナは苦笑いをしながら返事をした。
「かえで、気持ちはわかるけど、いきなり愚痴はちょっと……」
さらにつばきまでが、横から苦笑いをしながら突っ込んできた。
「だって、昨日食事中に叱られたんだよ」
「それを言うなら私なんか食事中に叱られた上に、そのあと父さんの部屋に呼ばれたんだよ」
「マジ!?」
「うん」
「私以上に……」
私はつばきの話を聞いて言葉を失ってしまった。
団子屋についた私たちはさっそくお茶を飲みながら団子を食べ始めた。
「ああもう、かえでってたらまた口の周りにあんこをつけて」
つばきが刀拭きの和紙で私の口を拭いたあと、誰かが横を通り過ぎたのを見かけた。
「あれ、お雪さんだよね?」
アンナが立ち上がってお雪さんの方へ向かって指さした。
「どうしたの、アンナ?」
つばきもアンナの反応に驚いてしまった。
「お雪さーん!」
アンナは店の中から大きい声でお雪さんを呼んだ。
「あれ、みんなしてお団子を食べていたの?」
お雪さんは店の中へ入るなり、私たちと同じ席に座って団子を注文をした。
「ここは全部私がおごるから、一緒の席に座らせてくれる?」
「それじゃあ悪いから会計は別々にしましょ」
つばきは遠慮して、断るよう言った。
「いいの。ここは私に払わせて」
お雪さんはそう言ったあと、私たちの分の団子も追加注文し始めた。
団子が運ばれてくるなり、私たちはお雪さんに「ごちそうになります」と言って団子に手を延ばした。
「お雪さん、本当にいいのですか?」
「いいよ。だから遠慮しないでたくさん食べてね」
つばきは申し訳なさそうな顔をしていたが、お雪さんは笑顔で勧めた。
「そういうことなら遠慮なしに」
私が手を延ばそうとした瞬間、つばきが私の手を叩いた。
「痛いよ、つばき」
「かえでは少し遠慮しなさい」
「ねえ、かえでがこんなペースだから、会計は別々にしない?」
「つばきちゃん、本当にいいんだよ。ここは全部私が出すから」
「お雪さん、収入が少ないのに無理していませんか?」
「そんなことないよ」
つばきは不安そうな表情でお雪さんに言った。
「私、ここに来る前に父からお金を預かってきましたので、これで払わせていただきます」
「つばきちゃん、本当にいいんだよ」
「お願い、出させて」
「子供が余計な気遣いをしたらだめ」
お雪さんはそう言ったあと、団子屋の主人に私たちの分までお金を払って店をあとにした。
「お雪さん、今日は本当にごちそうさまでした」
つばきはお雪さんにおじぎをしてお礼を言った。
「いいの、気にしないで」
店を出て数分のことだった。
私たちは小さな用水路の方角へと向かった。
「そういえば、明日例の連中が大家さんと龍之介君をアメリカ人に引き渡す日だったよね。お奉行様、動いてくれるかな」
私は少し不安そうな顔をして、ボソっと呟いた。
「大丈夫よ、ちゃんと動いてくれるから」
お雪さんは私に安心させるように言ってくれた。
それはうれしいことなんだけど、どこか引っかかるものを感じた。しかし、それは私にもよくわからなかった。
「そういえば明日連中が大家さんと龍之介君をアメリカ人に引き渡すのって何時だっけ?」
つばきはお雪さんに確認を取るような感じで聞いた。
「午の刻(正午)だと聞いたよ」
「その時間にはお奉行様が見えるのですか?」
「さあ、そこまではわからない。なんで?」
お雪さんはつばきが、ここまで確認をしていることに少し疑問を感じていた。
「実は私たちが大家さんと龍之介君を助けようと思っているの」
「『辞めな』って言いたい所だけど、止めても無駄みたいだから、気を付けてね」
お雪さんは少し心配そうな表情でつばきに言った。
「心配しなくても大丈夫ですよ。私たちこう見えても強いので」
「そうじゃなくて……」
「どういうことですか?」
「牢屋の鍵はどうするの?」
「あ、そうか……」
「鍵がないと、牢屋を開けることが出来ないんじゃないの?」
お雪さんはつばきの発言に「待った」をかけるような感じで言ってきた。
「じゃあ、髪飾りとかで開けてみる?」
私はその場の思いつきでつばきに言ってみた。
「それって、相当な技術が必要なんじゃないの?あと見つかったらどうするの?」
つばきは私の考えに呆れた状態になっていた。
「あ、そっかあ。ねえ、誰かこの中で髪飾りを持っている人っているの?」
「ねえ、かえで、人の話を聞いてる?」
「何が?」
「『何が』じゃないでしょ?さっき私言ったわよね。髪飾りで牢屋を開けるのは難しいって。かえでには、そんな技術を持ち合わせているの?」
「私はそんな技術はないよ」
「だったら、そんなことを言わないでよ」
つばきが私に突っ込みを入れていたら、横で見ていたアンナとお雪さんがクスクスと笑い出す始末。
「2人とも笑いすぎ」
「だったら、そんなことを最初から口にしないこと」
私が顔を膨らませて言ったら、つばきが再び突っ込みを入れてきた。
「ねえ、かえでちゃん。私今髪飾りを刺しているけど、よかったら試してみる?」
「お雪さん、持っているの?」
「前にも言ったけど、私もともと甲賀のくノ一だったから、こういう小物は常に携帯しているの」
お雪さんはそう言って、頭から髪飾りを抜いて私に見せた。
「これから連中のアジトへ行くの?」
「そうじゃなくて、家に錠前があるからそれで試してみようかと思ったの。」
「そうなんだね」
「じゃあ、今から行ってみようか」
「うん!」
私たちはお雪さんと一緒に久根崎の寺に向かうことにした。
私たちが歩いていると、後ろから何かの気配がしてきた。
私がとっさに後ろを振り向くと、誰もいなかった。
「かえで、どうしたの?」
つばきが気になって私に声をかけた。
「さっき、後ろから人の気配がした」
「気のせいじゃない?」
「なら、いいけど……」
つばきは「気のせいだ」と言っていたけど、やはり気になって仕方がない。
久根崎に着いて、一休みをしたあと、お雪さんは錠前のついた小さな木箱を用意してきた。
「じゃあ、今からこの髪飾りを使って木箱に付いている錠前を開けてみるね」
お雪さんは頭についている髪飾りを取り出して錠前に差し込み、カチャカチャと音をたてながら鍵を開け始めた。
開け始めてから数分、錠前はカチャっと音がして鍵が開いた。
「どう?」
お雪さんは少し自慢げな顔をして私たちの前に見せた。
木箱の中身は当然空っぽ。
「すっごーい! どうやったの?」
「じゃあ、教えてあげる」
私はお雪さんに尊敬のまなざしで教えてもらおうとしたので、お雪さんは軽く微笑んで返事をした。
お雪さんは、私に近づいて優しく手取り足取り丁寧に教えてくれた。その時、ほのかに甘い匂いが私の鼻を刺激してきたので、少しだけ意識が遠のいてしまった。
「ねえ、かえでちゃん聞いてるの?」
「あ、ごめん」
それでもお雪さんは嫌な顔を一つ見せずに私に丁寧に教えてくれた。
「ここをこういうふうにやれば開くでしょ?」
「あ、本当だ」
「じゃあ、やってみて」
「うん」
私はお雪さんに言われた通りにやってみた。すると、どこかで引っかかったのか、まだ開かなかった。
お雪さんはそれを見て不思議がっていた。
「おかしいわね……。かえでちゃん、もう一回やってみて」
「うん……」
私は再び髪飾りで錠前を開けてみることにした。私の手を見たお雪さんは「ちょっと待って」と言って私の手の動きを止めた。
「どうしたの?」
「髪飾りを最初に上に持っていったでしょ?」
「うん」
「上じゃなくて、左だよ」
「あ、そうか」
私はお雪さんに言われたように、髪飾りを錠前に差し込み左へカチャカチャと動かしてみた。
すると、錠前がカチャっと開いた。
「あ、開いた!」
「やったじゃん!」
「どれどれ。ねえ、もう一度見せてくれる?」
今まで退屈そうな顔で見ていたつばきが、今度は興味を示したような顔をして私の所へやってきた。
「いいよ。ちゃんと見ててね」
「何よ、この上から目線は」
つばきは少し不満そうな顔をしながら、私が髪飾りで錠前を開ける瞬間を見届けていた。
「お、凄い!」
つばきは私が髪飾りを開けた瞬間、驚いた表情をしていた。
「どう、凄いでしょ?えっへん!」
「なんでここで威張るの?」
「別に威張ってないよ。ちょっと調子に乗っただけ」
「どっちにしろ、似たようなものじゃん」
つばきは呆れた表情になってしまった。それを横で見ていたお雪さんはクスクスと笑っていた。
「お雪さん、笑いすぎ」
「ごめん、2人って仲が良いんね」
「つばきとは、幼少期の時からのつきあいだったから」
「その時からかえでは他人に迷惑をかけて、おじさんとおばさんに叱られていたんだよね」
「つばき、今はその話をしなくてもいいでしょ!」
それを聞いていたお雪さんは、再びクスクスと笑い出した。
「ねえ、よかったらつばきちゃんとアンナちゃんも覚えてみる?」
「いいのですか?」
「もちろん!」
「よろしくお願いします!アンナー、ちょっと来てー」
つばきはアンナを呼んで、お雪さんから錠前の開け方を教わっていた。
「2人とも筋がいいねえ」
お雪さんは、感心したようにずっとつばきとアンナを見ていた。
「すごーい!」
お雪さんはそう言ったあと、奥の部屋から髪飾りを3本用意してきて、「これ免許皆伝」と言って私たちに渡した。
「ありがとうございます」
私たちはいっせいにお礼を言ったあと、お雪さんから髪飾りを受け取った。
「ねえ、本当にこれで大家さんと龍之介君を助けるの?」
「うん!」
「辞めた方がいいと思うよ」
お雪さんが私を止めた瞬間だった。境内から不気味な笑い声が聞こえてきた。
「その必要はない。なぜなら今日がお前たちの命日だからな」
その声は半蔵であった。半蔵は忍びの子分を数人連れて私たちの前に現れた。
「半蔵!」
お雪さんは驚いた表情で半蔵の顔を見ていた。
「久しぶりだな、甲賀のくノ一。それとも、こう呼ぼうか、雪村つばめ。今は忍びを辞めて子供たちと一緒に手品師になったそうじゃないか」
「そんなことはあなたには関係ない!」
「そうだったな。俺は伊賀、お前は甲賀だったからな。しかし驚いたよ。名前を『お雪』に変えていたとはな」
「変えたのではない。それで通しているだけだ」
「なるほどな。しかし、なんで忍びを辞めて手品師になったんだ?それも答えられぬと言うのか?」
「これからは手に職を持たないと、生活が出来ないと思ったからよ」
「なら、城で使ってもらえればよいではないか」
「城はもはや、忍びを不要としている。だから私は手品師の道を選んだ。お前こそなんでチンピラの手下になった?伊賀の忍びも地に落ちたものだ」
「手品師になり下がったお前だけには言われたくはない」
「悪党の手下になるよりかはマシだ!」
「悪党の手下か。それも悪くないな。なら、悪党なら悪党らしくお前たちをまとめてあの世へ送るまで」
その直後、手下たちが私たちを取り囲み、いっせいに刀を抜いた。
「本気で私たちとやると言うの?」
お雪さんは少し震えた表情で半蔵に言った。
「当たり前さ。お前たちの首を親分に見せるためだ」
「いいでしょう。でも私たちもただでは死なないわ。私との勝負に勝てたら私の首を差し上げるわよ」
「この言葉を忘れるではない」
「ここだと子供たちが見ているから、一度場所を変えるわよ」
「よかろう」
私たちは半蔵たちを連れて、寺から少し離れた雑木林の奥へと進んだ。
「なるほど、ここをお前たちの墓場と選んだわけか」
「半蔵、覚悟なさい。今日の私はちょっとばかり不機嫌だからね」
「おお、こわ。どんな攻撃を仕掛けてくるか楽しみだ。つばめ、お前の得意な手品というやらで、攻撃してみたらどうだ」
半蔵はお雪さんを挑発するような言い方をしてきた。
「そんな挑発で私がひるむとでも思ったのか?」
「いや、別に」
半蔵はお雪さんをバカにするような態度で返事をした。
お雪さんは感情を高めて、背中の刀を抜きとった。
「おい、震えているじゃないか。こんな状態で俺たちとやるのか?」
半蔵はお雪さんに指をさしながら、品のない笑い方をしていた。
「ここまで私を笑ったことを後悔させるわ」
お雪さんは怒りの感情を高めながら刀を向けた。
「おい、お前たちはザコの女侍たちを始末しろ。俺は甲賀のくノ一とやるから」
半蔵は手下に私たちの相手をするよう言った。
「相手は15人。1人5人ずつね」
「オーケー」
つばきとアンナは私の指示に返事をしたあと、いっせいに刀を抜いた。
私の二刀流、つばきの燕返し、アンナのロングソードさばきで次々と倒していった。
私が5人倒そうとして油断をしたその瞬間、最後の1人が襲ってきて私を斬ろうとした。
「かえで、危ない!」
つばきは大声で私に注意をした。私はとっさに長い刀で相手の剣を抑え、短い刀で斬りつけた。さらに最後のとどめとして長短の両方の刀で最後の手下を斬りつけた。
「かえで、少しは気をつけなさいよね」
つばきは強めな口調で私に注意した。
「ごめん……」
私はその場でつばきに謝った。
残りは半蔵だけであった。
お雪さんと半蔵の一騎打ちが続いていたが、お雪さんが最後のとどめを刺した。
「おのれ、この俺を斬って勝てたと思うなよ。残りの同志たちが前たちを必ず殺しにやってくる」
半蔵はそう言い残して、ぐったりと死んでしまった。
「この死体、どうする?」
私はつばきに確認をした。
「どうするって言われても……」
つばきは少しつまったような感じで返事をした。
「とにかくお役人様が来るまでそのままにした方がいいんじゃない?」
「確かに……。その方がいいかもしれないね」
つばきはアンナの意見に同意した。
「じゃあ、ここにいても面倒だし、一度戻ろうよ」
私はみんなに戻るよう言った。
「じゃあ、私たち門限があるから、ここで帰らせてもらうね」
私がつばきとアンナを連れて帰ろうとした瞬間、お雪さんは「ちょっと待って」と言って私たちを引き留めた。
「どうしたのですか?」
私は少し表情を曇らせて、お雪さんに聞いた。
「明日、本当にお奉行様が来る前にやるの?」
お雪さんは不安そうな顔をして、私に聞いた。
「うん、その前に大家さんと龍之介君をアメリカ人に引き渡されたらアウトだから」
私は険しい表情をして返事をした。
「大丈夫よ、私たちなら」
「そういう問題じゃなくて……」
「じゃあ、他に何かあるのですか?」
「あなたたちまでが捕まるのではないかと心配で……」
「それなら大丈夫です。私たちには『切り捨て御免』があるから」
「でも、それってお百姓さんや町人だけでしょ?」
「あのチンピラだって町人じゃん」
「確かにそうだけど……。じゃあ、くれぐれも斬る時には気を付けてね」
お雪さんはそう言って私たちを見送ってくれた。
その帰り道も特に何も話すこともなく、家に着くまで無言のままでいた。
12、 源次郎と豪鬼の最後
その日の夜のことであった。
源次郎は豪鬼や子分たちと一緒に料亭でお酒を飲んでいた。
「いよいよ、明日ですね」
「ああ。女とガキをアメリカの奴隷商人に引き渡せば俺の手元に300両が入ってくる」
「楽しみですね」
子分は源次郎にお酒を注ぎながら言った。
「今から楽しみだ。もう待ちきれねえ。今日は俺のおごりだ。遠慮しねえで、たくさん飲めや」
源次郎は上機嫌で酒を飲み干した。
「今日の酒は一段とうまい! お前たちさっきから飲んでいねえじゃねえかよ。さっさと飲めよ」
源次郎は豪鬼や子分たちに積極的に酒を勧めた。
「それではお言葉に甘えて一杯頂きます」
子分は遠慮しがちにお酒を入れて飲み干した。
「そんな一杯とは言わずに、もっと飲めよ」
「では、もう一杯だけ」
子分はそう言って二杯目を飲み干した。
「豪鬼、お前もどんどん飲め」
「お言葉ですが……」
「なんだ、飲めねえのか?」
「そうではありませんが、つまみも頂きたいのですが……」
「そういうことは先に言え。何が食いたいんだ?」
「カブの漬物を」
「よし、わかった」
源次郎は大きい声で中居さんに「おーい、カブの漬物を持ってこーい!」と叫んだ。
廊下で中居さんは「かしこまりました、ただいまお持ちします」と返事して板場に向かった。
「今、漬物がやってくるからそれまで飲みながら待っていろ」
源次郎はそう言って、豪鬼の杯にお酒を注いだ。
「それでは、頂きます」
豪鬼は杯のお酒を一気に飲み干した。
「なかなかの飲みっぷりじゃねえかよ。じゃあ、もう一杯飲めよ」
源次郎はそう言って二杯目を豪鬼の杯に注いだ。
「失礼します、カブの漬物をお持ちしました」
「ご苦労」
中居さんはそう言って人数分のカブの漬物を置いて部屋から出ようとした時だった。
「おい、待て。これを持って行け」
源次郎は中居さんに小判一枚を差し出した。
「いけません。こんな大金を」
「いいから取っておけよ。俺からのほんの気持ちなんだからよ」
源次郎はそう言って半ば無理やり中居さんの手に小判一枚を握らせた。
「これで、このお金はお前の物だ」
「ありがとうございます」
中居さんは源次郎に深く頭を下げて部屋からいなくなった。
その時の源次郎はすでにメロメロに酔っぱらっていた。
「ちょっと酔いをさましてくる」
そう言って庭に出ようとした時、外は季節外れの冷たい風が吹いてきて、源次郎の体を刺激してきた。
「今夜はいちだんと冷えるな」
源次郎が再び部屋へ戻って、酒を飲み直そうとした瞬間、別の子分がやってきた。
「親分、お楽しみの所、大変申し訳ございません」
「どうした」
「大事なお知らせがあります」
「その大事な知らせとはなんだ?」
「実は半蔵とその子分たちが何者かによって斬られました」
「何、半蔵が斬られただと!? 場所はどこなんだ?」
「久根崎の寺から離れた雑木林の奥でございます。近所の人が歩いていた時に発見されて、それをお役人様に話していたのを聞こえました」
「そっかあ……」
「おそらく相手は相当な凄腕の剣豪だと思われます」
「本当にそう思うのか?」
「と、言いますと?」
「お前、さっき久根崎の寺の近くと言ったよな?」
「はい、それが何か?」
「まだ気がつかねえのか?」
源次郎はギロっとした目つきで子分の顔を見つめた。
「親分、きちんとおっしゃってもらえますか」
「じゃあ言うけどよ、あそこの寺には元甲賀の忍びが自分たちの住みかにしているんだよ。しかも女侍が3人、頻繁にそこへやってきている」
「と、言いますと彼女たちが半蔵を斬ったと言うのですね」
「その可能性が充分高い。明日も地下牢にいる女とガキを連れ戻しにやってくる。充分に気をつけろ」
「承知した」
「じゃあ、俺はもう少し飲んでから帰る。お前も飲むか?」
「ではお言葉に甘えて」
源次郎はそう言って、日付が変わる直前まで飲み続けていた。
次の日、昨日の飲み過ぎがこたえていたのか、いつもより遅めに起きていた。
「親分、おはようございます。今日は遅めなお目覚めなんですね」
「今、何時なんだ?」
「もう巳の刻(午前10時)になろうとしますよ」
「巳の刻!?」
源次郎は驚いた表情で反応していた。
普段なら卯の刻(午前6時)、遅い時で六ツ半(午前7時)には目を覚ましていたので、巳の刻と聞いたとたんに、びっくりしてしまい、あわてて着替えを済ませ、1人遅い朝食を済ませていた。
「親分、珍しいですね」
子分が少し驚いた顔で源次郎を見ていた。
「昨日、日付が変わるまで飲み続けていたからな」
「親分、お酒の飲み過ぎは体に毒ですよ」
「わかっている。昨日は少々調子に乗りすぎてしまったからな」
「本当に気を付けてくださいよ」
子分は食事中の源次郎にきつめに注意をした。
食事を終えた源次郎は子分に食器の片付けをやらせ、自分は地下牢にいる大家さんと龍之介をのところへ向かった。
「おい、いよいよだな」
源次郎は目をギョロっとさせて大家さんと龍之介を見つめた。
「今日は何しにきたの」
大家さんは少し震えた顔で源次郎の顔を見た。
「まあ、用ってほどはない。ただ、お前たちとお別れを言いに来ただけだ」
「なら、今すぐこの子だけでも解放してあげて」
大家さんは源次郎にすがるような感じでお願いをした。
「それは無理だよ。なぜならお前たち二人はアメリカ人の奴隷になるんだからな。今日の午の刻(正午)に約束もしてあるし……」
「お願い、奴隷は私だけにしてちょうだい。この子は悪くないんだから」
「悪くない?この期に及んでしらを切るのか。俺の財布を盗んだ泥棒がそれを言うのか」
「お金なら私が払います」
「お前、俺の財布の中にいくら入っていたかわかるのか?少なくとも小判20枚以上は入っていたんだよ。それをこのガキが全部使いやがった。それをアンタが全部払うと言うなら、この話を取りやめてもいいんだぞ」
「小判20枚だなんて、そんな大金……」
「どうした、払えばガキだけでなく、お前も自由の身にしてやるよ。どうした、払えないのか?」
「今は無理でもいつかはお返しします」
「何を言っているんだ。そんないい加減な約束を誰が信じるんだ。今すぐ用意をしろと言っているんだ!」
源次郎は少しいらだった感じで、大家さんに文句をぶつけた。
「おい、ガキ。お前はどうなんだ?俺から盗んだ金をそっくり返してくれねえか」
「……」
「おい、ガキ。さっさと聞かれたことに返事をしろ!」
源次郎のいらだちはだんだん募るばかりであった。
「今すぐは返せません」
「なら、仕方がねえな。おまえらまとめてアメリカ人に引き渡すまでだ。それとな砂子長屋は差し押さえにしたよ」
「なんですって!?」
「あたりめえじゃねえかよ。金が払えないなら、そうするより他はねえだろ」
「じゃあ、住人たちは?」
「差し押さえた以上、そこにはいられないから追い払ったよ」
大家さんは何も言えず、悔しそうな顔をしていた。
「大家さん、ごめんなさい」
「ううん、気にしないで」
「せいぜい、自分たちのしたことを恨むんだな」
源次郎は顔をニヤつかせながら、大家さんと龍之介に言った。
「あ、そうそう。もしかしたら、このあとお前たちのお仲間がやってくるかもしれない。せいぜい斬られるところを見届けるんだな」
源次郎はそう言い残していなくなり、その足で奴隷商人のスミスさんのいる宿屋へと向かった。
宿屋へ着いた源次郎は今日の打ち合わせを始めた。
「スミスさん、お待たせしてすみません」
「オ目当テノ奴隷ハ、ドチラニイマスカ?」
スミスさんは少しつまった感じの日本語で源次郎に確認をとった。
「へっ、それがまだ私のアジトにある地下牢におります」
「オ体ノ調子ハ大丈夫デスカ?」
「私はいたって健康です」
「違イマス。アナタデハアリマセン。奴隷ノ2人デス」
「この2人でしたら、問題ありません」
「ナラ、2人ガイル場所マデ案内シテモラエマスカ?」
「もちろんです。では300両を先に払っていただきましょうか」
「ノー!ソレハ、奴隷ヲ私ニ引キ渡シタアトデス」
「先にお金を払ってくれないと、こっちも信用できねえんだよ」
「ナラ、奴隷ノ前デ、オ金ヲ払ウノハドウデスカ?」
「わかった、そうしよう」
源次郎はスミスさんを連れて、アジトへと向かった。
その頃、私たちは久根崎の寺で源次郎のアジトへ向かうための準備をしていた。
「みんな、準備は整った?」
私はみんなに確認をした。
「大丈夫よ。本当に行くの?」
つばきは少し不安そうな顔をして私に聞いた。
「何が?」
「何がって、これから大家さんと龍之介君を助けるんでしょ?」
「うん。そのためにお雪さんから錠前の開け方を教えてもらったの」
「だとしても、その前に連中に捕まったら意味がないよ」
「私、それでもやる」
「本気なの?」
「このままだと、大家さんと龍之介君、アメリカに連れていかれるんだよ」
「その前に私たちが捕まったら意味がないでしょ」
「確かに……」
「それに、チンピラたちだって何人いるのか、わからないんでしょ?」
「うん……。でも、私それでも大家さんと龍之介くんを助けに行く」
「かえで……」
「わかった、これ以上何を言っても無駄みたいだから私も協力するよ」
つばきはついに観念して私に協力してくれることになった。
「私も一緒に行くよ」
そのあとアンナも便乗して言い出した。
「私も大家さんにはさんざん世話になったから、一緒に行かせてもらうよ」
お雪さんも私たちに協力してくれることになった。
こうして私たちが源次郎のアジトへ向かっているころ、源次郎たちの方が一足早くアジトへ到着し、地下牢へ向かった。
「コンニチハ、オ迎エニ来マシタ」
スミスさんは大家さんに軽く挨拶をした。
「あなたは誰なの?」
大家さんは殺気立てた言い方をして、スミスさんに目を向けた。
「私ハ、コレカラアナタノゴ主人様ニナル人デス。アナタハ私ノ奴隷デス」
「ふざけないでよ! 誰が貴方の奴隷になるものですか」
「モウ、決マッタコトナノデス」
「何が決まったって言うのよ」
「こういうことだ。スミスさん、例のお金を」
スミスさんはそう言って源次郎に300両を手渡した。
「これで取引が成立ですね」
「デハ、2人ヲ牢屋カラ出シテクダサイ」
「はいよ」
源次郎はそう言って牢屋の鍵を開けて大家さんと龍之介を外へ出し、2人が逃げ出さないように縄で体をしばりつけた。
「デハ、参リマショウカ」
「お買い上げありがとうございます」
スミスさんはアジトを出て、大家さんと龍之介を連れて港がある方角へと向かった。
「待ちなさい、この2人を解放しなさい! もうじき、奉行所の人間たちが来るわよ!」
私はスミスさんを見つけるなり、大声で引き留めた。
「アナタタチハ、誰デスカ?」
「私は、この二人の知り合いだよ。早く解放してくれる?」
「ソレハ、無理デス。私ハ、コノ2人ヲ300両デ買イ取リマシタ。コレカラ、私ノ奴隷トナッテ働イテモライマス」
「そんな話、聞いていない! なら証文出してよ!」
「証文?ナンデスカ、ソレ?私、ソンナノ持ッテイマセンヨ」
「なら、この話は無効ね」
「無効?ッテナンデスカ?私、難シイ日本語、ワカリマセン」
「あなた、フランス語わかる?」
今度はアンナが口を挟んできた。
「アナタ、日本人デハ、アリマセンネ」
「私はフランス人よ。わけあって日本で暮らしているの」
「ドオリデ、日本語ガ上手ナワケデス。デモ私ガワカルノハ、英語ト少シノ日本語ダケデス」
「なら私も少しだけ英語がわかるから、それでいい?」
「イイデスヨ」
「Without proof, this case is void. Hurry up and release these two. (証文がなければ、この件は無効よ。さあ、早くこの2人を解放してちょうだい。)」
「That's impossible. This is because the business negotiations are completed when the money is received. (それは無理です。なぜならお金を受け取った時点で、商談が成立しているからなんです。)」
アンナはこれ以上何も言い返せなくなった、その時である。
「表が騒がしいぞ、何の騒ぎだ」
そう言いながら源次郎がやってきた。
「源次郎、大家さんと龍之介君を返しなさい!」
私は突っかかるような感じで源次郎に言った。
「それは無理だよ。俺はあちらのアメリカ人から300両もらったし、返すつもりもないよ」
源次郎は顔をニヤつかせながら答えた。
私の怒りは頂点に達していた。そして私が2本の刀を同時に抜こうとした瞬間、つばきに抑えられた。
「かえで、気持ちはわかるけど、今は抑えて」
「おい、そんなに返してほしいなら、力ずくで取り返してみろ」
「上等よ! あんたと勝負してやる!」
「かえで、相手の挑発に乗ったらだめ!」
つばきが止めに入った時にはすでに手遅れだった。私は2本の刀を抜き取り、源次郎に襲い掛かろうとした。
「おっと、待ちな。お前たちの相手はこいつらだよ。おい、であえー! であえー!」
その瞬間、浪人侍たちが次々とやってくる中、豪鬼も混ざっていた。豪鬼は不気味な笑みを見せながら鎖鎌を構えてやってきた。
「お前ら、この女侍のガキどもを切り捨てろ」
源次郎は浪人侍に命令して任せたあと、自分は後ろで見ていた。
それと同時に町人たちが「おーい、決闘だ。かえでちゃんたちが浪人侍たちとやるみたいだぞー!」と言った瞬間、いつの間にか凄い野次馬の数になっていた。
「みんな行くわよ!」
私はつばきとアンナに言って、そのまま浪人侍を切りかかっていった。
「嬢ちゃん、二刀流とはなかなかやるじゃねえかよ」
「まあね」
「でも、力は俺たちの方が上なんだよ」
浪人侍は数人まとめて斬りかかってきたが、私はまとめて斬りつけていった。
つばきも物干竿の刀で次々と斬りつけていった。
「お嬢ちゃん、この刀を扱えるまでどれくらいかかった?」
「しゃべっていると斬られるわよ」
「うわー!」
言ったその先に浪人侍はつばきの燕返しで斬られてしまった。
その一方、アンナもロングソードで次々と斬りつけていった。
「お嬢ちゃん、金髪とても可愛いよ」
「口説くならあの世へ行ってからにしてちょうだい」
「うわっ」
浪人侍はそう言って次々と斬られていき、残りは豪鬼と源次郎だけとなった。
お雪さんの目は完全に鬼になっていた。刀を持って豪鬼とやり合うつもりに違いない。
お雪さんはゆっくりと豪鬼に近づいた。
「俺とやり合うのか?」
「あなたと源次郎は絶対に許さない」
「だとしたら、どうするんだ?斬るのか?だったら早く斬れよ」
お雪さんが刀を向けた瞬間、お奉行様とお役人様たちがやってきた。
「双方、刀を収めろ!」
私たちはお奉行様に言われて刀をさやに収めた。
お奉行様は辺りを見て確認したあと、落ち着いた表情で私たちに斬られた浪人侍のことを聞き出した。
「この浪人侍を斬ったのはお前たちか?」
「はい……」
私は重たい口で短く返事をした。
「全部おぬし1人でやったのか?」
「いえ、違います……」
「君たち4人で斬ったというのか?」
「はい、そうです。この浪人侍はここの須田組の親分である源次郎の指示で私たちを斬ろうとしました」
「そういうことか」
その時だった。源次郎が横から口を挟んできた。
「違います。ここにいる女侍が手前どもを斬ろうとしたので、手下である浪人侍に相手をさせました」
「まあ、よかろう。それと、おぬしたちとは話をしなければならない。話は奉行所で聞かせてもらうとしよう。須田組の源次郎、鎖鎌の豪鬼、そしてアメリカの奴隷商人に縄を頂戴いたせ」
お役人様たちはお奉行様の指示で源次郎たちの体に縄をしばりつけた。
「それと、砂子長屋の大家であるお菊と龍之介、そして、そこの女侍にもご同行願おう。なお、規則としておぬしたちの刀は一時的に預からせてもらうが、それには依存はないか?」
「はい、ありません」
私たちはお奉行様に返事をしたあと、お役人様に刀を預けて、奉行所へ向かった。
私が少し不安そうな顔をすると、「心配しなくても、調べが済んだらおぬしたちの刀は必ず返す。それまで辛抱してくれ」と言ってくれた。
奉行所へ着くと白洲の敷かれた裁きの場へ通されて、私たちはお奉行様が見えるまで膝まついて頭を下げていた。
「一同の者、おもてを上げ」
かみしも姿のお奉行様がやってきて、みんなはいっせいに頭をあげた。
「貸金問屋、須田組の源次郎、並びに子分たちは砂子長屋の元住人の龍之介と大家のお菊を長期に渡り、地下牢へ監禁させた上に、アメリカ奴隷商人、スミスに300両で売りさばいたことには間違いないか」
「お奉行様、これは何かの間違いですよ。そんな証拠どこにあるというのですか。手前どもはこちらにいる龍之介という少年から財布を盗まれたので、それで牢屋に閉じ込めたのです」
「では今度はスミスに聞こう。源次郎に300両を渡したことは間違いないか」
「私、知リマセン」
「これでは、どうだ。お前の部屋から300両とその証文が見つかっておる。それでもしらを切るのか?」
源次郎はこれ以上何も言えなくなった。
「オ奉行様、私アメリカ人デス。今ノ日本デハ私ヲ裁ケマセン」
「なるほど、そう来たか。ではこの方をお呼びした。中へ入れ」
中に入ったのは背広姿の1人のアメリカ人だった。
「この方はアメリカ大使の者だ」
「皆サン、ゴ迷惑ヲオカケシテ、本当ニ申シ訳ゴザイマセン。コチラノ者ニツイテハ、本国ヘ連レテ帰リ、厳シイ罰ヲ与エマス」
アメリカ大使の人間はそう言って頭を深く下げたあと、スミスさんを連れていなくなってしまった。
「さて、もう一つ別件で、鎖鎌の豪鬼が蕎麦屋の亭主を斬りつけ、死なせた罪だが……」
「向こうが悪いのです。失礼な態度を取ったから斬りつけたのです……」
「斬り捨て御免をしたと言いたいのか?」
「へっ」
「切り捨て御免は本来武士が行うこと。しかし、おぬしは武士の家系ではない。よって厳しい沙汰を下す」
豪鬼も源次郎もすでに覚悟を決めた顔をしていた。
「裁きを言い渡す。鎖鎌の豪鬼、はりつけ獄門。そして須田組の源次郎とその子分には無期限の入牢の刑にいたす。引っ立てー!」
「はっ!」
源次郎たちと豪鬼が連れていかれたあと、お奉行様は大家さんと龍之介に目を向けた。
「本来なら、2人には無罪といきたいところだが、あいにくそういうわけにはいかなくなった」
「となりますと、私たちたちも処罰を受けると言う形となるのですか?」
大家さんは表情を険しくさせながら、お奉行様に聞いた。
「残念ながら……」
お奉行様も申し訳なさそうな顔して短く返事をした。
そしてしばらく沈黙が続いた。
「では、2人の裁きを言い渡す。砂子長屋の大家であるお菊と、その住人であった龍之介には川崎宿場町追放処分といたす。また砂子長屋については新しい大家が見つかるまで、そのままにいたす」
「ありがとうございます」
「早く戻って荷物の準備をしなさい」
「はい……。お奉行様、これから母がいる実家へ帰らせていただきます」
「そうしなさい」
「お奉行様、僕はしばらくの間、いろんな場所で修行に励んでくるよ」
「おぬしなら、どこへ行っても通用できる人間になれるはずだ」
大家さんと龍之介はお奉行様に軽くおじぎをしたあと、いなくなってしまった。
そして最後に残されたのは私たちだけとなった。
「さて、本来ならおぬしたちには無罪を言い渡したいのだが、浪人侍を斬ってしまった以上、そうもいかなくなってしまった。おぬしたち3人には……」
そのあと、お奉行様は少し間を置いた。
「お奉行様、私たち覚悟は出来ています」
私は少し緊張気味で、お奉行様に言った。
「なんの覚悟だ?」
お奉行様は少し不思議そうな顔をして私たちを見た。
「私たちも処刑されるのでは……」
私は少し心配そうな表情でお奉行様に言った。
「そう心配するな。おぬしたちをどうこうするつもりはない。ただ、おぬしたちには3日間の刀使用禁止令を言い渡す」
「それで、済むのですか?」
私は面くらったような顔をしてお奉行様に聞いた。
「あの私たちの刀はその間、お奉行様が預かるという形になるのですか?」
さらにつばきまでが険しい表情でお奉行様に聞いた。
「おぬしたちの両親に渡すことにする。3日過ぎたら刀は両親から受け取りなさい」
「ありがとうございます」
「刀は役人どもに渡してあるから、帰りは役人どもと一緒に帰りなさい」
「はい……」
私たちはお奉行様の前で短く返事をした。
「これにて一件落着」
お奉行様はそう言って、裁きの場をあとにした。
奉行所を出た私たちはお役人様と一緒に家に向かうことにした。
その間、私たちは終始無言のままだった。
息がつまりそうな緊張感。それが私たちに与えられた罰だろうかと、その時感じていた。
お役人様も私たちの刀を持って、黙って歩いていた。
家に着いた私は「ただいまー」と大きな声で言ったあと、お母さんを探した。
私は玄関先でお役人様を待たせて、家じゅうお母さんを探したら門下生とすれ違った。
「あ、お嬢様お帰りなさい」
「あのお母さんは?」
「おかみさんですか?」
「うん」
「おかみさんなら、夕食の準備をされていますが……」
「じゃあ、お父さんは?」
「奥の部屋でお茶を飲んでいますが……。どうされたのですか?」
「実はお客さんが見えているんだけど……」
「そういうことは先に言ってください。おい、今すぐ師匠を呼んで来い!」
門下生の1人がまた別の門下生に父さんを呼びに行かせた。
それを知った父さんはあわてて玄関に向かった。
「大変お待たせして申し訳ございません」
「私、川崎宿・道中奉行所の者ですが、実は本日より3日間、娘さんの刀の使用を禁じられるご命令をお奉行様より下されました」
「あのつかぬことをお伺いしますが、娘は何をやらかしたのでしょうか」
「実はちょっとした事故で浪人侍を斬ってしまったので……」
「そうなんですね。娘にはよく言い聞かせておきます。」
「それと娘さんの刀はお父様にお預けいたします。3日過ぎたら返してあげてください。こちらもお奉行様からのご命令になります」
「わかりました。わざわざご足労いただき、本当にありがとうございます」
「それでは、失礼します」
父さんは出ていくお役人様におじぎして見送った。
その日の夜は、私にとって恐ろしい一夜になろうとしていた。
13、 それぞれのお別れ
夕食を終えて、私は父さんの部屋に呼ばれて、とてつもなく長い説教が始まろうとしていた。
部屋に入ると父さんと母さん、そして目の前には私の刀があった。
「お役人様から聞いたが、浪人侍を斬ったってどういうことだ」
父さんは鬼のような目つきで私の顔を見ていた。
「お役人様のいうように事故なんです」
「じゃあ、どんな事故なんだ、言ってみろ!」
「大家さんと龍之介君がアメリカ人に連れていかれそうになったから、助けようとした……」
「じゃあ、お前はこの刀でアメリカ人を斬ろうとしたのか?」
「違う! 実はそのあとチンピラの親分がやってきて……」
「やってきて、どうしたっていうんだ?」
「チンピラの親分が浪人侍に私たちを襲わせようしたの」
「それで、感情むき出しになって刀を抜いてチンピラや浪人侍に刀を向けたのか?」
私は父さんの言葉に黙って首を縦に振った。
「まあ、今回は勝てたからいいもの、もし斬られていたらどうする?父さんも門下生もここまでお前のことを見きれんぞ」
「はい、わかっています……」
父さんのきつい言い方に私はただ黙って返事をするしかなかった。
「お奉行様やお役人様がいい人だったからよかったけど、もし前科者にされていたらどうしていたの?この家もそうだし、この宿場町にもいられなくなるんだよ」
今度は母さんが横から口を挟んできた。
「次からは気をつけます……」
「そもそもお前に刀を持たせたのは、むやみに人を斬るためではない。それはわかっているよな?」
父さんは強い口調で私に厳しく言ってきた。
「はい、わかっています……」
「なら言ってみろ」
「弱い人と自分自身を守るため」
「そうだろ。それに毎日お前に教えている二刀流もこんなことのために教えているのではない」
「本当にごめんなさい……」
「今回の一件を知って、父さんは少し悲しくなってきた」
「次からは気をつけます」
「いいか、刀でむやみに人を斬るなって毎日口酸っぱく教えているだろ」
「わかっています。ですから、今回の件は本当に事故なんです」
「仮にそうだとしても、お奉行様やお役人様たちが来るまで待つという選択肢はなかったのか」
「私もそうしたかったのですが、チンピラたちが私たちを襲ってきたので……」
「もっぱら、お前のことだ。チンピラの前で正義感ぶった態度を取っていたんだろ」
「……」
「あなた、この辺にしてあげたら?かえでも充分に反省しているわけなんだし」
「そうやってすぐに甘い顔を見せるから図に乗るんだ。そのせいでつばきちゃんやアンナちゃんにも迷惑をかけたに決まっているはずだ」
「確かにそうだけど……」
「とにかく、お前の刀はお奉行様の言うように3日間はこっちで預かっておく。それまでにきちんと反省をしていれば返すし、反省が足りてないようなら返す期日を延ばす。それでいいよな」
「はい……」
こうして3日間、刀は父さんに預けられることになった。
次の日、私は早速つばきの所へ向かった。
「こんにちは」
「あら、かえでちゃん。昨日はとんだ災難だったね」
おばさんは軽くにこやかな顔をして私に挨拶をしてくれた。
「いえ、悪いのはすべて私なんです……」
「そんなことないわ。お奉行様から3日間刀の使用を禁じられたのもすべてつばきが原因なんだから、かえでちゃんはちっとも悪くないのよ」
「実はこの件で両親に叱られました……」
「そうだったの。かわいそうに」
おばさんは少し大げさなリアクションを見せながら、私に返事をした。
「つばきも昨日説教された上に罰として毎日道場と庭の掃除をすることになったの」
「そうなんですね」
「今、つばきを呼んでくるね」
おばさんはそう言って、庭掃除をしているつばきを呼んできた。
「かえで、来てくれたんだね」
「つばき、昨日は私のせいでこんな目に合わせてごめんね」
「気にしないで、悪いのは私なんだから。じゃあ、これからアンナの所へ行ってくるね」
「遅くならないうちに戻ってくるんだよ」
私たちはおばさんに軽くおじぎをしたあと、アンナがいる禅昌寺へと向かった。
「まさか本当に刀を預けられるなんて思わなかったよ」
「仕方ないじゃん。お奉行様の命令なんだから」
私が出した感想をつばきは淡々とした感じで答えていった。
「つばきの所って、結構厳しいんだね。わたしの所は説教はあっても罰掃除はないよ」
「かえでの家が羨ましいよ。私なんか家に帰るなり、すぐに説教だったんだよ」
「うちも。いきなり怒鳴られた」
私はぼやくような感じでつばきに言った。
「私も」
つばきもため息をしながら、一言呟いた。
「こんなことなら、お奉行様が来るまで待っていればよかったよ」
「今さら後悔しても始まらないって」
またしてもつばきが淡白に突っ込んできた。
禅昌寺に向かう途中、私たちは砂子長屋に立ち寄って大家さんに一言挨拶をしようと思った。
大家さんの家の中を覗き込むと早速荷造りが始まっていたので、私とつばきは何も言わずにそっと出ようとしたその時だった。
「ねえ、かえでちゃんとつばきちゃんでしょ?」
大家さんは疲れ切った顔をして私とつばきを呼び止めた。
「大家さんこんにちは。今荷造りをされていたのですか?」
「そうよ、もうじき終わるかな」
「そうなんですね」
「出発はいつになるのですか?」
今度はつばきが横から口を挟んできた。
「たぶん、明日か明後日かな」
「こちらを出て、どちらに向かうのですか?」
「下諏訪に私の実家があるから、そこで家族と一緒に暮らそうと思っているの」
「下諏訪と言ったら信州の方だから、なかなか会えませんね」
「私の実家、温泉宿をやっているので、今度みんなで泊まりに来てね」
「ありがとうございます。大家さん、私たちのせいでこんな目に合わせてすみません」
つばきは大家さんの前で深く頭を下げた。
「気にしないで、もとはと言えば私が龍之介君の逃亡を手助けしたのが悪いんだから」
大家さんはそう言ってにこやかな顔を見せた。
「私が調子に乗って連中の前で刀を抜いたのが悪いのです」
私は下唇をかみしめながら自分のしたことを後悔していた。
「かえでちゃんは私を守るために刀を抜いたんだから悪くないよ。あれ、一つ気になったけど、かえでちゃんとつばきちゃんの刀はどうしたの?」
「実は大家さんと龍之介君がいなくなったあと、お奉行様から3日間刀を使用することを禁じられて、今両親に預けられているのです」
私は大家さんに重たい口を開いて返事をした。
「そんなことがあったのね。ごめんなさい、私のせいで」
大家さんは申し訳なさそうな顔をして私に一言謝った。
「かえで、大家さんの邪魔になるといけないから行こうか」
「うん……」
つばきはそう言って私を連れて、アンナがいる禅昌寺へと向かうよう促した。
「それでは、大家さん失礼します」
「あの、最後に聞きたいのですが、大家さんがいなくなったあと、この長屋はどうされるのですか?」
私は長屋のことが気になって大家さんに聞くことにした。
「それなら、私の知り合いがここの大家を引き受けてくれると言っていたので……」
「そうなんですね。それを聞いて少しだけ安心しました」
「かえで、この辺にしよ。大家さんも忙しそうだし」
「そうだね」
つばきはそう言って私の手を引いてアンナの所へと向かった。
禅昌寺に着くと、和尚様が境内の掃除をやっていた。
「和尚様、こんにちは」
私は和尚様に軽くおじぎをして、挨拶をした。
「かえでちゃん、こんにちは。今、アンナを呼んでくるね」
和尚様は、ほうきを木に立てかけたあと、アンナを連れてきた。
「こんにちは、やはり刀は持っていないんだね」
アンナは私たちを見るなり、苦笑いをしながら刀を持っていないことに気がついた。
「『やはり』って言うと、アンナも和尚様に取り上げられたの?」
「奉行所の帰り、お役人様と一緒に戻ったのはいいけど、和尚様がお役人様から一連のことを聞かされて、顔を真っ赤にして私を怒鳴りつけてきたの。そのあと剣を没収された上に、お教書を書かされたり、毎朝座禅組まされているから嫌になるよ」
「すべて自分がいけないんだろ。往来で剣を振り回すのは心が乱れている証拠だ。少し頭を冷やして反省しろ!」
「はーい、気をつけます」
横で聞いていた和尚様が口を挟んで怒鳴ってきた。
「アンナの所もやはり罰を受けていたんだね」
私はため息交じりで呟いた。
「かえでのところは罰はなかったの?」
アンナは少し不思議そうなまなざしで聞いてきた。
「うん、その代わり大声で怒鳴られた」
「それで済むんだから羨ましいよ」
今度はぼやくような感じで私に言ってきた。
「本当よ。お教書を書かされたり座禅を組まされる私から見たら怒鳴られるだけで済むなんて羨ましいよ」
「なら、今後は自分の行動を慎んでもらいたい」
和尚様は少し声を低めながらアンナに言った。
「私なんか、今後の行動や態度次第では刀を3日過ぎても返さないって言われたの」
私もボソっとアンナに言い返した。
「それなら私も同じだよ。そのことでさんざん怒鳴られてきたよ」
そのあと、つばきも便乗して私に言ってきた。
「あ、そうそう。さっき長屋へ立ち寄ったら大家さんが引っ越しの準備をしていたよ」
「え、そうなの!?」
私が大家さんの情報を流したらアンナはビックリした顔になっていた。
「お奉行様から宿場町追放処分を受けたでしょ。それで実家が経営している下諏訪の温泉宿へ引っ越すことになったの」
「そうなんだ……」
アンナは終始驚いた表情をして聞いていた。
しかし、これからもっと驚くことがこれから起きるのであった。
私とつばきがアンナを連れて久根崎の寺に向かった時だった。
境内に入ると、子供たちがいっせいに掃除をやっていた。
「こんにちは」
「あ、かえでちゃんたちだー!」
子供たちはいっせいに私たちのところにやってきた。
その中にはかつて源次郎たちの人質となった花代ちゃんも混ざっていた。
「花代ちゃん、もう大丈夫?」
私はにこやかな顔をして声をかけた。
「大丈夫って何が?」
花代ちゃんは不思議そうな顔をして聞き返した。
「牢屋に閉じ込められていたんでしょ?」
「うん……。もう大丈夫だよ」
その時、境内の奥からお雪さんがやってきた。
「こんにちは」
「お雪さん、こんにちは。今日は皆さんで大掃除をされていたのですか?」
「ええ、まあ」
お雪さんは聞かれたことに対し、言いづらそうな顔をして返事をした。
「何か言いづらいことでもあったのですか?」
今度はつばきが少し遠慮がちに聞いてきた。
「実はここを離れて、生まれ育った甲賀の里に帰ろうかと思っているの」
「皆さんでですか?」
「ええ。ここにいる子供たちはみんな両親を亡くしているので……」
「気になったけど、龍之介君も一緒なんですか?」
「はい、昨日お奉行様から宿場町追放処分を受けたので、一緒に連れていこうかと思っているのです」
「そうなんですね。なんだか少し寂しくなってしまいます」
「落ち着いたら、またここへ戻ってくるから」
「待っています。ところで、出発はいつなんですか?」
「一応明後日にしようかと思っています。実を言うと出発前に宿場町の外れにある劇場で手品をしようかと思っているの」
「そうなんですね。それはいつなんですか?」
「一応予定では明日の昼四ツ半(午前11時)に開こうと思っているの」
「そうなんですね。是非行かせていただきます」
「待っているね」
つばきとお雪さんが話していた時、アンナは何かを思い出したような顔をしてお雪さんに話をかけてきた。
「アンナちゃん、どうしたの?」
「お雪さんにお知らせがあります。大家さんが明後日ここを離れて下諏訪の実家に帰られるそうです」
「えー!」
お雪さんはそれを聞いて一瞬戸惑った表情をしてしまった。
「どうしよう……。まだ挨拶もしてないのに……」
「明日の手品の公演に招待するのはどうですか?」
「そうですね」
「では、帰りに大家さんに声をかけておきます」
私たちは帰りに長屋へ立ち寄って大家さんの家に向かった。
「こんにちは、大家さんいますか?」
私は引き戸を開けるなり、大家さんを呼んだ。
「すると、奥から大家さんがやってきた」
「あれ、どうしたの?」
「実は大家さんにこと付けがあって来ました」
「こと付けと言うと?」
「実は明日の昼四ツ半(午前11時)にお雪さんたちが手品の公演を開くそうなので、よかったら見に来てください」
「ええ、時間があれば見に行くね」
「実はお雪さん、大家さんにお話があるとおっしゃっていました」
「わかりました、明日時間を作っておきます」
「無理を言って本当にすみません。では、私たちは失礼します」
私は大家さんにおじぎをしたあと、つばきとアンナと一緒に家に帰ることにした。
「ねえ、本当に明日大家さん来ると思う?」
つばきが私に聞いてきた。
「どういうこと?」
私は少し疑問に感じたような顔で聞き返した。
「大家さん、あんまり乗り気じゃなかったよ」
「それは忙しいからだと思うんだよ」
「無理して誘わないで、お雪さんの要件、私たちが伝えてもよかったんじゃない?」
「確かに……」
「ねえねえ、明日手品の公演を見に行く前に大家さんの家に行ってお手伝いしない?そうすれば気持ちよく行けると思うんだけど……」
その時、アンナが私たちに提案をしてきた。
私たちは一瞬考えた。
「私たちが行くと、気を使って遠慮するんじゃない?」
つばきがアンナの意見に反論した。
「うーん」
アンナは再び考えた。
「ここで考えても始まらないし、明日みんなで大家さんの家に行って手伝いをしてみない?」
私はつばきとアンナに提案をした。しかし、つばきだけはあんまり乗り気ではなかった。
「私、思うんだけど、私たちが大勢で行ったら大家さん迷惑するんじゃない?」
つばきは気難しそうな表情で言った。
確かにつばきの言うことも一理あった。しかし、そうなると誰か1人だけ代表で行く形となる。
話が再び振り出しに戻ろうとした瞬間であった。
「大家さんの所へは、つばき1人で充分じゃない?」
アンナがつばきを推薦してきた。しかし、なぜ選ばれたのかは当の本人は気がついていなかった。
「ねえアンナ、なんで私を選んだの?」
「なんで選ばれたのかまだ気づいてないわね」
「ちゃんと言わないとわからないわよ」
つばきは少しいらだった感じで返事をした。
「それは、つばきがしっかりしていそうだから」
「私、そんなにしっかりしてないわよ」
「そんなことないって。つばきって、いつもかえでの前ではしっかりしているって言うか、面倒見がいいっていうか、そんな気がするの」
「アンナ褒め過ぎだよ」
「やっぱ、明日私も大家さんの手伝いに行く」
私はアンナがつばきを褒めていることに嫉妬してしまい、勢いで言い出してしまった。
「どうしたの、かえで」
つばきは少し驚いた表情で私の顔を見た。
「明日、大家さんの引っ越しの準備、私も手伝うよ」
「いいって、私1人で充分だから。もしかして、アンナが私を褒めていたことに妬いちゃった?」
今の一言で心の中にモヤモヤが広がり、私は何も言わず走って家に帰ってしまった。
「アンナ、かえでがいじけたみたいだから、あとで家に行ってあげてよ」
「うん……。そうしてあげたいけど、門限が……」
「勝手にいじけるかえでも悪いけど、アンナも私を褒め過ぎだよ。私とかえでは幼なじみだからわかるけど、おじさんとおばさんが私を褒めるたびに、いつもかえでが部屋でいじけていたの。それからかな。急に負けず嫌いになったのは。でも、それを知っておきながら、何もしてない私が一番悪いわけなんだし、家に帰る前にかえでの家に行って謝っておくよ」
「うん、わかった。私も明日会ったら謝るから」
「頼むよ。かえではああ見えて結構気にするタイプだから。じゃあ、私帰るね」
「うん、また明日」
つばきはアンナと別れたあと、私の家に向かうことになった。
その頃の私は黙って部屋に戻り、大の字になって天井を見上げていた。
「かえでー、帰ってきたならちゃんと『ただいまー』と言いなさい」
下の階から母さんの大きな声が聞こえてきたので、私は下に降りて小さく「ただいま」とボソっと一言言った。
「どうしたの、かえで。もしかして、つばきちゃんとけんかでもしたの?」
「ううん、そうじゃない。なんとなく気持ちがモヤモヤしているだけ」
「そのモヤモヤってなんなの?」
「自分でもよくわからない」
「わからないってことはないでしょ。ちゃんと言いなさい」
母さんは、じれったそうな顔をして問い詰めた。
「実はアンナがつばきのことを褒めているのを見て……」
「要するに妬いちゃったんでしょ?あんた昔からちっとも変わっていないよ。自分が褒められないのは、その分何かが足りないからなんでしょ。誰かに褒められたければ、その人の何十倍の努力をした方がいいわよ。これから夕食の準備をするから、あんたも少しは手伝いなさい」
「うん、わかった……」
「いやなら、ちゃんと断ってくれる?」
「そんなことないよ。ちゃんと手伝うから」
「だったら、そのやる気のなさそうな返事はやめてくれる?非常に不愉快だから」
母さんの不機嫌はさっきよりいっそうと増していった。
その時だった。玄関先でつばきの大きな声が聞こえてきた。
「ごめんくださーい」
「あら、つばきちゃんこんにちは。ねえ、刀を持っていないところを見ると、つばきちゃんも刀を没収されたの?」
「はい、奉行所を出たあと、お役人様と一緒に戻った瞬間、両親にこっぴどく叱られて、そのあと刀を預けられてしまったのです」
「こういう罰はかえで1人だけで充分なのに、つばきちゃんまで巻き込んで本当にごめんね」
母さんは申し訳なさそうな顔をして、つばきに謝っていた。
「悪いのは私なので……」
「あ、ちょっと待って。今かえでを呼んでくるね」
母さんはそう言って私を呼んできた。
「かえで、玄関につばきちゃんがいるわよ」
私はすぐに玄関先に向かったら、つばきが「かえで、さっきはごめんね」と少し申し訳なさそうな顔をして謝ってきた。
「ううん、もう気にしてないから」
「アンナも明日謝りたいと言っていたし……」
「そうなんだ」
「じゃあ、また明日」
家に帰ったつばきを見送ったあと、私は食事の準備を手伝うことにした。
食事を済ませて、風呂に入って、自分の部屋に戻ってもなかなか眠れなかった。
翌朝、つばきは私たちよりも早めに家を出て、大家さんの家に向かい、引っ越しの準備を始めた。
「つばきちゃん、悪いわね」
「いえ、これくらい大丈夫ですよ」
「そういえば、かえでちゃんとアンナちゃんは?」
「大勢で来られても迷惑かと思って、一足先に劇場の方へ行ってもらうことにしました」
「そうなんですね。でも、うちは何人来ても迷惑じゃないよ。これを風呂敷に包めば荷造りは終わりだから」
「結構荷物が多いけど、大丈夫ですか?」
「当日大八車を用意するので大丈夫よ」
「そうなんですね」
「まあ、どうにかなると思うよ。じゃあ、劇場へ行こうか」
つばきと大家さんは劇場へと向かったが、2人が着いたころにはすでに公演が始まっていて、多くの観客がかたずを飲みながら見守っていた。
「もう始まっていたね」
「うん」
舞台にはお雪さんや龍之介の手品が最後の大仕掛けをやろうとしていた。
龍之介が箱の中に入って、それをお雪さんが剣で刺す仕掛けとなっていた。
観客たちは「中の子供、どうなっているんだ?」とか「刺されて大丈夫か?」などざわつきが広がっていたが、無事なところを見せたら、大きな拍手が広がった。
公演が終わり、幕が降りる瞬間、観客たちはお金の入った包み紙を次から次へと投げていった。
つばきと大家さんが楽屋へ向かったら、すでに私とアンナがいたことに少しだけ驚いた表情をしていた。
「お疲れ様」
大家さんは中に入るなり、一言挨拶をした。
「あ、大家さん。今日は来てくれてありがとう」
お雪さんは大家さんが来たことに驚いた顔をしていた。
「途中からだったけど、とてもよかったわ」
「ありがとうございます」
「あ、それでお雪さん、今日お話があると聞いたんだけど……」
大家さんは少しあらたまった感じで聞き出した。
「実は私たち、明日龍之介君たちを連れて甲賀の里へ帰ろうと思っているのです」
「そうなんですね。実は私も明日下諏訪の実家へ帰ろうと思っているの。甲賀までは道のりがあるから、よかったら私の実家で一休みをしていきませんか?」
「下諏訪なら通り道だし、立ち寄らせていただきたいけど、大勢で押し掛けても大丈夫ですか?」
「私の実家、温泉宿なので、よかったら立ち寄ってください」
「それでは明日、お言葉に甘えて下諏訪までご一緒させてもらいます」
そして翌日、お雪さんたちは大きな風呂敷包みを抱えて砂子長屋の入口で待っていた。
大家さんは少し遅れた感じで、みんなの前に大きな風呂敷包みを抱えてやってきた。
「大家さん、大八車はいいのですか?」
私は大八車がないことに、少し疑問に感じた。
「よくよく考えたけど、峠を超えるから大八車は必要ないかなと思ったの」
「そうなんですね」
「じゃあ、遅くなるから行きましょうか」
お雪さんはそう言って大家さんと子供たちを連れて、東海道を西へと向かった。
それと同時に私たちの刀が戻ってくる日でもあった。
家に戻った私たちは両親から厳しい小言を言われつつも、きちんと刀が戻ってきたので大満足。
「おい、かえで。今回はちゃんと返したが、次はないと思え」
父さんは少し厳しめに私に言ってきた。
「はい、わかりました」
「なら、もういい。さがっていいぞ」
父さんの部屋を出た瞬間、私はつばきとアンナに会って刀が戻ってきたことを報告した。
「今回はちゃんと返されてよかったけど、これからは刀を使うときにはもっと気をつけようね」
つばきは重々しそうな声で私とアンナに言った。
私とアンナはただ一言「そうだね」と言って返事をした。
「大家さんやお雪さんたち、今頃どの辺を歩いているのかなあ」
私は空を見上げて、ボソっと呟いた。
「さあ」
つばきは無関心そうな顔で返事をした。
「また会えるといいね」
アンナも空を見上げて呟いた。
空から温かい南風が吹いてきて、新緑の季節が始まろうとしていた。
おわり
14、番外編……つばきの疲れる日常
今回のお話は宮本かえでではなく、私佐々木つばきが主人公となるお話とさせてもらうね。
改めて、私は佐々木つばき。家が燕返しの道場をやっていて、毎朝門下生に混ざって父さんの稽古を受けているの。
ご先祖様は巌流島で宮本武蔵に負けた佐々木小次郎。燕返しの生みの親でもあるの。
父さんの稽古はとても厳しく、ちょっとの油断でも雷が飛んでくるので、常に気が張った状態でいなければなならい。
そんな稽古の休憩の時であった。父さんが突然やってきて「つばき、お前暇そうじゃないか。少し父さんと付き合え」と言ってきた。
「でも、今休憩中だからあとにしてくれる?」
「敵が襲ってきたら、こんな寝言なんて言えなくなるだろ。さっさと立って構える準備をしろ」
私が不満そうな顔をして立ち上がり、木刀を構えたら、再び父さんの雷が飛んできた。
「なんだ、このやる気のない構え方は。これが真剣勝負なら間違いなく斬られているぞ!」
父さんは容赦なしに私に大声で怒鳴ってきた。
「はい、もう一度お願いします!」
朝の稽古は特に厳しく、ちょっとでも眠そうな顔をしたり、あくびをすると父さんの怒鳴り声だけでなく、げんこつも飛んでくるので思わず逃げたくなってしまうの。
しかし、これは私だけでなく門下生にも同じような接し方なので、割り切ることにした。
「よし、今朝の稽古はここまで。つばきは道場の掃除をしたあと、母さんと一緒に食事の準備をしろ」
「はい、わかりました」
父さんは門下生たちと一緒に道場をあとにし、私は雑巾を用意して床を念入りに拭いていった。
私が雑巾がけをしていたら、1人の門下生がやってきて「お嬢様1人だと大変なので、自分もお手伝いをします」と言ってくれたのはいいのだが、その親切があだとなってしまい、父さんに見つかってしまい、いらない雷を受けてしまうこともある。
掃除が終わって、台所へ行って母さんの手伝いをしようとした瞬間、今度は母さんからの雷が飛んできて「道場の掃除でどれだけ時間がかかっていると思っているの。明日はもっと早くしてちょうだい」と言い出してくる始末。完全にモラハラだ。そう思って私は出来たてのご飯とみそ汁をよそって、箱膳に並べていった。
そのあと母さんが焼き魚とカブのぬか漬けを並べて朝食の準備が完了。
私は父さんと門下生を箱膳のある部屋へ呼んだあと、すぐに食事に入った。
食事中、特に会話をすることもなく、終始無言のままでご飯を食べ続けた。
食事が終わると、人数分の食器を洗って身支度を済ませ、物干竿の刀を背負って、出かけることにした。
「つばき、どこへ行くの?」
「かえでの所へ」
「じゃあ、これかえでちゃんのお母さんに渡してあげてちょうだい。昨日買っておいた饅頭。あなたいつもかえでちゃんの家でお茶をごちそうになっているんでしょ?」
「うん……」
「だったら、これを渡してくれる?」
「わかった。じゃあ行ってくるね」
幼なじみのかえでのご先祖様は二刀流と五輪の書を残した有名な宮本武蔵なのである。
家も言うまでもなく二天一流、すなわち二刀流の道場なのである。
玄関先で私が「ごめんくださーい!」と大きい声で呼ぶと、奥の部屋からおじさんとおばさんの怒鳴り声が聞こえてきた。
かえで、また叱られている。そう思ってこの怒鳴り声をしばらく聞いていた。
再び、私は「こんにちはー!」と大きな声で呼んだ。
すると門下生の1人がやってきて、「あ、つばきちゃん、こんにちは。今、お嬢様を呼んできますね」と言って、かえでを呼びに行ってしまった。
門下生は奥の部屋に入り、「失礼します。師匠とおかみさん、お取込み中のところ、大変恐縮なんですが、お説教をこの辺で切り上げて頂きたいのですが……」と言いづらそうな顔をして言ってきた。
「どうしてですか?」
おばさんは、ものすごく怖い目つきで門下生に言ってきた。
「実はお客様が玄関に見えているのです」
「お客って誰なの?」
「お嬢様のお友達で、佐々木つばきちゃんです」
「それを先に言ってちょうだい。かえで、この続きは今夜にするから早く会ってあげなさい」
かえではすぐに玄関に向かい、私を出迎えてくれた。
「つばき、いらっしゃい。上がって」
「うん、じゃあお邪魔します」
私は少し遠慮がちで中に入り、かえでに「あれ、おばさんは?」と聞いた。
「お母さんなら台所にいるけど……」
「ちょっと案内してくれる?」
「うん」
かえでは私を連れて台所まで案内してくれた。中へ入るとおばさんが私とかえでのお茶を入れていた。
「おばさん、こんにちは」
「あら、つばきちゃんこんにちは。今、お茶を入れているところだったの」
「これ、つまらないものですが、母からの差し入れなので、よかったら皆さんで召し上がっていただきたいのですが……」
私は風呂敷包みをほどき、饅頭の入っている木箱をおばさんに差し出した。
「つばきちゃん、そこまで気を使わなくてもいいんだよ。あなたたちの分はお茶と一緒に用意するからね」
「わかりました。ありがとうございます」
「じゃあ、悪いけど先にかえでの部屋で待ってくれる?」
「いえ、何かお手伝いをさせてください」
「つばきちゃんはお客さんなんだから、何もしなくていいんだよ」
「でも……」
「手伝いならかえでにやらせるから。かえで、お茶を運んでくれる?お母さん、饅頭を運ぶから」
おばさんはかえでにお茶を持たせて、私と一緒にかえでの部屋に向かった。
部屋に入るなりお茶と饅頭を置いたあと、おばさんはいなくなってしまった。
お茶を飲み終えて一休みをしたあと、稽古で疲れたのか軽くうたた寝をしてしまった。
「つばき、大丈夫?」
「うん、ちょっと疲れただけ」
「朝の稽古ってきつかった?」
「まあね。うちの父さん、結構厳しいから」
私は少し苦笑いをしながら、かえでに言った。
「かえで、今日このあと予定ある?」
「ううん、今日は無理っぽいかも」
「かえでにしては珍しいじゃん」
「実はこのあと、罰で親からの買い物と道場の掃除があるんだよ」
「もしかして、さっきの怒鳴り声って……」
「実は昨日、たまたますれ違った人を辻斬りと勘違いして刀を向けてしまったんだけど、その人が厄介なことに近所の人で……」
「マジ?」
「うん……。うちの両親にしゃべられてしまったの。おまけに門限を破ったから、両親はマジギレ状態」
「そうなるよね」
「刀を没収されない変わりに、親の手伝いをすることになったの」
「そうなんだんね。あ、そういえば昨日私と一緒に帰っておきながら、なんで門限を破ったの?」
「実は、玄関に入る前に目の前で黒い影が見えたから……」
「気のせいじゃない?それって、人間だった?」
「そこまでは、わからない……」
「それを追いかけていたら暗くなって、近所の人に刀を向けたんだね」
かえでは何も言わずに黙って首を縦に振っていた。
「はあ……」
私はそれを聞いて、ため息を漏らしてしまった
「それで、黒い影は見つかったの?」
私はかえでに聞き出した。
「それが、見つからなくて……」
「そうだったんだね」
「うん……」
「さっきの説教の時、黒い影のことを話した?」
「言っても、まともに聞いてくれそうになかったから……」
「諦めたんだね……」
「うん……」
「今日も黒い影の正体を探すの?」
「そうしたいけど、親のご機嫌が斜めだから……」
「そうだよね……。じゃあ、私このあとアンナの所へ行くけど、何か伝えておくことってある?」
「特にないかな」
「じゃあ、お手伝い頑張ってね」
かえでと別れたあと、私はフランス人のアンナ・フルニエのいるところへ向かった。
アンナは金髪の白人で日本に来る途中嵐に遭って遭難しまい、竹柴(今の竹芝)に漂着し、その後はあちこち転々としていった。
両親は行方不明で、今は禅昌寺で和尚様と一緒に暮らすようになってから、日本語が使えるようになった。
唯一、彼女の所持品として残されたのは両親から渡されたロングソードと呼ばれる西洋の物干竿のような刀だけ。
禅昌寺に着いた私は境内を掃除している和尚様に一言挨拶をした。
「和尚様、こんにちは」
「こんにちは、今日はつばきちゃん1人だけなのかい?」
「ええ、そうなんですが……」
「かえでちゃん、どうしたの?」
和尚様は少し心配そうな顔をしながら私に尋ねてきた。
「実は、そのことなんですが……」
「何かあったのかい?」
私は言いづらそうに話を進めた。
「かえで、また他人に迷惑をかけた上に、両親の雷を受けていたのです」
「かえでちゃんには本当に困ったものだ。いったい何をやったっていうんだ?」
「話によれば、昨日私と家の前で別れたあと、玄関先で黒い影のようなものを見かけたらしいのです。それを追いかけていたら、あたりは暗くなり、おまけに近所の人を辻斬りと勘違いをして、刀を向けたらしいのです」
「そんなことがあったんだね。それで、その黒い影は見つかったのかい?」
「それが見つかっていなくて……」
「そうなんだね……」
「今日、おばさんに買い物を頼まれているみたいだから、そのついでに探すようなことを言っていました。私も心配だからあとで時間があったら探してみようと思っています」
「出かける時には気を付けるんだよ」
「わかりました」
和尚様と別れた私はすぐにアンナのいる部屋へと向かった。
「こんにちは、来たよ」
私はふすまを開けて、アンナの部屋へ入った。
「つばき、こんにちは。今日はかえで、どうしたの?」
「かえでは、朝から両親の雷を受けていたよ」
「今度はいったい何をやったの?」
「簡単に言ってしまえば、かえで近所の人に迷惑をかけてしまったらしいの」
「え、マジ!? 何をやったの?」
「かえでが言うには、私と別れたあと、玄関先で黒い影のようなものを見かけたらしいの」
「黒い影?」
アンナは不思議そうな顔をして私に聞いた。
「私も詳しいことはよくわからないけど、かえでが言うにはその黒い影を追いかけて行ったら、暗くなったって言うの。そのあとなんだけど近所の人を辻斬りと勘違いして刀を向けたみたいなんだよ」
「それってやばくない?」
「うん。それがおじさんとおばさんに知れ渡って説教と罰につながったみたいなの」
「そうなんだ。でも、なんかかえでらしい」
アンナはそれを聞いてクスクスと笑っていた。
「アンナ、おかしかった?」
「ちょっとね。今回、どんな罰を受けたの?」
「アンナ、笑いすぎ。買い物と道場の掃除みたい」
「そうなんだ」
私はアンナの笑いが止まらなかったので、少しきつめに注意をした。
「もう、いい加減笑いやんでよ」
「あ、ごめん」
「おそらく、かえでのことだから買い物の途中に黒い影を探すと思うから、一緒に行かない?」
「いいよ」
「何時ごろ行くの?あんまり遅いと門限もあるし……」
「そうだよね」
門限と聞いて、私の表情は曇り始めた。
「やっぱ明日にしようか。かえでみたく門限破って罰を食らうのも嫌だし」
私は考えを改めて明日にすることを選んだ。
「そうだね、明日かえでも誘って3人でいこ」
アンナも私の意見に賛成した。
「かえでがいないとちょっと退屈だよね」
アンナは一言ボソっと呟いた。
「仕方ないよ。今回は盛大にやってしまったからね。刀を没収されないだけマシだと思えばいいんだよ」
「じゃあ、明日も無理っぽいかな」
「たぶんね……。今日玄関に入った途端におじさんとおばさんの派手な怒鳴り声が聞こえたからね」
「一応、2人で行ってみる?」
「うん、ダメもとで行ってみるか」
「じゃあ、明日私、つばきの家で待ち合わせでいい?」
「いいよ」
私は一度アンナと別れて、家に帰ることにした。
家に帰ると、母さんが買い物かごを用意して待っていた。
「あ、ちょうどいいところで帰ってきた。悪いけど買い物を引き受けてくれない?」
「いいよ」
私は母さんからお金と買い物かごを渡されて、街道から少し離れた農家へ向かい、野菜を少し分けてもらうことした。
「こんにちは」
「あ、つばきちゃん、いらっしゃい。今日もお母さんのお手伝い?」
「はい」
「いつも偉いね」
「そんなことはありません」
「それで、今日は何にする?」
「大根と白菜をください」
「はいよ」
「いくらになりますか?」
「60文頂こうかな」
「では60文ちょうどです」
私がお金を払って立ち去ろうとした瞬間、農家の人は「ちょっと待ちな」と言って、私を引き留めた。
「どうされたのですか?」
「これおを持って行きな」
農家の人は買い物かごの中にキュウリを3本入れてくれた。
「ありがとうございます」
「これはおまけだから、他の人には言うなよ」
農家の人は私にニヤリとした顔で私に言ってきた。
「あ、そういえば一つ聞きたいのですが、今日この近くでかえでを見かけませんでしたか?」
「かえでちゃん?見てないな。かえでちゃんがどうかしたのかい?」
「実は、昨日家の近くで黒い影を見かけたと言っていたので……、もしかしたらここにも来たのかなって思って……」
「いいや、かえでちゃんなら見てないな」
「そうなんですね」
「もしかして、それが原因で門限破って両親から説教されていたとか」
「なんで知っているのですか?」
「いつものことだよ。この間も人さまに迷惑かけて大声で怒鳴られていたのを玄関から聞こえたしな」
「そうなんですね」
私は苦笑いをしながら、返事をした。
「それでは、そろそろ失礼します」
「お母さんによろしく伝えておいてよ」
「わかりましたー」
私はそう言って家に向かって帰っていった。
家に帰って買い物かごを母さんに預けると「買い物するのにどれだけ時間をかけているの?」と雷が飛んできた。
「ごめんなさい」
「謝る前に、お母さんの質問に答えてちょうだい」
母さんは鬼ような顔をして私に問いかけてきた。
「実は農家の人とお話をしていて……、遅くなりました……」
「呆れた。こういうのは別の時間にしてちょうだい」
「わかりました……」
「それと、ごはんの準備が遅くなったから、あなたも手伝ってくれる?」
「はい……」
私が渋々と返事をしたら、再び母さんの雷が飛んできた。
「いやならいやとはっきり言いなさい!」
「別にいやとは言ってないよ」
「じゃあ、なに?この不満そうな返事は?」
「別に不満なんてないわよ」
「じゃあ、なんでこんな返事をしたの?お母さんはちょっと手伝いをお願いをしただけでしょ?」
その時だった。門下生の1人が私に助け舟を出してきた。
「おかみさん、お嬢様も充分反省しているわけなんだし、この辺で勘弁してもらえませんか?」
「これが反省している顔に見えると思っているの?さっきから口答えしてばっかりだし、本当に嫌になるわよ!」
さすがの門下生もこれには何も言えなくなってしまった。
「お嬢様も次からちゃんと素直に返事してくださいね」
「わかりました」
「自分はちょっと用事を済ませてきます」
門下生は逃げるような感じで、その場から去ってしまった。
私は母さんからいらない説教を受けてしまい、みんなの食事の準備を手伝い始めた。
母さんが魚をさばいている間、私は野菜を切ったり、みそ汁を作っていた。
ご飯が出来上がり、みんなが集まって食事を始めたら、会話を控える約束になっていたのだが、その日に限って母さんが私に改めて遅くなった理由を聞き出した。
「今日なんで遅くなったの?」
「さっきも言ったように農家に立ち寄ったから……」
「野菜なら行商で買えたでしょ?」
母さんは少しいらだった感じで私に言ってきた。
「まあまあ、いいじゃない。どこで買っても一緒なんだから」
珍しく父さんが助け舟を出してきた。
「それで、帰りが遅くなったんだよ」
「食事中なんだから、この辺にしておけと言ってるんだ」
父さんの言葉に対し、母さんは少し納得のいかない顔をして返事をした。
食事が済んで部屋に戻って刀を手入れしていたら、父さんが入ってきた。
「つばき、ちょっといいか」
「何?父さん」
「母さんが食事中に言ったことは気にしないでくれ。あとできちんと言っておくから」
まさか父さんから謝罪の言葉が来るとは想定外もいいところだったので、私は少し驚いた表情になってしまった。しかし、父さんがわざわざ私の部屋にあらたまった顔して謝りに来るにしては不自然過ぎると感じてしまった。
「実は他にあるんじゃないの?」
私は少し疑惑に満ちた顔して父さんに尋ねてみた。
「今日農家で野菜を買ってきたのって、何かあるんじゃないかって思ったんだよ」
「実は昨日かえでが家の近くで黒い影を見かけたと言ってきたから、もしかしたらと思って……」
「かえでちゃんが見た黒い影が農家にも現れたと思って、野菜を買うついでに聞きだしたんだね」
私は何も言わず黙ってうなずいた。
「やっぱり……。でも門限だけはきちんと守ってくれよ。そうしないと父さんや母さんだけでなく、門下生のみんなも心配をする」
「すみません、気をつけます」
「明日、かえでちゃんたちと一緒に黒い影を探すのか?」
「うん」
「じゃあ、早く寝ろよ」
「わかった。おやすみなさい」
父さんはそのまま私の部屋からいなくなってしまった。
翌日、私はかえでとアンナと一緒に通りを歩きながら、黒い影を探していた。
「かえで、黒い影ってこっちを通ったの?」
私はかえでに確認を取るような感じで聞いた。
「たぶん……」
「黒い影って、どれくらいの大きさだった?」
「ちょっと覚えてないけど、たぶん猫ぐらいかな」
「猫ぐらいの大きさか……。ねえ、ちなみに動きはどんな感じだった?」
「けっこうすばしこかったわよ」
私はかえでの証言を基に推理を始めていった。
「ねえ、黒い影に見えて、実は黒い猫ってことはない?」
アンナが横から口を挟んできたことに対し、私は一瞬考えた。
果たして、黒い影の正体が本当に猫かどうか。
その時だった、魚屋から魚をくわえた真っ黒な猫が飛び出してきた。
「この泥棒猫待ちやがれ!」
魚屋の行商が顔を真っ赤にして追いかけていたところを私たちを見て、「おーい、つばきちゃんたち、すまねえが、この黒い猫を捕まえてくれないか!」と叫んできたので、私は全力で追いかけていった。
私は目の前の樽を持ち上げて、黒い猫に目がけて投げつけ、見事に当たった。
猫は気絶していたので、かえでが抱きかかえ、魚の行商の所へ連れて行った。
「かえでちゃん、すまねえな」
「いえ、私は何もしていません」
「じゃあ、今日のお礼として魚をみんなの家に届けておくよ」
「そういうわけには……」
「気にすんな、じゃあな」
かえでが最後まで言い終わらないうちに、魚の行商は去ってしまった。
「ねえ、かえで。黒い影の正体って、この黒猫?」
「そこまでは……」
かえでは少し自信なさげな顔をして返事をした。
「少し探してみる?」
「うん……」
私とアンナはかえでに付き合って、もうしばらく黒い影を探すことにしてみた。
「ねえ、見つからないね」
「うん……」
私の言った言葉にかえでは自信なさげな声で返事をした。
「ねえ、やっぱさっきの黒猫なんじゃないの?」
アンナは早く家に帰りたかったのか、少しいらだった感じで私に言ってきた。
「そうかもしれない……。みんなごめんね、もう少ししたら門限になるし、そろそろ家に帰ろうか」
かえでがそう言い出した時、私たちの前に突然、黒い影が一瞬にして過ぎ去っていった。
私たちは夢中になって追いかけていくと、そこは通りの外れにある草むらだった。いよいよ黒い影の正体が見られる。
かえでの目は得物を見つけた蛇のように、そうっと足音を立てずに黒い影の正体を探ろうとした。
その瞬間、かえでは黒い影の正体を見てしまった。
「あれ、これって昼間見た猫じゃん」
「やっぱり」
アンナは少しがっかりした顔で感想を出していた。
かえでが黒猫を抱きかかえたその時だった。ミャーミャーと子猫の泣く声が聞こえてきた。
そうか、この子たちに餌を与えたかったから魚を盗んだのね。
本当なら私たちの方でどうにかしてあげたいのが本音だったけど、あいにく私たちの家で動物を買うことは禁じられていたので、その場を立ち去ることにした。
家に帰る途中もかえでは少し申し訳なさそうな顔をして私たちに謝っていた。
「みんな、本当にごめんね」
「気にしないで。でもまあ、正体がわかったことだし、ひと安心だよ」
私はかえでに安心させるような言い方をした。
翌日、私たちは残飯の入っている桶から笹の葉に少し載せて黒猫の居場所まで向かった。
しかし、そこにはもう黒猫の親子はいなかった。
「猫ちゃんたち、どこかへ引っ越したんだね」
かえでは少し残念そうな顔をして呟いた。
「またどこかで会えるよ」
私もそう言って、かえでに元気づけた。
「ねえ、帰りに団子を食べに行かない?」
アンナは私とかえでに提案をしてきた。
「それ、いいね。ねえ、かえでもそうしよ」
私もかえでに団子を誘った。
私たちが草原を離れたあと、5月の優しい風が草原の草花をやさしく揺らしていた。
番外編、終わり
みなさん、こんにちは。
いつも最後まで読んで頂いて、本当にありがとうございます。
今回もまた侍ガールズのお話を書かせていただきました。
内容としては上下巻にして、前回よりも内容を濃いめにさせて頂きましたが、今作成している内容が一部構成なんですが、そろそろ限界が来てしまい、次回の侍ガールズは二部構成にさせて頂こうかと思っています。
当初は全14話にしたかったのですが、13話でネタ切れになってしまい、14話目は番外編として主人公の幼馴染である佐々木つばきちゃんを主人公とする、いつもとは角度の違う内容にさせて頂きました。
さて、ここで雑談に入らせていただきます。
この作品を書いているころ、テレビのニュースでショッキングな内容が飛んできました。
それは「サザエさん」に出てくるタラちゃんの声でおなじみの貴家堂子さんがお亡くなりになられたことでした。
私は騒がしい情報番組を好まないので、普段からNHKの番組を見ているのですが、あのNHKでもこの話題を持ち掛けてきたので、貴家さんの存在の大きさを改めて感じました。
またその直後には漫画家の松本零士さんの訃報を知った時には思わず耳を疑いたくなりました。
昭和の大物たちが次々とこの世を去り、私は驚きを隠し切れませんでした。
プライベートな話になりますが、先日母が乳がんを患い入院して手術を受けました。
手術は無事成功し、退院出来て普通の生活に戻ることが出来ました。しかし、入院中私が料理を担当したわけなんですが、これを朝昼晩献立を考えながら作っていたので、改めて母のありがたみを知ることが出来ました。皆さんの中で実家で暮らしている人がいらっしゃいましたら、くれぐれもお母さんに面と向かって「ウザイ」とか「クソババア」などという発言は控えてください。
可能な限り大切にしないと、あとで地獄を味わいます。
最後になりましたが、春が近づいたとはいえ、まだまだ寒い日が続きます。
皆さん、体調管理には充分気を付けて毎日を過ごしてください。
それでは、次回の作品でまたお会いしましょう。
この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。